【小説】B面のふたり #1 (文学フリマ大阪)
#1
布団に入る瞬間、たまきは祈る。
「明日は、大丈夫に暮らせますように」
毎日欠かさず続ける、ささやかな習慣。
祈っても祈らなくても、きっと結果は変わらない。相変わらずの、足りないわたし。
でも、がらんどうの部屋で暗く沈んだ天井を見つめていると、明日への不安に溺れそうになって、急き立てられるみたいに、手を合わせてしまう。
「朝起きられますように」
「ため息つかれませんように」
「存在を許されますように」
――わたしと一緒に、頑張ろう。
ふと脳裏に、出会ったばかりの女性の顔が浮かんだ。
――鷹木津さん。
会社を休み続けていた、わたしの部屋を訪れて、一緒に泣いてくれた人。
わたしの大丈夫じゃないところを、分かってくれた人。
そして、わたしの歌を覚えてくれている、特別な人。
……もしかしたら。明日は、なにかが変わるかもしれない。
まだ、不安が勝ってる。わたしの周りを見えないガスみたいに包んでいる。
そのガスを吸うたびに、苦しくなって、身体の芯が冷える。
たった一つの出来事だけで、期待とか希望とかが湧いたりなんて、しない。
そんな「お話の主人公」みたいな強さは、わたしにはきっとない。
けれど。
たまきは、布団の中で、自分の身体を抱きしめた。
――少しだけ、何かが胸に残ってる。
もう一度、鷹木津さんの話を思い出そう。
わたしにかけてくれた言葉、言わないでいてくれた言葉を思い出す。
――わたしと一緒に、頑張ろう。
*
ここまでの前日譚は「たまき、大丈夫をうたって#1~#9」
*
「――本日より、柴さんが復帰します」
定例会議の冒頭だった。
鷹木津がそう言い切った瞬間、椅子の軋む不機嫌な音が響いた。
無遠慮な視線が、たまきに刺さる。
横で、たまきが息を殺したのがわかった。ちらりと見ると、テーブルの下で祈るように両手を結んでいた。
「復帰にあたって、ご本人とわたしで話し合いました」
たまきに刺さる視線を自分に向かせようと『わたし』の部分で、少し声を張る。社員たちの訝しむ視線が、こちらに向いた。
「柴さんには経理や事務の経験がなく、そういった業務には合っていません」
「……は?」
矢田が、キーボードを叩く指を止めた。
「つまり、経理や事務はしないと?」
頷く。
「じゃIT班ですか? そっちはもっと無理でしょォ」
柳瀬も、首を回しながら苛立たしげな声をあげた。
「……たまきさんには、B面案件を担当してもらいます。わたしと、一緒に――」
鷹木津は、逃げ場を断つみたいに言い切った。
――あの夜、決めた通りに。
「B面案件。……他の部署から押し付けられた案件のこと」
――昨晩、たまきの部屋で。
鷹木津はジャケットを脱ぎ、足を崩してマットレスの端に座っていた。
「無くてもいいってみんな思ってるけど、なぜか無くならない、誰にも期待されない日陰の仕事、かな」
「それって例えば……カセットテープのB面の曲みたいなの、ですか?」
Tシャツとジャージ姿のたまきが、体育座りしたまま首を傾げた。
「正解。まさにそれ」
正解、と言われて、たまきが涙の跡を残したまま、笑った。
「どうして、それをやるのがいいんですか」
「それは……みんなが嫌がるから。今までは部署の中で押し付けあっていた。けど、これからは――」
最初に口火を切ったのは、矢田だ。
「……通常の事務もわからない人に、B面案件なんてできるのでしょうか?」
真っ当な質問だ。だからこそ、ちゃんと答えないと始まらない。
「B面案件は雑多で、むしろ普段の業務知識はあまり役に立たない……と考えています」
一瞬息を呑んで、続ける。
「その、そもそも普段の業務知識ですが、ええと、実は……」
声がわずかに湿った。
「たまきさんもわたしも、皆さんに比べてほとんどありません。……経理の経験もないし、ITの知識も、何も」
――それでも、胸を張った。
「だからこそ、そんなわたしたちがB面案件を受け持って、皆さんが本来業務に集中する……それが、総務システム課の新しいやり方です」
反応は、なかった。
視線だけが二人に向けられたまま、沈黙が流れた。
「……失敗した時は、鷹木津さんが責任取るんですよねェ」
観念したみたいに、柳瀬が静かに口を開いた。
「もちろんです」
鷹木津が大きく頷いた。
それを見て、柳瀬も仕方ないという風に頷いた。
「柴さん、質問があります」
再び、矢田。
「B面案件には緊急の仕事も多いのです。無責任に突然休むなんて許されません。……本当に、柴さんにできるんですか?」
「……あ、あの、がんばります」
「それじゃ、ダメなんですよ」
普段の冷静さからは想像もつかない、感情的な声だった。
「……頑張っても、できなければダメなんですよ」
強い言葉に、たまきの瞳が揺れる。
「……あ、あの……」
かすかに震えていたたまきの唇が開いた。
でも、息だけが漏れ、喉の奥で何かがひっかかったまま動かない。
俯いたまま、ぶるぶると震えだした。
――まずい。
助けようとわずかに身を乗り出したところで、たまきがぐっと口を結んで立ち上がった。
「……大丈夫です」
たまきが、顔を上げた。
「鷹木津さんと、やります。一緒に」
――言い切った。
矢田は、しばらくたまきを見つめていたが、やがて小さなため息を吐いた。
「……なら、異論はないです」
周囲を見渡す。
「――では、決定ですね」
つい、表情を緩めた。
ちらりとたまきを見る。
「あの。みなさん」
たまきが、顔にかかった前髪を耳にかけ直し、前を向いた。
「先週は無断欠勤し、ご迷惑をおかけしました。こ、これからは、鷹木津さんと……」
一瞬、こちらを見る。
「一緒にがんばります!」
頭を下げた。
一緒に立ち上がり、鷹木津も頭を下げる。
柳瀬が、ぱちぱちと場違いな拍手をし、周囲がなんとなく追随した。
予定されていた議題は棚上げされ、急遽、各メンバーが抱えているB面案件の棚卸しになった。
「溜まっているB面案件、出してください」
そう言った途端、次から次に出てきた。
夜のお店らしき領収書の確認。
――どれも一見普通の店名だ。けれど実は夜のお店が交ざっているらしく、ひとつひとつ電話をして、グレーな接待かどうかを確認する仕事。
備蓄の乾パンと水の廃棄。
――数百本もある備蓄水を一本ずつ開けて、水を抜いて、分別してゴミ出しをする。数を聞いて、気が遠くなった。
社用車の板金対応。
――保険の関係もあって、「融通」が利くお店にわざわざ持っていかなければならない。融通とは何か聞こうとして、黙って首を振られた。ここからすでに『融通』を利かせないといけないらしい。
どれも、難しいわけではない。地味で、厄介で、面倒なだけ。だからこそ、誰もやりたがらない。
……しかしその中に、爆弾が二つ紛れていた。
柳瀬が放置していた「幻の第一回放送テープ捜索」。そして、矢田が行くはずだった「のんのこ」案件。
どちらも、今日が締め切りだった。
「今日!?」
鷹木津の素っ頓狂な声が会議室にこだました。
B面案件は、地味で、厄介で、面倒で……そして、待ってくれない。
(つづきは、こちら)
文学フリマ大阪14頒布作品のごあんない

