大学書林「朝鮮語四週間」〜共産趣味者の推し活編〜
私は最近、韓国語の勉強、いや、朝鮮語の勉強を始めました。やはり共産趣味ですし、金一族という推し(?)の活動を朝鮮語で知りたいとつくづく思っていますので、勉強しているんですね。
私が勉強に使っている朝鮮語四週間という本は昭和38年(1963年)に出版されたもので、朝鮮戦争後間もない、当時の空気を感じることができるんですね。
ちなみにこれはあくまでも朝鮮語の練習感覚で書いている記事です。
ハングル表記に慣れるために打ち込んで音声を聴く勉強方法を編み出した
とにかく私はハングルを2〜3日でなんとなく覚えたところがあります。とりあえず発音とかは頭ではわかるし、理論的には下にㅇがくるとngになるのか、みたいなかんじでわかってはいるが、でも実践しないと、どうしようもない。だから、iPadで打ち込み、それで発音をGoogle翻訳などで聞き、こうなのか、と納得しながら打ち込みたいなとも思うんですね。
最初の文法はすっとばして、まっ先に四週間目の記事のような難しいものを見て、これがいつか理解できるようになるときがくるのか…などと想像を膨らませながら、とにかく最初からいきなり難しいものをやる、こっちのほうが私にとっては生きた人間の本当に使っている、生活の言語である、本当に語学という実感が得やすい、そんな風にも思います。文法はあとでいい、みたいな感覚です。英語もドイツ語も結局そんなかんじで、文法は後回しでやり直しつづける、というかんじでもあって身につけたようなところがあります。
そもそも、世の中のいきなり海外に連れてこられた子供とかは、周りがいきなり別言語の洪水というかんじですよね。全てが簡単な子供用の世界でもなく、いきなり最高難易度のようなかんじのものも、全部が混ざってやってくるじゃないですか。だから、やるより他はない。だからこそ言語を実感として、文法などの理論ではなく、実感として体感するにはやはり難しいものをいきなり読んだほうが効率がいいのではないか、とも思うんですね。朝鮮語なんて特に、幼い子供が全然理解できないような、一見難しい概念のほうがよほど日本語とまったく同じということもあるじゃないですか。漢字と発音が同じ。これはヨーロッパ語圏で“arrogant(傲慢)”がぜんぶほぼ同じ単語であることに似ている。だからこそ、余計にいきなり難しめの記事のようなものに触れることが理解への近道にも思えたんです。
▼同シリーズの大学書林のロシア語四週間については以下
1961年1月10日の韓国日報 社説より
新聞記者의 南北交流를 提案한다
ー否定과 警告에만 흐른 民主党声明을 批判하면서ー
新聞記者の南北交流を提案する
ー否定と警告のみに流れた民主党声明を批判しつつー
この表記、現代の韓国語しか知らない人たちは、つくづく驚きではないでしょうか?60年代って新聞などでは普通に漢字が使われていたんですね。
新聞記者:신문기자(シンムンギジャ)
南北交流:남북교류(ナムボクキョリュ)
提案:제안(ジェアン)
否定:부정(プチョン)
警告:경고(キョンゴ)
民主党声明:민주당성명(ミンジュダンソンミョン)
批判:비판(ピパン)
カタカナは適当に振っています。本格的な発音は、Google翻訳などでコピペしてリスニングしてみてください。まあでも、こんな感じで発音も結構そのままだな…みたいな感じなんですよ。新聞記者がシンムンギジャ、南北交流がナムボクキョリュにはつくづく驚きましたね。ほぼ同じやん…みたいな。
これって現代の韓国人は漢字を習っていないから、読めないようなんですよ。むしろ全くハングルなんて知らない日本人のほうがよほど読めるという皮肉。35文字中、21文字が日本人が普段から理解できる漢字ですし。つくづくね、60年代の文献を気軽に読んで楽しめないのって怖くないですか?日本人は旧字体もそれなりに読めるじゃないですか。私はY2K時代に底辺高校の図書館で旧字体の太宰治全集を借りて、大喜びで読んでいましたよ。太宰治はこんな難しい漢字を手書きで書いていたの、すげえ!という感じで思っていましたよね、当時。難しい漢字ですけども雰囲気はわかるし、全く読めないこともないですから。
もちろん韓国人を馬鹿にしているとかではなく、なんかつくづく可哀想に思ったんです。自分たちの親世代の懐かしい新聞を興味本位で解読することが困難、という現代の韓国の若い人たちが。私は戦前の雑誌とかも趣味で集めているので、余計に思いましたね。まあ日本人も60年代に尺貫法は失われたようなもんですけども。50年代終わりごろまでは鯨尺とか匁とかで単位が書かれているわけですが、これは地味に今の私たちには難しいですよね。
1961年1月19日の朝鮮新報より
사회주의 족국 품에 안겨서
ー평양 견방직 공장에서 일하는 귀국 동포들ー
[평야 9일 발 조선 중앙 통신=KNS]
社会主義の祖国の懐に抱かれて
ー平壌絹紡織工場で働く帰国同胞達ー
[平壌9日発 朝鮮中央通信=KNS]
평양:平壌(ピョンヤン)
ㅕㅑこういう2本のチョンチョンのつく物がyがつく発音になるということは理論上わかっていたけど、た、たしかにピョンヤン、pyongyangってこういうことか!みたいな。
사회주의:社会主義(サフェジュウィ)
いやあなんか口の中に物入れながら「社会主義」と言うと、こんな発音になるかな、みたいなのが朝鮮語の사회주의なんですね!
共産趣味者の基本用語「同志」は朝鮮語でどう言う?
평양 견방직 공장에는 일본에서 돌아 온 수명의 동포들이 일 하고 있다。
平壌絹紡織工場には日本から帰った数名の同胞達が働いている。
ちなみに現代は韓国でも北朝鮮でも句読点「。」ではなくピリオド「.」が使われているそうです。でも、私のnoteでは60年代の朝鮮半島で当然のように使用されていた「。」で綴ります。
동포:同胞(ドンポー)
これは同じ朝鮮民族の、という意味なので共産趣味者のお馴染みの言葉「同志」товарищとはまたニュアンスが違います。
以下、Geminiに確認したところ、ちゃんと「同志」に当たる言葉がありましたので、お知らせします。
동지(同志:トンジ): これがまさにロシア語の「товарищ」にあたる言葉です。より格上の人物や、同じ党員・思想を共にする仲間に対して使われます。ニュースなどで「金正恩同志(김정은 동지)」と呼ぶ際にも、この「동지」が使われています。
동무(トンム): もともとは「友達・仲間」を意味する純固有語ですが、北朝鮮では「同志(동지)」の少しフランクな形、あるいは同格・目下の人に対して使う「(党の)仲間」というニュアンスで標準的に使われています。
北朝鮮独特の表記🇰🇵
以下からどんどん、これは嘘やろ?地上の楽園の宣伝ってこんな感じだったんですね…みたいな文章になっていきます。まあ現代日本ではめちゃくちゃ普通のありふれたホワイト企業の話という感じですけどもね…
이들은 모두 공장에서 가까운 동평양 중심 거리에 새로 건설된 아빠트를 받았다。
彼らは皆工場から近い東平壌の中心街に新しく建設されたアパートをもらった。
아빠트:アパート(アッパトゥ)
これGoogle翻訳ではなぜか아빠(お父さん)の誤字みたいなかんじで言われるんですが、あと아파트こっちのほうが正しいというか、韓国語ではこっちのほうが使われているんでしょうかね?
