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闇 693(ウーマンウーマンウーマン編)

闇 693(ウーマンウーマンウーマン編)

2026/09/16 wed
※人間は元々性善説である。但し一度染まると白にはならない。但し心の持ちようや誠心誠意な行動が、白さに近付く事はできる。
前回の章


二千二十四年八月七日、水曜日先負、立秋。

執筆の乗ってきた感覚。
仕事を終えて寝ようとしても、何となくパソコンの前に座ってしまう。
また書く事が、最大の幸せにってなりつつあるのかな?

でも十四章アップして、未だコメントないよ?
しょうがないよ、おまえさんの文章が稚拙で拙いからさ、おぼんこぼん。
何だよ、そのおぼんこぼんて!
ふふ、ただの語呂さ。

ふざけんじゃねえぞ?
文章が拙い?
こう見えて新宿クレッシェンドという処女作で俺は……。
おっとそこだよ、そこ?

「……?」

ほら、証拠を見せよう。


第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ 受賞作発表

2007/08/31 第2回世界で一番泣きたい小説グランプリ 受賞者発表

読者投票総数五千八百九十五票ありがとうございました。
グランプリ大賞 賞金:五十万円 副賞:書籍出版
第2回受賞作は、

岩上 智一郎 氏の「新宿クレッシェンド」

に決定いたしました!

五人の委員からなる最終選考での協議では、当初「新宿クレッシェンド」を推す委員が三名、残り二名は「あの空の向こうに」、「最期の嘘」に意見が分かれていたが、二時間に及ぶ激論の末、「新宿クレッシェンド」に決定いたしました。

この作品につきましては、文章が粗く、未熟であるとの意見があり、「作文の域を出ていない」という辛口のコメントが出たこともございました。

ただ、それでも全員一致で、「全候補作の中でもっとも読ませる作品である」、「ストーリーの面白さは群を抜いており、一気に読ませるストーリーテリングの才がある」との意見がありました。

また本作品を推した委員の意見として、「新宿ものの作品では大沢在昌、馳星周に次ぐ第三の作家になる可能性を秘めている」とありました。



また人の傷をエグるようなものを、持ち出してきやがって……。

文章が粗く、未熟であるとの意見。
作文の域を出ていないとの意見。

いい?
文章の荒さはともかく一気に読ませるのが、俺の持ち味なの。
小説を書く勉強なんて何もせずにいきなり書いた作品なんだから、しょうがねえじゃねえかよ。

だいたいね、新宿ものの作品では大沢在昌、馳星周に次ぐ第三の作家になる可能性?
何これ?
誰が言ったの?

歌舞伎町を舞台にしたファンタジーを書く作家と、俺を一緒にしてんじゃねえよ。
馳星周の不夜城とかさ、鎮魂歌とかは当時小説書く前に読んだよ。

本当に面白かった。
それは認める。
でもさ、俺は歌舞伎町で二十年選手ね?
こんな世界見た事ないよ?
小説の体を気取っているけど、内容がただの漫画じゃん。
だから俺がこの作品で、本当の歌舞伎町の姿を書いたんだよ。
まるでジャンルが違うのに、何でこんな事をしたり顔で書いている訳?
馬鹿じゃないの、これ言った奴は、文学界に関わらないほうがいいよ。
逆に退化させる事になるから。

これ、出版社が言ったんでしょ?
実際にサイマリンガルのホームページに載っているんだから。
頭が悪いというかさ、本当にこの会社は駄目。

印税くれなかったから?
それももちろんあるけれど、初動からしておかしいんだよ。
ふむ、その根拠は?

ある!
ハッキリと断言できる。

まずじゃあ何で俺を選んだのという部分。
ただじゃ本だって作れないし、宣言活動だってできない。

それをさ、受賞者発表ってある意味一番めでたい披露な訳よ?
何でこんな事をネチネチ書いているの?
作文だの何だのってさ、五人の内三人が俺を選んでいるんだから、残りの二人の内どちらか両方だけでしょ?
そんなくだらないコメントをわざわざ載せて、これから本を売り出すのに何をしたかったの?

これ言ったの誰だよ、偉そうに。
知らんがな。
格式ある出版社のお偉い方なんでしょ。
誰も文句を言えないような。

そもそもさ、俺は最終選考通過の時点で、堂々とサイマリンガルの不審な点を挙げているよ。
堂々と当時のブログに書いてね。
言った言わないとか嫌いだから。

まず一次選考通過者での中で同じ作者が二作品あった。
俺は当時出版社へメールを送った。
一人で一作品と規定に書いてあるのに、これは何でと?
じゃあ俺も『第一回世界で怖いブランプリ』のほうへ、忌み嫌われし子を応募したけど、まだ締め切り前だから、ブランコで首を吊った男も追加していいですかとね。
そしたらそれは駄目だと。
思い切り理不尽だろ?
泣きたいは複数作品応募が良くて、怖いは駄目。
公明正大に審査はやってほしい。
現時点の最終選考で、二作品応募者は選考から漏れているので問題になっていないだけ。

