思考実験102: 晩年のベートーヴェンの知覚法
コラムNo. 127, ”物質宇宙”と”精神宇宙”を1枚の紙に描く
ピアノに一本の棒を立てかけ、その反対側の端を歯で強く噛む。
演奏中、ずっとその姿勢を崩さない。
晩年のベートーヴェンが作曲するとき、実際にそうしていたことが同時代の記録に残っています。
耳はほとんど聞こえていませんでした。それでもこの時期に、彼は交響曲第九番を含む、生涯で最も評価の高い作品群を書き続けています。
「耳が聞こえないのに、なぜ書けたのか」という疑問には、これまで「天才だったから」という答えが用意されてきました。
今回の思考実験は、才能という一言で済ますことなく、もう少し具体的に考察してみたいと思います。
1, 骨から届く音
先の棒の逸話は、現在では「骨伝導」と呼ばれる現象として説明されています。ピアノの共鳴板から伝わる振動が、棒を通って歯・顎の骨・頭蓋骨を伝い、鼓膜を経由せずに直接、内耳へ届く。
空気を伝う「気導」の経路が壊れても、骨を伝う経路は生きていた、ということだと思います。
ただ、この骨伝導が運べたのは、リズムや強弱、音の立ち上がりの鋭さといった、いわば音の「エネルギー」の部分に限られていたと思います。
音程の細かな違いや和声の響き方までは、この経路だけでは十分ではなかったと考えます。
2, 耳だけが聴力器官ではない
音を感じ取っているのは、耳だけではありません。指先の皮膚には、振動を感じ取る受容器が特に密に集まっています。鍵盤に指を置くだけでも、音の高さに近い感覚が生じることが実験で確認されており、この性質は聴覚障害を持つ人が音楽を「聴く」ための装置にも応用されています。
もっと低い音域になると、感じ取る器官は指先だけにとどまりません。
低い周波数の振動は、胸郭や内臓を介して、体全体でとらえられることが分かっています。大音量のコンサートで低音を「体で感じる」あの感覚は、比喩ではなく、実際に別の知覚経路が働いている状態です。
さらに、体毛の毛根には、わずかな空気の動きや振動を拾う神経が備わっています。
哺乳類のひげ(触毛)ほど鋭敏ではありませんが、皮膚に何も触れていない状態でも、周囲の振動をある程度感知している可能性は残ります。
ここはまだ推測の域を出ませんが、体は最初から、耳一つに音の知覚を独占させてはいなかった、ということだけは言えそうです。
骨伝導という一つの経路だけでなく、体全体が薄く音を拾い続けていた可能性は、十分にあり得て、これだけ音への執着が強い人物が、指先や体に伝わる振動の存在に無自覚だったとは考えにくいところがあります。
3, ベートヴェンの中期作品
ここで、実際の作品の変化を見てみます。
ベートーヴェンの聴力は、高い音域から先に失われていったことが分かっています。この聴力低下の時期(いわゆる中期)の作品には、実際に高音の使用が減り、音の重心が低い方へ移動していく傾向が、音楽学の研究でも指摘されています。
管弦楽の響きは全体に厚みと暗さを増し、ビオラや低い方のチェロ・ヴァイオリンの音域が前面に出てくるようになります。
これは偶然の作風変化というより、聞こえなくなっていく高音域を避け、まだ骨伝導や皮膚、体全体で拾える低い音域に、無意識のうちに軸足を移した結果と考える事は出来ないでしょうか。
「感じ取れる範囲に寄っていく」という仮説は、少なくとも中期については、記録と整合しているようです。
4, 晩年に見る逆転現象
ここからが興味深いところですが、中期を過ぎ、聴力がほぼ完全に失われた後期になると、この傾向は逆転するのです。
避けられていたはずの高音域が作品に戻ってきます。
それだけでなく、後期の作品――特に晩年の弦楽四重奏曲群と、その終曲として書かれた「大フーガ」――は、当時の聴衆どころか演奏家からも「理解不能」「意味の通らない大混乱」と評されるほど、複雑で難解なものになっていきました。