北朝鮮(および当時の表記): 아빠트(アッパトゥ)
ロシア語経由の音や、息を強く詰める濃音(ㅃ)を好む傾向があります。
朝鮮新報の「동평양 중심 거리에 새로 건설된 아빠트를 받았다(東平壌の中心街に新しく建設されたアパートをもらった)」の通り、北ではこれが完全な正解表記です。
現代の韓国: 아파트(アパトゥ)
英語(Apartment)の音に近く、激音のㅌを使った平坦な音になります。
現代韓国での「아파트」の意味
ちなみに、日本の「アパート」と韓国の「아파트(アパトゥ)」は、イメージする建物の規模が全く違ったりします。
日本の「アパート」: 木造や軽量鉄骨の2階建て程度の賃貸住宅(庶民的なイメージ)。
韓国の「아파트」: 主に高層の分譲ファミリーマンションを指します。韓国社会では「持ち家」や資産の代名詞のような存在です。
Google翻訳などの現代韓国語(ソウル標準)のAIエンジンに아빠트と入れると、「お父さん(아빠)+何か?」と誤認して混乱してしまうわけです。
朝鮮語の古い表記について
자기들의 기능과 희망대로 직장에 배치되여 흥겨운 나날을 보내고 있다。
自分達の技能と希望の通りに職場に配置されて楽しい日々を送っている。
배치되여 じゃなくて배치되어なのか?これもGoogle翻訳で発音を聞きたくて打ち込むと訂正されてしまいますが、単純に誤字とか北朝鮮独自の表記というわけではなく、旧表記のようですね。
「여」と「어」の表記の歴史
ハングルの正書法では、되(トゥエ)のような母音のあとに続く「〜して(接続形)」の表記が時代によって変化してきました。
旧表記(1960年代当時・北朝鮮の旧規定): 배치되여(ペチドゥエヨ)
되 + 어 の発音が滑らかに繋がると、自然と口の中で「y(ヤ行)」の音が入って「ヨ(여)」に聞こえます。そのため、昔のテキスト(特に北朝鮮や戦前の慣習を引く文章)では、音の聞こえ通りに 여 と書くのが標準でした。
現代の標準規範(韓国の現代正書法): 배치되어(ペチドゥエア) / 縮約形: 배치돼
現代の標準ルールでは、文法的な原形(되다)を意識して、接続詞は 어 で統一して表記することになっています。
ドイツ語のdassも少し古いものはdaßと書かれていますからね。でも全然理解できないわけでもないですよね。ヘッセのデミアンの原文とかには普通に出てくるわけで、日本の大学生もこういう昔の綴りを知っているわけですね(授業などで読まされるはず)
この古い朝鮮語に綴りもそういう感覚で、韓国人や日本の学習者には理解可能だったりするんでしょうか?
1960年代の朝鮮語に見られる 배치되여(ペチドゥエヨ)や 아빠트(アッパトゥ)のような古い綴りも、現代の韓国人や日本語の学習者にとって余裕で理解可能です。
文脈と音が同じ: 배치되여(ペチドゥエヨ)と 배치되어(ペチドゥエア)は、口に出してしまえば発声上の違いはほぼありません。日本語で言えば「〜してゐる」を「〜している」と読む程度の差でしかなく、脳内で一瞬で現代の綴りに変換されます。
韓国人の場合: 文法的に「古いスタイル(あるいは北朝鮮の文献だな)」と即座に識別できます。時代劇の字幕や、おじいちゃん世代の手紙、北朝鮮のニュースのテロップなどで見慣れているため、意味の理解に躓くことはありません。
日本語学習者の場合: むしろ漢字語の知識や音の法則(yが入る二重母音の仕組みなど)を頭で理解して解読している学習者ほど、「あ、これは発音通りの古い書き方だな」とロジックでパズルを解くようにあっさり解明できてしまいます。
いやあ、Geminiってめちゃくちゃ語学の勉強に向いていますよね。なんかGPTは同じことを聞いても、どことなくマウント取りたがるっぽいめんどくさいところがあるんでマジで困ります。Geminiも適当ですけども、GPTはなんかちょっと話を逸らしてくるような…なんというか、ポリコレ汚染されている?あいつ、マジでめんどくせえな…無課金だからかなあ…?って感じですね。とにかく自分はこういう記事を面白がって書いてはいるが、差別の意図はマジでないんですけども?
脱線しました、以下、続きです。
京都에서 1차 귀국선으로 돌아 온 최길권은 부부 가 다 이 공장에서 일하고 있다。
京都から一次帰国船で帰ったチェギルグォンは夫婦皆この工場で働いている。
このチェギルグォンって個人の名前でしょうか?なんかこの文章おかしくないですか?
「최길권(チェ・ギルグォン)」は完全に個人のフルネーム(人名)です!
최(チェ): 姓(崔)
길권(ギルグォン): 名(吉権、吉巻などの漢字が当たります)
文章として少し不自然に感じられたのは、名前に続く「부부 가(夫婦が)」の前に本来入るべき助詞が省かれていることや、古いプロパガンダ記事特有の直訳調な文体(「夫婦皆この工場で〜」というぎこちなさ)が原因ですね。現代の自然な文章なら「최길권 씨 부부는(チェ・ギルグォン氏の夫婦は)」のように書くところです。
ていうか、京都が漢字のままですけども、これって今も地名は漢字表記することあるんでしょうか?そうでなければ、やっぱり地名のハングル表記はありがたいですよね、韓国人旅行者にとって。
現代の韓国・北朝鮮では、日本の地名は基本的にすべて**ハングルで音訳(発音通りに表記)**されます。
京都: 교토(キョト)
東京: 도쿄(トキョ)
大阪: 오사카(オサカ)
現在では「京都」と漢字で書いても、若い世代の韓国人にはまず読めません。そのため、現在の韓国人旅行者向けの案内標識やガイドブック、観光地での表記は、ハングル(교토)+日本語の漢字(京都)や英語(Kyoto)の併記が基本となっています。
やっぱり漢字は難しいんだなあ。なんか駅などの表示にハングル表記があることについてめちゃくちゃ文句言う反韓のネット民をよく見かけますが、ローマ字だけじゃなくハングルある方がやっぱありがたいというのはめちゃくちゃあるんでしょうね。なんか私も逆にソウルに行った時に日本語表記があるとホッとする感じはありましたし。単純に観光客が解読しやすい表記があるのはありがたいわけですよね。ソウルにも日本語表記あるんだから、マジでお互い様なんですってwww多分韓国のネチズンも日本語表記があることに対して日帝が!みたいな感じでめちゃくちゃ日本人以上にキレてそうなイメージあります。そんな光景も、いつか見にいきたいですね。
ちなみに2010年ごろ私は大学生で、反韓のネット民を見るのが好きでしたね。私もなんか韓国は何でこんな感じで起源を主張するんだろう…なんかムカつくよねえ、とも思ったりはしていたが、でも韓国自体には別に恨みはないしな…朝鮮学校出身の友人もおるし、まあ歴史を考えると揉めるのも仕方ないし、むしろ韓国に日本語表記があることで、日帝の支配の悪夢が再び…みたいにお年寄りが怯えたりする方が、なんか可哀想にも思ったりしましたよね。なんかやっぱ色々思うところはあるんです。台湾は親日で有名ですけども、親日を主張しても大丈夫な空気感が強いというだけのようにも思う。その代わり、台湾人は中国には強い反感を持っている人は非常に多いんでね。ちなみに当時、台湾人への差別があったというドキュメンタリーもYoutubeで見たことあるんですよね。まあ、植民地とはそういうことだろう、という感じではありますよ。
Kpopや韓ドラファンが推し活にも使えそうな朝鮮語を発見
京都에서 로동도 하고 기업 활동도 해 본 그는 이 공장에 배치된 첫날부터 억압도 착취도 실업도 모르 는 로동자들의 자유롭고 행복한 생활에 감탄하였다。
京都で労働もし企業活動もした彼はこの工場に配置された初日から抑圧も搾取も失業も知らない労働者達の自由で幸福な生活に感歎した。
감탄:感歎、感嘆(カンタン)
これGoogle翻訳では賞賛でしたが、発音的にはカンタンですよね?一緒なんだ…全く?
