性格ではなく気質——変えられないものを、ずっと変えようとしていた話
40代・元上場企業管理職・現フリーランス。20年以上、繊細な気質を持つ部下と関わってきた著者が、外側から見てきた立場で書いています。
管理職をしていた頃、ひとつ繰り返し見ていた光景があります。
繊細な気質の部下が、自分のことをしきりに「直さなきゃ」と言うのです。
「もっと図太くならなきゃ」「気にしないようにします」「来週からは切り替えます」と。本人なりの真面目な決意でした。けれど、しばらくするとまた同じ場面で消耗している。本人もそのたびに、自分を責めていました。
そういう人を何人も見送ってきて、ある時期からぼんやり思うようになりました。
——もしかして、これは「直す」種類のものではないのかもしれない。
今日はその話を、少し落ち着いて書いてみたいと思います。
「直そう」としていたのは、何だったのか
そもそもの問いです。
「気にしすぎる自分を直す」と私たちが言うとき、私たちは何を直そうとしているのでしょうか。
性格でしょうか。考え方でしょうか。それとも、もっと根のところでしょうか。
私自身、当事者ではないので断言はできません。ただ、長年、繊細な部下たちから話を聞いてきて感じていたことがあります。
彼らが「直したい」と言っているものの正体は、本人が後から身につけた習慣ではなく、もっと最初から備わっていた何かに見えました。たとえるなら、視力のようなものです。よく見える人に「見すぎないようにして」と言っても難しい。「目に入ってくるんです」というのが本人の感覚に近い。
——直そうとしていたのは、そういう類のものだったのではないか。そう感じる場面が、何度もありました。
性格と気質は、たぶん別のものらしい
ここで少し言葉を整理させてください。
専門書を読むほどではなくても、最近よく目にする整理のひとつに、「気質」と「性格」を分けて考える見方があります。
ざっくり言うと、こういう整理だと言われています。
気質:生まれつき持っていると言われる、神経系の反応のしかたのようなもの。刺激に対してどれくらい敏感に反応するか、新しい状況にどう構えるか、といった土台の部分
性格:その気質のうえに、育った環境・出会った人・経験してきた出来事が積み重なって、後から形づくられていった傾向
学術的にはもっと細かい議論があるそうですが、私のような専門家でない人間の理解としては、このくらいの粗さがちょうどよいと感じています。
そして、ここが大事なところだと思うのですが——気質のほうは、後から大きく変えるのは難しい、という整理が一般的なようです。生まれ持った神経系の感度を「来週から鈍くします」というわけにはいかない。
一方、性格のほうは、経験や環境によってある程度ゆるやかに変わっていくと言われています。年齢を重ねて落ち着く人、転職をきっかけに別人のように明るくなる人——そうした変化は、実際よく聞きます。
つまり、私たちが「自分を直したい」と言うとき、変えやすい部分と、変えにくい部分が混ざっている可能性があるわけです。
「変えられないもの」を変えようとしていたのではないか
ここからは、私が外側から見ていた話です。
私の知っている繊細な部下たちは、自分を変えようと、いろいろなことを試していました。
朝、出社前にあえて大きな声で挨拶の練習をしていた人。週末に、苦手な人混みにわざわざ出かけて「慣らそう」としていた人。研修に出るたびに「もっと前向きになろう」と決意していた人。
どれも前向きな努力でした。私は応援していましたし、否定するつもりは今もありません。
ただ、外から見ていて感じたのは——その努力の多くは、結局のところ、気質のほうを変えようとする方向に向かっていたのではないか、ということです。
刺激を受け取るセンサーそのものを鈍くしようとする。深く考え込みやすい脳の癖を、その場で止めようとする。本人が「自分の弱点」と思っているものの、いちばん根っこの部分に毎回挑みかかっていた。
そして、たいていは長く続きませんでした。続かないと、本人はまた「自分は意志が弱い」と落ち込む。落ち込むことでさらに消耗する。私はそのループを、何度も間近で見てきました。
