【自己紹介】普通の会社員が、失敗から人生の余白を増やしていく
はじめまして。howrassです。
41歳の会社員で、妻と2人の娘と暮らしています。
仕事をして、家に帰り、子どもと過ごして、また次の日も仕事へ行く。
そんな毎日の中で、ふと考えることがあります。
「もう少し、ストレスの少ない生活にできないだろうか」
「将来のお金の不安を減らし、自分に合った働き方を選べないだろうか」
「仕事に追われるだけでなく、家族との時間を大切にできないだろうか」
「年齢や時間を理由にせず、やりたいことに挑戦できないだろうか」
このnoteは、そんな悩みを抱える普通の会社員が、お金・時間・心の余白を少しずつ増やしていく過程を記録する場所です。
私は、大きな成功を収めた経営者でも、会社を辞めて自由になったFIRE達成者でもありません。
会社員として働きながら、投資、副業、AI活用、アプリ開発、子育てなどに挑戦しています。
うまくいった話だけではなく、
「なぜ失敗したのか」
「そのとき何を考えたのか」
「次はどう改善しようとしているのか」
という過程まで、できるだけ等身大に残しています。
このnoteで扱っているテーマは、大きく三つあります。
1. お金の余白を増やす
投資、資産形成、家計の見直し、note副業、将来の働き方について書いています。
誰でも簡単に稼げる方法や、短期間で人生を逆転する方法を紹介する場所ではありません。
普通の会社員が、限られた収入と時間の中で、どうすればお金・時間・心の余白を少しずつ増やせるのか。その過程で試したことや、迷ったこと、失敗したことを記録しています。
投資では、実際に自分のお金を投じながら、業界の需要や企業の将来性をどのように考えたのかを書いています。投資やお金に関する記事は、これまでnoteマネーにも複数回取り上げていただきました。
ただ、資産形成の方法は投資だけではありません。
固定費や日々の支出を見直すこと。会社員として働きながら、noteやAIを活用した副業に挑戦すること。今の働き方を続けるだけでなく、将来どのような生活を送りたいのかを考えることも、資産形成の一部だと考えています。
利益や収入の金額だけでなく、なぜそれを始めたのか。どこに可能性を感じたのか。どのような不安があったのか。何がうまくいかず、そこから何を学んだのか。
普通の会社員が、家計・投資・副業・働き方を少しずつ見直しながら、将来の選択肢を増やしていく過程を大切にしています。
お金と将来の働き方について書いた代表記事はこちらです。
2. 時間の余白を増やす
AIやアプリ、仕事の効率化などを通じて、限られた時間をどう使うかを考えています。
単に作業を速くするだけではありません。
何を減らし、何に時間を使うのか。
会社員として働き、2人の子どもを育てながら、家族との時間や、自分が挑戦するための時間をどうつくるか。
普通の会社員だからこそ、時間の使い方には切実さがあります。
ChatGPTやClaudeなどのAIを使った文章作成や情報整理だけでなく、画像生成、音楽制作、アプリ開発などにも挑戦しています。
専門家ではない私が、AIの力を借りて、これまでなら思いつくだけで終わっていたものを形にする。
その試行錯誤も、このnoteに残しています。
AIや時間の使い方が分かりやすい代表記事はこちらです。
3. 心の余白を増やす
仕事、家族、人間関係、自分自身との向き合い方について書いています。
お金があっても、時間がなければ余裕は生まれません。
時間があっても、心が疲れていれば、その時間を楽しむことはできません。
反対に、心を整えようとしても、将来のお金に強い不安があったり、仕事に時間を奪われ続けたりすれば、穏やかに生活するのは難しいと思います。
最近は、アドラー心理学をはじめとする考え方を、実際の生活にどう取り入れられるかを考えています。
ただ本の内容を紹介するのではなく、
「家庭では本当に使えるのか」
「仕事で嫌なことがあったとき、どう考えるのか」
「頭では分かっていても、なぜ実践できないのか」
というところまで掘り下げています。
心や価値観について、私の考えが表れている代表記事はこちらです。
