ヴンダーカンマーの記憶① 学芸員の記録
(約1,800字/読了目安:5分/全8話)
僕は美術学校を修了し、この奇妙な博物館に仕事が決まった。
普通の美術館では物足りなかった。
ここには、取り憑かれたような知的好奇心の塊がある。
だから、その報せは嬉しかった。
およそ二百年前、この建物は、一人の蒐集家の所有物だったらしい。
ヴンダーカンマーを所有していた紳士は、増えすぎたコレクションを別宅に移した。
それでも蒐集は止まらなかった。
好奇心の赴くまま部屋を増やし、廊下を延ばし、増改築を繰り返した結果、別宅はいつしか、それ自体が巨大なヴンダーカンマーのような不思議な建造物になったという。
やがて紳士は、大勢の技師を集め、何か巨大な機構まで造ろうとしていたらしい。
過去を覗くための装置だったとか、記憶を留めるためのものだったとも伝わっている。
けれど、確かなことは何ひとつ残っていない。
蒐集のために湯水のように財を費やしてきたが、まだ残っていた。
それでも紳士は、その完成を自ら諦めた。
そして、遺されるコレクションを護るため、この建物が博物館として保存されるよう、手続きをしたという。
僕は初出勤の朝、館長に伴われて、収蔵室へ向かった。
館には、展示禁止の最上級の至宝がある。
少女の姿をした、一体のオートマタだ。
紳士はコレクションを手放す際、ひとつだけ、その人形を見世物にしてはならないとくれぐれも伝えていたという。
紳士は、この人形を造った老時計職人の願いを受け継いでいたのだ。
パンフレットにも書かれていなかったので僕はその存在を知らなかった。
そんな大切なものが、なぜ華やかな展示室ではなく、薄暗い収蔵空間の雑多なものの中にいるのか?
もちろん、ここは温度も湿度も管理が行き届いている。
出入りを許されているのも、館長や学芸員たち、限られた者だけだ。
でも、それだけじゃないらしい。
彼女は、誰も来ない場所にしまい込まれるより、適度に職員の気配がある方がいいのだという。
「誰だって、一人で閉じ込められたら嫌だろう?」
館長は、当たり前のことのようにそう言った。
収蔵室の扉を開けると薄暗い大空間の奥に、北向きの窓からの淡い光の中に佇む人のような姿が見えた。
「レディにご挨拶しようか」
館長に促されるまま、僕は彼女に挨拶をしに行った。
人形に挨拶?レディ?
ついていくしかなかった。
歩きながら彼女について教えてもらった。
彼女は十四歳ほどの少女の姿をしている。
この大きさでなければ、内側の機構は収まらなかったのだろう。
幼くして大人になることができなかった少女。
その面影をもとに、成長した姿を思い描いて造られたという、永遠の少女。
造った父親——あの老時計職人は、この子がここまで育つところを見たかったのだと思う。
面立ちには、少女のものではない、もう少し大人びた誰かの気配も混ざっている。
今、その瞳には何も映っていない。
もう動くこともない。
それなのに、彼女に会った瞬間、確かに感じたんだ。
衣服は古びている。
関節の真鍮には、長い年月ぶんの色が沈んでいる。
それでも、朽ちてはいない。
磨きすぎてもいない。触れすぎてもいない。
必要な手だけが、途切れず加えられてきた物の艶だ。
毎日、機構を整えていた手があった。
見世物にせず、埃を払っていた手があった。
傷めないよう、記録し、見守ってきた手があった。
かつて彼女を愛した人たちがかけた手間と時間が、僕の瞳には映っていた。
そして今日から、その中に僕の手が加わる。
彼女の立つ場所から見上げると、天井まで届く巨大な機構がそびえている。
時計でもない。
発電機でもない。
かつてこの館の主が、何十年もかけて完成させようとしたもの。
機械はとうに沈黙している。
その下で、人形だけが今も立っている。
僕は、この未完成の機構に美を感じた。
護るために、あえて成長を止めた生命のように思えた。
未完だからこそ、永遠がある。
あと一歩で、完成していたのかもしれない。
この部屋は、博物館の根なんだ。
この大樹のもとで、彼女も、ほかの収蔵品も、ずっと護られてきたんだ。
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