我慢の末路、早めの心がけ
人生後半の生き方について考えさせられたことを
ちょっと書き留めておく。
親の介護が必要になった人から聞いた話。
いつもキチンとした良妻賢母な母だった。
そんな母はいつも父に我慢していたようだ。
そんな母が先に認知症になり、
父に介護させ、時々怒鳴りつけ、
日夜振り回し、父にたまにパンチを食らわせていた。
それは今までの復讐のようにみえた、と。
実はこの手の話を聞いたのは一度ではない。
また別の時に聞いた介護の逆バージョン。
豪放磊落な父に、貞淑で優しい母。
そんな父が認知症に。
すると、その方の母の口から、
今まで黙ってたけど…と
不意に溢れた言葉は、父への心配ではなかった。
「長年この人に数々迷惑かけられてたのだけど…腹立つ。
結局こちらに謝らないまま終わるつもり?」
「半世紀以上前のいくつかの人生の選択に後悔…
全く別の人生を生きたかった」
いまさら言われても…
急に聞かされた側も返答に困った、という話だ。
認知症などになってようやく、
本人も周りも本音が顔を出す。
理性で制御できず、
本音の蓋が押さえられなくなり、
不自然がゆるんで、本来の自然を取り戻し始める。
それは本来の二人の関係への回復のプロセス
なのかもしれないのだけれど…
そこまでいくまでに、どこかで何か、
もっと出来たような気はしないでもない。
理性が効く頃は、
一度我慢の回路が常態化すると、
それがキチンとした人、素敵な人として
普通になって固定化してしまう。
我慢してる本人には自覚がないことが多く、
ここまでこないと気づけない場合も結構ある。
ここまできても気づけず、
もっと自分以外はちゃんとできて立派なのに…などと、
我慢し続けられない自分を責めたりしてる人さえいる。
そして、
我慢が吹き出して突然爆発したり
我慢ストレスでバッタリ倒れたり
認知症になったとき突如我慢の下の本音が噴出したり
結局我慢しても何もいいことはない。
早めに本音を表現している方が本人もラクなはず。。。
母の日が近いけれど…
幸せに見える母、
幸せを演出する母でもなく、
本音を生きる自然な母が結局周囲にもありがたい。
(さすがに迷惑系やりたい放題は困るけど💦)
とはいえ「我慢は美徳」「自己犠牲は偉い」
と義務教育時代からずっと教えられてきた。
今だって、
教育分野は「個性の発揮」や「本音を生きる」は
学校の管理教育の中で、
管理のしやすさという範囲での
ごくごく狭い枠内だけで許されてる気がする。
《皆と一緒の行動=和を保つ➡高評価💮》のような
「個々の我慢が暗黙の了解」がベースならば、
かなり狭い条件付きの個性や本音しか
教育現場では許されてないだろう。
先生だって条件付きで管理されている。
生徒を条件付きで管理するのに違和感なくて普通かと。
そして皆、学校や社会の求めるように
我慢したり、
弱みを見せず無理したり、
無駄に頑張るよう仕向けられている。
それがちゃんとした人、立派な社会人みたいに。
だから、この時代の過渡期に、
我慢しすぎているのを、
その個人の責任にするのも酷だろう。
けれども少なくとも、これからの教育は、
個人と社会の幸せのためにも、
本音の生き方、
本音の表現の仕方、
本音ベースの調和のあり方、
本音を表現した上での人とのつながり方、
そんなところに着目する必要がありそうな。
人生の諸大先輩方から学びを肝に銘じ...
自分も、今から、意識して、
小出しにちょこちょこ本音を出すよう、
本音と現実のズレができるだけないよう、
心がけたい。
ある日突然豹変して周囲を困惑させないためにも。
キチンとしてなくても、
素敵じゃなくてもいい。
若干テキトーでゆるくして、
時々失敗するのも、
AIやロボじゃない人間の証拠として面白がりたい。
そして周りが本音を出したときは、
それは自然でいい傾向、と思えるようにしていたい。
もう人生後半に足をかけているんだもの。
万事、そのくらいで丁度いい。
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