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マングースは何故持ち込まれたのか?ー導入編

1.初めに・構成

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。IWAOです。皆さん、マングースという生物はご存知でしょうか。2024年9月3日にこの生き物に関するニュースがありました。それは、奄美大島に定着したマングースが根絶されたというニュースです。一度定着した外来種を根絶するというのは、かなり困難な作業になり、日本だけでなく、世界からも大きな注目を受けました。

 しかし、このマングースを巡り、賛否様々な意見が世の中に溢れたのも事実です。今回は、マングースの導入の歴史を振り返り、マングースのような問題と悲劇を繰り返さないために教訓をくみ取ってみたいと思います。このブログは、2部構成(*執筆時予定)とし、前半で、マングースが持ち込まれた経緯について紹介し、後半で、マングースを持ち込んだ人物の紹介と教訓を読み解いていくという構成です。まずは、前半をよろしくお願いいたします。

2.マングースとは何者か?

 マングースとは何者でしょうか。マングースは、食肉目マングース科に属する雑食性の哺乳類で、15属34属に分類されます。その中で、日本に持ち込まれたものは、「フイリマングース」というマングースになり、中国からイランまでを自然分布域としています。生息地は、海岸から高標高(2100m)までの開放的空間(例:二次林、草原等)となります。

フイリマングース
https://www.env.go.jp/nature/intro/4document/asimg.html

*これまで、日本に持ち込まれたマングースは、ジャワマングースと考えられていましたが、DNA分析の結果、ジャワマングースは2種に分かれ、その内の1種がフイリマングースになります。ジャワマングースは、東南アジアを主な生息地としています。

ジャワマングース
https://www.env.go.jp/nature/intro/4document/asimg.html

 原産地での生態はよくわかっていませんが、導入先での研究例から、マングースはどのような生態を持っているのか、その研究例が積み重なています。
 交尾期は、1~9月、出産期は3~11月、妊娠期間は7週間ほどで1回の出産で2~3頭、年間1~2回の出産、成熟するまで8~9か月ほどかかり寿命は2年とされています。活動時間帯は昼間で10時〜14時が最も活発化し夜間に休息する昼行性です。
 マングースの生息する環境は温暖な環境に適応しており、原産国では1月の平均気温が10℃を超える暖かいに生息しています。それ故、マングースの体温である39.5℃を維持できる環境温度(10〜41℃)が、定着できる地域としての制限要因となっています。食性は雑食性で、昆虫、小型脊椎動物、無脊椎動物、果実等と幅広く何でも食べます。しかし、水が苦手とされており、可能な限り、水を避けて行動すると言われており、水深が5センチ以上の水には入らないようにしているそうです。よって、距離にして120m以上ある島嶼間での侵入はないとされ、その場合、人為的な理由によって定着したとされます。侵入先でのマングースの行動とその範囲についても分かっており、同程度の小型食肉目(体重300〜900g,行動圏30〜120ha)と比べた場合、その行動圏が狭いです。それ故、各マングースでの行動圏は重なり合い、生息密度も比較的高いです。

マングースの行動圏

3.何故マングースは持ち込まれたのか?ー世界編

 マングースと言った場合、多く人は「外来種」、「沖縄」、「失敗」などのキーワードが第一に出てくるのではないかと思われます。実際、2005年に特定外来生物法ができたばかりの時にジャワマングースが指定されました。(※フイリマングースも後ほど特定外来に指定)この時、ブルーギル、ブラックバスも特定外来生物に指定されており、法の制定と同時に指定すべき脅威的な外来種と認識されていたことを意味します。

ブルーギル①
ブルーギル②
ブラックバス①

 しかし、マングースを導入した地域は、日本だけではありません。マングースを導入したのは、世界共通でした。『日本の外来哺乳類』という著作では、マングースが実際に導入され、定着が確認された地域は、少なくとも76の島嶼であるとされています。その多くが島々になり、カリブ海で38、太平洋で24、東ヨーロッパで5、アフリカ・インド洋で3、大陸の南米、ヨーロッパ及び北米の一地域で6地域となっています。
(*オーストラリアでも導入事例があるものの失敗)

