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【9割が見落とす】「仕方ない介護」を捨てろ|3つの問いでケアは変わる

「帰りたい」

認知症のある利用者様から、その言葉を何度も聞いたことがあります。

説明しても、うまく伝わらない。
気持ちをそらしても、少し経つとまた「帰りたい」と訴えられる。

そのとき僕は、その場を収めるために嘘をつきました。

「今日はご家族がお迎えに来られないそうです」

本人には確かめようのない理由を伝え、帰れない状況をつくったのです。

すると、その方は静かになりました。

僕は、ほっとしました。

「これで落ち着いてくれた」

そう思っていました。

でも今振り返ると、あの瞬間、僕は利用者様を支えたのではなく、
自分が困らない状況をつくっただけだったのかもしれません。

介護現場で使われる

「仕方ない」
「やむを得ない」

という言葉。

その裏で、私たちは考えることを止めていないでしょうか。

本当に、それしか方法はなかったのか。

今回は、僕自身の失敗から考えてみます。

「仕方ない」は、悪意ではなく善意から生まれる

利用者を守りたい。
その思いが、いつの間にか「仕方ない」を生み出していた。

「転倒させたくない」
「本人を不安にさせたくない」
「安全に一日を過ごしてほしい」

介護現場で「仕方ない」と判断するとき、
多くの場合、そこに悪意はありません。

むしろ、相手を守りたいという思いがあります。

僕が「帰りたい」と訴える利用者様に、
確かめようのない情報を伝えたときもそうでした。

何度説明しても、納得してもらえない。
帰れないと伝えるたびに、不安そうな表情になる。

だから、

「今日は迎えに来られない」

そう伝えれば、少し安心できるのではないかと思いました。


実際、その場は落ち着きました。

すると僕は、いつの間にかこう考えるようになっていました。

「この人には、この対応しかない」

でも、一度うまくいった方法ほど、疑わなくなります。


「仕方ない」が怖いのは、悪い言葉だからではありません。

まだ考えられる余地があるのに、

「もう答えは出た」

と思わせてしまうところにあるのだと思います。

「帰りたい」を止めることが、目的になっていた

「帰りたい」の言葉を止めることに必死で、
その奥にある本当の気持ちを見失っていた。

最初は、その方に安心してほしかったはずでした。

ところが、同じやり取りを繰り返すうちに、
僕の中で目的が少しずつ変わっていきました。

どうすれば、『帰りたい』を止められるか

いつの間にか、そう考えるようになっていたのです。

でも、

「帰りたい」という言葉は、本当に止めるべきものだったのでしょうか。

  • 家族のことが心配だったのかもしれません。

  • 夕方になれば食事の支度をするという、何十年も続けてきた習慣が残っていたのかもしれない。

  • 知らない場所にいる不安を、「帰りたい」という言葉で伝えていた可能性もあります。

認知症があっても、
その人が歩んできた人生まで失われるわけではありません。

言葉の奥には、

生活歴があります。
家族との関係もあります。
長年担ってきた役割も、その人の中に残っているでしょう。

だから本当に必要だったのは、
「帰れない」と納得してもらうことではありませんでした。

「なぜ帰りたいのか」を知ろうとすることだった。

今は、そう考えています。

その言葉は、誰のためだったのか

その一言は、本人を安心させるためか。
それとも、僕たちが困らないためだったのか。

ここは、とても大切なところです。

僕は、認知症のある方には、
どんな場面でも事実だけを伝えるべきだと言いたいわけではありません。

「ここは施設です」
「今日は帰れません」
「何度も説明しましたよ」

そう正面から伝えることで、かえって不安が強くなることもあります。

だから問題は、単純に「嘘か、本当か」ではないのだと思います。


僕が自分自身に問い直したいのは、

「その言葉は、誰のためだったのか」

ということです。


本人を安心させるための言葉だったのか。

それとも、

職員側がその場を終わらせるための言葉だったのか。

ここを見失ってはいけないと感じています。


その場が落ち着いたことと、良いケアができたことは同じではありません。

「落ち着いたから正解」で終わらせず、もう一度振り返る。

その積み重ねが、本人の尊厳を守るケアにつながっていくのだと思います。

「仕方ない」のあとに、もう一つ方法を探す

「仕方ない」で終わらせない。
あと一つの工夫が、ケアの景色を変えていく。

では、僕たちに何ができるのでしょうか。

難しい技術から始める必要はありません。

まずは、

「帰りたいんですね」

と、その気持ちを受け止めることから始めてもいいと思います。

そのうえで、

「誰が待っていますか?」
「家では、この時間に何をしていましたか?」

と聞いてみる。

  • 夕方に訴えが増えるなら、その時間の過ごし方を少し変えてみる。

  • 家族写真を見る。

  • 洗濯物をたたむ。

  • 一緒に歩く。

  • 昔の仕事や家族の話をしてみる。

大切なのは、
人・時間・場所・環境・関わり方のどれか一つを変えてみることです。

全部を一度に変える必要はありません。

「家族が気になっているのかもしれない」
「夕方になると不安が強くなるのかもしれない」

そう仮説を立てて、一つ試してみる。

代替案とは、特別なアイデアではありません。

「仕方ない」で終わらせず、
そのあとにもう一つ方法を探すことなのだと思います。

「仕方ない」を一人で結論にしない

一人で出した答えは、思い込みになりやすい。
だからこそ、チームで問い直す。

一人で考えていると、