お金の余白、時間の余白、心の余白。
この三つは、別々の問題ではありません。
お金に余裕がなければ、将来への不安が大きくなります。
時間に余裕がなければ、家族や自分のために使う時間がなくなります。
心に余裕がなければ、お金や時間があっても、それを十分に味わうことができません。
だから私は、この三つをまとめて「人生の余白」と考えています。
では、なぜ私が、人生の余白について書くようになったのか。
ここからは、これまでの人生で経験した失敗や、考え方が変わった出来事について書いていきます。
4. 人と関わることが苦手だった子ども時代
両親によれば、私は3歳頃まで、ほとんど言葉を発しなかったそうです。
私自身の記憶でも、幼稚園の頃は、人とどう関わればよいのか分かりませんでした。
周りの子が楽しそうに遊んでいても、その輪にどう入ればよいのか分からない。
小学校低学年までは、友達もほとんどいませんでした。
アレルギーで唇の周りが真っ赤になり、「たらこ唇」とからかわれたこともあります。小学4年生の頃には、軽いいじめも経験しました。
そんな私が、初めて自分から夢中になれたものがありました。
リコーダーです。
憧れの曲を吹けるようになりたくて、毎日のように練習しました。
すると、音楽の授業で少しずつ、
「あいつ、リコーダーは上手いらしい」
という空気が生まれました。
それまで周囲との接点がほとんどなかった私を、リコーダーが人とつないでくれたのです。
小学5年生頃から友達が増え、中学校では吹奏楽部に入り、学級委員長も務めました。
何か一つでも夢中になれるものがあり、人より少しできることがあれば、自分を見る目も、周囲との関係も変わっていく。
私はそこで、努力することで人生は変えられるのだと思いました。
しかし、その自信は長くは続きませんでした。
5. 努力しても変えられないものがあった
高校生になる頃、私は自分の低身長を強く気にするようになりました。
現在の身長は163センチです。
身長を伸ばしたいという悩みを親に打ち明けることは、当時の私にはかなり勇気が必要でした。
親に反対されながらも頼み込み、ヨガを取り入れた伸長法にお金を出してもらいました。
鉄棒にぶら下がり、ゴムで足を引っ張り、できることは何でも試しました。
それでも、身長は伸びませんでした。
それどころか、無理な運動で首を痛め、慢性的なこりだけが残りました。
リコーダーは、練習すれば上達したのに。
これだけ努力しても、報われなかった。
身長は、もう伸びない。
私は、その事実を受け入れられませんでした。
この努力した時間は無駄になるどころか、ただ劣等感を強くしただけ。
後で後悔したくないから頑張ってみたけど、結果的には何もしない方がマシだった、という残酷さを味わった。
神様に嫌われている気がした。
「もう頑張ったって、意味なんかないさ」
ほかのすべてのことまで、投げやりになっていました。
大学時代には劣等感がさらに強くなり、
「自分の人生はハードモードなんだ。だから、うまくいかなくても自分のせいではない」
いつしか、そう考えるようになりました。
社会のせい。
環境のせい。
親のせい。
自分が不幸なのは、すべて他人や環境のせいだと思っていました。
死のうと考えたことも、一度や二度ではありません。
こんな何も生み出さない人間が、食べて生きることで、たくさんの動物たちの命を奪ってもよいのだろうか。
周りのせいにして生きるくらいなら、いっそのこと自分が死んだほうが、世の中のためになるのではないか。
何度も、そう思いました。
けれど、私にはそこまでの勇気がありませんでした。
人から評価されることも怖くなりました。
女性とは、話すことすらできなくなりました。
働いて「使えない人間だ」と思われるくらいなら、最初から挑戦しない方がよい。大学時代はバイトも怖くて出来ませんでした。
話して「嫌い」と言われるくらいなら、最初から話さない方がよい。
そう考え、私は少しずつ、何もしないことで自分を守るようになっていました。当時は自己嫌悪から逃れる術がこれしか思い浮かばなかったのです。
そんな状態のまま、社会人になりました。
6. 真冬の青森で、初めて自立を知った