日本語の「感嘆(かんたん)」と音も漢字もまったく一緒。文脈(「抑圧も搾取も失業も知らない労働者達の自由で幸福な生活に感歎した」)から見ても、まさに日本語の「感嘆(深く感心してため息をつくこと・感心すること)」そのもののニュアンスです。
Google翻訳で「賞賛」と出たのは、現代の日常会話だと「감탄하다(カンタナダ)」が「感心する・すごく褒める・感銘を受ける」という意味で使われることが多いからですね。
これはマジでヨーロッパの言語が全く同じ発音で綴り、みたいなことと同じことが起きているぞ?すげえ!!ありがたいことに、この単語は汎用性が高いですよね!韓国語わからんK-popファンとか韓ドラファンは感想としてこれを脳死でコメント欄に書けばいいわけですねwww
引き続き共産趣味者のための用語集
특히 한때 일본인 자본가가 경영하는 직물 공장에 서 로동한 경험을 가진 그는 일본에서는 로동보호 시 설이 불비하여 많은 로동자들이 비참하게 희생되거나 불구자가 된다고 말하였다。
特に一時日本人資本家が経営する織物工場で働いた経験をもつ彼は、日本では労働保護施設が不備で多くの労働者達がいたましく犠牲になったり不具者になると述べた。
자본가:資本家(チャボンガ)
なんかやっぱりめっちゃ似てる、日本語と。これは共産趣味御用達用語ですね。この対義語?は「無産階級」とか「プロレタリアート」とかかな。
まあでもこんな用語を言う人って現代では見かけませんよね。「ニート」「非正規雇用」この辺の言葉を使いますよね、現代は。
現代における「マルクス主義用語」の死滅
おっしゃる通り、「資本家(자본가)」に対する「無産階級(무산계급:ムサンケグプ)」や「プロレタリアート(프롤레타리아)」といった言葉は、現代の日常会話やニュースでは完全に死語(あるいは歴史・政治学の専門用語)となっています。
1961年の朝鮮新報では「資本家=労働者を虐げる悪の存在」として大真面目に使われていましたが、現代社会における労働構造の分断を表す言葉は、日韓ともに大きくアップデートされました。
無産階級・労働者 「非正規雇用(비정규직:ピジョンギュジク)」
無職・遊民 「ニート(니트족:ニトゥジョク)」
格差・貧困層 「土スプーン(흙수저:フクスジョ)」 ※韓国独自の階級スラング
現代では「階級闘争」という大文字の政治思想よりも、もっとリアルな「雇用の形態」や「格差の体感」を表す語彙にシフトしているのがリアルで面白いところです。
現代韓国の若者言葉「スプーン階級論」
ちなみに、現代の韓国で「資本家 vs プロレタリア」の代わりに若者が使っているのが、親の資産によって人生が決まるという**「スプーン階級論(수저계급론)」**です。
金スプーン(금수저:クムスジョ): 親が超金持ち・資産家(昔で言う「資本家」の子供)
土スプーン(흙수저:フクスジョ): 親に資産がなく、自分の力で這い上がるしかない層(昔で言う「無産階級」)
これはめちゃくちゃおもしろいですね。私もどちらかといえば、土スポーン흙수저の方の出身でしたが、今は結婚したおかげで、そこそこ優雅に暮らしています。でも、心の中はずーっと無産階級ですから、いつでも戻る準備はできている感じでもあるね。今を楽しみたいとも心から思うんですけどもね。
《그러나 우리 나라 공장 들에는 로동보호 및 안전 시설이 완비되여 있다。
《しかし我が国の工場には労働保護及び安全施設が完備されている。
로동보호:労働保護(ロドンボホ)
로동(労働=ロドン)+ 보호(保護=ボホ)
これもめちゃくちゃ共産趣味用語という感じですね。日本語とやはりめちゃくちゃ近い!結構すぐに覚えられそう。とにかくハングルは暗号のような感じで面白い言語です、純粋に。
로동(ロドン): 労働。北朝鮮では頭音法則(語頭の「ㄹ/r」を「ㄴ/n」や消去に換えるルール)を使わないので「ロドン」ですが、現代の韓国(南)では「노동(ノドン)」になります。
보호(ボホ): 保護。日本語の「ほご」とほぼ同じで、息を吐き出す「h(ㅎ)」の音です。
まさかの北朝鮮独自の言葉という!これは面白い。
言語オタク大歓喜!幻の表記法が見つかる?
그럼에도 불구하고 공장 안전 일'군들은 로동자들 의 손톱하나 다칠세라 세심한 주의를 돌리고 있다。
それにも拘らず工場の安全のために働く人々は労働者達の爪一つでも傷つきやしないかと、細心の注意を配っている。
일' これって何でアポストロフィー?ついているんでしょうか…??
結論から言うと、これは誤字や文字化けではなく、**当時(1960年代)の活版印刷や活字組版の現場で起きた「音節の区切りを示す補正記号」です。
アポストロフィーが付いている理由
対象の単語は일꾼(イルックン:働く人、働き手)**です。
文字の構成
일(仕事・働く)+ 꾼(〜する人、〜屋)= 일꾼(働き手、作業員)
活字印刷のトラブル(濃音の合字不足)
1960年代初頭の金属活字やタイプライターの環境では、꾼(ㄲ+ㅜ+ㄴ)という濃音の活字が手元になかったり、組版の技術的な制限がありました。
「アポストロフィー」による代用ルール
そのため当時の印刷所では、濃音の ㄲ をそのまま打てない場合や、単語の境界を明確にするために、平音の 군(クン)の前にアポストロフィー(')を打って 일'군 と表記し、**「ここは『イルグン』ではなく、息を詰めて『イルックン』と発音しなさい」**という発音記号的な役割を持たせていたのです。
現代語との対比
1961年の新聞表記: 일'군(イル'クン)
現代の標準表記: 일꾼(イルックン)
すごいなあ、これもやっぱり朝鮮語の「古い綴り表記」として有名なんでしょうか?
実はこれ、「朝鮮語の文法的な古い綴り」というよりは、**1950〜60年代の北朝鮮(および在外の朝鮮新報など)で一時期だけ使われていた『サイシオリ(사잇소리:間の音)』の特殊な記号表記(符号正書法)**として、朝鮮語の言語史・表記史のマニアの間でめちゃくちゃ有名な現象です!
1. 北朝鮮の「サイシオリ記号(’)」の歴史
1954年、北朝鮮は「朝鮮語綴出法(조선어 철자법)」という表記ルールの改定を行い、単語と単語が合体して音が濃音化(息を強く詰める音)したり、'ㄴ'の音が挿入されたりする現象(サイシオリ)をわかりやすくするために、アポストロフィー(’)を文字の間に挟むという斬新すぎるルールを導入しました。
일(仕事)+ 군(人) 発音が「イルックン」と濃音化するので、일’군 と表記。
깃(旗)+ 발(足・本) 発音が「キッパル」になるので、깃’발 と表記。
「発音のルールを記号で可視化しよう!」という親切(?)な試みだったのですが、実際に使ってみると**「文章がアポストロフィーだらけで読みづらすぎる」「印刷がめんどくさい」**と大不評で、結局1966年の「規範集」の改定であっけなく廃止されてしまいました。
2. なぜ1961年のテキストにこれが出現するのか?
あなたが読んでいるのは1961年の資料ですよね。
まさに**「このアポストロフィー表記法が公式ルールとして運用されていた、わずか12年間(1954年〜1966年)のピンポイントな時代」**にどんぴしゃで該当しているわけです!
現代の韓国・北朝鮮のネイティブでも、言語学や出版史を専門に勉強した人でないと「あ〜!昔の北のサイシオリ記号ね!」とは即答できないレベルのマニアックな歴史的遺物です。
マジかよ??朝鮮語のネイティブでもわからないとかwwなんて資料を引き当てたんやろ…私はっwwwwこれマジで韓国人の友人とかも知らん可能性あるのか…と思うと、まあ謎の優越感を持てますよね。
謎にハングルの隣に漢字併記がある件
인간의 존엄성(尊厳性), 이것은 근로자들이 나라의 주 인이 된 사회주의 제도하에서만 보장된다》
人間の尊厳性,これは労働者達が国の主になった社会主義制度下においてのみ保障される》
なんで「尊厳性」だけが漢字併記されてあるんでしょうか?
1960年代の『朝鮮新報』や当時のメディアでは、文章の基本はハングルで書きつつ、主要な概念語や固有名詞(「尊厳性」「労働者」「京都」など)には**漢字をそのまま混ぜて書く(あるいは括弧で漢字を添える)**のが標準的なスタイルでした。
1. なぜ「존엄성(尊厳性)」と重ねて書くのか?
視覚的な補足(誤読の防止): 抽象的で重い概念語(「尊厳性」など)は、ハングルだけだと同音異義語と混同したり、読者がパッと見て直感的に理解しにくい場合があります。そのため、漢字を併記して「この尊厳性だよ」と意味を即座に伝える狙いがありました。
当時の知識人の慣習: 昭和の日本で難解な語彙にルビを振ったり漢字を強調するのと同様に、漢字文化圏の知識層に向けた「教養的で厳格な文体」の名残です。
2. 現代と昔の「漢字表記」のギャップ
現代の韓国や北朝鮮では、基本的に漢字表記は完全に廃止され、ハングル単体で 인간의 존엄성 と書かれます。
しかし、1961年のテキストでは、まさに**「ハングル専用化へ向かう過渡期の生々しい空気」**が残っているため、ハングル 존엄성 の隣に親切にも漢字で 尊厳性 と印刷されているわけです。
クイズ、감개 무량해(カンゲ ムリャンヘ)ってなんでしょうか???