自分の対応がいつの間にか「当たり前」になっていきます。

だからこそ、チームで振り返ることが必要です。

「なぜ、この時間に帰りたいと言うのだろう」
「誰が関わると安心しているのだろう」
「まだ試していない方法はないだろうか」

この3つを話すだけでも、見えてくるものがあります。

介護職には気づきにくかった体調の変化を、看護師が見つけるかもしれません。

リハビリ職なら、痛みや姿勢から別の原因に気づくことがあります。

ケアマネジャーが生活歴を確認すれば、その人の行動と昔の習慣がつながることもあるでしょう。


大切なのは、誰の対応が正しかったかを決めることではありません。

本人にとって、もう少し良い方法はないか。

そこをチームで探し続けることです。

「仕方ない」を、一人で結論にしない。

それだけでも、ケアは少しずつ変わっていくのだと思います。


▶ あわせて読んでほしい記事

「仕方ない」を一人で抱え込まないためには、
支える職員自身にも、考える余裕が必要です。

人が足りない。
休めない。
苦しくても「大丈夫」と言ってしまう。

そんな状態が続けば、利用者の尊厳を守りたいと思っていても、
心の余裕は少しずつ失われていきます。

前回の記事では、

「利用者を大切にするために、まず職員自身も大切にされなければならない」

という視点から、介護職の我慢や自己犠牲について書きました。

今回の記事とあわせて読むことで、

利用者の尊厳と、支える職員の尊厳。

その両方を守りながら、ケアを続けていくために必要なことが、
より見えてくると思います。


「仕方ない」で終わらせないための3つの問い

なぜ? まだできることは? 本当にこれしかない?
3つの問いが、思考停止したケアを動かし始める。

利用者様の言動に困ったとき。

「もう仕方ない」と思ったとき。

その場で結論を出す前に、次の3つを思い出してみてください。

  1. この人は、なぜこうしているのだろう。

  2. 人・時間・場所・環境・関わり方の中で、まだ変えられるものはないだろうか。

  3. 本当に「これしかない」と言えるだろうか。

すぐに答えが出なくても構いません。

隣の職員に、
「何か別の方法、ないかな?」
と聞くだけでもいいと思います。

その一言から、ケアが変わることがあります。

「仕方ない」で終わらせない。

その小さな問い直しが、利用者様の尊厳を守る一歩になるのです。

まとめ|「仕方ない」で終わらせないケア

「本当にこれしかない?」
その問いが、ケアの始まりになる。

介護には、正解のない場面がたくさんあります。

人手が足りない。
転倒が怖い。
何度説明しても、うまく伝わらない。

だから僕は、「やむを得ない」という判断そのものを否定するつもりはありません。

ただ、それは最初に出す答えではないと思っています。

考えた。
試した。
チームでも話し合った。
それでも難しかった。

その最後に出てくる言葉であってほしいのです。

僕自身、「帰りたい」と訴える利用者様に、確かめようのない情報を伝えたことがあります。

その場は落ち着きました。

でも今も、自分に問い続けています。

本当に、それしか方法はなかったのか。

身体拘束や行動制限は、ある日突然始まるものではありません。

「危ないから」
「忙しいから」
「仕方ないから」

そんな小さな判断の積み重ねが、
いつの間にかその人の自由を狭めてしまうことがあります。

だから守りたいのは、身体拘束をしないという結果だけではありません。

考えることをやめないケアです。


今日、あなたの現場で「仕方ない」と思った場面が一つでもあったなら、
あと一つだけ問いを加えてみてください。

「本当に、それしか方法はないのか」

その問いが、一人の利用者様の自由を守る最初の一歩になるかもしれません。


▶ はじめて読んでくださった方へ

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

僕は介護の現場で長く働きながら、
ケアマネジャーとして多くの利用者、ご家族、そして介護職の皆さんと向き合ってきました。

このnoteでは、教科書の正解だけではなく、

現場で迷ったこと。
失敗したこと。
そこから考え直したこと。

そんな実体験も含めて、介護や認知症ケアについて書いています。

「この人は、なぜこんな記事を書いているんだろう?」

そう思ってくださった方へ。

僕のこれまでの歩み、資格、介護への向き合い方、
そして文章を書く理由を、自己紹介記事にまとめています。

これからも、現場で明日から一つ使える言葉を届けていきます。


次回|その「安全」は、誰のためですか?

守るつもりの支援が、 その人らしさを奪っていないか。
次回は「安全と自由」を考える。

転ばないように、歩かせない。
危ないから、外に出さない。
心配だから、できることまで職員が代わりに行う。

どれも「安全のため」に行われる支援です。

でも、安全を守ろうとするあまり、
その人が自分で選ぶこと、動くこと、挑戦することまで奪ってはいないでしょうか。

次回は、

【その人らしさを、私たちは奪っていないか】 生活の自由とリスクのバランス

をテーマに考えます。

安全か、自由か。

どちらか一つを選ぶ話ではありません。

大切なのは、
「守ること」と「奪わないこと」をどう両立するかです。

これは、介護に関わる人なら一度は向き合う問いだと思います。


この記事を読んで、何か一つでも思い当たる場面があったなら、
今日のケアの中で一度だけ問い直してみてください。

「本当に、これしかないのか」

そして次回は、その先にある

「安全のためなら、どこまで自由を制限していいのか」

を一緒に考えていきます。


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