ライニア乱記 魔法使いのはかない弟子 第一章 弟子現る 二、残された兄妹
葬儀の終わった教会からは、数少ない参列者たちが既に去っていた。長い影に覆われた建物の裏で、チェンは石の壁に背を付けた。喪服を通して冷たさを感じると同時に、見上げた灰色の空からも細かく雪が降り始めるのが見える。息を吐けばそれが白く立ち上がり、冬へ確実に入っているのだと気付かされた。
ここ数日は、ゆっくりと季節を感じられる余裕などなかった。二歳上の兄が突然死亡したのだ。急いで葬儀の準備をし、先ほどようやく忙しさから解放されたばかりだ。そんな今になって、頭の隅に放っていたことが浮かんでくる。
家にはまだ兄の遺品が残っているから、それを整理しておかなければならない。大抵のものは不要なので処分し、大事と思えるものを見極めて形見としたい。問題はチェン自身にも及んでいる。今後も勉強を続けるか、それとも就職して妹のために稼ぐか早めに決めなければ。夢だった古文の研究者になることは、厳しいかもしれない。兄が遺したわずかばかりの金は、出来るだけ残しておきたい。こうして必要なことは次々と浮かんでくるのに、その先へは全く頭が回らない。
兄の死は早過ぎた。仕事に行っていたはずの彼が町で撃たれたと聞いて、妹と共に駆け付けた。病院を訪ねた時はまだ意識があったが、やがて会話は叶わなくなった。夕方の時点で帰路に就いていたとのことだから、いつものようにやるだけの仕事を終えて、他の社員たちより先に会社を出ていたのだろう。周りを助けるなど、他に自分にやれることはないかというのも考えないで。
黒い靴の先を、地面へ強く押し付ける。真面目に働くことで故郷への贖罪としたいと言っていた兄は、どこへ行ったのか。初めからそのつもりなどなかったのかもしれない。死ぬ前も見せていた余裕のある笑顔が蘇り、チェンは咄嗟に顔を横へ振った。
人から恨みを買いそうな兄も兄だが、街中で彼を撃ってきた相手も気になる。店の立ち並ぶあの地域には人が大勢いたというのに、犯人のはっきりした目撃情報がないのだ。兄に強い殺意でもあったのか、それとも何気なくただ人を殺したかったのか。もし後者なら厳しく問い詰めたいものだ。
日はさらに傾き、風の温度が下がってきた。そろそろ家に帰らなければならない。自宅より暖かい室内から引き離すことに若干の罪悪感を覚えながら、チェンは教会の中へ入っていった。重い扉を開け、暖気に包まれた空間の中に妹はいる。横に長い椅子が連なる一番奥で、俯いて座っていた。参列者が去ってから、彼女はああして動かない。
「帰宅の時間だ、シュイン」
チェンが呼び掛けても返事一つない。それを咎める気は起きなかった。急に家族を奪われたのだから、呆然としてしまうのも仕方がない。自分たちの面倒を見てくれていた者が昨年末に死亡した時も、今のように塞ぎ込んでいた。チェンにとってあの人は、家族とあまり関わらず自由に動き、責任感に乏しい人物だったが。きっと妹には慈悲深い面も見せていたのだろう。
肩に届かない藍色の髪に顔を隠しながら、シュインがゆっくりと頭を持ち上げる。その視線は隣にいるチェンではなく、祭壇の奥にあるガラスで彩られた絵を見つめていた。様々な色を使い、人々が聖歌を歌う場面が表現されている。
「……白いユリの花さん、アイリスさん、真っ赤なバラさん……」
並ぶ人の絵を一つずつ小さく指差し、シュインは花の名を呟いていく。チェンが改めて隅々まで絵を見ても、花は見当たらない。一体妹には何が見えているのか。彼女は昔から、よく花の話をしていた。それだけなら良いが、人のことも花の名前で呼ぶのだ。おかげで自分も周りも困惑している。だから学校で上手くいかないのだ。
ガラスの奥が暗くなっていく。外の様子を思い、チェンはそっと妹の袖を引いた。