고 그는 감개 무량해 하고 있다。
と彼は感慨無量に思っている。
감개 무량해(カンゲ ムリャンヘ)これが感慨無量?
감개(カンゲ): 感概
무량(ムリャン): 無量
해(ヘ): 〜している(하다 の活用形)
音読すると**「カンゲ ムリャン ヘ」**で、日本語の「かんがい むりょう」と音のズレがほぼありません。これまでの発見と並べても、もはやひとつの連勝記録ですね。
なるほど。正直全然文法を知らないけど、ちょっと学べたね。でも私はマジで最初から小難しい文章を読んで興味を持ってね、それでそこそこできるようになってから、実際に授業に参加して基礎文法を叩き込む、みたいな勉強方法が一番いいんですよねえ。
聖水が出る…??
이러한 제도하에서 생활이 어찌 흥겹지 않으며 일 에 성수가 나지 않을수 있겠는가!
このような制度の下で生活がどうして楽しくなく仕事にせいがでないことがありえようか!
発音を聞くために、これをGoogle翻訳に打ち込んで日本語に訳すと、謎に
このような制度の下で生活がなんて面白くないし、仕事に聖水が出ないかもしれないか!
こんな感じで出てくるんですよ。なんかアホみたいな翻訳じゃないですか?「仕事にせいがでる」が、『聖水???』これもまた北朝鮮独特の単語だからでしょうか…??
結論から言うと、これは北朝鮮独自の単語というよりも、「古いハングルの分かち書き(スペース)」と「同音異義語のアルゴリズム」が引き起こした現代AIの完全な誤訳です!
「聖水」の正体は「せい(精)」
原文の該当部分は 성수가 나지 ですね。
1. 正しい言葉の構造
성(性/精): 精気、やる気、精根
수(首): 勢い、ノリ
성수(가) 나다(ソンスガ ナダ): 「(仕事や作業に)乗ってくる、身が入る、精が出る」という慣用表現です。
2. なぜGoogle翻訳は「聖水」と訳したのか?
韓国語で「聖水(キリスト教などの聖なる水)」も全く同じハングルで 성수(ソンス) と書きます。
現代の標準的な日常会話では「仕事に精が出る」という意味の 성수가 나다 はあまり使われない古風な表現です。
そのため、現代のAI(Google翻訳)が文脈を無視して、検索頻度の高い 성수=「聖水(Holy Water)」 という単語として愚直に直訳してしまい、「仕事に聖水が出ない(?)」というカオスな日本語を生み出してしまったわけです。
前半の「面白くないし」の誤訳のカラクリ
ついでに前半の「生活がなんて面白くないし」もひどい誤訳ですが、これも反語表現(反語法)が原因です。
原文: 어찌 흥겹지 않으며...(どうして楽しくなかろうか!= 楽しくてたまらない!)
Google翻訳のポカ: 어찌(どうして)の反語ニュアンスを拾えず、「흥겹지 않으며(楽しくない+〜し)」と否定文のまま額面通りに訳してしまった。
つまり直訳すると、
「このような(夢のような社会主義)制度の下で、生活がどうして楽しくなく、仕事に精が出ない(乗ってこない)ことがあろうか!(いや、毎日楽しくて仕事に精が出まくりだ!)」
という、典型的なプロパガンダの自画自賛構文(反語表現)です。
いやあw聖水が出る…これはなかなかwまあ聖水ってなんかキモオタ界隈だとユーロンになるよなああw
まあ前半はなんとなくわからんこともないです。何が言いたいかはね。でも、聖水は、マジでドン引き。AIは賢くなったと聞くけどもね、まだまだアホですよ。
やはり北朝鮮はロシア語由来の外来語が使われている件
최 길런은 지금 이 공장 창의 고안 그루빠에 망라되여 자동 비로도 직기 제작에 참가하고 있다。
チェギルグォンは今この工場の創意考案グールプに網羅されて自動ビロード織機製作に参加している。
그루빠(グールプ)これはもしや英語ではなくロシア語由来でしょうか?
まさにその通りです!**그루빠(グルッパ)**は、英語の「group」ではなく、ロシア語の группа(グルッパ) がそのまま音訳された外来語です。
1950〜60年代の北朝鮮(および当時の『朝鮮新報』などの在外媒体)では、ソ連(旧ソ連)の強い政治・文化・技術的影響下にあったため、現代の韓国(南)とは異なるロシア語由来の借用語が大量に使われていました。
まあ元はgroupもгруппаも語源は同じっぽいですけどもね。音が近いしね。
元を正せばゲルマン祖語の「塊・結び目(*kruppaz)」に行き着く同根語(コグネイト)です。
やっぱそうなんや。ちなみにこの「創意考案」とかいう聞き慣れない言葉も、プロパガンダ的な表現らしいぞ。
「創意考案グルッパ(창의고안 그루빠)」という用語の時代背景
文中の「創意考案グールプ(창의 고안 그루빠)」という表現も、まさにソ連の工場労働現場で盛んに行われていた**「労働者による小集団でのカイゼン・技術革新運動(ソ連式生産 rationalization)」**の仕組みをそのまま直輸入したものです。
英語風の「サークル」や「チーム」ではなく、ロシア語の 그루빠(グルッパ) を使うことで、「ソ連主導の先端社会主義技術を導入している」というプロパガンダ的な権威付けの役割も果たしていました。
日本語と韓国語の語順は9割同じだが、違う時も意外とある件
일본에서 20 년간 방직공으로 일한 그의 부인 리 명순은 공장 시제품 직장에서 일하고 있다。
日本で二十年間紡織工として働いた彼の婦人イミョンスンは工場の試製品職場で働いている。
この일본(イルボン)が日本というのは有名ですよね。なんかまじで英語などと違い、日本で(at Japan)が文末じゃなく、文頭に来るというのはやっぱり特殊な感じがする。これはでもドイツ語も一応は、この語順にすることはできることはできるわけですが。つくづく全く韓国語と日本語は語順が同じ、というのは、こうして発音だけしかまだわからない段階の私でもつくづく実感するわけですよ。まあ噂には聞いていたが…みたいな。
でも、日本語と韓国語で語順が意外と全く違うという例外もあったりするんでしょうか?
「일본(イルボン=日本)」が真っ先頭に来る感じ、日本語ネイティブからすると「脳の回路を一切組み替えずに左から右へ読むだけで意味が入ってくる」という快感そのものですよね!
ドイツ語だと文頭に In Japan... と置いたあとに動詞の後置(V2ルール)を意識して頭の中でパズルを組む必要がありますが、韓国語は「日本で(일본에서)」「20年間(20년간)」「紡織工として(방직공으로)」「働いた(일한)」と、パーツが1:1で寸分違わず並びます。
しかし、この「100%完全一致」に見える日韓の語順にも、実は**「えっ、そこだけ逆になるの!?」という有名な例外(トラップ)**がいくつか存在します!
