見出し画像

ライニア乱記 魔法使いのはかない弟子 第一章 弟子現る 一、冬の騒乱

前の話へ

 十二月に入ると、ライニアの寒気も厳しくなってくる。灰色の雲が広がる空の下、レンは厚手の上着と襟巻き、手袋を身に付けて町を歩いていた。通学時にも通るこの道は、左右に並ぶ店が賑わっている。やがて見えた本屋へまっすぐ赴く前に、やはり防寒対策をして少し遅れて歩くリリを見返る。彼女の歩幅は小さめで、寒さのせいもあってか顔に覇気がない。学校が終わって夕方の迫る空を見上げ、レンは水色の髪を軽く掻き上げた。日の出ている時間も短いので、さっと本を選んで早く帰らなければならない。遅くなって家で叱られるのはかっこ悪いのだ。
 両親に外交官の志望を伝えた時は、意外にも反対はされなかった。ただそこへ至るまでが大変だときつく言われた。その点はレン自身でも分かっている。だがその苦労を乗り越えるからこそ、かっこいいのだ。
 本屋の看板を見上げ、下ろした首が到着の遅いリリの方へ向く。耳の横に下がる濃い緑色の髪が、俯きがちなその顔を隠しそうだ。相変わらず自信のなさそうな彼女は、将来を決めたのか。何も聞いていないのはまだ決まっていないからか、自分に話すほどのことでもないのか。唇を開くと冷たい空気が喉へ入り込み、レンは問いを心の内に引っ込めた。焦らせても良くない、代わりにたわいもないことを話題にしよう。
「……この冬は、雪が降るかな?」
 この湖水地方こすいちほうは、降雪はあってもあまり積もらない。それは分かっているのに、子どもじみた期待が胸をくすぐる。それと重なるように、ようやく隣へ来たリリの無邪気な声がした。
「降ったら楽しいね! 普段じゃできないことをしたくない?」
「雪玉作りとか?」
「ううん、もっと楽しいことだよ! ハラハラドキドキして楽しめて、いつもの日常なんて吹き飛んじゃうくらいの!」
 赤い目をきらきらと光らせ、リリは先ほどまで縮こまらせていた全身を大きく広げる。左右に伸びた腕が通りゆく人にぶつかりそうになったが、同級生は気にする様子がない。ただの願望だと思えば良いのに、レンには恐ろしい可能性が浮かぶ。それはずっと前、両親の営む喫茶店に来たシランの告げた言葉から繋がっていた。彼女はリリが、平穏な日々とは全く別のものを望んでいると言っていた。それが事実でないと願いつつ、レンは恐る恐る問う。具体的にはどんなことをしたいのかと。
 両腕を下ろしてきょとんとしていたリリが、しばらくして笑顔になった。
「『白紙郷』のときとか、イホノ湖に神様を下ろそうとしたこととか、そういうことだよ。ちょっと怖いこともあったけど、ああいうのって普通じゃ楽しめないよね」
 速まった鼓動を抑えんと、レンは静かに深呼吸をする。幼い時から親しんできた友は、本当に非日常の騒ぎを求めているのか。自分はあの混乱から、一刻も早く抜け出したいともがいていたのに。
「ねぇ、レンちゃんはあのとき、どう思った? 楽しかった?」
 寒さに当てられたのか、赤くなったリリの鼻先がこちらへ迫ってくる。覗き込んでくる大きな瞳が恐ろしい。
「どっちかというと、厄介だった。何とかしなきゃとは思っていたけど、それで悩むこともあったし。リリが捕まった時なんて、本当に心配したんだから」
 離れたリリの顔が、驚きと戸惑いを湛えたものになる。彼女は感謝を伝えてきたが、それも短くすぐに別の話題へすり替わる。
「あんな事件でもなきゃ、レンちゃんの魔法は使えないんだよ? それをわかってて、平凡な日々を望んでいるの?」
 自分より少し低い位置にある視線に、レンはどこか不満を覚える。リリは本当に、自分を案じて今の言葉を言ってきたのか。確かに「白紙郷」が世界の消却を目論んだ事件のように、特別な事象がなければ魔術も魔法も使えないことは事実だ。魔術の基礎は覚えていても、それを実践する授業の結果は毎回変わらない。それでも自らの「非常ひじょう」魔法を、皆に見せびらかすつもりはない。
「わたしの魔法は、何もない平和な日々のためにあるんだ。それが土台にないと、多分あの魔法は使えない。何が日常で、何が事件なのか分からなくなるから……」
 重く感じてきた頭を持ち上げ、今度はリリに向けて彼女の魔法を問う。魔術の授業こそ自分より上の成績だが、どんな魔法を使えるかは明らかになっていない。
「もしかしたら、リリも魔法が使えないのかも……」
 ふと乾いた笑いが言葉と同時に飛び出し、レンはすぐに唇を引き結ぶ。さすがに今は、馬鹿を言った。同じ苦しみを持っていることを、まるで楽しんでいるようではないか。友から目を逸らし、早口で発言を撤回する。
「別にいいよ。私は、楽しいことができればいいだけだから。魔法なんて気にしないよ」