「遊戯を堪能している場合じゃない。空腹だろう? スープを温めるから」
虚ろな目で妹はようやく立ち上がり、口を閉ざしてチェンの横を歩いていく。出口へ向かう際、不意にチェンは祭壇の方を振り返った。どうも見られている気がするが、人の姿は描かれたものの他にない。気のせいかと思い直し、すっかり真っ暗になった路地を進む。はぐれることのないよう手を繋ぎながら、シュインへまっすぐに視線を向ける。
「シュイン、これから真面目にやっていかなければいけない。おれだっていつまでもあんたの面倒を見てやれない。ちゃんと学校へ行って、社会で生きる能力を身に付けるんだ」
赤紫色の大きな瞳を前に向け、妹は黙っている。話がその耳に入っているかも怪しい。もう一度説こうとして、高めの声が問いを漏らした。
「……お兄ちゃんは、どうします?」
わずかに息が詰まるも、一家の最年長になった身として答える。
「これから思案を巡らす。今は状況が安定するまで待つよ。もしかしたら学校を休むかやめるかして、働かないといけないかもしれないな」
「それじゃあ、わたしも行きます!」
「おい、まだシュインはそんな年齢じゃない!」
足を止めて声を上げる十二歳の無謀を、チェンは必死に止める。今の年齢で彼女が労働を行っては、法律に違反する。子どもが煙突掃除をするような時代ではないのだ。十六歳になって中等学校を卒業したら、いくらでも働いて良い。
「それまで我慢だ。しかと勉強して、職場にいる人に逸材だと認識してもらわないとな」
穏やかに言うようチェンが努めても、シュインは一転してまた俯き、家に着くまで何も話さなかった。パンとスープしかない軽い夕食を終えると、彼女はすぐに席を立った。
「……寝ます」
「宿題はやったか? まぁ、大方以前の分だろうけど」
返事はなく、シュインは狭い居間を去って向かいの寝室へ入る。二人分の食器を流しに入れてから、チェンも素早く部屋を出る。すぐの所にある玄関の戸を開け、周囲を探った。隣の家との間が広く空いた近所に、人は見当たらない。街灯はかなり先にあり、ここからでは頼りにならない。それでも室内の明かりを使って、気配の正体を確かめたい思いを高める。
「尾行しているのは認識済みだ。魔法だか魔術だか知らないが、せめて姿を見せろ、不審者!」
チェンが叫んですぐ、誰もいなかった正面に女が現れた。灰色のワンピースに身を包み、その色よりは濃い色の髪を後ろに伸ばしている。袖の先には手甲が見え、指は内側に折られて隠されていた。光の映らない瞳を、チェンは睨み付ける。
「帰れ。妹が起きたら困る」
「兄の仇を、殺したくない?」
ぼそりとした発言が、一瞬だけチェンの興味を掻き立てた。しかし即座に首を振り、女の言葉を怪しむ。彼女は兄の死を知っていたのか、葬儀にはいなかったはずだが。
「犯人の確証もないのに、それは不可能だ。調べるのは警察に一任している。そもそも犯人なら、然るべき方法で罪を裁かれるべきなんだ。私怨で殺害なんてしたら、こちらにも火の粉が飛んで厄介なことになる」
「貴方の兄を殺したのは、レンという女よ」
女は迷いもないように切り込んでくる。そのレンという者を殺せば、兄への手向けになると言われた。少しずつこちらへ近付いてくる女を手で押しやり、チェンは顔を背け続ける。
「あんたの話は荒唐無稽だ。兄さんは復讐なんて求めていないはずだ」
へまをしたと言って死ぬ前もチェンたちへ笑い掛けていた兄は、撃った相手を恨んでいる様子もなかった。それにレンが殺したとしても、自分に恨むつもりはない。何かそうなってしまった事情があったのだと理解するだけだ。
「だいたい、そのレンってやつは何者なんだ? あんたも、何で犯人だって言い切れる?」