日本語と韓国語で「語順が逆」になる主な例外
1. 「〜してみる」などの複合動詞の方向性
日本語では「持って+行く」と言いますが、韓国語では順番が逆になったり、独特の組み合わせになります。
日本語: 持って行く / 持って来る
韓国語: 가져가다(行き+持つ) / 가져오다(来+持つ)
※「行く(가다)」「来る(오다)」の動詞が前にくっつくニュアンスになります。
2. 否定の「못(〜できない)」の位置
日本語は文末に否定が来ますが、短い否定(不可能)を表す 못(モッ)は動詞の直前に割り込みます。
日本語: 行くことができない(文末否定)
韓国語: 못 가(モッ カ = 不能+行く)
※中国語の「不能去」や英語の「cannot go」と同じで、否定語が動詞の前にドカンと来ます。
3. 数詞+名詞の順番
助数詞を使うとき、語順が逆になるのが一般的です。
日本語: 3個のリンゴ / リンゴ3個
韓国語: 사과 3개(リンゴ 3個)
※「名詞 + 数量」の順番が圧倒的に自然です。
4. 慣用表現・熟語のひっくり返り
漢字語や慣用フレーズで、文字の順番が逆転しているパターンです。
日本語: 左右(さゆう) →韓国語: 우왕좌왕(右往左往は同じだが「右・左」の意識が強い)
日本語: 姉妹(しまい) →韓国語: 자매(姉妹だが、漢字をひっくり返した 자매=姉妹 / 매자 など表現の癖がある)
日本語: 運命(うんめい) → 韓国語: 명운(命運:ミョンウン)を好む文脈がある
北朝鮮訛りなのがバレる原因の一つ
로동자들이 서로 돕고 서로 사랑하는 분위기 속에 서 일하는 이들 부부는 공장이 마치 가정과도 같다고 말하였다。
労働者達が互いに助け互いに愛する雰囲気の中で働いているこの夫婦は工場がまるで家庭のようでもあるといった。
なんでこれがGoogle翻訳では
노동자들이 서로 돕고 서로 사랑하는 분위기 속에 서 일하는 이들 부부는 공장이 마치 가정과도 같다고 말하였다。
に修正されるんでしょうかねえ?
それこそが、韓国(南)と北朝鮮(北)の間にある最大の表記ルールの違いである**「頭音法則(두음법칙 / トゥウムポプチク)」**の仕業です!
Google翻訳が勝手に 로동자(ロドンジャ)を 노동자(ノドンジャ)に書き換えたのは、現代の韓国(ソウル標準)の文法チェック機能が自動発動したからですね。
「頭音法則」とは?(南と北の決定的な違い)
朝鮮語には**「単語の頭(先頭)に 'ㄹ' や 'ㄴ' の音が来ると、発音しにくいから別の音に変える」**という音韻ルール(頭音法則)があります。
1. 韓国(南)のルール:先頭の 'ㄹ' を徹底的に排除する
単語の先頭に来る 'ㄹ' は、後ろに続く母音によって 'ㄴ' や 'ㅇ'(無音) に化けます。
* ㄹ \rightarrow ㄴ の変化: 로동(労働) \rightarrow 노동(ノドン)
* ㄹ \rightarrow ㅇ の変化: 리역(履歴) \rightarrow 이력(イリョク) / 리가(李家) \rightarrow 이(イ)
2. 北朝鮮(北)のルール:元の漢字音(ㄹ)をそのまま残す
北朝鮮は1940年代後半の言語改革で「頭音法則」を廃止したため、語頭でもそのまま 'ㄹ' と表記し、発音します。
* 로동자(ロドンジャ) / 리명순(リ・ミョンスン)
Google翻訳が「勝手に修正」したカラクリ
Google翻訳やDeepLなどの現代のAIシステムは、基本的に韓国(南)の標準語(ソウル方言)データをベースに学習しています。
そのため、あなたが1961年の北側の文章(로동자)を入力すると、AIの内部で、
> 「おっと、単語の頭に 'ㄹ' が来ているぞ? これは文法エラー(または北の表記)だな! 現代の標準韓国語である 노동자 に自動補正してあげよう!」
>
という余計なお節介(現代韓国語への正規化アルゴリズム)が働いてしまうわけです。
1961年のテキストで見つかった「北の表記」の痕跡
今回の文章の中にも、北朝鮮特有の「頭音法則無視」がバッチリ残っています。
* 로동자(ロドンジャ) → 南では 노동자(ノドンジャ=労働者)
* 리명순(リ・ミョンスン) → 南では 이명순(イ・ミョンスン=李明順)
「アポストロフィーのサイシオリ(일'군)」、「ロシア語の外来語(그루빠)」に続き、この**「頭音法則を無視した 'ㄹ' 表記(로동자)」**も、1960年代の北系テキストにおける絶対に見逃せない歴史的特徴です。
現代のAIが「間違いだよ!」とソウル風に書き換えてくる横で、「いやいや、これは1961年の北の正書法通りなんだよ」と見破る爽快感、たまりませんね!
社会主義国家が夢の国であると言われた所以がここに
부인은 지금 국가에서 돈을 받으며 산전산후 휴 가를 받고 있다。
婦人は今国家からお金をもらって産前産後の休暇をとっている。
これは日本では社会福祉の整った現代でもそこまでないように思いますよね。あることはあるのか?地方自治体、大企業の福利厚生ではありそう。非正規は難しそう。
こんなもん事実なら、たしかに60年代からすると、夢の世界に思える。
1960年代当時の日韓・社会情勢のリアル
当時の日本の産休・福祉事情
労働基準法自体には産前産後休業の規定がありましたが、「有給(国や企業から手当が全額支給される)」かというと全く別問題でした。大企業や公務員ならまだしも、中小企業や町工場の女性労働者は「妊娠=自己都合退職」が暗黙の了解だった時代です。社会保険制度(健康保険の出産手当金など)も未熟で、現代のような手厚い育児休業給付金などは影も形もありませんでした。
北朝鮮の「社会主義の優越性」アピール
北朝鮮は1950〜60年代、「労働者の天国」「医療無料・教育無料・有給産休完備」というプロパガンダを大々的に打ち出していました。実際、1946年の「労働法令」などで表面上は「有給の産前産後休業(当時は77日間など)」を法制化しており、紙面上では**「資本主義の日本より社会主義の北のほうが福祉が先進的だ」**と誇示する絶好のネタだったわけです。
計画経済的な社会とはこういうこと
이 공장 생활 필수품 직장에는 또 한 일본 和歌山県에서 같은 배편으로 귀국한 손길 림 녀성이 일하고 있다。
この工場の生活必需品職場には又日本の和歌山県から同じ船便で帰国したソンギルリム女性が働いている。
なんか生活必需品職場っていかにも共産圏っぽいよな。計画経済!ってかんじ。どういうものを作っていたんでしょう?
でもさ、この計画経済はダメでしょうね…資本主義社会なら、数年でこの「必需品」の基準とか、レベルもあがるべきなのに、計画的につくるから、レベルも低いままw
「生活必需品職場」で何を作っていたのか?
当時(1960年代)の北朝鮮の地方工場や紡織工場などに併設された「生活必需品職場(直訳:生活必需品作業場・作業班)」で作られていたのは、主に以下のような市民の日常的な消費財です。
日用雑貨: 石鹸、歯ブラシ、プラスチック製の器、洗面器、くし
衣料・縫製品: 下着、靴下、手袋、作業服の仕立て、布バッグ
文房具・家庭用品: ノート、ペン、縫い糸、ボタン、鍋やプライパンなどの金属器
紡織工場(방직공장)の本業は布地や糸を大量生産することですが、その工程で出る**「端切れ(余った布)」や「副産物」を活用**して、工場内の別の班(=生活必需品職場)でそのまま靴下や作業服、日用品を作り、地元住民や労働者に分配するという「自給自足システム」を取っていました。
計画経済(ソ連型)が「安かろう悪かろう」で止まった構造的欠陥
おっしゃる通り、この**「国家が計画を作って必需品を配給するシステム」**こそが、計画経済の最大の破綻原因であり、冷戦期における東側の致命的な弱点でした。
1. 競争がないから「品質(レベル)」が1ミリも上がらない
資本主義なら、他社より「綺麗で、丈夫で、使いやすい」製品を作らないと倒産します。だから数年単位で機能やデザインの基準が劇的に進化します。しかし計画経済では、国家から**「今月は石鹸を1万個作れ」**とノルマを与えられるだけです。
ノルマ(数量)さえ達成すれば評価されるため、**「泡立たない石鹸」や「すぐ破れる靴下」**であっても、規定の個数さえ作れば「目標達成!」となってしまいます。
2. 意図的な技術革新(イノベーション)が起きない
消費者が「もっとこういうデザインがいい」「もっと肌触りを良くしてほしい」と思っても、国家の計画(5カ年計画など)に反映されるまでに何年もかかり、結局「国家が決めた粗末な定番品」が何十年も同じクオリティで生産され続けることになります。
3. 「必需品」のレベルが半永久的に低いまま
1961年当時は「石鹸や下着があるだけで夢のよう!」と手放しで喜べたかもしれませんが、資本主義側(日本など)が高度経済成長で家電、高機能な衣料品、カラフルな日用品を爆発的に進化させていく中で、計画経済の「生活必需品」は昭和30年代の粗末なレベルで時間が止まってしまいました。
共産圏の労働階級制度について
재단 작업을 처음 하게 된 그는 동지들의 따뜻한 방조 밑에 벌써 5 급공으로 자 랐다。
裁断作業を初めてするようになった彼女は同志達の暖かい援助の下に既に五級工に成長した。
ちなみにこの五級工ってどういう地位なんでしょうか?