もし自分の言っている事が気に食わないなら、最終選考から弾けばいいとも書く。
それだけ公明正大さを持ってやってほしいと希望を訴えた。

地元の先輩の吉岡さんから、電話掛かってきてああいう事書くのは辞めろと言われたけど、辞めなかった。
もしそれが原因で選考を落とされるなら、俺の小説はそこまでの価値しかないという事。
逆に俺がもしグランプリを授賞したなら、公平さを証明する形になると思う。
まあ多くの知り合いは、俺の考えに反対されたけどね。
でもさ、至極真っ当な事を言っているだけなんだよ。

メールまでして送り、返事まで来ているんだから知らぬ存ぜぬは通用しない。
でもさ、新宿クレッシェンドを選んだのは出版社。
だから何を馬鹿げた事を抜かしているんだと感じたまで。

披露宴ってさ、新婦が主役じゃない?
友人代表のスピーチで、この人は結婚するまでヤリマンで、バンバン男をとっかえひっかえやりまくっていましたと、みんなの前で言うようなもんだよ。
まあ俺は男だから、ちょっと意味合い違うけどね。

落ち着けよ。
それはまだまだ先の話の頃だろ。
その時が来たら、今の悔しさは思い切り書け。
これはその為の作品なんだから。
とりあえず、パンでも食え。

謝れよ。
え、何で?
俺のプライドを傷つけたからだ。
ごめんなちゃい。

さて、野菜エッグチーズサンドでも作るとするかいな。

まずハムエッグ、食パン焼いて片方はマヨネーズ、もう片方はサウザンドドレッシング引いて、ハムエッグ乗せてケチャップ、もう片方にチーズ。
これを一つに重ねる。

「はりゃさ!」

あとは包丁で切って完成の手抜き料理。

2024/08/07 自称俳優マンション 野菜エッグチーズサンド

ケチャップも入れたほうが美味しかったかな?
もう今日は眠ろうじゃないか。

爽快な目覚めと共に、喫茶店に出てくるような簡素なモーニングを無性に食べたくなった。
基本アイスコーヒーだけど、今日はホットを淹れてみたりしてさ。
簡単なサラダに普通のトースト、夜中作ったハムエッグにチーズを掛けて焼いただけトースト。

2024/08/07 自称俳優マンション ティファニーで朝食を

何よ何よ、何かさ、観た事ない映画だけど、オードリー・ヘプバーンの『ティファニーで朝食を』って気分?
差し詰め気分は智一郎だから『トモローで朝食を』って感じ?

あ、寒い時買った黒い手袋が押し入れにあったよね。自分の幸せそうな写真を自画撮りしよう。
アヒル口なんてしちゃってさ。

本家本元オードリーのものと比べてみるか。

2024/08/07 自称俳優マンション トモローで朝食を

え、これをパクって、わざわざ黒い手袋まで用意して撮ったのに、全然似てねえじゃん……。

比較するとポーズも全然違うし……。

もうアップしちゃったあとじゃん。
五十二歳の男が朝から何をやってんだ?
この記事俺が見ても何かイラッとくるもん。
とりあえずクレーム来ないよう謝罪文を追加しよう。

気分悪くした方、ごめんなさい。
もうしません。

よし、タバコを吸ってから、シャインさんのトレーニングを始めよう。
小説は?
今日はいいよ。
昨日サボったろ。
身体の循環も大事なの。
昨日動かさなかったから、今日は小説をサボれ。
ウゴウゴルーガ―。
おまえ、その番組って世代じゃないから観た事ねえだろ。
うん、語呂で何となく言ってみな。
つまんねえよ、だから売れない作家なんだ。
売れないとか言うな!

いっぱい汗を掻いて身体をほぐしてお風呂に入る。
夏場はシャワーだけで充分だよね。
冬ならじっくり浸かりたいところだけど。

インカジ『レディ』へ出勤すると、名義社長の倉敷が入口まですっ飛んできて、五十一万円を手渡してくる。

「え、何ですか、これ?」
「岩上さん、すみません。ちょっと宝くじイベントで、足りなくなりそうなんで、タイムカード押しておくから連番を千枚、バラを七百枚買ってきてもらえませんか」

「え、この間、二千枚買ったばかりじゃないですか。俺が星形ピノ出た時」
「ええ、星形ピノが出ても出なくても、妙に客受け良くて、足りなそうなんですよ。至急お願いします」

暑い中歩きながら、ふと思う。
俺はニ十分前には出勤しているから、まだちゃんとした勤務時間ではない。
これってプライベートの時間を、タダ働きさせられているんじゃないか?

まあ二千二十年の年末から世話になっている店だ。
細かい事を言い出したらキリがないな。

前回購入したサブナードの売り場へ向かう。
おばさんは俺の姿を見ると「お兄さん、今日も千枚ずつ行っちゃうんですか?」と妙に浮き浮きしていた。
相当な金持ちに見られているんだろうな……。

「今日はですね、先ほど鳩の餌を買ってしまいましてね。そこまで買えないんですよ」
「あら、お優しい」

「そんな訳で連番を千枚と、そうですな…、バラを七百枚見繕ってもらませんかね」
「千枚と七百枚! 鳩にそんな餌代買ったんですか?」

「まあとりあえず早く準備して下さいよ」

まあ、あくまでも店のイベント用であり、俺んじゃないんだけどね。
証拠にまた写真をパシャリ。

2024/08/07 サブナード宝くじ売り場 サマージャンボ連番1000枚バラ700枚

あ、金を写してどうすんだよ。
周りにジロジロ見られているじゃんか。

とっとと店に帰ろう。

仕事終わり間際に、九州のでったんからメッセージが届く。
一枚の画像が添えられていた。

『西武新宿線はガード下まだまだ線路水に浸かっているから運転再開もう少しかかるか。この辺低いから、たまになるよねぇ。 出口22:55』

2024/08/07 西武新宿線 浸水した線路

あれ、これって本川越駅に行く手前の線路かな?
何この水の量。
ヤバくないか?

