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ライニア乱記 魔法使いのはかない弟子 序章 橙の大魔法使いだった者

 濁った桃色が混じっている橙色の髪を床に付け、ピーチェは隠れ家の床に寝転がっている。向かいにいる女の話は耳に入れながら、旬ではない今だからこそ食べている桃の缶詰を片手で高く持ち上げて揺らす。一室しかない狭い空間を照らすスタンド式の照明は薄暗く、缶の金属面も鈍く光るだけだ。視線のさらに右上にある窓には板が打ち付けられ、外の様子が見えないために時刻も窺い知れないが、別に構わない。
「……貴方、聞いていますか?」
 女からいつも通りの聞き取りにくい声で問われる。下手をすれば耳に入ってこない言葉も、何とか理解できた。彼女――シヴァはここ最近、リリという少女を探っている。自分の目的を果たすため忠実に動き、同志に相応しいか見極めているのだ。そう言えば聞こえは良いが、ピーチェはつい口を出したくなる。
「相変わらず二人でふらふら出歩いてて、楽しそうだなぁ。こっちはいつ逮捕されてもおかしくないのに」
 すかさずシヴァが顔をしかめた。普段は暗い灰色の髪で隠れがちな表情が、はっきりと怒りを伝えている。
「ああ、そんな怖い顔すんな。そういや、あんたも追われていたっけな。といっても、この時代とは関係ない場所だけど。で、そのリリってのは本当に色んな騒ぎに関わってきたの?」
「こちらが聞いたら、事細かく話してくれました。周りに知られても気にしないのでしょうね」
 薄い紫色の目の間に皺を作り、シヴァは警戒を崩さないように語る。リリはあの「白紙郷はくしごう」が起こした事件の中心にいた。団長らに対峙するその状況を、非日常を感じられて楽しかったと明かしていたらしい。
「移動の途中で拉致・拘束されたこともあったそうです。恐怖というものが欠落しているのでしょうか、エティハの望む魔法のない世界を見てみたかったとも言っていました」
「それなら正直に言えば良かったのに」
 普段は大人しいという少女の裏を耳にし、思わず本音が出る。心を押し殺しているから、余計に不満が溜まっていくのだ。その性質が、今回企んでいる計画に使えるかもしれないので捨てさせたくはないが。
 さらにリリは、イホノ湖で神を呼ぼうとした男・トープとも関わっていた。そこでは彼女の望む非日常を、あまり感じられなかったそうだ。そちらでも捕らわれてはいたというのに。
「一度捕まったから慣れたのか? 図太い奴め」
「結局、イホノ湖に下りた神を見ることもできなかったそうです。それを今でも悔やんでいるようでした」
「ま、確かに非日常を求めているなら見るべきだったな。運が悪かったとしか言えないか」
 こうして見ると、リリという者はとことん非日常にこだわっているようだ。そんな彼女は、自分の計画を受け入れてくれるか。持っていた缶詰をゆっくりと床に下ろし、ピーチェは息をつく。低い天井による圧迫感を無視して、ただ今後を考える。リリが同志に加われば、どのような動きが起きるだろう。あそこまで非日常を求める彼女は、どんな魔法を使っているのか。シヴァはまだ知らないようだが、いずれ分かる時が楽しみだ。
 軽く顔を上げ、ピーチェは大人しくその場に座っている女へ申し出る。
「これからも出来る限り、リリとの接触を続けてくれよ。私もいずれ会いたいからさ」
 そうと決まれば、彼女にはすぐに出て行ってほしい。軽く手を振って追いやると、シヴァは床から渋々と立ち上がった。地味な色合いのワンピースに包まれた姿が背を向け、扉へ進むかに見えて顔がこちらを捉える。出会った頃から見続けてきた、不機嫌が強く表れている顔だ。
「……私が必要ないのですか?」
 シヴァは自分が他の人物について話す時、大抵こうして問い詰めてくる。同志を集めることさえ初めは警戒し、目的を理解してくれただろう今になっても嫉妬が明らかに透けている。しつこく付きまとってくるこの女を突き離したいところだが、利用はしたい。本当の心を伝えてしまえばシヴァは襲い掛かってきかねないから、ただ一言告げる。
「……早く行けよ」
 扉の開け閉めする音が一度だけ、若干乱暴に聞こえる。厄介なあの女もまた、自分と同じ逃亡者だった。「覚醒かくせい」を起こしてアレクへ送られそうになっていたのを逃げていたのだ。魔力を辿った国の職員が、魔法によって姿を消した彼女を保護しようとしていた。その現場に、ピーチェはたまたま通り掛かっていた。追っ手を殺してやっても彼女は姿を見せず、訝しんだ末に叫ぶ。
「出てこいよ、じゃないとこいつみたいに殺すよ?」
 ややあって返ってきた言葉を、まだ覚えている。
「……別に死んでもいいですよ」
 奇妙な態度だった。そこに至る経緯を聞いて同情でもしたのか、当時のピーチェはシヴァを隠れ家に招き入れていた。それから内弟子として、自分の逃亡を助けることを条件に魔術を教えたのだ。
 数年経って、彼女に思いを告げられた時は驚いた。冗談だと笑って突き放せば、シヴァは隠れ家を飛び出して戻ってこなかった。イホノ湖で騒ぎが起きた後に再会し、今は真面目にこちらの指示に従っている――なおも自分への心を引きずっているのなら、恐ろしいことこの上ないが。
 再び寝転がった背中に、携帯端末の硬い感覚が当たる。そういえば連絡を見ていなかったとうつ伏せになって画面を操作し、着信履歴の更新を認める。居場所が発覚しないように音を消した端末には、現役の大魔法使だいまほうつかいであるマジェンタが連絡を試みていた。折り返して電話すると、耳に痛い元気な声が応じる。お人好しな大魔法使いは、イホノ湖で魔法を発現したセレストという女の様子を時々見に行っている。
『時々あの事件を思い出して、『覚醒』寸前まで行っているみたいなの。今使っているものじゃ不十分みたいだから、いくらか症状を和らげる薬が新しく欲しいんだけど……』
「私は薬剤師じゃないけど、普通の薬局じゃ取り扱ってないものだし、仕方ないわねぇ。何とかしてやるよ、かわいい後輩ちゃん」
 後輩といっても、大魔法使いの時期を同じくして教えてやった訳ではない。マジェンタが就任した時、ピーチェはとっくにその資格を剥奪されて逃亡の身だった。そんな自分を純粋に信頼している様子の通話相手を、心の中で嘲笑う。自然と口元も吊り上がり、彼女には見えない表情が形作られる。自分が本当に望んでいることを知ったら、世間に良い顔をしている大魔法使いはどう思うか。
 やり取りを終えたピーチェは、端末を床に置くと気だるく立ち上がる。背後にある戸棚は、下手をすれば頭をぶつけかねない天井とぎりぎりで接していない。ガラスの嵌め込まれた戸を開けると、まずは目の位置より少し下の段にある、求められた薬の紙包みへ手を伸ばして止めた。そしてすぐに数個を挟んで右の、全く別の薬を握り締める。手の内にある柔らかい紙と、それを通して伝わる粉の感触をしかと認め、ピーチェは再び唇で歪んだ弧を作った。

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