 小さく鼻歌を歌って、リリは先に店へ入っていく。自動で開閉したガラス戸の先、本棚の並ぶ間を軽々と進む。一方でレンは立ち尽くしたまま、少女の未来を懸念していた。彼女はどうも、今のことしか考えていない様子だ。迷っているのならともかく、将来への対峙から逃げているようにも見える。自分は悩んだ末に一つの道を見出したが、真っ暗な中を歩いてきた日々はまさに苦しかった。その苦しみを知らない、知ろうともしない女を、しばらくは思い出したくもない。
 両肩を同時に上げて脱力してから、レンはようやく入店する。リリは探さず、まっすぐ目的の売り場へ歩いていく。参考書は奥にある書棚に収まっていた。夏前の修了試験に備えて、苦手な科目を何とかしたい。一冊ずつ取っては軽く全体を見通すことを繰り返し、数冊目を戻してすぐに隣の棚が目に入る。そこには魔術の歴史や使い方などをそれぞれまとめた本が多数あった。手を伸ばしかけ、間もなく動きを止める。結局、正面の書架を集中して探り、三冊を厳選した。
 首を巡らしても、同じく参考書を買うはずだったリリの姿はない。先にここへ来てしまったのか考えて、レンは彼女の姿を探す。本棚や客らの間をすり抜けて友を見つけた先は、歴史に関する書籍を置いている売り場だった。リリは棚を前にして、表紙に写真のあしらわれた幅の広い本を真剣に眺めていた。持っている手で隠されて、題名はよく見えない。
 レンはそっとリリの隣に進み、その目が何を見ているのかを確かめた。すぐに背へ寒気が走り、視界に入る写真を信じ難い思いのまま見つめる。見開きのページに刷られていたのは、不格好な丸太――とも思いたくなる、四肢の切断された遺体だった。草地の上に転がったそれの奥にも、似たような惨状にある人だったものが、時には槍らしき武器で串刺しになりながらいくつも放置されている。
 リリが紙をめくっても、レンの気持ちは休まらなかった。あるページには、爆弾で体の半分が吹き飛んだと説明の書かれている人間の姿が写っている。全身を切り刻まれて木の枝に吊り下げられたものがある。切り株の上に切断された首が雑に置かれている。埋葬もされず、ただ雑に遺体を打ち捨てて山と化したものの写真もあった。ついにレンは完全に目を背け、俯くと空いた手でそっと口元を押さえた。今日はお茶とお菓子の時間を我慢してきたのに、食べてきたものが胃からせり出しそうだ。
 息を大きく吸っては吐くことを繰り返し、レンはようやく姿勢をまっすぐに戻す。リリがこちらの存在に気付くと、本を閉じて表紙を見せてくれた。涙する子どもが写る下部に、「大魔法だいまほうらん」という文字がある。
「大乱の様子を撮った写真集なんだって。こんな戦いを起こしたインディはすごいよね」
 リリの高めな声に、恐怖は含まれていない。ライニアを変えようとした元大魔法使い・インディを素直に称えている。
「大乱はうまくいかなかったみたいだけどさ、もし最後までいっていたらどうなっていたかな? 今より楽しくなれた?」
 レンは短く歯ぎしりをすると、楽しさを隠し切れていないリリを睨んだ。脳裏に寂しげな表情でいた壮年の顔が浮かぶ。
「……インディは、そんな犠牲を生むために大乱を起こしたんじゃない」
 彼のことを言っていると周りへ知られないために、声は低めている。それでも自分の感情が滲み出ているとは分かる。
「あの人は、みんなに穏やかに生きていてほしかった。……そのやり方を、間違えただけなんだ」
 何も手にしていないリリと並んで店を出る。なるべく隣の者は見ないで進んでいく。彼女は、もはや自分とは違う道を行きかけているのかもしれない。
 歩道と車道の境にある街路樹よりもさらに木々の多い辺りへ差し掛かろうとして、遠い銃声が耳に届いた。レンもリリも同時に立ち止まり、後ろの方へ走っていく人々を目で追う。人だかりの隙間から、倒れていると思しき人の脚が見える。あの人が撃たれたということか興味は湧いたが、レンはすぐに思い直した。先ほどの写真で心が参っているのに、さらに目へ刺激を与えたくない。この場に長居していても、救急隊などに迷惑だ。
「……レンちゃん。私、もっと近くで見たい」
 真逆の考えを持つリリへ、レンは好きにするよう促す。自らはまっすぐ家へ帰ろうとして、視界の隅にある建物の陰から顔を出す女に息を呑んだ。薄い紫色の目が、こちらを逃すまいとしている。自分を狙っているというあの女――シヴァは、いつからそこにいたのか。
 咄嗟にレンはリリの袖を掴むと、彼女が喚いているのも聞かずに前へ駆けていた。少しでもシヴァの視線を振り払わんと、足は速度を上げていく。
「離してよ、レンちゃん! あの人がどうなったか気にならない?」
 リリの言葉は認めたいが、何より身の安全が第一だ。ルネイの言っていた通りに、シヴァから襲われたらひとたまりもない。撃たれていた人の無事は祈るに留め、レンはリリから手を離さず家へ直行していた。

次の話へ

いいなと思ったら応援しよう!