大学卒業後、技術者を企業へ派遣するアウトソーシング会社に入社しました。特別な専門性があったわけではなく、人手が必要だったことにも助けられたのだと思います。
そこで大手プラント会社へ派遣され、自分よりはるかに知識と経験のある技術者たちに囲まれました。
私の人生にとって、これは運が良かったとしか言い表せません。
合理的な考え方
知識の深さ
問題整理の方法
判断の根拠
仕事への責任感
一流の先輩方の背中を見ながら、少しずつ仕事を覚えました。
大きな転機になったのは、真冬の青森から始まった半年間の現場駐在です。
設備の試運転責任者を任されましたが、初めての仕事ばかりでした。
知っている人が誰もいない土地。
外は猛吹雪で凍てつく寒さ。
試運転を本当に成功させられるのかという不安。
そのとき初めて、それまでつらいと思っていた過去が、どれほど穏やかで恵まれていたのかということに気づきました。
あれだけ反抗していた自分を、それでも支えてくれた両親のありがたさも、身に染みて分かりました。孤独とは、こんなにもつらいものなのか。
そのとき初めて痛感しました。
駐在当初は、宿で一人、寂しさと不安と感謝が入り混じった感情で泣いていました。
最初は、バルブを一つ開閉することも、車を運転することさえ怖がっていました。
それでも、少しずつ現場にも土地にも慣れていきました。
夏頃には、休日に長距離ドライブをして、青森を観光する余裕も生まれました。できることが少しずつ増えていく喜びも、この頃に知りました。
本気で働き、帰りに温泉へ寄って、美味しい食事を食べて自分を労わる。
一生懸命働いたからこそ、遊ぶ時間も休む時間も、心から楽しめる。
それまで頭では分からなかったことを、私は体で学びました。
そうして任された仕事から逃げずに続けました。
現場駐在を終え、地元へ戻るとき、初めてはっきりと、
「自分は、自立できた」
と感じました。
しかし、仕事で少し自信がついても、お金や恋愛では、まだ多くの失敗が待っていました。
7. FXで約150万円を失った
28歳の頃、私はFXで一攫千金を狙いました。
為替が下がったら買い、上がったら売る。
単純なゲームだと思っていました。
実際、取引の回数だけを見れば、勝つことの方が多かったと思います。
しかし、一度の負けで大きな含み損を抱えたとき、私は負けを認めることができませんでした。
「もう少し待てば戻るかもしれない」
そう考えているうちに、損失はどんどん膨らんでいきました。
最終的にFXで失った金額は、約150万円です。
当時の私は投資をしていたのではありません。
自分の判断が正しかったという結果を、相場が与えてくれるのを待っていただけでした。
この失敗から、チャートを見て短期的な値動きを当て続ける方法は、自分には向いていないと考えるようになりました。
それよりも、今後需要が伸びる分野や企業を自分で調べ、長期的な成長に投資する方が自分には合っている。
そう考え、S&P500などのインデックス投資や、個別株への投資を始めました。
FXでの失敗を機に、お金との付き合い方も少しずつ変わり始めました。
投資の元手をつくるため、家計も見直しました。当時の収入をすぐに増やすことは難しかったため、まずは支出を減らすことから始めました。
そうやって、少しずつ資産を蓄えていきました。
次に向き合わなければならなかったのは、長年避けてきた、自分自身の劣等感でした。
8. 自信がないまま、婚活を始めた
30歳になっても、男性としての自信はありませんでした。
低身長は、当時の私にとって長年抱えてきた劣等感そのものでした。
対人恐怖が強かった大学時代には、女性と関わること自体を怖いと感じていました。
それでも、この劣等感と向き合わなければ、いつまでも重たい足かせは外れない。
そう考え、結婚相談所で婚活を始めました。
もちろん、順調ではありませんでした。
多くの女性と会い、何度もご縁が終わりました。
自分には結婚など無理なのではないか。
そう絶望しかけた頃、現在の妻と出会いました。
私は、自信がついてから婚活を始めたわけではありません。
行動した後に経験が生まれ、その経験によって、少しずつ自信がついてきたのだと思います。