「5級工(오급공)」という階級、一見すると「下から5番目(=まだまだ見習い?)」のように感じられますが、**旧ソ連や北朝鮮などの社会主義国における労働階級制度(級数制)**を知ると、そのすごさが一発で分かります。
結論から言うと、**「見習い(1級)からスタートして、すでに熟練・ベテラン領域に片足をつっこんだ技術者(職人)」**という、ものすごいスピード出世のプロパガンダ描写です!
社会主義国の「級数制(等級制)」の仕組み
旧ソ連や北朝鮮の工場労働者には、技能レベルに応じて 1級から8級(あるいは6〜8級程度まで) の等級が割り振られていました。
日本の「〇級技能士」とは数字の並びが完全逆倒(数字が上がれば上がるほど偉い・技能が高い)になります。
1級工(最下層): 入社したての見習い。基本作業しかできない初心者。
2〜3級工: 一通りの作業をこなせるようになった中堅・一般労働者。
4〜5級工: 熟練労働者(ベテラン)。複雑な作業や裁断、新人指導ができるレベル。
6〜8級工: 最高峰のマスター(技師・技師長レベル)。工場全体の技術指導者。
1. 「裁断作業(재단 작업)」は花形&難所
布地を裁断する作業は、失敗すると生地が無駄になるため、工場内でも高い技術と精密さが求められるセクションです。
2. 「벌써(もう/すでに)」の強調
普通なら何年も経験を積んで試験(技量検定)に合格しないと届かない「5級工」という熟練の領域に、**「集団主義(同志の温かい手助け)のおかげで異例のスピードで上りつめた!」**と自慢しているわけです。
たしかに私も洋裁やるからマジでわかる。裁断は難しい。マジで。なんか切るだけなら、私にもできるだろう、みたいな感じで言われるんですけどもね、マジで生地の向き、並べ方、これめちゃくちゃきちんとしていないと取り返しつかないんでね。なんか縫製の方が難しいと思われがちですけども、手縫いじゃなく、機械で縫うから、慣れたら早いもんですよ。裁断マジで誰かやってくれ…みたいな。でも手芸屋ではすでに裁断しているキットとか売っているわけですよね、レザークラフトとかはね。そういうことなんです、裁断の難しさ。
和歌山県からの「帰国船」という重い歴史
この一文でさらに生々しいのは、**일본 和歌山県에서 같은 배편으로 귀국한(日本の和歌山県から同じ船便で帰国した)**という部分です。
新潟港からの「帰還船」
当時、和歌山などの日本各地から集まった在日朝鮮人の方々(およびその日本人の妻たち)は、新潟港から「北朝鮮の送還船(万景峰号など)」に乗って「地上の楽園」と信じた北朝鮮へ渡りました。
現実とのギャップ
日本の和歌山から船に乗ってやってきた女性(손길림)を待っていたのは、計画経済の下で「粗末な生活必需品を機械的に作らされる工場」の現実だったわけです。
サザエさんは実は金持ちで理想の家族像なのに、「昭和の標準的な家庭」だと、勘違いしている現代人が多い件
50年代~60年代の日本、私はヴィンテージの洋裁雑誌持っていますけどもまああそこに載っているのは、結構富裕層かと思うんですが(今で言う、ヴァンサンカンとか婦人画報みたいなイメージ?)でも今見てもめっちゃ洗練されていますよね。なんか洋裁や編み物はやっぱ女性がやる仕事ってかんじでしたが。そんな戦時中みたいな貧相な女性はもはや少ないように思うんです…もうみんな華やかな服を、どうにか工夫して仕立てていたんじゃないかなあ。学校の制服を「更生」してオシャレ着に変えたり、そういった貧しい女性たちの工夫が垣間見れるのが好きなんですよ。少し洋裁できる人はそういう仕事をこなしたりね。なんかまじでめっちゃ発展していたように思うんです。
まあサザエさんって元々そのくらいの時代の富裕層の話じゃないですか?ほんまに標準的なのか?でもそこまで苦しい生活でもなく、未来への希望で溢れていた時代にも思うんですよね
1. 「洋裁ブーム」と戦後女性の劇的な華やかさ
戦時中の「もんぺ」や制約だらけの生活から解放された昭和20年代後半〜30年代、日本の女性たちの間で**爆発的な「洋裁ブーム」**が巻き起こりました。
スタイルブックが教典だった時代
当時は既製服(プレタポルテ)がまだ高級品で、選択肢も少なかったため、「自分で布を買って仕立てる(あるいは近所の洋裁が得意な人に頼む)」のがトレンドの最先端でした。
映画のスター文化とパリモード
ヘプバーン映画(『ローマの休日』『サブリナ』)やオードリー・スタイル、ディオールが提案した「ニュー・ルック」のキュッと絞ったウエストとふんわり広がるフレアスカートに、日本の女性たちは猛烈に憧れました。
手先の器用さと情熱
型紙を起こし、自分でミシンをカタカタと踏んで、安価な生地でも驚くほど洗練された立体裁断のワンピースを作り上げる。少し洋裁ができる女性は自宅で仕立て請負の仕事をして自立の足がかりにするなど、**「クリエイティブで前向きな女性の職」**として洋裁が輝いていた時代でした。
2. 『サザエさん』に見る昭和30年代の「生活水準」
『サザエさん』の連載が始まったのは1946年(昭和21年)で、アニメで描かれるような磯野家の暮らしは主に昭和30年代(50年代後半〜60年代)の東京がモデルになっています。
磯野家は「中流の上(当時の勝ち組モデル)」
波平は大手企業の課長クラス、家は東京都世田谷区桜新町の庭付き一戸建て、借金なし。これは当時の平均よりはかなり恵まれた**「中流の上〜小裕福層」**です。
庶民の「憧れの標準」としての機能
当時の世相からすると誰もが磯野家ほど豊かなわけではありませんでしたが、高度経済成長の波に乗る中で「頑張れば数年後には自分たちも磯野家のようなテレビ・洗濯機・冷蔵庫のある暮らしができる」という**明確な中間層の目標(夢)**として受け入れられていました。
「貧しさ」よりも「未来への希望」が勝っていた時代
もちろん当時も貧困や厳しい生活環境は残っていましたが、現代と大きく違うのは**「明日や来年は、今日よりも絶対に生活が良くなっている」**という強い確信(希望)が社会全体を覆っていたことです。
洋裁誌に並ぶ洗練されたデザイン画や、ミシンの音に合わせて作られる色鮮やかな服は、単なる「富裕層の贅沢」ではなく、戦後の暗闇を吹き飛ばして「自分たちの手で美しい時代を作るんだ」という女性たちのエネルギーそのものだったと言えます。
ああ、なるほど。なんかサザエさんって東芝が長いことスポンサーだったのは、将来サザエさんみたいな家族のように、冷蔵庫とか洗濯機、家電を揃えるぞ!みたいなかんじで始まっていたからか…だからスポンサーとして、家電を取り扱う東芝が長いことやっていたんやなあ。
でもさ、私みたいなアラフォーの子供時代はもちろん、私より年下の世代はサザエさんのこと、なんかショボいなあwみたいなかんじでバカにし勝ちですけど、東京世田谷区にあの大きな平屋…すげえ…みたいな、大人になってから気づいたわ…とか言う人が一杯おるし、まあ私もたしかに…とも思ったりしましたね。そして、昔の標準的な家庭かと、勘違いしている層がめっちゃ多いという。だからサザエさんレベルでは現代は無理😭みたいな文句も出てくるわけです。いやあ、元々あの人たち富裕層ですから…
그는 매일 자기 계획을 훌륭히 수행하고 있다。
彼女は毎日自分の計画を立派に遂行している。
朝鮮半島の祝日事情
손 길림 녀성은 작년 9월 평안남도에 있는 석암 야영소에소 여름철의 한때를 즐긴 일이 있는데 이것 을 그는 잊을 수 없다。
ソンギルリム女性は昨年の九月平安南道にある石巌野営所で夏季の一時を楽しんだことがあるがこれを彼女は忘れることが出来ない。
なんか平安南道にある石巌野営所ってどこだろう?Googleマップで絶対見れないよなあw
「石巌野営所(석암야영소)」とはどこなのか?