あー、温かい豚しゃぶ定食が食べたくなってきた。
俺は店を出ると、歩いて大久保へ帰りがてら、久しぶりにちづる食堂へ向かう。

この店で女性店員見た事ないけど、オーナーの奥さんの名前がちづるなのかな?
お袋の名前と一緒の店名だから、昔からここへ来ると違和感を覚えるんだよね。

ん、違和感…、平仮名だといわかん。
んをみに変えたら、岩上。
店の名前がちづる。

つまり違和感を覚えた息子が、母親の名前を冠した食堂へ食事をしに来た?

「ご注文どうしましょう?」
「あ、えっと温かい方の豚しゃぶ定食を下さい。それとレモンサワーとお茶ハイも」

あー、美味しいよー。
何でこんな豚をサッと茹でて、ポン酢につけて食べるだけの料理がここまで美味しくなってしまうのだろう?

ついついこれしか頼まなくなってしまった。
キャベツと豚肉とポン酢。
それだけシンプルなんだけど、何故か好きなんだよなー。
あ、こんな料理、自分で作ればいいのか。

でもね、人に作ってもらうご飯だから、美味しいの。

2024/08/07 歌舞伎町2丁目 ちづる食堂

物足りないし、もっと食べたい。

「すみません、鶏唐揚げ甘酢あんかけ定食も下さいな」
「え、定食ですか?」
「そう定食」

2024/08/07 歌舞伎町2丁目 ちづる食堂

健康優良児な俺は、わんぱくに食べたいものを食べたほうがいい。

また出口から連絡が届く。
そして岩上整体があった通りの道路冠水状態の映像が貼られたリンクまでつけている。

店内冠水のため復旧まで休業させていただきます。岩ヤンの整体から、パーラーいずみの先に、ウナギ屋が昔あったでしょ? その跡地のラーメン屋の映像だって。  出口23:10』

えーと、何で九州にいるはずの彼が、地元川越情報をここまで詳しいんだ?
それにしても大丈夫なのか、川越?
俺が整体やっていた頃、こんなの見た事ないぞ?

『ヤバいね、本川越駅周りはよく浸水するんだけど、ここまでは初めて見た。  岩上23:29』

残さず食べ終わり、酒を飲み干す。
会計を済ませ、店の外へ出た時だった。

うぅ…、凄い苦しいよー。
あんなに調子に乗って食べるんじゃなかった。

ここから大久保まで歩くの嫌だな。

タクシーを拾うと、俺は大久保駅の行き先を告げた。


二千二十四年八月八日前半、木曜日仏滅。

目覚めるとトイレに行き、早速クソを捻り出す。

「はりゃさ!」

どんなに気合いを入れても、かつて浅草ビューホテル地下一階の和式トイレで捻り出したあの巨大な一本グソのような代物は出てこない。
何十回水を流しても、まるで座礁したかのように動かなかったあの時。

もうあのような伝説のクソを、俺は出す事は不可能なのか?
自身の身体の衰えを実感した。

あれはまだ若くて全盛期に近い肉体を持ってして、生まれた偶然の産物なのである。
そう悲観する事はない。
誰だってあんなものは捻り出せないのだから。

昨日食い過ぎたから、こんな馬鹿げた事を考えてしまうのだ。
朝はソフトに軽いものにしよう。

バターロール四つ残っているから、ソーセージ炒めてキャベツ引いて、ケチャップにマヨネーズ、それに粉パセリ降り掛けて、ミニドックの完成。

2024/08/08 自称俳優マンション ミニドック

これ、駅前で一つ百円で売ったら、飛ぶように売れるんじゃないか?
業務スーパーでバターロール六個で百円でしょ?
ソーセージは一袋五本入りだったっけ?
キャベツの千切りは面倒だから、予め袋の買ったら百円。

原価四百円しないで、一つ百円だから、五百円。
え、百円しか儲からないじゃん?

まだ裏稼業で働き、月に五十万円以上もらっているほうが全然幸せだ。

サクッとトレーニングを終え、執筆再開。
いよいよ時系列的に、品川春美との出会いになる。

きっかけはキャバクラだったんだよね。
しかも伝説の風俗嬢マドカが働いていたビルで。

この頃って、自衛隊の同期富田に対し、本当に馬鹿な事をしてしまったよね。
今思い出しても嫌悪しか出てこない。

仕事帰りの小江戸号で考えていると、携帯電話の着信が入る。
ちょうど考えていた富田から。

「おー、岩上。今度いつ休みなの?」
「今仕事帰りで今日は休みだよ」

「それなら今日会おうぜ、俺が川越行くからさ」

あれから一ヶ月ほど経つ。
給料でも入ったから、お返しにご馳走するつもりなのだろう。

夕方に会う約束をして俺は寝た。

同じ釜の飯を食い、共に泣き、共に笑ったあの頃。
十八歳の時に三ヶ月間。
たったそれだけの期間なのに、とても濃密な時を過ごしてきたんだ、俺たちは……。

目覚めるとちょうどいい頃合い。
俺はシャワーを浴びて着替えを済ませる。
駅に向かい富田と合流した。

「お腹は?」
「腹は減ってないからさ…、この間のキャバクラ行こうよ」

前回の派手な遊び方をして一発でハマったのか。
家族持ちの富田に、悪い遊びをを教えてしまったのかもしれない。
あいつが図に乗って店ではしゃぐなら、いいところで止めるなり俺も半分くらいは金を出すなりしなければ駄目だろう。

