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妄想文庫 『地引網に穴があく』

 書店で一冊の本が目に留まった。
『地引網に穴があく』
哲学書らしい。

 帯には大きく、
「体を張って知ったこと」とある。
ずいぶん身体性の高い哲学だ。
 さらに推薦文。
「昨日の自分が、今日の自分を論破する」

……痛い。
 まだ一ページも読んでいないのに、なぜか胸のあたりが痛い。

 裏表紙を見た。

 沈黙を語り、投稿する。
俯瞰を語り、海底から見下ろす。
視野を語り、見えない他人の事情まで決めつける。 

 そしてヤツは、まだ知らない。
……網の中にいるのが自分だということを。
哲学というより、漁業事故ではないだろうか。

 目次を開く。

 第一章
「主語を大きくしてみよう」
 第二章
「他人の動機を推測してみよう」
 第三章
「沈黙について饒舌に語ろう」
 第四章
「自分だけは例外だと思ってみよう」
 第五章
「網に見覚えのある魚が大量に入る」

 そして終章。
「漁師、自ら捕獲される」

くぅぅ〜読みてぇ!猛烈に読みたい。

 ところが残念なことに、この本は存在しない。
私が勝手に今、考えた。

 人間、誰かについて何かを言っていると、ときどき自分まで該当するね。

「こういう人っているよね」

いる
私だった

「ああいうことをする人、どうかと思う」

したことがある


「普通はそんなことしないよ」

普通ってなんだ

 自分で投げた網に、自分がピチピチ入っている。ゔわっ、一般論って怖っ。
 遠くへ投げたつもりの言葉ほど、大きな弧を描いて帰ってくることがある。

 ブーメランならまだいい。
地引網はもっと怖いぞ。
 自分だけじゃない。友達も知人も通行人も、なんなら昨日まで仲良く喋っていた人まで、
「えっ、私も?」大量に入る。
漁獲量だけは立派だ。

 そう考えると、昔の人が言った、
「短気は損気」という言葉は、なかなか侮れない。誰かについて何かを書きたくなったら、一度だけ網を覗いてみる。
「これ、私、入ってない?」

 入っていたらどうするか。
しれっと海へ返す。( ˙σー˙ )
それが一番いいんじゃないかね。

 なお、続編の刊行も予定している。
『タコはなぜ自分の足を食うのか』

 副題は、
ーーーひと呼吸置かなかった者たちーーー

 こちらも存在しない。
しかし私は、ときどき出演している。
体を張って知ったことよ。


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