【ものみ湯賛】この国でいちばん東の銭湯根室・舞の湯|東の果て釧路旅2025-6
前回までのあらすじ
私は根室まで車を走らせ、納沙布岬で北風に吹かれ、北方領土を眺めていた。だが、まだ足りないものが一つある。そう、湯である。
旅先で風呂に入らないという選択肢は、私にはない。今回は少しだけ時系列を戻して、最果ての湯の話をしたい。
ものみ湯賛
気ままな見物や旅を意味する “物見遊山ものみゆさん” に、「湯を讃たたえる」気持ちを込めました。
ここに綴るのは、湯の評価ではなく、湯との思い出です。
点数も星もつけません。ただその日、湯に浸かって感じたことだけを、ふわっと湯気のように書き留めておきます。

根室はなまる
この日、私は寿司屋「根室花まる」の根室店にも寄っている。旅好きなtacowasaが、札幌でおすすめしていた賑やかな寿司屋だ。
だったら本場の根室店にも行ってみたいじゃないか。
これはもう、自然な流れである。

札幌では大人気店だと聞いていたので、少し並ぶことも覚悟して向かった。ところが、着いてみると人っこ一人いない。
「……まだ開店前かな?」
と一瞬不安になるほどの静けさである。しかしちゃんと営業していたので、私はそっと席についた。

店内には元気のいいポップがたくさん貼られている。その明るさと、店内の静けさが、反比例している。私はそのポップをぼんやり眺めながら、何品か注文した

あぶらがれいは、炙られて油がとろりと溶け、そこにネギの焦げた香りが乗ってくる。うまい。

海老もぷりぷりで、「ああ、海老ってこういう香りだったなぁ」と思い出すようなうまさがある。

鮭の腎臓なんて珍しいものもいただいた。生姜のフレッシュな風味と、血合いの乙な感じが混ざって、これもまた面白い。

花咲ガニは、「ああ、根室に来たぞ」という気持ちをしっかり食べ物にしたような味だった。これがもし茹でたてだったら、どれほど旨かっただろう。
それにしても。
客が、私しかいない。
根室は地の果てである。
いや、ちゃんと人は住んでいるし、街もあるし、そんな言い方は失礼なのだが、旅人の実感として「地の果て感」がすごい。
寿司はうまい。なのに活気はゼロに近い。
札幌でおすすめされた“賑やかな寿司屋”という印象を持って行ったので、少し肩透かしではあった。やはり、こういう店は多少わいわいしていた方が、気分まで含めてもっと旨いのだろう。
次に札幌へ行く時は、札幌店にも行ってみたいと思う。
工事中で遠回り
さて、いよいよ舞の湯へ向かう。だが、その道が工事中だった。まっすぐ行けばよさそうなところが塞がっていて、ぐるりと遠回りをすることになる。

おかげで、この風呂がどんな土地に建っているのかが、よく見えた。
そこは観光客向けに整えられた港ではなかった。漁船がぎっしり並び、使わない船は陸に上げられ、フォークリフトが忙しく動き、風に旗がばたばた鳴っている。
つまりここは、完全に“仕事の町”なのだ。
魚を獲るか、魚を売るか、その周辺の仕事をするか。そういう町なんだろう。
となると当然、この町の風呂も観光客のためではなく、働く人のための風呂である可能性が高い。
そう思った途端、私は少しだけひるんだ。こんなよそ者が、のこのこ入っていいのだろうか。
玄関を入って、受付で聞いてみる。
「一般の者でも利用できますか?」
すると返ってきたのは、実にあっさりした、
「大丈夫ですよ」
の一言だった。よかった。
公式サイトにも「どなたでも利用できます」とあった気がするが、やはり現場でそう言ってもらえると安心する。
入浴料440円を支払い、スリッパに履き替えて奥へ進む。
廊下の途中には、番号のついた扉も見えた。宿泊なのか、休憩室なのか、あるいは組合の会合室なのか。そのあたりはよくわからない。
でも、こういう“生活の施設”に外からふらりと紛れ込む感じが、なんとも言えず良い。
働く人の風呂
脱衣所に入って、まず目についたのは洗濯機だった。しかも三台。
漁に出て、冷えて、汚れて、帰ってきて、服を洗って、湯に浸かる。そういう動線の中に、この洗濯機があるのだろう。
訪れた時には誰もいなかった。私はちょうど、静かな時間帯に入り込んだらしい。
服を脱ぎ、いつものお風呂セットを取り出す。
タオル、髭剃り、歯ブラシ。東京でも那覇でも北海道でも、旅先ではだいたい同じである。
浴室へ入る。
中央に、どん、と湯船がある。まわりを洗い場がぐるりと囲んでいる。
片側の壁はガラスブロックで、やわらかい光が入ってくる。
派手な設備はない。
水風呂もない。ジェットもない。テレビもない。
湯船が真ん中にあるだけだ。
中は老朽化が見てとれて、時代の流れも感じる。
だが、タイルに反射した光がなんとも素朴で美しい。ガラスブロック越しの外光は、海辺の町らしい少し白っぽい色をしていて、湯気の粒がその中にゆらりと浮いている。
体を洗って、いざ湯に入る。
熱い。
かなり熱い。
東京の下町の銭湯で「おっ、ここは江戸っ子温度だな」と身構える時の、あの感じに近い。ぴりっとくる。
小さな子どもには少し厳しいかもしれない。
だが、考えてみれば当然である。
ここは、あの風が吹く町なのだ。
納沙布岬の風を浴びたあとなら、なおさらわかる。漁師さんたちが芯まで冷えた体で帰ってくる土地である。
そういう体を一気に温めるには、これぐらいの熱量が必要なのだろう。
私は一度湯船を出て、息を整え、もう一度入る。
すると不思議なもので、さっきの刺すような熱さが、少しやさしいものに変わっている。
二度目に入ると、熱が皮膚だけでなく、もっと芯のほうまで届いてくる感じがある。温泉成分がどうこう、という風呂ではたぶんない。いわゆるまっすぐなサラ湯である。
でも、働く体には、こういう単刀直入な湯がきっと一番いいのだ。
熱
拭いても拭いても汗が引かない。熱い湯の効力というのは、案外すごい。
私は脱衣所で汗をぬぐいながら、さっき食べた寿司屋のことを思い出していた。
あのあぶらがれいも、海老も、花咲ガニも、こんな寒い中で誰かが海に出て獲ってきた魚なのだろう。きっと、あの美味しい海の幸はここの漁師さんたちが獲ってきてくれたものだ。
そしてその凍える体を温めているのが、たぶんこの銭湯なのだ。
そう思うと、さっきまでただ「熱いなあ」と思っていた湯が、少し違って感じられる。風呂というのは、ただ体を洗って温めるだけの場所ではなく、その町の暮らしの一部なのだなと思う。
受付にお礼を言って外へ出る。
火の用心、交通安全、そういう旗が風に鳴っている。ばたばた、ばたばたとよく鳴る。海辺の町の音だなと思う。
ダウンジャケットは助手席で出番を待っている。
しかし、しばらく着ることはないだろう。
この最果ての湯の熱量は、思ったよりずっと強く、しばらく私を温め続けてくれていたのである。
つづく
↓次回
記事:まるのすけ
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