ミサキのいるキャバクラへ入る。
俺はいつものようにミサキを指名。

「この間で誰か気に入った子いたの?」
「あ、店員さん。あそこで暇そうに座ってる子、全部付けてよ」

早い時間なので待機席には暇を持て余したキャバ嬢が四名いる。

「それとさ、フルーツの盛り合わせも」
「かしこまりました」

スタッフが一礼して下がったのを見てから声を掛けた。

俺はミサキ指名、富田はあの四人指名にフルーツ。
さすがに序盤から飛ばし過ぎだろう。

老婆心ながら声を掛けてみた。

「おい、富田。オマエ金大丈夫なの?」
「え、何で?」

富田はキョトンとしている。

「こんな飲み方したら会計十万二十万簡単にいくぞ?」

「え……、だって岩上が持ってんでしょ?」

始めはコイツが何を言っているのか意味が分からなかった。

「おまえ、何を言ってんだ?」
「だから岩上ならそのぐらい持ってんでしょ?」

「……」

苦しい時代を共に経験し、乗り越えた絆。
何だってこんな程度の年月が、コイツをこんな屑に変えた?

「何立ってんだよ? 座って早く飲もうぜ」

「もう一度聞く…。富田、おまえ金は?」
「俺がねえのはおまえが知ってんだろ?」

「おまえは金も無いくせに、女をたくさんつけろ…、そしてフルーツを頼んだのか?」
「前もおまえがそうやったじゃねえかよ。おい、店員さん! 女まだかよ?」

その言葉に俺は持っていたグラスの酒を富田の顔へぶっ掛けた。

「うわ、何しやがる!」
「ふざんけんじゃねえよ! このクズ野郎」

ミサキのいる店で無銭飲食する訳にもいかず、俺はスタッフを呼び富田が金を持っていない事を説明した上で、まだ来ていないフルーツの盛り合わせはキャンセル、席に付いていない女たちもキャンセルし、その状態で会計を済ませる。

「何怒ってんだよ、岩上」

俺はテーブルを蹴飛ばして富田にぶつけた。

「ミサキ悪い…。今日はもう帰るわ……」

あれから十二年経ち、こんなクソ野郎になっていたとは……。

何とも言えない虚無感。
馬鹿につける薬は本当に無いんだなと悟る。

この一件を境に俺は富田との縁を切った。
悲し過ぎて泣きたい気分だった。

まずここでの最大のミス。
何故この馬鹿が勝手にした事を俺が金を払っているのか?
縁を切るんだし、富田に全責任を負わせればよかったのだ。
本当に俺って昔から甘いというか、ただのお人好しを通り越して馬鹿だ。

シャブに手を出し十日で三割のトザンの高利貸しに借りて、店をクビになった久保田。
チャンプの原が林と同じ、〇〇連合で部屋住みになったと教えてくれる。
正式な組員かどうかは分からない。
ただ小間使いの下っ端をしているようだ。

そしてチャンプの元同僚久保田の下落。
それから大川との再会の約束。

系列のプロの時の同僚である大川からは、頻繁に連絡があった。
元ホストで甘い顔立ちをした大川は、辞めて数年経つのに未だ連絡してくる。
ワールドワンでの日々が忙しく、彼が辞めてから一度も会う時間を作っていなかった。

何だかんだあれから五年くらい経つのか。
チャンプの久保田のように放っておいたら、あんな風になる場合だってある。

富田の件といい胸糞悪い事が起こり過ぎている。
妙に懐く大川とたまに会うのも、いい気晴らしになるかもしれない。

番頭の佐々木さんの歌舞伎町の野良猫たちへの餌やり。

ある日ワールドワンに猫の缶詰を三十缶以上袋に持って現れた佐々木さん。

「岩上君、悪いんだけどさ、ワイ法事で四国へ行かなきゃいけなくなったんだ。だからあそこにいる猫たちに、これいない間あげてくれる?」

俺も動物は嫌いじゃないので、喜んで引き受ける。
佐々木さんの指定した場所へ行き、缶詰を開けた。

寄ってくる野良猫たちの群れ。
近くに猫の頭があるので撫でようとすると、飛びのき「フーッ」と威嚇してくる。

そうだよな…、普通なら頭など絶対撫でさせてくれやしない。

家に帰った時、親父の妹である叔母さんのピーちゃんが居間にいたので、その話をしてみた。
中々野良猫たちに五年間、毎日餌を与え続けるなんて普通はできない。

「野良猫に餌だけ与えて無責任な人だね」

確かに正論かもしれないが、人には状況というものがある。
佐々木さんは少なくとも五年間毎日ずっと無償で猫たちに餌をあげ続けているのだ。

「何を言ってんだよ? 五年間だよ、五年間! そのおかげで餓死しないで済んだ猫たちがどれだけいるって」
「それなら引き取って自分で飼えばいいだろ」

「何十匹いると思ってんだよ? だから毎日缶詰三十個買って、決まった場所へ持って行っているんだよ。それを休みなく五年だぞ? 俺はそれが尊い行為だって話をしているんだよ」
「だから無責任ってだけだろ」

