ぼくものがたり【第47話】おくむら君ーー納豆売りで家族を支えた小学生
僕が小・中・高と、学校もずっと一緒だった親友の奥村君。
杉七(杉並第七国民学校)には、2年生のときに転校してきた。
それまでは、日本橋の駅から歩いて1分という、
東京のど真ん中に住んでいたんだ。
でも、戦争で家が焼けてしまって、
阿佐ヶ谷に家を借りて引っ越してきた。
親父は、
「あの人たちは本来、良いところに住んでた人たちなんだ」
と言って、どこか敬意を持って見ていた。
奥村の家は、戦争中にお父さんが病気で亡くなっていた。
なので、母親と四人のお姉さんたちの、六人で暮らしていた。
奥村は、女ばっかりの家族の、たった一人の男だったから、
「僕が家族をまもらなきゃ」っていう気持ちを、
子どもながらに強く持っていた。
奥村の借りた家は、昔田んぼだったところで、
大雨が降ると、家が水浸しになってしまっていた。
そのたびに、
「こんなところに住んでいるわけにはいかないなぁ」
と、話していた。
焼け跡に建てられた家だったから、壁も塀も継ぎはぎで、
外から中がよく見えてしまう作りだった。
当時の焼け跡の家は、ほとんどがそういう感じだった。
家の中でお姉ちゃんたちが着替えていると、外から丸見えで、
遊びに行くと奥村が、
「見るなー!」
って。
僕は、慌てて反対の方を向いて、手で目を覆った。
それでお姉ちゃんたちの、
「終わりましたよー」
の声で、安心して家に入った。
母子家庭の奥村の家は、五人の子どもをお母さん一人が育てていた。
だから、奥村は本当に苦労をしたんだ。
そのころから奥村は、
「ぼくがアルバイトをして家族を食わせるんだ」
と、納豆売りのアルバイトを始めた。
「なっと、なっとー」
って言って、町を売り歩くアルバイトだ。
子どもの声は高くて、遠くまで聞こえるから、
たくさんの子どもが、納豆売りをしていた。
だから僕は、
「毎日僕の家に来て」
って言った。
すると、
「功ちゃん」
って来たから、毎日三つか五つは買っていた。
で、うちも毎日納豆を食ってさぁ。
そしたら親父が、
「いくらなんでも、こう毎日納豆じゃ、いくら美味しくても飽きちゃう。
たまには断れよ」
って。
だから、
「本当に申し訳ないけど、納豆食べ過ぎて飽きちゃってるから、
何日かに1回くらいにして」
と。
そうしたら、何日かおき、三日おきくらいに来た。
奥村は、ずいぶん長い間、納豆売りをやっていた。
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