女がワンピースのポケットから、折り畳んだ紙のようなものを取り出した。手渡されたそれを広げると、水色の長い髪を持つ女の写真があった。年齢は妹より少し年上に見え、歩いている最中に撮影したのか手足の先がぶれている。一見、何の変哲もない普通の少女を撮っただけのようだ。
「この人がレンか? 何も不審なものなんて……」
「腰辺りを見なさい。拳銃を帯びている」
女の指摘通り、ズボンの腰回りにホルダーが巻かれ、手前側には青く塗られた武器が収まっているのがわずかに判断できる。それだけで犯人とは言い切れないと、チェンは女の証言を呑み込まない。武器なら、ライニアでは誰もが携帯することがもはや日常だ。自分も万が一に備えて短剣の使い方を訓練し、寝室に保管している。そうした武器もせいぜい護身用に所持を認められているもので、少女が無関係の人間を殺すとは考えにくい。
「彼女、銃術部に所属しているのよ。それを殺害に利用したとしてもおかしくはないでしょう?」
「あれはスポーツと護身のための部活動だろう? もう彼女の話はよしてくれ。そんなに殺したいなら、そっちがやれば良いじゃないか」
「レンはシュインと同じ学校に通っている」
女がもう一枚、写真を差し出してきた。リュックを背負った少女の後ろ姿があり、その先に学校の外観がある。まさに、妹が所属している中等学校であった。
「妹を利用しなさい。そうすれば仇討ちと不登校改善、どちらにも繋がるでしょう?」
「あんた、うちの事情をどこで――」
チェンが言い終わる前に、喉元へ鋭いものの食い込む感触があった。視線を下げれば、指先に取り付けられていた鉤爪が肌を破らんとしている。爪の長さはうなじまで貫きかねないほどまであり、下手をすれば胴体と引き離されそうだ。
「貴方の兄は、火事で燃えた故郷に代わって、人々のために町を作るべく動いていたはず。夢が絶たれたのは無念だったでしょう。それを少しでも軽くしてやりたい思いはないの? 非情な弟め」
反発しようとして、首筋にうっすらと血の流れる感覚を捉える。武器は確かに、チェンの命を削りかけている。息を吸うことも今や苦しかった。
「……せめて妹を、学校に行かせてみるのはどう?」
それなら良いだろうと、チェンの中で心が動く。妹はこのライニアに来てから、不登校となっている。初等学校の時は個別で授業を受けられる時期もあったが、中等学校ではその存在がなくなっていた。このままでは、妹がより周りに置いていかれてしまう。勉学の出来ないことを馬鹿にされ、高い能力の必要な仕事にも就けず、貧しい暮らしを余儀なくされるのだ。
「妹に、頼めば良いのか?」
「ええ、貴方はただ促すだけで良い」
「でも妹に殺人をさせるなんて……」
躊躇いは顎下に走った痛みで振り払われた。離れていく鉤爪に、赤い色が付着している。これ以上傷付けられたくはない。昔、妹の病気を治そうとして薬を盗んだことがあった。それが発覚して負った怪我は、今の比ではない。生きるためには、この怪しい女に従うしかない。
「……分かった。妹を利用し、レンって人を殺害すれば良いんだろう?」
口に出してみると、全うしなければならない思いがチェンの脳裏を埋め尽くした。何としても、指示を果たしてみせる。受け入れたチェンへ、女は二枚の写真を残してその場から消えた。歩きもせずいなくなった彼女のいた場をしばし眺めてから、玄関の戸を閉める。
音を立てないようにして入った寝室では、妹がまだ起きていた。薄い布団の敷かれたベッドに腰掛け、図鑑を膝に置いて読んでいる。ページを窺えば、花の絵と説明が掲載されていた。
「起きていたなら、ちょうど良い。……シュイン、これを見てくれ」
シュインはこちらを見上げ、次いで目の前に持ってきた写真に視点を定める。彼女が興味深そうにしている間に、兄は写っている女の殺害計画を淡々と伝えた。
