見出し画像

綺麗でも、汚くてもそれが自分

しーなさんのこちらの記事を読んで、ずっと考えていた。

本当に、しーなさんはみんなのお姉さん的な存在だ。
皆の気持ちをまとめるのがうまい方だと、尊敬している。

そして、皆さんの「汚いジャイアン」の記事を読んだ。

私にとって、人に見せることをためらう部分って、なんだろう。
ためらう部分は創作に昇華して出している、そんな気がしていたが、実は違うのではないのだろうかと思う。

そして、1年前の自分の記事を読んで、少し思い出した。
「嫉妬」を表に出すまい。マイナスなことを書くまい、と必死にあがいて、泣いていた。
そういうところが文章ににじみ出ている。

ちなみに、私はメイクがすごく下手だ。服もあまりこだわりがない。公私ともに着られる服、これが選択の第一基準だ。
眼鏡とおとなしいベージュや茶色のマスクで、取り繕っている。

それを全部取り外して、見せることをためらう部分、を思い切ってここから出してみよう。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈⿻*.·

私は大抵「私を見て!」「なんで私を呼んでくれないの?」「私も仲間に入れて!」「なんでここいにるのに見てくれないの?」「寂しい」「羨ましい」
それらの気持ちに蓋をしてきた、見ないふり。
「羨ましいならそれに見合うような文章書け、甘えんな!」と鼓舞する(追い詰める)自分もいる。そして、それでも「なんで私を見てくれないの?」「私の作品、読んでよ!」となる自分もいる。

そればっかりで人には感想のひとつも返せない、大変独りよがりなのである。そういう部分だぞ、とも言いたい。
変なところで内向的で、それでいて欲しがり。それでいて「ずるい!」「なんであの人ばっかり認められるの?」と内心思っていたりもする。

自分で思う。大変クソめんどくさい人間である、と。

そして、だいたい創作にも『愛されたい』『認められたい』『ここにいるよ』『私の話を聞いて』ってめんどくさいテーマが出てくるのだ。
こんな承認欲求と嫉妬にまみれた自分こそが私の汚いジャイアン。

こんなん表に出せないし、そりゃ、なんで私の作品は推されないんだ?とか創作大賞の期間中ずっと思ってたし。そういう所なのだ。結局、私の人間性なんてそんな感じなのだ。

賞の発表の時期なんて、こんなものではない。病み散らかしている。
気持ちに蓋を押し込んでニコニコしている。
そして水面下では「なぜ私は選ばれない?」「選ばれるようなもの書けよ」と嫉妬している自分とそれを他所から見ている自分が喧嘩するのだ。

それなのに「嫌われるのが怖い」と思って無難な文章に変える。
賞を取れない自分なんて、価値はない。私の書く文なんて価値あるものかって、自分で自分を裁いていた。

でも、承認欲求まみれでも嫉妬まみれでも、それも含めて自分ではないか。
それを否定したりする必要なんて、もうないのではないか。

心が弱ったって、それも含めて自分なのだから。

「こうあるべき」「やる資格ないよ」とか、意外と人はそう思っていないのである。

だから、少しずつ、出していきたい。
取り繕わない部分も、承認欲求や嫉妬丸出しの自分とそれを眺めるもうひとりの自分。
全部、少しずつ出していけたらいいな、と思う。


いいなと思ったら応援しよう!

凪砂いる いただいたチップで少し豪華なコーヒー飲みます!