『日本の外来哺乳類: 管理戦略と生態系保全』p80~81 表3.4を基に作成
『日本の外来哺乳類: 管理戦略と生態系保全』p78 図3.6を基に作成

 最初に導入された地域は、カリブ海域のジャマイカの1872年になり、太平洋やヨーロッパへは1883~1997年の間で導入されています。日本においては、1910年に沖縄へ、1979年に奄美大島へ人為的に導入されました。ただ、一部の島々では非意図的な移入も発生しており、フイリマングース以外のマングースを含んでいます。
(*日本への移入は後ほど、詳細を説明)

『日本の外来哺乳類: 管理戦略と生態系保全』p82 図3.7を基に作成

 世界中でマングースが導入された要因は、「ネズミ対策」「ヘビ対策」の2つのどちらかが該当する場合がほとんどです。マングースが移入された地域は、1800年代の後半は、ヨーロッパ諸国による植民地での農地の拡大が行われ、それに伴うネズミによる被害が拡大していた時期でもありました。当時、イギリス植民地のインドでマングースによるネズミ駆除が有効に行われていたこと、船内のネズミに対しても効果があることから、サトウキビ農園開発が行われ、ネズミ被害が酷かったジャマイカに導入されました。
 一方、「ヘビ対策」もマングース導入における重要な目的でした。ヘビ対策に有効であると信じられるようになった原因の一つにラドヤード・キップリング氏によって作られた『ジャングル・ブック』の「リッキ・ティッキ・タヴィ」の物語があります。リッキー・ティッキというマングースが、イギリス人の家族に拾われ、その一家の中で暮らしている時に、家を乗っ取ろうとするコブラと戦い、イギリス人家族を守るという物語です。この物語が公表されて以降、マングースによるヘビへの天敵効果が信じられるようになり、ヘビの毒も効かないとされるようになったとされています。

『日本の外来哺乳類: 管理戦略と生態系保全』p83を基に作成

 しかし、マングースによるネズミとヘビへの対策に効果があったのかというと、そうとは言えない所があります。まず、ヘビ対策においては、ヘビに対しての効果そのものの検証はされていなかったです。一方のネズミ対策では、ジャマイカでは3年目から効果が出始め、それまで収穫ができなかった農作物が栽培可能になったそうです。この成功をきっかけにカリブ海の島嶼やハワイでマングースが導入されるようになったそうです。しかしすべてのネズミに効果があったわけではなく、樹上性の強いクマネズミにはあまり効果が中たそうです。ネズミよりもマングースの個体数が増えるようになると、これまでネズミに向けられていた捕食圧が、家禽、農作物、そして、在来の陸上生物(例:ヘビ、トカゲ、カニ、カエル、虫…)へ向くようになってきました。結果的に、地域や島単位で爬虫類や陸上鳥類のクイナの絶滅が起こりました。(*下記の表は、日本のマングースの捕食の研究から)

『日本の外来哺乳類: 管理戦略と生態系保全』p111 表4.2を基に作成

 マングースの悪影響は、これだけでなく、狂犬病やレプトスピラ症のような病原菌を拡散することも分かってきました。これらの悪影響により、ジャマイカでは1890年にマングースを駆除するようになり、カリフォルニア州では1898年に検疫法によってマングースの輸入が禁止され、マングースに対して規制がかかるようになってきました。
 マングースの導入は、1880年代~1900年にほぼ同時に行われ、その範囲の中心は、亜熱帯から温帯地帯へと拡大した流れになっています。ただし、上記の事例からマングースによる天敵効果が十分に検証・モニタリングが行われた上で判断され、導入されたとは言えません。まして、マングース対する誤信は、地域内やその間で風評的に広がり、導入に至ったとされます。
 マングースは、世界的にも大問題の外来種として見られています。IUCNの「世界の侵略的外来種ワースト100」に指定されています。まして、ハワイのカウアイ島やサモアの島嶼のように「非意図に」侵略された事例も存在しています。(*私は、船に侵入したものではないかと考えます。)フィジー諸島では、定着先にフィリマングースではない別種のインドトビイロマングースの定着が確認されています。フィジー諸島だけでなく、ヨーロッパ南東部、アドリア海沿岸の重要な生物多様性保護地域へ侵入されるのではとの脅威として見られています。マングースは、世界的に見た場合、天敵として古く広く利用されていたものの外来種として代表的な存在として、大きな脅威としても見られていることが分かります。