仕事も、結婚も、待っているだけでは何も変わりませんでした。
一方で、行動すれば必ず状況がよくなるわけでもありません。
私は再び、大きな環境の変化を選びました。
9. 転職して、それまでの経験が通用しなくなった
2020年、派遣社員として働き続けることに将来への不安を感じ、水処理設備を扱う会社へ正社員として転職しました。
しかし、新しい職場では、それまでとは仕事の進め方が大きく異なりました。
設計だけでなく、調達、工事、安全管理、顧客対応まで、幅広い仕事をその場で判断しなければなりません。
仕組みが十分に整備されていない状況を、個人の力で何とか回している。
私には、そんな職場に見えました。
前職で積み上げた経験は、ほとんど通用しませんでした。
無理な要求や、当時の私にはパワハラと感じられる言動もあり、
精神的に擦り減っていきました。
そんな中、2021年12月に長女が生まれ、育児休業を取得しました。
仕事から離れたことで、メンタルは少しずつ回復しました。
同時に、一つの疑問が強くなりました。
「このまま会社だけに頼って、働き続けてよいのだろうか」
その疑問から、私は副業を探し始めました。
10. 30万円を払った先で感じた、稼ぐことへの違和感
2022年の育児休業中、楽天市場などでポイント還元を利用して商品を安く仕入れ、Amazonで販売して差益を得る「せどり」が流行していました。
私もAmazon販売を経験しましたが、手間が多く、長く続けたいとは思えませんでした。
もっと効率のよい方法があるのではないか。
そう考え、意を決して情報商材に30万円を払いました。
しかし、交流用のLINEで目にしたものは、予想していたものとは違いました。
「このポケモンカードにトレンドが来ている。今から北海道までワゴン車で買いに行ってくる」
そんな投稿とともに、商品を車の荷台へ大量に積み込んだ写真が並んでいました。
これって、転売ヤーじゃないのか。
こういう人がいるから、本当に欲しい人が物を買えなくなるのではないか。
自分も、この人たちの仲間になって稼ぐのか。
私は、強い嫌悪感を覚えました。
稼ぐこと自体が悪いとは思いません。
しかし、大量購入や買い占めに近い行動を、成功事例として共有する価値観には、到底納得できませんでした。
お金は、誰かに与えた価値や、感謝の対価であるべきだ。
その考えは、この頃から明確になりました。
結局、価値観が合わず、せどりはやめました。
プログラミングも少し学びましたが、育児休業中に収益を得られるほどの力にはなりませんでした。ただ、このときに触れた経験が、後にClaude Codeを抵抗なく使い始める土台になりました。
育休期間中に何とか成果を出そうと思ったけど、副業はうまくいかなかった。
転職後の仕事も苦しい。
そして家庭でも私は、大切なものを見落としていました。
11. 長女が、私のもとへ走ってこなかった
育児休業から復職した後、私は現在の部署へ異動しました。
以前より風通しはよくなりましたが、業務範囲が広く、多忙な毎日が続きました。
当時1歳の長女と関わる時間が、まったくなかったわけではありません。
しかし、休日も気持ちに余裕がなく、仕事を言い訳にして、深く関わることを避けていた部分がありました。
そんな中、保育園のイベントで、子どもが父親へ向かって走る競技がありました。
周囲の子どもたちは、うれしそうに父親のもとへ走っていきます。
しかし、長女は私の方へ積極的に来てくれませんでした。
そのとき、長女との関わりが足りていなかったのではないかと、強いショックを受けました。妻からも、私と長女との関わり方について不満を伝えられていました。
副業はうまくいかなかった。
転職して給料は増えたものの、家庭の時間は減った。
もう一度転職しても、状況がよくなる保証はない。
何とかしなければまずい。
そう思い、ビジネス書、仏教、成功法則などの本を読み漁りました。
学んだノウハウをリストにして、毎朝声に出して読んだこともあります。
その直後は、なんだか前向きになれました。
しかし、しばらくすると、また元の考え方に戻ってしまいます。
ノウハウを知っても、なぜ自分は変われないのか。