「もういいや…。あんたとは話にならない……」

どれだけ大変な事か伝えたが、おばさんはずっと否定していた。
昔からだけど、この人とは永久に分かり合える事は無いのだろうと感じる。

そうだ、この時から叔母のピーちゃんとは分かり合えるというよりも、俺のする事に対しすべて反対意見しか言わない人なのだと知らずに仲を昔のように取り戻したかった時期だったのだ。
いつからなのだろう、弟だった貴彦と内緒で養子縁組の計画を描き出したのは……。

川越でパクられた風俗嬢のマドカ。
何度か連絡しても通じず、ある日解約したのか繋がる事すら無くなる。

これで何の接点も無くなってしまった。
無性に淋しい。

「ハー……」

キャバクラ『サンタナ』でミサキを指名しながら、マドカの件を話してみた。
サクセス、サンタナと系列店を最近日によって行き来しているミサキ。
俺はミサキのいるほうの店へ行くだけなので、大した問題ではなかった。

「ほら、私を口説かないから、そんな目に遭うのだよ」
「ふざけんな! 何で妹代わりに可愛がっている女を口説かにゃならないんだよ? 俺は凄い心が傷ついているの。それをおまえにこぼしているんじゃねえかよ」

「風俗なんてこっそりいっちゃって、いやらしー」
「うっせーっ! 俺はもう暴走するからな」

「あら、私を口説く気になったの?」
「違うよ、馬鹿! そうだな…、ミサキはこのまま指名するけど、この店の気になった女も同時に指名して口説く! だからおまえはさり気なく俺をフォローしろ」

「はいはい…。まったくしょうがないなー」

ミサキにはちゃんと伝え、許可を得た上で色々な女を適当に口説き、見境なく抱いた。

部屋に戻っては我に返り、やるせない気持ちになる。
あれほど望んだ格闘技への熱も冷めていた。
何の目的意識も無いまま新宿へ行き、金を稼いでは競馬と酒に使う日々。
親父の事を遊び人だとずっと否定していたが、今の俺も似たようなものだ。

このまま年を取り、何の成長も無いまま生きていくのだろうか。
色々考えてみたが、明確な答えは出ない。

せめてミサキを口説くとかでなく、無駄遣いせずに金を貯めていれば良かったのだ。
無尽蔵に金など常に入って来る訳ではない。
生前おじいちゃんは、いつも口うるさいほど貯金をしろと言い続けてきた。
何でこの頃の俺は、おじいちゃんの老婆心から来る言葉を、もっと親身になって受け取れなかったんだろうな。
亡くなってから今年で十年。
今さら後悔したところで、もう何一つ戻ってこないのだ。

