ライニア乱記 魔法使いのはかない弟子 第一章 弟子現る 三、危険な彼女
レンが登校する時は、どこからともなくカルマが付きまとってくる。ある日は学校に着く直前に待ち構えられ、ある日はいつの間にか後ろから走って回り込んでくる。先日入った本屋もある通りに差し掛かると、レンは気を引き締めなければならなくなった。今日もカルマは、防寒着を着ながらレンとリリの周りをくるくると回って若干汗を掻いている。
「レンさん、勉強は順調? 難しい所は教えようか?」
「自分でやっている、放っておいて。自分で解かないと、解いた気がしないから」
「分からない所は、無理しないですっ飛ばしても良いんだよ!」
カルマが背後に移った隙に、レンは速足で前へ進む。難なく学校の門を過ぎ、少し遅れてついて来たリリを横目で見る。俯く友が気掛かりになり、彼女へ話題も振らない少年へレンは問い掛ける。
「ねぇ、リリには何か話ないの?」
「ん? そうだ、勉強は順調?」
後ろから顔を覗き込んできたカルマに驚いたか、リリが小さく悲鳴を上げる。そして大きく首を振ったかと思えば、彼女は正面にある学校の玄関へ走っていってしまった。カルマが腕輪を付けた手で頭を掻きながら呟く。
「驚かせちゃった?」
「というより、普段気にしていないから拗ねているんじゃない? わたしばかり構われて、リリがかわいそう」
「無視してるつもりじゃないんだけどなぁ。俺はただ、レンさんと話したいだけだし」
「今まででも十分話している。たまには他の子の所にも行ったら?」
自然と頬が膨らんでいるのが、レン自身でも分かる。すっかり見えなくなったリリとは教室で合流することにして、人の多い廊下を行く。普段もそれなりに喧騒のある空間だが、今朝は奥の方から聞き慣れないやり取りがした。不機嫌を露わにしている女数人の声は、二年生が使う教室の近くで発されている。
「あんた、九月から一回も来なかったじゃない。なんで今さら学校に来たの?」
「九月からじゃないよ、もっと前からでしょ。よく進級できたね?」
「急に勉強が不安になっちゃった? あんた、文字書けるの? 掛け算はできる?」
その光景を避けるように、人の群れが彼女たちから離れて移動していく。不自然に空いた隙間から、レンは事態を理解した。複数の女子生徒が円になり、一人の生徒を囲んでいる。
狙われていたのは、ふわふわとした藍色の髪を短く切った、少し身なりの整っていない少女だった。着ているセーターは袖が伸び気味で、プリーツスカートも色が褪せているように見える。タイツを履いた細い両脚はぴったり閉じられ、時々小刻みに足踏みをする。言い返さず口を閉ざし、何度も瞬きをしている目は今にも涙を流しそうだ。周囲の様子を見る限り、彼女が標的となっているのは明らかだった。
レンは同学年の生徒たちが階段へ向かうのも構わず、その群れを逆走した。弱い者いじめをする少女たちへ大股で近付き、彼女らがこちらに気付いたところで咳払いをして立ち止まる。
「その子、久しぶりに来たの? いきなりそんなに話し掛けられたら驚くよ。あまり気にしないで、そっとしておいてあげたら?」
上級生の威厳を出すよう意識しつつ、過度な威嚇にもならないように注意を告げる。女子生徒たちはぽかんとしてレンを見つめ、何人かは言い返した。
「上級生ですか? だったらこっちに構わないでください。悪いのはこいつなんで」
「急に来たもんで、あたしたちも驚いているんですよ。事情くらい聞きたいでしょう?」
「いや、どうせこいつは喋らないよ。行こう、時間の無駄」
一人がそう促して教室へ入ると、他の生徒たちも不服を顔に出しながらも後に続いていった。ただ囲まれていた少女は、まだその場に立ち尽くしている。レンが無事を問うと、彼女は赤紫色の目を向け、ぽつりと呟いた。
「……ハスの花さん」
それが自分のことなのか、レンにはすぐに分からなかった。彼女がこちらを見て言っているのだからと何とか理解する。戸惑いを相手に悟られぬよう、何食わぬ印象を装って質問を続ける。
「学校は久しぶり?」
「そうです」
なぜ行かないのか聞こうとして、レンはその言葉を呑み込む。ここでは言いづらいことがあるかもしれない。先ほど見たように、同級生との仲が良くないというのも理由には入ってそうだが。一つ息をついて、レンは少女と視線を合わせる。
「勇気を出して学校に来たなんて、偉いね。でも無理はしなくて良い。分からないことがあったら、教えるからね。ああ、あの子たちのことは無視しなよ。いちいち構っていたら、心が持たない」
少女の頭に軽く手を置き、ぽんぽんと叩いてやる。それからようやく階段へ行こうとして、彼女の名を聞いていなかったと気付いた。シュインと名乗った下級生へ、自分の名を教えてやる。