そんな八方塞がりの中で出会ったのが、アドラー心理学を扱った『嫌われる勇気』という本でした。
最初は、ほとんど理解できませんでした。
何度も挫折し、数年かけて読み返し、気づけば15周ほど読んでいました。
なぜ人は変われないのか。
人として、どうあるべきなのか。
どう生きることが幸福なのか。
その価値観を少しずつ理解したとき、それまで読んできたビジネス書や仏教、成功法則のノウハウが、根の部分ではすべてつながっていることに気づきました。
ノウハウは、あくまで枝葉にすぎない。
根にある価値観が変わらなければ、生活は元に戻ってしまう。
そう気づいてから、仕事への不満や、他人の目に振り回されることが減りました。
家族との関係も、少しずつ変わっていきました。
今では長女と、毎日「ありがとう」「大好きだよ」と、互いの存在を認め合える関係になっています。
心との向き合い方が変わった頃、今度は新しい技術が、私の行動範囲を大きく広げ始めました。
12. AIが、諦める理由を減らしてくれた
2024年頃から、ChatGPTを使い始めました。
当時は、質問に答えが返ってくるだけでも感動しました。
一方で、回答は雑で間違いも多く、画像生成も実用的とは言えませんでした。
それでもAIを実際に使っていた経験は、エヌビディアをはじめとするAI関連企業の将来性を考えるきっかけにもなりました。結果として相場環境にも恵まれ、投資面でも資産形成を進めることができました。
新しい技術に触れ、自分なりにアンテナを張っていたからこそ、気づけた変化だったと思っています。
2025年の冬頃からは、ChatGPTの回答精度が一段と向上したと感じました。
2026年には、自己投資だと考えて月額100ドルを払い、Claude Codeも使い始めました。
文章、情報整理、画像、音楽、プログラミング、アプリ開発。
これまで専門知識がなければ難しかったことを、普通の会社員でも形にできるようになりました。
「時間がない」
「専門家ではない」
「今さら始めても遅い」
AIは、これまで諦める理由にしていたものを、少しずつ減らしてくれました。
一方、本業では、今も不慣れな業務に向き合い、年下の同僚に教わることもあります。会社員として働き続ける道もありますが、副業や資産形成によって、将来の働き方を自分で選べる状態に近づきたい。そう考えるようになりました。
もう一度、副業に挑戦してみよう。
そう考え、2026年5月にnoteを始めました。
13. このnoteで届けたいこと
副業として収益を得たいという思いはあります。
ただし、収益は「人に価値を届けた結果」として得るものでありたい。
だから私は、必要以上に不安をあおったり、強い営業トークで押し切ったりするのではなく、記事の内容で勝負したいと考えています。
私は、最初から要領よく人生を歩いてきたわけではありません。
人と関わることが苦手でした。
劣等感から、何も挑戦できなくなった時期もあります。
FXで約150万円を失い、30万円を払った副業でも失敗しました。
転職先では、それまでの経験が通用しない苦しさも味わいました。
家族との関わり方を見失いかけたこともあります。
それでも、自分に変えられることへ目を向け、小さく行動することで、人生は少しずつ変えられる。
私は、そう考えています。
このnoteでは、そんな普通の会社員が、お金・時間・心の余白を増やすために、実際に試したことを書いていきます。
成功した結果だけでなく、迷ったこと、失敗したこと、そこからどう考え直したのかまで残します。
仕事だけで一日を終わらせたくない人。
お金の不安を少しずつ減らしたい人。
家族を大切にしながら、自分の可能性も諦めたくない人。
そんな方にとって、何か一つでも参考になるものがあればうれしいです。
そしてnoteを通じて、父親が何を考え、何に迷い、どう生きようとしていたのかを、いつか娘たちにも読んでもらいたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
※2026年7月12日更新
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