俺はまた休みになると外で彷徨い、適度に女を口説く。
目的意識も無く、ただ毎日歌舞伎町へ行き日銭を稼ぐ俺。

チャンプの原から情報が入る。

◯◯連合の元チャンプの従業員の林。
彼はシャブとルイヴィトンの偽物を売って成り上がり、組内では一番の稼ぎ頭になっていた。

その林が覚醒剤所持で捕まったらしい。

それから生意気だった林の弟も、新宿から姿を消した。
因果報応とはよくいったものである。

少しして久保田は組の金を盗んで飛んだ。
そんな情報を聞く。

近かった存在が様々な事を起こしたところで、俺たちの日常は変わらない。
新宿へ働きに行き、毎日INとOUTの繰り返し。
もう絵を描いてプレゼントする相手もいない。

ヤクザ同士の情報網は警察以上だと聞いた。

今頃久保田はどこで何をしているのか?
彼の身を案ずるも、何一つできない自分が歯痒い。

そして気を紛らわせるかのようにミサキといつも一緒にいた。
競馬の話になった時、彼女の生真面目な一面を見て、ちょっと見直した自分がいる。

ミサキとの競馬禁止ルールがあり暇を持て余していた俺は、大川と会う約束をする。
約五年ぶりの再会。

久しぶりに会った彼は、重度のシャブ中になっていた。

「岩上さんにほんと良くしてもらったんで」
「俺は特に何もしてないでしょ」

「いやー、ほんと感謝してんですよ、色々。だから岩上さんにはいい物あげたいなって」

シャブ中のいい物なんて、シャブでしかない。
大川が出したものは案の定シャブだった。

「いらないよ、そんなの。俺は興味無いし」
「これセックスの時使うと最高ですよ」

「え、ほんと?」

少しだけ興味が沸く。

「大切な女には使えないですけど、適当な奴でやってみればいいじゃないですか」

そう言って大川は結構な量の入ったビニール袋を渡してきた。

適当な女……。

風俗嬢だと店の中で騒がれたら一巻の終わりだからな。
こういうのは繁華街じゃないほうがいいだろう。

川越へ戻ると川越駅西口の飲み屋街へ向かった。
今まで入った事のない場末のスナックへ入り、大して可愛くもない女が席に着くと、とりあえず口説いてみる。

「何て言うかね…。君よりも奇麗な女はたくさん見てきたけど、こう話していて心が安らげる女性って中々いないもんなんだ」
「何それ、超ウケるんだけど」

「そう、それなんだよ」
「え、何が?」

「その自然な笑顔を見ていると、心がとても安らぐと言うか……」

口から適当に歯の浮く台詞を羅列する。

「お兄さん、何人にその台詞言ってきたのよ?」
「綺麗だ、可愛いは百人以上に言ってきたけど、安らぐって伝えたのは君が初めてかな」

「もう……」

ん、結構簡単に落ちるかも。

「ねえ、店終わったらご飯食べに行かない?」
「凄い強引なんだから。今日会ったばかりでしょ」

「この心臓のときめきを無駄にできなくて。迷惑だったら潔く引くよ」
「ん-、迷惑じゃないけどさー……」

「じゃあ行こうよ。いいものも今日は持ってんだ」
「いいもの?」

こっそりシャブを見せながら誘うとドン引きされた。

「わ、私…、お手洗い行ってきます!」

トイレから出てきた彼女が、俺の席に着く事はなかった。
当たり前か……。

大人しく家に帰ろうとしたが、隣のトンカツひろむが営業しているので顔を出す。

「岡部さん、シャブ中になった元部下からこれもらったんですが……」

岡部さんはシャブを見るなり「智一郎、馬鹿野郎! オマエそれ、百グラムはあるぞ! そんなの見つかったらヤバいぞ」と怒鳴られ、慌てて部屋に置いて戻る。

「あの量だと相当な値段になるぞ」
「まあ使うつもりも無いし、アイツから連絡あったら返しますよ」

先輩の岡部さんの指示はあの時本当に的確だったのだ。
俺にシャブをやる意思ないとお構いなく、こんな量を所持していただけで充分な罪になる事さえ知らなかった無知な時代。

ひろむへ戻った俺に待っていたのはオカルトだった。
今思うとアレは一体何だったのだろう?

俺と岡部さんの会話などまったく気にならない感じで、カウンター席の奥に一人のいい女が飲んでいた。
気になりつつ飲んでいると、他の客もバタバタ入ってくる。

「智一郎、悪い。奥へ席詰めてもらえる」

自然な形で女の横へ座る。

「隣すみませんね」と声を掛けると、女はジッと俺の顔を見てきた。

「すっぽかされちゃった……」
「はい?」

「すっぽかされちゃったの……」
「えー! こんなお姉さんみたいないい女を? 馬鹿だな、その男は」

「一緒に飲んで」

棚からぼたもちとは、こういう事を指すのだろう。
俺は彼女を元気付けつつ酒を勧めた。
次第に呂律が回らなくなる女。

「大丈夫?」
「横になりたい」

この頃まだ飲酒運転はそこまでうるさい時代ではなかった。
家に連れて行く訳にもいかず、俺は車に乗せ、嫌がらなければホテルへと思い発進させる。

途中信号で停まると、女が俺の腕にもたれ掛かってきた。
顔を近付けると嫌がる素振りもないので優しくキスをする。

あ、この女でシャブ試せばよかったのに、さっき部屋に置いてきちゃった。
まあこのクラスの女を抱けるだけでも幸運だよな。

ホテルまで我慢できなくなり、車通りの少ない道へ行き、路肩に寄せて停めた。
服の中へ手を入れ弄っても小さな声を出しながらあがらわない。
頭の中は性欲で一杯になった。

車内よりホテルでゆっくり抱きたい。
俺は再び発進させ、信号に捕まりブレーキを踏む。

信号待ち間、女へ顔を近付けようとすると、凄い勢いで突き飛ばされた。

「え、どうしたの?」

「こ、来ないで!」

また近付こうとすると、女は必死に抵抗する。
さっきまでメロメロだったのに、何故?

何を話し掛けても小刻みに女は震えていた。
この豹変ぶりから十五分ほど時間が過ぎる。

「ねえ、急にどうしたの?」

優しく声を出しゆっくり顔を寄せると三度突き飛ばされた。

「おい、さっきからいきなり何なんだよ? 俺が何かした?」

そこで女はようやく俺の目を見る。

「まだ分からないの?」
「え?」

「さっきからあなたと同じ目をした髪の長い女の人が、ずっとあなたの後ろから私を睨んでいるの!」

その瞬間酔いが一気に醒めた。
背中に冷たいものが走る。

女が指定した場所まで送ると、部屋に戻りマスターベーションをして寝た。

この時未だ誰にも言えないが、ミサキを想像しながら射精した。
酷い罪悪感に駆られながらも、今さら彼女へ女として見ているなど言えない自分がいる。

妹代わりのミサキ。
この子の存在に俺は随分と救われている。
しかし精神的に少し俺は彼女へ甘え過ぎた。
たまには違うキャバクラでも行くか。

川越の風俗嬢のマドカがいなくなり寂しい。
ミサキの存在に助けられてはいるが、それは妹代わりなだけで彼女とかとは違う。

この時がある意味皮肉な運命の出会いだったのだ、今思えば……。

フラリとたまたま入った店

「いらっしゃいませ、本日本当にいい子が入ったんですよ」

飲み屋の店員の常套句。
期待しないでソファへ座る。

「失礼します」

チラッと顔を見た瞬間、身体が硬直した。

「由美です…、よろしくお願いします」

え、何なのこの超タイプな子は……。

清楚な振る舞い。
これまでミサキ以外の飲み屋の女をどこかで少し見下して眺めていた。

由美を見て、そんなものがすべて吹っ飛ぶ。
年齢は二十歳で俺より十歳年下。
ミサキと同じ年だが、妹的存在とかそんなものどうでもいい。
ショートカットより少し伸びた茶色い髪の毛の先は癖なのか跳ねている。
左目の下に大きなホクロ。