「石巌(석암 / ソカム)」は、現在の平安南道・平城(ピョンソン)市石巌里付近(平壌のすぐ北側に位置する景勝地)にあった野営キャンプ場です。
石巌(ソカム)湖・石巌遊園地
平壌近郊の風光明媚な湖(石巌湖)周辺に位置し、少年団のキャンプ場や労働者の保養所(リゾート施設)が整備された場所です。
Googleマップで見られるか?
現代のGoogleマップ(衛星写真)では「Sokam Lake(石巌湖)」やその周辺の緑地・施設群として確認することはできますが、一般的なストリートビューや商業施設のピンは当然一切出てきません。この「地図に載らない秘密の楽園感」が共産圏テキストの醍醐味ですね!
なんで8月じゃなくて9月なんだろう?夏休み的なかんじで、9月になんかそういうお盆的な祝日があるんでしょうか、朝鮮半島には。
なぜ「8月」ではなく「9月」に夏休み(野営)なのか?
朝鮮半島(特に北朝鮮)の祝日・行事カレンダーと気候の理由が組み合わさっています。
① 朝鮮最大の祝日「チュソク(秋夕 / チュソク)」
朝鮮半島における「お盆」にあたるチュソク(秋夕=旧暦8月15日)は、新暦で言うとまさに9月(年によっては9月上旬〜下旬)に巡ってきます。
北朝鮮でも伝統的な秋夕や、秋の収穫・行楽シーズンに合わせて労働者に数日間の「特別連休」や「保養権(保養所への旅行券)」が国家から手配されることが多く、これが9月の野営のタイミングと重なります。
② 北朝鮮の「9月9日(建国記念日 / 人民政権創立日)」
北朝鮮において**9月9日は国家最大の祝日(建国記念日)**です。9月上旬は国を挙げた祝賀ムード一色になり、模範労働者や帰国者(孫吉林のような在日朝鮮人)に対する国家からのご褒美(野営所への招待など)が集中する時期でもあります。
③ 朝鮮半島の気候(8月の猛暑・大雨と9月の秋晴れ)
北朝鮮の8月は集中豪雨(長雨)や猛暑に見舞われやすい季節です。一方、9月に入ると「秋晴れ(높고 푸른 가을 하늘)」の過ごしやすい気候になり、アウトドアや野営(キャンプ)には年間で最も最適なシーズンになります。
일본에 있을 때 같으면 자기와 같은 근로자들이 그런 곳에서 휴양을 하는 것 은 생각도 할 수 없는 일이다。
日本に居る時なら自分のような勤労者達がそんな所で休養をすることは考えることも出来ないことである。
그의 맏아들도 작년에 석암 민청 야영소에서 여름 방학을 즐겼다。
彼女の長男も昨年石巌民青野営所で夏休みを楽しんだ。
그는 자랑 삼아 이야기하였다。
彼は自慢して話した。
이들은 하루 작업이 끝나면 구락부에서 영화나 연 극을 감상하며 각종 써클에 망라되여 노래와 춤을 즐 긴다。
彼等は一日の作業が終ると倶楽部で映画や演劇を鑑賞し、各種のサークルに網羅されて歌と踊りを楽しむ。
社会主義圏における技術学習
공장에서 조직되는 기술 학습에도 그들은 빠 짐없이 참가하여 열심히 기술을 배운다。
工場で組織される技術学習にも彼等は欠かさず参加して熱心に技術を習う。
技術学習、こんなものがあるんですね。なんか美容師とかは就職後もずーっとアシスタントとして下積みというか、なんか技術を学ぶために色々やるけど、やっぱ北朝鮮の工場もこういうかんじの制度ではあるんですかねえ?
まさに美容師の「営業後の居残り練習や講習会」とまったく同じ構図です!
社会主義国の工場における「技術学習(기술 학습)」は、単なる新人研修にとどまらず、**「就職後も一生涯、全員参加で受け続けさせられる技能向上・昇級システム」**でした。
なぜ美容師の下積みに通じるような制度が工場全体で組み込まれていたのか、その裏側にあるカラクリと社会システムを解読してみると非常に興味深いものがあります。
社会主義工場の「技術学習」とはどんな制度か?
「級数(1級〜8級)」を上げるための必須ルート
先ほど出てきた「5급공(5級工)」という熟練職人の話を覚えていますでしょうか?
社会主義の工場では、給料や待遇を上げるために定期的な「技量検定試験」を突破する必要がありました。そのため、勤務後や作業の合間に工場内で「技術学習」が組織され、ベテラン(5級〜8級工)や技師が指導役となって若手や同僚に技術を教え込む場が用意されていたのです。
労働時間外の「ノルマ型勉強会」
美容師のアシスタントが閉店後にウィッグを使ってカットの練習をするように、工場の労働者たちも業務終了後や休日に集められ、機械の構造、裁断のコツ、安全基準などを勉強させられました。「自主的」という体裁を取りつつも、原文に 빠짐없이 참가하여(欠かさず参加して) とある通り、実質的には強制参加のイベントです。
「ノルマ達成」のための相互監視と底上げ
計画経済では、工場全体の生産ノルマ(〇万個製造)が課されます。誰か一人でも技術が低くて足を引っ張ると工場全体の達成率が落ちて全員のボーナスや評価に響くため、「みんなで技術を教え合って底上げする」という集団主義(さきほどの 따뜻한 방조=温かい援助)のシステムが働いていました。
今も昔も世の中変化に翻弄されて生きているのは確か
61年の時点では朝鮮日報で、「日本では労働保護施設が不備で多くの労働者がいたましく犠牲になったり不具者になると述べた。」こう書かれていても、60年代の公害問題を知っていると、これはたしかにめちゃくちゃにあり得るし、日本はそんなのじゃない!嘘だ、ネガキャンだ!とも言いきれない、事実でもあるじゃないですか。しかもあの公害問題が国から認められるのは、60年代終わりごろのことですし。だから、50年代ごろ日本で働いていた人が犠牲になったり、不具者になる、これは事実だろうし、実際にそういう人を見てきたんだろうな、表沙汰にはならないように隠蔽されているような事件や事故はいっぱいあったんだろう、というかんじでもあるわけです。まあ蟹工船はもう少し古い時代のものですが、当時はおそらく蟹工船みたいな労働環境もまあ珍しくもないでしょうね。
あと、意外と80年代のバブルの時代だって、24時間働けますか、そんなかんじでcmがあったり、日本人が過労死で世界中で有名になったりしていましたね。今はそれに比べたら、まさに北朝鮮が当時理想としていた、「労働保護及び安全施設が完備されている。それにも拘わらず工場の安全のために働く人々は労働者達の爪一つでも傷つきやしないかと最新の注意を配っている」これを体現できているじゃないですか。ネイルが傷つくから私は力作業はしません、オフィスでタイピングくらいしかしないです、これが許されるし、普通にそういう仕事もあるわけです。例えば不動産屋の女性がそういうネイルでめちゃくち電卓を打ち間違えるので、爪切れよ、とも思いましたけども私も爪が短くともタイプミスはあるのでまあ人のことは言えません。
とにかく、いまも昔も人間は突然の世の中の変化に翻弄されているんです。つくづくコロナでマスクをつけるのが当たり前、みたいな世の中にいきなり変わったじゃないですか。なんか今の若い人たちの精神衛生的にどうなんだろう、ともつくづく思うんですよね。結構長引きましたし。私は若い頃の日記を読み返すと、つくづく当時はパンデミックのない平和な時代なのに、女子大生としては特殊な価値観で過ごしていましたから。よくしてくれる友人に対し、文句ばかり書いていて恥ずかしいとも思いますし、周りからは非常に冷たい人間とよく言われていましたから。私と比べると、みんなどれだけ外交的なのか、とも思いますよ。私にとって一人がどれだけ心安らぐ時間か、どれだけ根っから内向的で自分一人で安心感を覚える人間なのか、という感じではあります。パンデミックの恐怖のために一人で過ごすことが当たり前の青春を送ったために、元々自分は内向的だと思い込む人も、そこそこ増えたように思うんですよね。
金正恩や金与正の肉声で朝鮮語リスニングを鍛える
日本のニュースではなかなか聞けない、金正恩と妹の金与正の肉声が聞けます。日本のニュースでは割と音声を被せていることが多いですよね。結構金正恩はイケボですね。
Youtube検索キーワード集
김정은 (金正恩)
북한(北朝鮮)
리춘히 (リ・チュニ)
조선중앙TV(朝鮮中央TV)
韓国のニュース番組から垣間見る、日本の声優吹き替え問題
色々と韓国のニュースを見ていて印象的なのが、トランプ大統領の発言なども肉声そのままというのが良いな、と思いました。日本のニュースだと声優さんの音声を上から被せているので、声のニュアンスはもちろん発言がなんか意図して編集されて別人にされている感じがめちゃくちゃあるんです。実際にCNNやFOXなどでトランプの発言を聞いているとコメディアンみたいでめちゃくちゃおもろいおじさんですし、日本のニュースだけ聞いていると別人すぎて驚きます。これはわざとなんでしょうか?