4.何故日本にマングースが持ち込まれたのか?ー日本編

 マングースは、日本にも持ち込まれ、日本を代表する外来種にもなっています。日本には、1910年に沖縄へ持ち込まれ、1979年に奄美大島、時期・経路不明で1980年代頃に鹿児島市に定着しました。(*奄美大島では、環境省の調査で意図的に持ち込まれた可能性が高いと言われています)日本に持ち込まれた例として有名な例は、沖縄への導入です。今回、沖縄への持ち込みについて紹介していきます。
(*今回の記事でマングースを持ち込んだ渡瀨庄三郎氏の説明は行いません。後半で行います。今回は、マングースを持ち込んだのは、渡瀨という人なのだけ理解しておいてください。)
 沖縄へマングースが持ち込まれた経緯、過程、記録などの詳細は、当時の記録や新聞報道等でその詳細は、以外にもはっきりしています。マングースを沖縄へ導入することを決断し、実行した人物は、当時の東京帝国大学教授の渡瀬庄三郎(1863-1929)になります。

・マングースを導入した真の理由

 マングースを日本へ導入した原因として多く言われるものの多くは、「ハブ」ですが、ハブの対策と同じほど重視された対策があり、それは、「ネズミ対策」です。そもそもハブによる被害が生まれる原因は、「ネズミ」でした。奄美大島と沖縄では、甘藷(*サトウキビ)が栽培されており、そのサトウキビをめがけてネズミが畑へやってきます。渡瀨氏は、ネズミ害を受けるサトウキビは30%に達し、沖縄の島尻郡の15村だけでの調査で21万頭が獲られたと記述されています。ネズミとハブの対策は、両者が連動した動きをしたためでもありました。人が畑を作るとその作物を狙うネズミが畑にやってきます。畑にやってくるのは、作物を害するネズミだけでなく、そのネズミを食べるハブも当てはまります。ネズミは畑だけでなく、人家の中にも入り込み、そのネズミを負いかけてハブも人家へ入り込みます。つまり、ハブによる人の被害は、ネズミを起点によって引き起こされており、ハブと人間は、望んで接触しているわけではなく、偶発的に事故が起こってしまっているということです。

渡瀨氏もハブとネズミの動きが連動していることを指摘しています。

 渡瀨氏は、「自然」というものについて2種類あるとし、ハブとネズミが人家へ侵入してしまう原因は、人が彼らが好む環境を知らずの内に創出してしまったためであり、ハブとネズミによる被害を受けるのも必然で、その害を取り除くのには人間の力で解決するしか方法がないと説明しています。

ハブとネズミについて①
ハブとネズミについて②
ハブとネズミについて③
ハブとネズミ、人との関係を図にしました。

 ただし、ハブに対して地元住民は、人に有害なだけの存在と認識しているわけではありません。ネズミの天敵でもあることを認識しており、むしろ、その恩恵を受けていることを自覚しており、ハブを駆除しきることをありがたく思っていません。これらのことから、ハブだけでなく、ネズミの害にも対応できるマングースが最適であるとされました。

ハブに対する地元住民の認識

・マングース導入の流れと受け止め

 渡瀨氏が、マングースについての情報を得たとされるのは、1907年(明治40年)に米国のボストンで開かれた第7回万国動物学会で西インドの学者からマングースについて聞かされたこととされています。1908年(明治41年)12月にインドのセイロン島を訪れ、マングースを実際に32頭捕獲し、その過程で亡くなったものを除いて最終的には29頭が日本へ持ち込まれました。このJ捕獲の際、マングースがコブラを捕獲する瞬間を目撃していたそうで、これが日本へ持ち込むきっかけになったとも言われています。