ある日、ひとりの部下がこんなことを言いました。
「鈍くなろうとしてるんですけど、なれないんですよね。鈍くなる練習をしてる時間が、いちばんしんどいです」
その言葉が、ずっと頭に残っています。
気質は「欠陥」ではなく「仕様」なのかもしれない
このあたりから、私の中の見方が少し変わってきました。
部下たちが「直したい」と言っていたものは、欠陥ではなくて、その人の仕様だったのかもしれない、と。
仕様、というのはやや工学的な言葉ですが、私はこの表現がしっくり来ています。
スマートフォンに「画面が小さくて目が疲れるから直してほしい」と言っても直せません。それは仕様だからです。直せないことを直そうとすると、ユーザー(自分自身)がただ消耗します。
仕様だとわかれば、別の打ち手が見えます。文字サイズを大きくする、外付けのモニターを使う、長時間使う日は休憩を多めにとる。本体の仕様は変えずに、使い方と環境を変えていく。
気質に関しても、似た発想が成り立つのではないかと感じています。
気質そのものを変えるのではなく、その気質を前提に、自分の置く環境・引き受ける役割・関わる人間関係を選び直していく。
そういう方向です。
「変える」のではなく「再設計する」
具体的な対処法は今日の本題ではないので、深くは書きません。ただ、方向だけ書いておきます。
たとえば、こういう問いを自分に向けてみる、ということです。
自分は、どんな刺激の量だと一日もつのか
どんな人と関わるとき、消耗が少ないのか
どんな仕事の進め方なら、自分の気質と喧嘩しないのか
これらは、気質を変えるための問いではありません。気質をそのままにして、まわりの組み立てを変えるための問いです。
最初から「変えなくていいもの」と「変えていけるもの」を分けて考えるだけで、努力の向け先がだいぶ変わります。
私が見てきた限り、長く安定して働き続けられている繊細な人たちは、たいてい、この「再設計」がうまい人たちでした。本人は「うまく逃げてるだけです」とよく言いますが、外から見るとそれはとても上手な自己経営に見えました。
逆に言うと、「直そう」とずっと頑張り続けていた人ほど、結局どこかで燃え尽きていたという印象もあります。これは統計的な裏付けがある話ではなく、私の20年の現場感覚でしかありません。それでも、傾向としては感じていることです。
「直さない」は、あきらめではない
ここで、ひとつだけ補足させてください。
「気質は変えられない」「直そうとしない方がいい」と書くと、ときどき「じゃあ、あきらめろってことですか」と受け取られることがあります。
そうではありません。
「直さない」は、あきらめではなくて、エネルギーの配分を変えることだと感じています。
変えられないものに毎日エネルギーを注ぐのをやめる。そのぶん、変えられるところ——働く場所、関わる人、休み方、引き受ける仕事の質——に、そのエネルギーを移していく。
地味な方向転換ですが、長い目で見ると、こちらのほうが効くように見えました。少なくとも、私が見てきた現場ではそうでした。
「あなたが悪かったわけではない」
最後に、外から長年見てきた者として、ひとつだけ書いておきたいことがあります。
「気にしすぎる自分を直さなきゃ」と思いながら何年も過ごしてきた方は、たぶん、ずっと真面目だったのだと思います。だからこそ、変えられないものを変えようとして、消耗してきたのだとも思います。
それは、性格の弱さでも、努力不足でもありません。
ただ、向け先を少しだけ変えてもよかった、というだけの話だと感じています。
気質は、欠陥ではなく仕様。
そう一度受け止めてみると、次に何を変えていけばいいかが、少しだけ見えやすくなるかもしれません。
明日からの「自分への問い」が、「どう直そうか」ではなく「どう組み直そうか」に変わるだけで、毎日の重さは少し違ってくる——私はそんなふうに感じています。
※本記事内のエピソードや具体例は、著者の実体験や見聞きした事例を元に再構成したフィクションです。特定の個人・組織を指すものではありません。
