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【行こ行こ#80】空白の島を見に行く。北方領土と資料館|東の果て釧路旅2025-4

これまでのあらすじ

根室まで来た。釧路から車で走って、セイコーマートに感動し、お魚食堂で郷土料理を食べて、もう充分に旅をしている気分ではあったのだが、ここから先がこの日の本番だった。私のライフワークでもある教科書の学び直しである。



教科書の向こう側を見るために

私は別に、強い政治思想を抱いて納沙布岬へ向かったわけではない。ただ、教科書で見たものを自分の目で見てみたい、という欲が昔からある。

学校自体は嫌いではなかったし、勉強も、優等生というほどではなかったが苦手ではなかった。むしろ大人になってからのほうが、教科書で見た世界を実際に見に行くのが楽しい。

たとえば昔、マレーシアへ行ったときのことを思い出す。
着陸前の機窓から見えたヤシの木が、南国のリゾートらしく自由に生えているのではなく、きっちり格子状に並んでいた。

google map より

あの瞬間、私は心の中で「プランテーションだ」と叫んだ。
その後、大きなレストランを昼間に訪れたとき、白いテーブルクロスと皿だけがずらりと並んでいるのを見て、『なんで誰もいないのに準備しているのですか?』と現地の人に聞いたら、『ラマダンですよ』と言われ、感動したこともある。

『知っている』のと、『見たことがある』の間には、ずいぶん距離がある。だからこそ、北方領土を見に行きたかった。教科書でしか知らない、空白の島へ。




納沙布岬と北方館

納沙布岬で車を降りると、辺りを歩いてみた。風が肌を切るように冷たい。

大きなモニュメントが見えたので近づいてみた。
それは錆びた鉄のアーチで、「北の果てに置かれた謎のゲート」みたいに見えた。中央では炎が燃えている。

これが北方領土返還祈念シンボル像『四島のかけ橋』と、『祈りの火』だという。

北方四島──歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島──を四つのブロックで表し、それらが連なって大きなかけ橋になるよう造られているらしい。

『祈りの火』にも来歴がある。案内によれば、沖縄・波照間島の自然発火の火を源とし、各地を巡ってこの納沙布岬まで運ばれ、『返還運動の火を絶やすな』という願いとともに灯され続けているのだという。

こうやって地図で見てみると、日本は結構大きい国だと思う。

潮風のせいだろう、鉄は錆びていた。その錆び方も、なんだかこの土地にしっくりくるように感じた。

ポケットに入っていたわずかばかりの硬貨を入れ、私は海岸伝いに歩き始めた。


次に目に留まったのが、都道府県の名前が入った石板だった。

これは『希望の道』というモニュメントで、全国各地や北海道内の市町村、さらにさまざまな団体から送られた石が敷き詰められているのだという。

私はそこで、ついあるものを探した。
そう、「群馬県」の文字である。

群馬

全国各地から石が集められているということなので、この石板は私と同郷だと言ってもいい。群馬から北海道にやってきて、何十年。もしかしたら、ずいぶん長いことここにいるのかもしれない。

道中には、詩の刻まれた石碑も立っていた。

海岸はこのように、モニュメントや碑文が並んでいる。

そしてさらに歩いていくと、「希望の鐘」が見えてきた。

錆びついた銘板には、説明が書かれていた。風雨に晒されほとんど読めないが写真を拡大して書き写した。

択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島、この四島は日本固有の 領土であり、未だ返還されていません。北方領土返還は日本国民の切なる願いであります。このモニュメントは北方領土 の一日も早い返還実現の願いをこめた、日本国民の強い祈りを表わしております。又鐘は二つの部分からなり、吊り手の部分がつながっているのは、日本国民の固い決意と次世代への継承を象徴しております。響く鐘の音は四島の帰る日迄、北方の島々に鳴り続けます。

希望の鐘





北方領土を見る

私は本当に何も調べずに来ていたので、受付の方に「ここは博物館みたいな感じなんですかね」と間の抜けた質問をした。

すると、2階から望遠鏡で歯舞群島などを眺められる施設で、実際に島を見て身近に感じてもらう場所なのだと教えてくれた。


望遠鏡を覗いてみる。


海鳥の飛び交う、極寒の海の向こうに、



北方領土が見えた



肉眼で初めて北方領土を捉えたのに、不思議と感動のようなものはなかった。ただそこに島があって、日本の領土だと教科書で習ったのに、自由に行き来できない。


今回、実はこの話を書くか相当悩んだ。
領土問題みたいな難しいテーマで記事を書くほどの腕前はないし、愉快な話にはならない。
この話もリサーチを重ねたので、おかげで少しだけ北方領土問題を学び直すことができた。日本固有の領土ということは間違いないし、ソビエト連邦が不法に占領し続けていることも間違いない。
現在進行形で悲劇が続くウクライナと全く同じ構図だった。

その後、10000文字くらい記事を書いた、けれど結局消した。


北方館と北方領土資料館には、たくさんの展示や歴史的な資料がある。それにこの北の大地に住んでいる動物たちの剥製なども置いてあった。
もし機会があったら、足を運んでみるのもいいと思う。考えるキッカケになったし、その後の学習の大きなモチベーションになった。