シュインを置いて階段に足を掛けたレンは、すぐ隣にカルマがいることに肝を冷やした。とっくに上に行っていたと思っていた彼は、廊下に残っているシュインを気難しそうに見つめている。普段は緩やかな口元が強く引き結ばれ、威圧感を与えている。
「まだ教室に行っていなかった? 優等生が呆れるよ」
珍しくレンの声掛けに応じず、カルマはなかなか教室に入らないシュインへ視線を投げ続けていた。
その朝から、レンはシュインという少女を校内で見掛ける度に短く観察をしていた。教室移動の際も、カフェテリアでの昼食も、登下校の時でさえ、シュインは一人だった。時々同級生と思しき少女たちから茶化され、相手には隠しているようだが悲しげな表情になる。あの様子は、好きで一人になっているとは思えない。
出会ってから数日が経った放課後も、レンは銃術部の活動に使う体育館へ行く途中でシュインを遠目に見た。彼女は部活に入っていないのか、別に珍しいことではないとはいえ気になる。レンはシュインのもとへ近付こうとして、後ろから左肩へ載せられた手に全身の震えを覚えた。恐る恐る振り返れば、カルマがいつもの気楽さから離れた真摯な眼差しでいる。いつの間にいたのかとレンが尋ねるより前に、彼は話し始めた。
「……あの子には、あんまり関わらない方が良いよ」
彼らしからぬ低い声が、普段言わないだろう言葉を響かせる。すぐに理由が気になったが、どうも信用できないものだった。
「悪い予感がするんだ」
それからカルマは、こちらの返しを待つかのように黙る。何も証拠なく警戒するとは、彼もどこかおかしくなったのか。
「シュインちゃんは、ただ困っているだけだと思う。何かあったら助けたいし――」
「もし向こうが攻撃してきたら?」
はっとして少女のいた方向を探るが、既に彼女はいなかった。確か武器は今まで持っていなかったはずだ。忘れたのか元から所持していないのか知らないが、シュインが襲ってきそうな気配はない。第一、少し前に初めて会ったばかりなのだ。
「でも、何が起きるか分からないのがこの世界なんだよ? 先日は街中で人が撃たれたっていうし、いつでも自分を守れる心構えをしないと」
咄嗟に、ルネイが喫茶店でしてきた忠告が浮かんだ。自分はシヴァに命を狙われている。それでもシュインのこととは関係がないのではないか。シヴァは人気のない場所でレンを狙ってきた。いくら他人を使うとはいえ、その対象がシュインであるとも言い切れない。
軽く髪を掻き上げ、レンはカルマを睨む。
「そんな心構えをしないといけない世の中が間違っているよ。わたしは平和のために外交官になるつもりなんだ。物騒なものは御免だよ」
「外交官だって、時には危険な国へ行かないといけないことだってあるんだぞ!」
カルマが軽く身を乗り出して声を荒げる。内戦地域や軍事政権の敷かれている場所に赴く可能性もあるのだ、甘いことは言っていられないと。
「それを知っていても、わたしが目指すのは止めないんだね。じゃあ、カルマはわたしが殺されても良いんだ?」
「そんなことない! ……だから、ひとまずシュインから離れてよ」
急に言葉尻が弱くなり、レンのカルマに対する不信は増していく。全く結び付かない言葉の意味を追うことはやめた。レンの語気は自然と強くなる。
「自分のことは自分で守れるようにする。カルマはもう関わらないで。いつも付きまとわれて、うんざりしているんだから」
「……ああもう、分かったよ! いったん距離を置いて、俺のことがどれほど大事か分からせてやる!」
あからさまに大きな足音を立てて、カルマは廊下を走り去っていく。小さくなるその背へ、レンは迷わず舌を突き出した。
翌日になってから、カルマはレンへ話し掛けず、近寄らなくもなった。待ち伏せはもちろん起きず、リリの寂しそうな顔を見る必要もない。何より周りが静かになったのが心地よい。廊下などで心置きなくシュインの様子を探れるようになった。といっても見失う時はある。
カルマと関わらなくなって何日か過ぎた今朝も、玄関にいたと思っていたシュインを捉え切れなかった。教室にも姿はなく、レンは一人で階段を上がる。リリは先に登校していると、彼女の母に聞いた。思えばリリとも、最近は揃って移動することがなくなった。部活動で帰る時間がばらばらになる日はこれまでもあったが、それ以外の日でも一人で学校へ行き来するようになった。
たまにはそういう日があっても良い。だが何日も続けば、リリと過ごしてきた日常は変わってしまうのか。「錬成」魔術の失敗をいくつも生み出してきた手のひらが疼くのを覚え、レンはそっと拳を握る。階段の先にある教室へ顔を覗かせると、リリは自席に大人しく座っていた。何も変わりない姿に安堵し、レンは背負っていたリュックサックを肩から下ろしつつ部屋に足を踏み入れた。
