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【行こ行こ#81】恐怖のドライブ|東の果て釧路旅2025-5

これまでのあらすじ

北方領土を肉眼で観測し、根室資料館で歴史のロマンに感銘を受けたあと。
職員の方がおっしゃった言葉に戦慄する。「釧路まで戻られるなら、鹿がすごく出るので気をつけて帰ってください」。聞けば鹿とぶつかれば最悪死に至り、運が良く怪我で済んでもレンタカーは全額弁償になると言われた。
行きと同じ道なのに、車内には恐怖が充満していた。



恐怖の在処

恐怖とはどこに存在するのか?

廃墟や廃病院の空気の底に沈殿しているのか。
猛獣の毛並みや毒ヘビが纏っているのか。
あるいは「不幸」や「困難」といった透明なものの表面に、うっすらと付着しているのか。


いや、違う。


恐怖とは自分の心の中にあるものである──そう結論づけたのは、納沙布岬のさっぷみさきから釧路へ戻る真っ暗な道の途中。


私が“宇宙”を3時間航行した晩のことだ。




発進前ブリーフィング


11月6日の午後。

私は国のいちばん東の縁(ふち)──納沙布岬のさっぷみさきで、うっすら見える島影に北方領土を思い、風呂で温まって、博物館で学芸員さんの案内に耳を傾けていた時のこと。


興味深い話に耳を傾けつつも、私は時計を気にしていた。
悠長にしてはいられない。

19時には、釧路のレンタカー屋へ返却しなければならない。


博物館から釧路までざっと120キロ。
地元の人なら2時間で行けるらしいが、「レンタカーの人はゆっくりね。ここ、鹿が本当に出ますから」と学芸員さん。


車が壊れる。

場合によっては命も──そう、親切な忠告のつもりのその一言が、私の胸の中に恐怖の火を点けた。何よりも『鹿とぶつかると保険が効かないから全額弁償になるんですよねレンタカー』この一言が決め手であった。