実際に大フーガは演奏が困難すぎるという理由で、出版社の求めにより、より穏当な終曲に差し替えられたという記録が残っています。
つまり、後期の作品は「体で感じ取れる範囲にとどめる」どころか、当時誰の耳にも――聴力が正常な聴衆にとってさえも――ただちには掴みきれない領域にまで踏み込んでいます。
5, UPFモデル的な解釈
「UPFモデル的」とは、あなたの身体も心も思考も、一つの物理的な干渉構造(UPF)として捉え直し、その構造が経験によってどう刻まれ、これからどう変えていけるのかを考える視点です。
中期のベートーヴェンは、まだ骨伝導や皮膚を通じて聴覚に変わる検証がわずかに得られる状態にありました。だからこそ、その感覚が届く範囲――低い音域――に、作風が自然と引き寄せられていったとの推測がたちます。
では後期の難解さは、当時の酷評だけを見れば、これは単なる混乱、確認する手段を失ったことによる制御不能だったと考えることもできます。
実際、聾になったせいで晩年の作品はどこかおかしい、という見方は当時から根強くあります。
ただ、残された草稿をみると、解釈には多少疑問が残ります。
大フーガを含む晩年の作品のスケッチには、同じ主題を何十回も書き直した跡が残っており、思いつきを垂れ流した形跡ではなく、時間をかけて構築した痕跡が見えます。
そして評価の推移も奇妙です。本当に破綻した作品であれば、時代が下るほど「やはり失敗作だった」という評価に落ち着くのが普通ですが、大フーガは逆に、ワーグナー、ストラヴィンスキー、グールドと、時代を追うごとに評価者の格を上げながら称賛を積み重ねています。
これらを合わせると、後期の難解さは、聞こえないことによる単なる崩壊ではなく、もはや確かめようのない領域を、それでも執拗な推敲を重ねながら組み上げ続けた形跡と見るほうが自然です。
外部からの感覚検証がどの経路からもまったく得られなくなったとき、彼は「感じ取れる範囲」という制約そのものから解放され、若い頃から数十年かけて刻んできたベートヴェンのUPFの内部の地形だけを頼りに、確かめようのない構造をそのまま書き出せるようになった、と考えられないでしょうか。
聴力が完全に消失したことは、彼を制約したのではなく、むしろ制約から解いた、と言えるのかもしれません。
6, 人間の知覚器官
晩年のベートーヴェンを支えていたのは、骨伝導という迂回路、指先や体全体が持っていた振動を感じ取る力、そして若い頃の経験によってすでに深く刻まれていた内部の地形。これらが段階的に組み合わさりながら、彼の創作を最後まで支えていたのではないでしょうか。
そして興味深いのは、外部からの入力が減っていく過程では作風が「感じ取れる範囲」に寄っていったのに対し、入力が完全に途絶えた瞬間には、その制約自体が消え去った、という逆転です。
一つの器官が壊れても、そこで入力のすべてが途切れるとは限りません。
同じ物理的な出来事(振動)を拾える経路が、体にはいくつも用意されているからです。
あるいは共感覚に見られるような、もともとは一つの入力を別の形で捉え直す試みを体が行うかもしれないのです。
そして、そのすべての経路が閉じたときでさえ、これまで十分に深く刻まれてきた地形は、外部入力なしに、自分の力で動き続けます。
外からの確認が要らなくなったことで、むしろ、それまでにない領域まで踏み出せるようになる場合すらあるのかもしれません。
耳が聞こえなくなったベートーヴェンが、最後には難解な音楽へと向かっていったのは、単に聞こえなくなって崩壊した結果ではなく、才能という一言でも片付けられない、いくつもの外部入力経路の消え方そのものが生んだ結果だったのかもしれないのです。