納沙布岬の先端

頭の中がぐるぐるしていた。普段、美味い飯と温泉のことばかり考えている私の脳では、なかなかうまく消化できない話だった。
少し歩くとこの納沙布岬の本当の東の端があった。

そこには無人の灯台がある。風が強い。強いどころではない。
11月の北風である。普通に冷える。なのに私は、東京にいる時と同じようなTシャツ1枚にジャケット1枚という格好で立っていた。

ダウンジャケットを着ればいいものの、写真を見返すと着ていない。まあ、そのくらい北方領土の資料を読んだり、上映されていたアニメを見たりして、脳みそがオーバーヒートしていたのだと思う。




根室市歴史と自然の資料館

北方館や納沙布岬を回って、さて釧路市街へ戻るか、というところで、ふと「資料館がある」というGoogle MAPのピンが目に入った。根室市歴史と自然の資料館である。

根室市歴史と自然の資料館は、根室市とその周辺の歴史や自然にまつわる資料を集め、展示している施設である。考古資料や歴史資料、そしてこの土地を特徴づける動植物の展示まであり、思った以上に幅が広い。

私は正直、そこまで期待していなかった。

いや、失礼な言い方だが、本当にふらりと寄ったのである。しかも閉館が近い時間だった。ちょいと覗いて、帰るつもりだった。ところが、これが想像以上に面白かった。

学芸員さんは不在だったのだが、対応してくれた職員さんが、ものすごく親切で、しかも話が面白い。こちらが質問すると、そこからするすると話が広がっていく。博物館が好きな理由はこれだ。私は全国の博物館で無闇矢鱈と学芸員さんやガイドさんに話を聞くのだが、本当に面白い。

私は縄文時代が好きなので、土偶の展示を見て「ここら辺にも縄文の人はいたんですか」と聞いてみた。

すると、話はそこから徐々に広がって行った。


ここ北海道では、縄文のあとに弥生、という単純な図式ではないようだ。説明してもらったところによると、根室周辺では縄文のあとに擦文文化があり、オホーツク文化が入り込み、やがてアイヌ文化へとつながっていく。その移り変わりは、何かが突然置き換わるというより、もっとグラデーションのようなものらしい。

縄文からアイヌまで徐々に混ざり、徐々に変わり、残るものと消えるものがある。その複雑さを、職員さんはとても丁寧に説明してくれた。


穴だらけの遺跡

さらに話は、西月ヶ岡遺跡へと及んだ。

その名前に私は聞き覚えがあった。実は私はここへ来る途中、その遺跡の前を通っていたのだ。Googleマップで「遺跡」と検索して出てきたから寄ってみたのだが、パッと見て「なんか野っぱらだけで、どこが遺跡なんだろう」と思い、写真を撮っただけで通り過ぎてしまっていた。

ところが、資料館で聞くと、あれは穴だらけの遺跡なのだという。

では、その穴は何か。竪穴住居の跡、つまり家である。
しかも敷地内へ入っていいらしい。前もって知っていたらきっとそこで古代人ごっこなどしていただろう。
帰宅時には真っ暗になっているだろうし、根室なので明日行くには宿から遠すぎる。少し残念だったが、諦めることにした。



平らな土地と、パリみたいな悩み

次に興味深かったのは、地理と気候の話である。

私は道中、根室の道を走りながら、ずっと「平らだな」と思っていた。北海道は平らだという噂は聞いていたが、こんなに平らだとは思わなかった。
しかも道路と川の高さが、妙に近い。群馬の感覚では、道路のほうがもっと高い位置にあることが多いので、なんだか水が来たら大丈夫なんだろうか、と余計な心配までしてしまう。

その感覚は、あながち間違っていなかったらしい。水辺に近ければ暮らしやすいが、氾濫原は住みにくい。雪解け水もある。だから、少し高いところに人が住む。そういう話を聞くと、平らな土地というのも、考え物なのかもしれない。

気候の話も面白かった。昔の根室は年間平均気温が5度台というような土地で、エアコンなんて必要なかった。ところが最近は30度を超える日が続くこともあって、病院や学校に後付けでエアコンをつける時代になってきたという。

「まるでパリみたいですね」私は思わずそう言った。

パリも昔はクーラーが前提ではなかったのに、今は夏の暑さで困っている。根室とパリ。同じ悩みを抱えたもの同士である。




忠告

資料館の閉館が近かったので、私は最後、だいぶ慌ただしくお礼を言った。記事にはしていないが、歴史や風土、動植物など本当に面白い話を聞けた。
相変わらず運がいいなぁ、などと思う。そして、資料館の方にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。

私はすっかりご機嫌になっていた。


北方領土を見て、資料館で学んで、根室という土地がただ“東の果ての寒い町”ではなく、長い歴史と多様な文化の連なりを持つ場所だと、少しだけわかった気がしたのである。




最後に職員さんが、何気なくこう言った。


「釧路まで戻られるなら、鹿がすごく出るので気をつけて帰ってください」


この一言が、このあと私の帰り道を大きく変えるのだが、その話はまた次の章で。


つづく

↓次回


記事:まるのすけ


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