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日記作文相撲?!脱線先生がくれた「書くための土台」

小3の新学期初日。

あ、今日は娘の話ではない。私の話だ。

自己紹介の後、担任の先生は私たちにこう言った。

「毎日、日記を書いてくること。
   何行でも、何でも構わない。
   それが宿題の一つ。」
 

教室は、「えーーー?!」「うそーーー?!」の大合唱で騒然となった。

3年生になったばかりの私たちはまだ、
「今日は家族と〇〇に行きました。暑かったけど楽しかったです。」
でも精一杯。

それを毎日?
無理無理無理無理…


みんなのざわつきなんて聞こえないかのように、先生は続ける。

「毎月、何日書いてきたかを集計して、先生が毎日発行する学級通信に『日記作文相撲』の番付表を出します。
   毎日、何人かの日記を、学級通信に掲載します。」


に、日記作文相撲?!

なんじゃそりゃーーーー?!


一ヶ月、毎日欠かさず日記を書いたら、 31勝0敗で「横綱」。
1日忘れたら 30勝1敗「大関」、という具合に続く。

こうして私たちは、日記という土俵で四股を踏む、先生親方の相撲部屋に、突如放り込まれた力士になった。
2年間、その土俵に逃げ場はない。

せめて… ちゃんこ、ちゃんこは食べられるんですよね?!


📒

そんな相撲部屋の親方は、と言うと。
授業中、すぐ脱線して他の話をする「脱線先生」だった。

そんな脱線話のまとめや、クラスメイトたちの日記に感想を添えたものを、毎日、B4サイズの見開きに、手書きの学級通信にして、私たちに配った。
一日1枚では済まないこともあった。

そこには、いつも先生の思いが詰まっていた。

手描きの学級通信は、途中から、祖父のようにワープロ打ちに変わったが。

先生は、私たちに書けと言った何倍もの量の文章を、毎日毎日、私たちに届けてくれた。

親方の背中は、とてつもなく大きかった。

弟子たちの何倍も稽古をし、何杯もちゃんこを食べていないと出来ない所業だ。


📒

先生は、生徒全員の日記をいつ読んでいたのだろう。

朝の会で日記を集め、帰りの会には返す。
どんなに短い日記でも、必ず一言、感想が書かれていた。
どう考えても人間技ではない。


先生は、日記の書き方には一度も赤ペンを入れなかった。

主語がなくてもいい。
文体がぐちゃぐちゃでもいい。
うまくまとまっていなくてもいい。

ただ、「何を書こうとしたのか」だけを拾って、そこに言葉を返してくれた。
こんなこと書いていいのかな、と迷いながら書いた日記にも、ちゃんと返事が来る。
それが、嬉しかった。

私は忘れ物が多く、日記もよく出し忘れて、小結あたりをウロウロしていた。
横綱になったことは、2年間で数えるほどしかなかった。


でも、2年間続けるうちに、確実に変わったことがある。

それは。
日記を書くことが、苦じゃなくなった、ということ。

うまく書けなくてもいい。
とにかく書けばいい。

そう思えるようになっていた。

学級通信を通して、みんなの日記を読めたのも大きかった。


3年生版、4年生版と、それぞれ5、6cmのぶ厚さになった学級通信。
年度末に先生が外部に頼んで製本し、みんなに配られた。

私はそれを、今でも大切に持っている。


📒

大人になってから、その先生のことをふと思い出し、検索したことがある。

先生は……
相撲協会の会長になっていた。
もとい、校長先生になっていた。

思い切ってメールしてみると、すぐに返事が来た。

「校長室に遊びに来てください!」

私は当時の友人と、幼稚園児の娘を連れて会いに行った。

久しぶりに会った先生は、髪こそシルバーグレイになっていたけれど、あの頃と同じように笑っていた。

そして帰り際、娘に一冊絵本をくれた。
「しゅくだい」というタイトルの本だ。
娘はそれを大事そうに抱えて、電車の中でもずっと離さなかった。

📒

その数年後。

娘が3年生になった頃、私は気づいた。
娘が、文章を書くのをしぶっていることに。

そして。
娘の文章に口出ししてしまっている自分に。

字は丁寧に書いたほうがいいよ。
ここ、主語がないよ。
「です」と「だ」が混ざってるね。

正しいことを言っているつもりだった。

でも。

これ、先生がやっていたことと、真逆じゃないか?


先生は、直さなかった。
どんな文章でも、まず「書いた」という事実を丸ごと受け取ってくれた。

私は、それをすっ飛ばしていたのだ。

ぞっとした。
私は、土俵に上がる前の娘に、いきなり張り手をくらわせていたのだ。


慌てて、あの学級通信を引っ張り出した。

分厚く製本された、あの頃の記録。

「見て、これ。4年生のお母さん、こんなこと書いてるよ」

今読むと、たいしたことは書いていない。
むしろ、よくこれで出していたなと思うレベルだ。

それでも先生は、ちゃんと感想を書いてくれていた。

「ね、こんなんでもいいんだよ」

娘は笑いながら、ページをめくっていた。


📒

先生は、文章の書き方を教えていたわけじゃなかった。
書くことを好きになる、好きでいられる土台を作ってくれていた。

だから私は今も、こうして楽しく文章を書いていられる。

ありがたく懐かしい気持ちになって、分厚い製本を、クローゼットから引っ張り出す。

先生はきっと、今でも同じことを言うだろう。

「何行でもいい。何でも構わない。
   毎日書いてごらん。」



脱線先生エピソード第2弾も、よかったら読んでみてね。


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