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gen_kanpo
受取拒否していいよ。いちの感想文。
くらげさんの記事に共感したので、ここで紹介させていただきます。
「親の恋事情なんて聞きたくもないし気持ち悪い」
って、
そう、それ。
親の“未処理の感情”を子どもに渡すな
案件です。
そもそも、
親の恋愛感情や未練、愚痴を「子ども」に渡すのって、役割が違います。
それが“仕方なしのお見合い結婚”だったりすると、
なおさら気持ち悪さが残る。(おえっ)
それ、思い出話じゃない。
処理されていない感情の投げ込みです。
子供へのセクハラも、同じ。
それは子供に向かって、ごみを投げるのと同じ行為。
私はゴミ箱じゃねー!って言っていいよ。
受け取る側は、もちろんこうなる。
私の立場は?(私は“今の家族”なのに)
それ言う必要ある?(誰の得?)
なんで私が処理役?(カウンセラーじゃない)
だから、生理的に無理、で正常。
間違ってない。
うちの父の「本尊」問題
前にもここに書いたけど、
うちの父、50年近く前に脱会した宗教の本尊を手放せないんですよ。
(生粋のバカ)
けしからん。うちは代々臨済宗だというのに!
と、ご先祖様もさぞ、お怒りだろう。
これ、いろんな人に相談しました。
「キモい〜」
「信者と変わらない」
『聖』なる愛を与えるのが父親の仕事。|いち
はい、その通り。
私に言わせれば、
現役信者以上に、たち悪いしキモい。
きしょい。ぶちキモい。
言い換えるなら、
別の人と結婚して家庭があるのに、
昔の交際相手の写真を大事に持ち続けてるみたいなもの。
(おぞましいとはこのことか)
信仰というより、
未練・恐れ・罪悪感・アイデンティティの残骸を、“物”として残してる感じ。
そしてもう一つ。
この父の遺伝子を「残したい」と思ったことが、これまでの人生で一度もない。
それは冷酷さじゃなくて、自然な反応だと思っている。
子どもにとって“親”は、ただの個人じゃない。
世界の入口であり、安心の土台であり、
関係のモデルだ。
そのモデルが
「未処理の感情を子どもに投げる」
「境界線が薄い」
「手放せない過去を抱え続ける」なら、
そこで育った側が“次の世代を作ること”に前向きになれないのは、むしろ健全だ。
問題は「覚えてるか」じゃない
「男は初恋を覚えてる」かどうか、そこじゃない。
問題は、
それを今の家族や子どもに語っていいと思ってる境界線の薄さ。
覚えてるのは勝手。
巻き込むのは別。
🐌 にせつむりの一言