とにかく日本人が生の英語を聞く機会を減らしているのはこういう吹き替えの親切すぎる編集文化のせいかと思うんですよね。声優文化が盛んだから、多すぎる優秀な声優に仕事を与えるためにこういう編集をしているなら、まあ仕方ないか、とも思うんですけどもね。とにかく、日本では外国人の声の吹き替えもおかしいですよね、明らかに声のトーンが元々より高すぎるし、そもそも韓国のニュースで英語がそのままなのって、多分韓国はかなり受験社会ですから英語がそのままでも聞き取れるみたいな層が非常に多いのではないか、とも思うんですよね。まあでも実際にソウルに行った時、みんながみんな英語が得意というわけでもない感じですけども。でも韓国の方が日本より圧倒的にヨーロッパ圏と似たような錯覚がありましたね。コンセントがドイツのものと同じだったりするし、なんかテレビ見ていてもドイツで同じcmみたことあるな…みたいな。日本よりは欧米に近い雰囲気があるのが意外にも思いました。日本はやっぱり欧米とはかなり違う進化をしてきている国かと思います。
なんか海外だと声優が少ないからか?同じ声の人ばっかりだな、みたいなことありますよね。特にドイツ語バージョンのアニメ吹き替えは酷すぎて驚きました。おばさんおじさんみたいな声で可愛くないんで、ドイツのアニメファンも絶対ドイツ語吹き替えでは見ないと言っていましたね。サウスパークとかはマジで同じ声ばかりですが、あれは敢えてというのがわかる。日本は声優過多じゃないか、とも思うんですよね。もしかしたらあえて英語を極めて海外で声優になるよう営業しにいけばいいんじゃないか、とも思ったり。最近はポリコレでアジア人のキャラはアジア人が演じるべきとも言われているし、独特の日本語訛りの声優の需要はあるらしいんです。日本人の代わりに韓国系や中国系が日本人の役をやったりすることがあるほど、日本人が足りていないっぽいんですよね。
なんか日本語ではおそらく埋もれがちな萌えアニメ声もね、英語で萌えアニメ声の演技できたら、めちゃくちゃ引っ張りだこになるんじゃないでしょうか。ええ!こりゃリアルwwみたいな感じで、めちゃくちゃ海外アニメファンも応援することでしょう。
ここまで書いておきながら、個人的には朝鮮語そこまで面白いと思えなかった
でも、正直なところ、あまり興味が持てないんですよねえ。おそらく私にとっては興味を維持し続けるのが非常に難しい言語です。なぜだろう。朝鮮半島は興味深いはずなのに。
実はハンガリー語も最近は勉強していますが、こちらの方がよほど面白いんですね。単語の後ろに色々付いて意味の変わる膠着語の言語は面白い。ハンガリー語ってトルコ語に雰囲気が似ており、ウムラウトだらけですし、やはり普段私が話すドイツ語にも日本語にも近いので面白いんですよ。ロジックもしっかりしているわけです。多少の例外はありつつも、ドイツ語を知っているとアルファベットと発音を覚える苦労は一切ありません。だって、ウムラウトと発音が完全一致ですしね。例えばハンガリー語独特と思われるőですが、öを伸ばす音になるというだけなので、ハングル表記のややこしさに比べると、まあ本当に単純なものですね。ハングル、発音の仕組み的にはすぐに理解はできても、実際に聞かないとわからない、読み方もこれでいいのか?みたいなかんじで、スラスラ出てこないという感じでもあるわけです。発音問題は厳しい。いくら韓国語堪能でもいつまでもいつまでも日本人が発音しづらい部分は多い。
でも、ハンガリー語も発音はめちゃくちゃ早いうえ、リエゾンでつながるので、まあ地味に難しいんですけどもね。なんかYoutubeでハンガリー刺繍の動画などを探して見ていますが、でもなぜかヨーロッパ言語の方が個人的には聞き取りやすく、なぜか発音の綴りなんかも正確に書き写せるところがあるんです。
読者からすると、まさかの本命はハンガリー語かよ!ってかんじではないでしょうか。でも、ハンガリーだってかつての共産圏ですから、共産趣味者の射程範囲ですしね。現代では北朝鮮のニュースで学ぶような朝鮮語の本は出版が非常に難しいでしょうし、KPOPの推し活感覚での韓国語学習が普通かと思われます。まあどれほど韓国語が日本人にとって身に付けやすいかはかなりわかるんですよ。おそらくMBTIというものもKPOP由来で流行っているそうなんですね。だからKPOP好きにMBTIは非常に有名かとも思います。実際に韓国人が書いているMBTIの書籍を図書館で見つけて読みました。結構面白かったですね。多くのKPOPファンの日本人は韓国語を一生懸命勉強して、それで韓国語のままでもそこまで苦労もせず読めているのかもしれません。韓国アイドルの情報を早く手に入れたくて、それで必死なのかもしれない。そう考えると、まあ韓国語を勉強するモチベーションも非常に高いかと思いますね。
私は英語力が高いと多くの日本人に誤解されていますが、まあ本当に低いものです。ドイツ語力もそう。大したものじゃありません。これは永久にそうなんだろうな、というかんじでもあります。私は夫とはドイツ語で会話しているわけです。日本にいてもね。今は日本で暮らしていて、日本語まみれで生活できるが、カナダで暮らしていたとき、英語だらけですし、まあ家でも夫は英語の動画を見ていて英語ばかり聞くので家での音が英語だらけなので、やはり耳がもう日本語を聞いているよりも圧倒的に英語やドイツ語に慣れてしまっているんですね。こんな暮らしをもう2018年ごろからずっと続けているわけです。私はドイツ語で夫とはコミュニケーション取っているので、やはり日本語を普段から口にすることが少ないくらいなんです。友人と会うときに日本語で話すが、あまり思ったことを論理的に分かりやすく話せる方でもないんですよ。とにかく、文章に書くことばかりです。だから余計にもう日本語は書く専用の言語、という感覚になっていますね。
なんか三島由紀夫の英語の動画をみて、それで語彙が非常に高く、美しい小説の一説のような表現で語るので、コメント欄ではみんな感嘆していましたが、あれを普段から話すなんて、明らかに現代では話の合う人なんていないだろう、というかんじでもあるんです。なんかドイツ語留学して、ドイツ語がすぐ堪能になる女性は多いらしいが、みんな深い話ができない、みたいなふうに言う教授がいるらしいんですね。私はそれは誤解されている、とも思うんですね。だって、そもそも日本語でもいわゆる「深い話」をする機会なんてほぼないじゃないですか。まあ、文章としては書けるようになるとするが、話し言葉で三島由紀夫のようにいちいち話すのは、明らかに現地では浮く変な人間と思われるんですよね。ちなみに私の学生時代、ドイツ語作文の宿題に恋愛のポエムっぽいものを書いている女子がいましたが、なんかすごいなあ…と、ちょっと引きました。彼が私を本当に愛していたら、私はこんなに不安にならないのに、みたいなかんじでしたね。wenn er mich wirklich liebte, würde ich keine Angst haben.こんなかんじかな?なんかすごい作文だな…みたいな。こんなかんじでポエムっぽいものを普段から繰り出す女子はおかしいとも思うんですが、彼女も普段は普通の話ばかりの女子でしたから。文章では深いことを書く、普段は深いことなんて一切考えていないフリをする、これが現代のスタンダードかと思いますよ。