「そんなジーッと見ないで下さい……」
「名前聞いていい?」

「由美です」
「いや、それは源氏名でしょ? 迷惑じゃなかったら本名を聞いておきたい。あ、俺は岩上智一郎」

「春美です…、品川春美と言います」

無我夢中で口説き出した。
本能が彼女を求めている。
これまでの人生すべて賭けてもいいくらいの覚悟で必死に話す。

「すみません、そろそろお時間となりますが……」

店のボーイが割り込んで来たので、財布から札を取り出し「延長に決まってるだろ」と放り投げた。
黙ったままの春美。

「ん、どうかしたの?」

「岩上さん…、お金を投げるは良くないです……」

「ご、ごめんね。気を付けます……」

彼女の言う事を素直に受け取り、心から詫びる俺。

春美の誕生日は明後日と聞いたので、迷惑じゃなければお祝いをしたいと伝えた。
俺の申し出を快く受けてくれた春美。

「どこか行きたいところは?」
「先程話していた岩上さんが以前働いていた浅草ビューホテル…。迷惑じゃなければそのラウンジへ行ってみたいです」

「もちろん! 喜んで!」

あっさり春美とのデートが決まった俺は飛び跳ねた。
ミサキの存在など、どこかへ行ってしまった。

仕事中、俺は絵を描き始める。
春美は茨城県。
海のある県だ。

2001/04/05 海の絵 春美へプレゼント

海無し県ばかりいる俺は、頭の中でイメージしそれを絵にしてみた。

初めてデートしたのは、二千一年四月八日。
一緒に浅草へ行き、寿司屋へ入り、浅草ビューホテルの最上階元古巣のベルヴェデールの前に会員制のセントクリスティーナにも連れて行く。

「うわー、本当に高い! 凄く綺麗な景色です」

外を眺め感心する春美。

「今日この子の誕生日なんですよ」

ホテルの従業員たちは、久しぶりに訪れた俺に対し、みんな笑顔でもてなしてくれた。
春美は本当に感激し喜んでいる。

澄ました表情で出迎える先輩の林。

「何澄ましちゃってんですかー」

俺が突っ込むと他の客に見えないようケツを叩いてくる。

「席は浅草側、池袋側どっちがいい?」

セントクリスティーナだと浅草側の景色だったので、池袋側を選択。
春美はしきりに感心している。

「すべてのベクトルは君の誕生日を祝う為に……」

少しキザっぽく言うと春美は頬を赤らめた。

テーブルには俺の好きなスコッチウイスキーのグレンリベット12年のボトルが置かれ、春美には好みを聞き、カクテルを注文。

「本当に今日はありがとうございます、岩上さん……」
「君のその笑顔が俺にとって最高の報酬だ」

「忘れられない日になりそうです……」

人生至福の時って、こういう事を言うのだろう。
以前スナック『アップル』の長澤久美子をここへ連れて来た過去を思い出す。
あの時抱くつもりはなかったが、帰りの車の中で彼女からもたれ掛かってきた。
理性の吹き飛んだ俺は久美子の唇を奪い、そのままホテルへ行けたのだ。

今日ひょっとしたら春美とも……。

無限に膨らむ妄想。
それを搔き消すよう早いペースで酒を飲む。

時折見せる春美の寂しそうな横顔。
とあるフレーズが頭の中で流れる。
何だっけ、この曲……。

そうだ、ファイナルファンタジーⅩの挿入歌ザナルカンドだ。
うん、春美にはザナルカンドがよく似合う。
でも何故寂しそうな顔をするのだろうか。

尋ねると彼女には兄がいて、とても厳しい人らしい。
生活苦からキャバクラの仕事をしてしまったが、兄から厳しい言われ方をされ悩んでいた。

「春美のお兄さんが言っている事は、君を大事に想うからこそ至極真っ当な意見で、それはとても正しい思う。でもね…、不謹慎な言い方になってしまうけど、俺はそうじゃなきゃ君と出逢えなかった。そして今もこうやって祝えていない。だからとても感謝している」

できる限り丁重に言葉を選びながら口を開いた。

「春美、俺は君の事がとても好きだ。すべてを投げ出しても君が欲しい」

真っ赤な顔で俯きながら春美は小声で「私はそんな簡単に落ちません…」と言う。

お互い色々な話をした。
俺は正直にお袋の虐待に遭った事、全日本プロレス時代を伝える。

一つだけ黙っていた事があった。
今の裏稼業であるゲーム屋だけは言えない。
生活の糧として働きながらも、どこか俺はあの商売を卑下している。
とても真面目な性格の春美。
裏稼業で働いているという事を明かし、変に思われるのが怖かったのだ。

ホテルを出ると、緑寿司へ連れて行った。
この店の絶品な焼きアナゴを、どうしても彼女へ食べさせたかった。
本当にここまでは最高のデートで、俺自身の行動も完璧に近いものがあったと思う。

