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カオスな世界へようこそ!<認識論❓>|『頭の中の会議室』取扱説明書⑦📚️

前回、断面からきゅうり🥒を想像してみました。
同じきゅうりでも、切る場所や向き🔪が変われば、見える形が違って見える。一つの断面だけを見て「これはこういう形」と思ってしまうと、全体像のきゅうり🥒を取り違えてしまうかも?というお話でした😆

では、今回のテーマは

(🥒きゅうりの)断面の作られ方

からはじまります。

(あ、あ、あの、いいですか?、、、🥒はあくまで比喩ですぞ??そこは一応説明しておきますが)
これね、やはりおもろいですよ🤣これも良く考えれば珍しいことじゃなく当たり前といえば当たり前の話なんだけど、見落としがちな所だから、ちょっと説明してみますー

それではれっつらごー🐾💨


1、認識とはなんだろう?

そもそもですよ。わたし達は「出来事」をどうやって見ているか?の話です。これ、そのまま見ているのでしょうか??みなさんどう思います?

たぶん。そのまま見えていないです。ほぼ。

たくさんのものがある中から、あるものを見ようとしますよね?
そこにピントを合わせて、「ああこれは○×ですな」と、ほかのものと「分けて」くる。

そうやってわたし達は物事を「分かったもの」としている。これは認識というとても便利な道具です。
ただし、そこで見えているものは、

👉全体そのものではありません👈

認識は、全体を見るための窓ではあるけれど、窓から見えているものが全体そのものではないんですね。

📝いま、自分にはこう見えている。

まずはそれくらいにしておきましょう。
そして、その「見えているもの」を誰かに伝えようとすると、もうひと仕事あります。

2、ここで、ちょっと🥼実験です⚗️🧪

説明を聞いて、想像してみて下さい🖼️🎨🖌️

「庭には人の背ほどの白い小さな花を沢山つけた庭木のそばに、小さな白い家があります。家の前には赤い自転車が置いてあり、遠くには山が見えます。空には鳥が飛んでいます。」

想像してみてね!

さて、どんな景色が浮かびましたか???


⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️


あくまでも


同じ文章でも、こんな風に少し違う。


シミュレーションですが


また違う、、、


イメージ出来ますでしょうか?

人によってはモノクロだったり、聞き漏らしていたりと、いろいろ起こりますよね。
多分同じ文章を読んでも、みんな全く同じ絵にはならない。というシミュレーションでしたが、

言葉を受け取ると、私たちはそこから意味や景色をもう一度組み立てます。

そのとき使うのは、自分が持っている経験や知識や記憶です。

つまり

送り手の中にあるものを
⬇️⬇️⬇️
言葉にして一列にする
⬇️⬇️⬇️
受け手が自分の中でもう一度組み立てます

言語の線状性っていう特徴によるもの

意味そのものが、送り手の頭から受け手の頭へ、そのまま移動していないんです。(📡求むテレパシー📡)

と、いうことはですよ?

わたし達はそれぞれ、自分なりに世界を認識していて。
それを言葉という一列にして渡し、
受けとった人が、また自分なりに組み立て直している。

……。



…………。



……………………………………。😅



カオスだあああああ🤣🤣🤣🤣🤣🤣


カオスだあああああ🤣

そうなんです、これ、この風景画の実験のように

ズレ
てます。
基本、ズレてます。
それをいい塩梅で、テキトーに繋いで話しています(怒らないで聞いて?😅)

ときどき、心が痛いほど

おっきく ズレたりします!!!

理由がわかってないだけで💦


3、で、自分にできること、どこ?


これ、こうやってズレた時に特にやりがちなのが、
どっちが正しいか、間違ってるのか論に走ること。
これは、やっていいんだけど(やらないといけない時もあるから)
それでも、”適したタイミング”っていうのがあって。

(やらなくても良くなる事も当然ありますよね)

それは、最後でいいんですよ、採決は最後。
早すぎると、カオスを続けるだけの、不毛さなんです。
その前にまずは、自分が出来ることに集中👀、その出来ることをだいたい包括的に回収出来てくると、きゅうりの実態が立体構造化すると思うんです。

ズレって、一つの情報なんです。

相手には、そう見えた。
では、
自分にはどう見えていたんだろう?

ここで話が自分に戻ってきます。
お相手が自分の経験や認識を使って意味を組み立てているなら、たぶん自分も同じです。みんな使っているOSが一緒ってことですね。


誰かのことも。
起きた出来事も。

そして。

自分自身のことも。

「私は、こういう人間だ」
「私はこう思っている」
「これはこういう出来事だった」

それら、いまの自分が切り出して、組み立てたひとつの見え方だとしたら。


……で。

私にできること、どこ?


4、仮説を仮説のまま、お盆に置いていく


相手がどう認識するかは、私には決められません。
起きた出来事を、なかったことにも出来ません。

でも、

自分には今、どうみえているんだろう?

ここなら、観ていくことが出来ます。

どうしてそこを切り出したんだろう?
どうしてそういう意味になったんだろう?

ほかの見え方はあるだろうか?

もう一度言いますが、採択や採決は最後で良いんです。
気の向くまま、色んな角度で眺めてみる、仮説をとりあえずお盆に置いてみる

……と書くと簡単そうなんだけど、私もこれがなかなか難しい🤣
なので、上手にできるようになるというより、
「あ、いま急いで決めようとしてるな」って気づけたら十分

そうやって、自分の認識にも、車のハンドルのように”遊び”の部分を作れたら、もうラッキーなんだと思っています。

おわりに

認識も、言葉も、
この世界で生きていくための大切な道具です。

道具なら、まず、自分そのものではありません。
目的でもないです。
道具以上でも以下でもありませぬ。

いま自分は、どんな道具で、何を観ているのか?
それをいったん、仮でお盆に置くだけ。

そうすると悩んだときに力をかける場所が、前より見つけやすくなる。

今日は、認識の世界を体験してもらう回となりました。

次回は、
「仮説を仮説のまま、お盆に置いておく」
という話と、

実は思っていたより忙しい司会さんの仕事内容について、
もう少し見てみます😁

では、また👋


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