 捕獲したマングースを沖縄へ持ち込んでやってきた時に、ネズミとマングース、ハブとマングースの試合を行い、マングースが両者を捕食することを確認し、マングースが放されました。実際に放された渡名島では、その1年後に報告があがり、マングースがハブを食べていることと岩下に穴を掘り、その中に子供がいることが分かったそうです。上記の2点を根拠にマングースがハブを捕食しつつ繁殖しており、成功したと読み取れます。

マングースの実験結果①
マングースの結果②

 マングース導入当時、世論がマングースをどう見ていたのか、その様子も分かっており、当時沖縄で発行されていた沖縄毎日新聞と琉球新報にその詳細が書かれていました。マングースが沖縄へ来た時、官民で60人もの人々が出席し、歓迎会が行われました。それだけでなく、マングースとネズミ・ハブの試合も官民様々な人が観察する光景だったことが記述されています。マングースがハブを仕留めた時、拍手と万歳が響いたことが、当時の秦氏の記述からわかります。これを見た県民がマングースが沖縄を数くと確信したことに想像は難くないです。

マングースとハブの試合の様子と反応
マングースVSハブの標本です。
京都花園協会水族館所蔵の標本です。
かっこいいですね。

 マングースが沖縄へ離された後もマングースを保護するようにとの通達がなされており、その内容が、琉球新報に書かれていました。特に、ネズミと勘違いして殺してしまうことが危惧されたようで、沖縄県全体でマングースが大切にされていたことが分かります。
 当時の新聞報道から、マングースの導入がどう見られていたのか、それが読み取れます。これらの記述から、マングースの導入は、沖縄県全体で大きな期待を持って迎えられたことが分かります。

マングースの通達①
マングースの通達②

5.まとめー次回へ

 以上がマングースが何故、導入されたのかについての内容でした。マングースの導入について私が驚いたのは、世界中に導入されていたということであり、日本の導入年代が世界的には遅れていたものの当時の世界では、当たり前のように行われており、日本での導入もその一環であったと見えます。
 また、ネズミ対策も意外な事実でした。マングースというと、関連ワード、で出てるワードの多くは、「ハブ」ですが、実際に渡瀨氏の講談、論文、関連史料を読んで気づいたのが、「ネズミ」は、「ハブ」と同じくらいの量で出てきており、ネズミ対策もハブと同じほど強く求められていたことが読み取れます。
 改めて日本にマングースが持ち込まれたのでしょうか。ネズミによる作物の被害、ネズミにつられたハブによる被害の2つをなくすためのものでした。世界での各々の事例を見れば、ネズミまたはハブでしたが、その両方の対策が実現できるマングースは、理想的な生物であったと言えますし、ネズミとハブの対策は、世界で行われていたマングース対策に沿って行われたと言えます。「いつから」行われていたのか、「何のために」行われていたのか、それを考えた場合、マングースの導入は、単なる教授の思い付きではなく、世界的な取り組みであり、マングースを利用してヘビやネズミの対策を行うというのは、「グローバルスタンダード」だったということです。つまり、世界各地で行われていることを日本に持ってきたということになります。
 しかし、この結論を読んで、どこかで違和感や足りない所を覚えた方がいると思いますし、私はそれを理解できます。ただし、マングースが導入された状況、常識を考えた時、マングースを導入するという決断は避けるのは、かなり難しかったと思います。次回は、何故、マングース導入が決断されたのか、その背景について迫っていきます。後編をお楽しみにしてください。

*後編は、こちらから。

参考・引用文献、資料

・渡瀨庄三郎 「沖縄の鼠と飯匙蛇」 『学生1(4)』 51~57頁 富山房 1910年 

・秦 蔵吉 「マングース輸入と渡瀨博士」 『沖縄教育(49)』21~23頁 不二出版 1910年

・渡瀬庄三郎 「渡名喜島の「マングース」繁殖す.」 『動物学雑誌(23)』 109-110頁 1911年

・渡瀨庄三郎 「マングースに就て」 『沖縄教育(49)』3~7頁 不二出版 1910年


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