まるで宇宙のような

東京よりも日が落ちるのが早い。根室の繁華街を過ぎると、道はあっけないほどに宇宙まっくらになった。

街灯も信号も交差点もない。漆黒の闇の中を、レンタカーは駆けてゆく。


頼れるのは自分の前照灯だけ。
視界にあるのは、高速で後方へ飛んでいくアスファルト。

そして雪対策用の矢印が点々と反射で浮かんでいる。


極度の緊張感が前傾姿勢にさせる。

あらゆる茂みが鹿に見え、あらゆる枝が角に見える。


遠くに滲む星のような対向車の光点──私は小さな探査船の船長みたいに、無音の宇宙を進む羽目になった。




追尾航法

しばらくして、前方に中型トラックのテールランプが見えた。

救われた気がした。あの赤い二つ星を灯台に、十分な車間をあけて航行する。


時間の感覚が溶ける。

時計を見る一瞬すら惜しい。

視界が狭い。


ナビの画面は“音声案内のみ”。


前方視野へ全神経集中。単調な虚空、変化のない地形。

速度に比例して時間は伸びる相対性理論は正しいのかもしれない。

退屈と緊張が混ざると、1分が10分になり、10分が1時間に伸びる。




ファースト・コンタクト

1時間ほど進んだ頃だろうか。
突然、灯台(=前のトラック)が大きく蛇行した。


道が曲がっているわけではない。
私はすかさず減速、身構える。


前照灯に照らされた前方に、大きなメス鹿が現れた。

こちらを見て、「さあ、いつでも飛び出すぞ」という顔つき。

鹿がノコノコ出てきて虎視眈々と覗いている。

脳内で無慈悲にもある曲が再生された。



通過までおよそ2秒──だが体感は数分。

心臓を冷たい手でぎゅっと握られたような感じがした。



もし、この世界に鹿が1頭だけなら、これを避ければゲームクリアだ。

けれども、現実はそうはいかない。




横切れ!どうぶつの森

さらに20分ほど進んだところで、犬くらいの大きさの何かが左から右へ、矢のように横切った。

前走車は急ブレーキ、私は十分な車間で難なくやり過ごす。

あれは小鹿だったのか、か、か──判別不能。


そういえば、昼間。

電光掲示板の『“CAUNTION!ANIMAL CROSSING”』の文字を見て。

『どうぶつの森』の英語タイトルが『ANIMAL CROSSING』なのを思い出し。


「『危険!どうぶつの森!』って言ってらーw」

とかヘラヘラしてた自分を恥じた。


ここは、動物たちが暮らすテリトリー。
私こそが部外者なのだ。


邪念だ、消せ。

消して前を見ろ。このゲームには一時停止ボタンがないぞ。





睡魔登場

風呂上がり、満腹、単調な直線。

1時間半を超えると、眠気という新手の敵が現れる。


だが、停める場所がない

路側帯は全くなく、駐車スペースも現れない。
最初のは、意地でも無音のまま運転だけに集中した。

けれども、飽き焦燥が、意識の裏側からじわじわと侵食してくる。



決断する。


「Hey Siri」


画面の縁が七色に波打つ

選曲のために画面は触れることはできない。


「音楽をかけて」


任意の曲は選べない、運転中はスマホにさわれない。
法律的なことも勿論あるが、目を離した循環鹿が飛び込んでくるかしれない恐怖は相当なものだった。



Siriは私のライブラリから、

私が確実に知っている曲だけを引っ張り出してくる。
まあ、当たり前のことではある。自分で買った曲が流れる。

女王蜂Ado、友人に教わった懐かしい1曲、Vtuberのユニット、そしてあのエヴァのエンディング



──わかってるじゃないか。
DJ Siriすごい。まるで私が好きな曲だけを完全に選んでかけてくる。

こんな当たり前のことにすら感心するほど、私は追い詰められていた。

そして私は声を出して歌う
テンションを上げ、眠気との初戦に打ち勝った。




対向車が来る。

向こうも急ぐのだろう。ハイビームがこちらの網膜を焼く。


距離も形も溶ける

私は一瞬、宇宙に放り出される。


落ち着け。


自車の光量を調整し、路肩の反射板で位置を特定する。


視界の再構築に成功。

直線、直線、直線。

うっすら戻ってゆく視界に、安堵しつつも、いつどこで再び失われるかもしれない視界に緊張の糸はギリギリまで張り詰めていた。




煽り

地元車は速い。

パッシング、接近、追い抜き。


あとで思い出してもヒヤリとするが、あの大型トラックの煽りは、交通教本の「悪い例」として使えるレベルだった。


私は法定+αの範囲で一定速を守る。

ほとんどの時間は全くの一人の空間だったが、大体の車と同じような速度で走っていた。

ところが、あの大型トラックは私の後ろをピッタリとくっついてきた。
まるでドラクエの仲間のように、勇者である私の動きにシンクロしてついてくるのである。


正直、追い抜いて欲しかった。

そうすれば再び孤独な闇夜に戻ることにはなるが、少なくともブレーキ1回で追突されるようなことにはならないだろう。


長い直線で抜かして行った時には、安堵の感情が湧いてきた。

そして再び私は宇宙へと放り出された。




帰還

釧路の明かりが見えてきた。
道路の脇には街灯が並び、人間の匂いがしてきた。


私は最後まで緊張感を切らさず、レンタカー屋さんがあるガソリンスタンドへたどり着く。


考えてみれば、あの資料館の方のおかげでアドバイスのおかげで事故を起こさんかったと思う。

時間ギリギリに寄った博物館の方に、いろいろな意味で感謝してもしきれない。


ドアを開けると冷たい外気が流れ込んでくる。店員さんの温かい笑顔が、無事に生還したことをはっきりと感じさせてくれる。


私は「鹿が出ると聞いて緊張しましたよ」と話しかけた。


「そうなんですよ。暗い時は本当にゆっくり気を受けたほうがいいですよ」と答えてくれた。


私は安堵し、鹿が怖かったことや3時間弱運転したことなどを話しながら最後にこう言った


「4頭もいましたよ、鹿。本当に怖かったです!」


そういうと店員さんは目を丸くして驚き


「4頭しか居なかったんですか?!それは良かったですね!」



私は背筋が凍った。

あれだけ居てまだ少ないとは…。
そして彼女の言葉が私をさらに戦慄させた。


「明日も借りられてますよね?また明日お待ちしてます!」


そうだ。
まだ明日も運転がある。そしてそれは阿寒湖の山道をひたすら走る旅程だ。


私の心に再び恐怖の火が灯り、ふらりふらりとホテルへと帰るのであった。


つづく

↓次回


記事:まるのすけ



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