実際口にした彼女は大絶賛。
俺はそれを見て満足気に微笑む。

楽しい時間は過ぎるのが本当に早い。
そろそろ帰りの電車へ乗らないと間に合わなくなる。

酒は強いはずの俺。
何故か目の焦点がボヤケている。
春美に対しては紳士的に接していたかった。

新宿駅で一度降り、歌舞伎町を通過して西武新宿駅へ。
途中にあったゲームセンターでプリントクラブを発見した。
せっかくの初デートだし一緒に撮りたいと強請ってみる。

「いいですよ」

2001/04/08 歌舞伎町ゲームセンター 春美

俺は春美とプリクラを一緒に撮った。
酔いがどんどん回る。

2001/04/08 歌舞伎町ゲームセンター 春美

春美の顔が二重に見えた。
あれ、どうしたんだ、春美?
俺は彼女が消えないよう抱き締める。

2001/04/08 歌舞伎町ゲームセンター 春美

俺って本当に幸せだー……。

目を開けると電車の中。
俺は春美に膝枕されたまま寝ていた。

起き上がろうとすると、春美は優しく頭の上に手を乗せ「まだ寝ていて下さい」と口を開いた。

まだ酔いが回っている。
俺は再び目を閉じた。
心地良い感触を覚えながら夢を見た気がする。

内容はハッキリ覚えていない。
気が付けば新所沢駅。

不覚にも酔って春美の前で寝てしまったのか……。

「ごめん、終電無くなっちゃったね。タクシーで送るよ」

春美は何故か返事をせず、心無しか顔を背けている。
ほとんど会話も無いままタクシーは川越へ到着した。

「私…、そんな軽くありません……。今日はありがとうございました……」

彼女は下を向いたまま蚊の鳴くような声で言う。

「え、俺何か君にしたのか?」

春美を乗せたままタクシーは発進する。
何か大変失礼な真似をしてしまったのでは……。

この初デートを境に、春美は俺から距離を取り始めた。
何をしても、応じてくれない。
虚無感だけが秒速で心に空いた穴を広げていく。

そんな時だった。
くっきぃずとの出会いは……。

家からすぐ近所にあったバー『ハニー』の夏美さんが店を辞めた跡地に入った楽譜屋くっきぃず。
ご近所というのもあり、挨拶に入ったのが始まりだったのだ。

「自分、すぐそこの近所の岩上なんですけど、たまたま目の前通り掛かったんです。何のお店ができるのかなと思いまして」
「そうですか。よろしくお願いします。ここで楽譜屋のお店をやるんです」

「え、楽譜を売るお店ですか?」

そんなんで商売が成り立つのだろうか?

「ええ、そうです。他には、ピアノのレッスンもしていますけどね」

ピアノか…、春美に弾いてやれたら、格好いいと思われるだろうか。

「凄いですね。自分、まったく音楽関係には疎いもんでして」

棚に詰まっているのは本でなく楽譜なのか。
俺は一つ一つ手にとって眺めてみる。

遣る瀬無い日々だけ募っていく。
考える事といえば、春美の事だけ。

部屋で、ファイナルファンタジーXのオープニング曲であるザナルカンドを聴く。
何度繰り返し聴いたか、分からないぐらいだ。

それでも飽きがまったくこない。
さっきの『くっきぃず』。
確かピアノも教えているとか言っていたよな……。

曲のイメージと春美が被る。
目をつぶると、下をうつむいた春美の寂しげな顔が思い浮かぶ。

曲と春美の共通点は、少し悲しげで陰りのある部分。
それでいて優しく人を癒す。

新宿歌舞伎町の裏稼業でしか、顔を利かせる事のできない自分。

何かしら悲しみを背負って生きているような表情。
俺が何とかしたかった。
しかしこんな俺に何ができる?

色々考えてみた。

バーテンダー時代のスキルを活かし、カクテルを目の前で作ってあげる。
そしたら喜んでくれるだろうか?

美味しい料理を一緒に食べる。
楽しく会話しながら、同じ時を共有する。

いや、あのデートのあと不可解な避けられ方をされたままなんじゃないかよ。
一体何故彼女は俺を避ける?

最悪連絡が来ないなら春美の働くキャバクラへ行き、一度訳を聞けばいい。
まずは非礼を詫び、彼女の為に生きたかった。

脱線するなって。
俺にしかできない事……。

何かないか?

ん…、待てよ……。

三十を過ぎた俺が、初めてピアノを始める。
まあ幼少期のピアノを入れたら初めてではないが……。

でもまともにやってなかったんだから初挑戦には変わらない。
そして彼女の為に一曲でいいから弾けるように挑戦して、ザナルカンドを完成させ聴かせる。
そうすれば、ビックリしつつも喜んでくれるんじゃないか……。

こんな俺がピアノを弾けたら……。

春美に感動を与えられるんじゃないだろうか?
無謀と思いつつも、何かしらの行動を示したかった。

まず『くっきぃず』に行ってみよう。

「……」

駄目だ…、簡易的にしたくても、春美の事になると俺は文字数を抑えられない。
一回ここで切って、新たな章へ繋げないと文字数制限になってしまう。

俺は闇十五章(ピアノが弾けたら編)をアップした。

あれ、続きを書きたくて本当に止まらない……。

今のこの心境を文字に。
すべての感情を文章へ投影しよう。




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