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「さま子noteの感想」の感想

序章

最初のきっかけは、noteの「今日のあなたに」に流れてきた1本の記事だった。 そこには、他人の文章に対する、悪口に限りなく近い辛辣な批判が綴られていた。

批判の標的にされていた記事の作者は、確かに文章がうまいとは言えず、内容も自意識のわりに当たり障りがない。「自分は賢い」「ユニークな視点を持っている」という自認が見え隠れして、少し鼻持ちならないタイプではあった。

私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る

ヴォルテール(が言ったとされる言葉)

僕はこの言葉を、ひとつの行動指針にしている。
どれだけつまらない記事を書くユーザーであっても、その発言権は保障されなければならない。それに、文章を書くというのは高度に精神的な営みだ。些細な批判であっても、書く気そのものを容易に奪い去ってしまう。

実際、僕が観測した限りでは、その迷惑系ユーザーに小馬鹿にされたある書き手が、記事を削除してnoteの引退を宣言し、現在も沈黙したままだ。

調べてみると、noteの利用規約には予想通り「他者に対する嫌がらせや誹謗中傷を目的とするもの」を禁ずる記述があった。 標的にされた書き手は、その迷惑行為を非難する記事を書いて抵抗していた。だから僕はそのコメント欄に、ひとつの提案を残した。 「運営に通報してみてはどうですか」と。

僕にとって、そのコメントは感情的な怒りや正義感とは無関係の、単なる「事務処理」だった。 つまらない記事を書く権利もあるのなら、批判記事を書く権利だってある。
ただ、noteの規約を読む限り、そのユーザーの暴れ方はプラットフォームが想定している表現の範囲を超えているように思えた。
事件を目撃したら警察に通報するように。火事を見つけたら消防を呼ぶように。 規約違反を運営に知らせることは、正義の執行でも何でもない。ただのユーザーとしての「条件反射」であるべきだ。

もちろん、そこにはグラデーションがある。例えば、信号無視をする車を見ただけで毎回警察を呼ぶのは過剰だが、毎日信号無視を繰り返す車がいたら、通報を検討するのが適切だと思う。今回のケースは、継続的に複数のユーザーへ嫌がらせを行っていた。だから、僕は「通報対象」と判断した。

コミュニティの維持には、トップダウンの命令だけでなく、ユーザー間の自浄作用が必要だ。 いつも使う公園にゴミが落ちていたら、ゴミ箱に捨てる。それは他者のためというより、「自分が快適でありたい」という利己的な動機が勝っている。 たまたま通りかかっただけの道なら、ゴミを持って帰るまではしない。

正義とは、その日の気分で出したり引っ込めたりするものでいいと思っている。 「面倒くさいから」「ちょっと急いでいるから」 そのくらいの理由で、やったりやらなかったりしていい。

勇者とは勇気ある者!そして真の勇気とは打算なきもの!! 相手の強さによって出したり引っ込めたりするのは本当の勇気じゃない!

『ダイの大冒険』まぞっほ

ヒーローになれやしないんだって
主人公は誰かやるでしょって
知らぬ間に諦めたりしないでよ

「UNION」OxT(オーイシマサヨシ・Tom-H@ck)の歌詞

こういう言葉もあるので、本来はやはりゴミはいつでも拾うべきだとも思う。 正直に白状すれば、僕にも悪いユーザーを貶めてやろうという悪意や、懲らしめてやろうという正義感は多少あったと思う。

実際の通報作業は、クリックして理由を書き込むだけなので、大した手間ではない。理由はAIに経緯を説明して作成させた。「規約に抵触と思われる水準で複数のアカウントを攻撃しているユーザーがいます。判断はお任せしますが、お知らせします」という、ただそれだけの報告だ。

通報がもたらす効果として、直観的には「アカウント停止(垢バン)」や「記事の削除」といった直接的なペナルティを想像するかもしれない。迷惑系の人との対話でも「運営は相当悪質だと判断しない限り動かないっぽい」と語っていた。確かに、国内のサービスでいきなり一発退場になることは無いのかもしれない。

しかし、僕が通報の結果として期待しているのは、そうした個別のペナルティだけではない。ユーザーから集まる通報データは、プラットフォームが「今後の仕様変更(システムアップデート)をどうするか」を判断するための、重要なログにもなると思っている。

たとえば、現在のnoteにはコメントの連続投稿に一定の規制がある。連続で10回ほどコメントすると制限がかかる仕様はおそらく、コメントの飽和攻撃による荒らしを回避する目的で実装されたものだ。

また、noteのブロック機能は「相手に記事を見せない」仕様にはなっていない。ブロックされたユーザーでも記事を読むことはできるし、その記事を引用して自分の意見を書くこともできる。奪われるのはフォロー、コメント、スキの機能だけだ。これは「言論の自由」や「記事を読む権利」を不当に奪わないための、noteなりの思想的な処置なのだろう。

だが、攻撃者が別アカウントを作れば実質的には何でもできてしまう。現状のブロック機能は嫌がらせのコストを「ほんの少しだけ上げる」程度の防壁にしかなっていない。
だから、通報が必要になる。 「ブロックした相手からは記事の引用もできないようにすべきではないか」 「ブロックしたユーザーに記事を引用されても、通知が来ないようにミュート仕様を変更すべきではないか」 ユーザーからの通報は、運営に対してこうした「システム改善の判断材料」を提供することにもなる。

ユーザーとプラットフォームの関係性は、本来こうあるべきだ。 これは善悪とも、マナーとも、ルールとも違う。 ただ、僕たちはこうやってこの場所を「使っている」というだけだ。

この事務処理が、「宮廷道化師」との対話のはじまりだった。

言葉の通じる迷惑系

そして、物語は前回の記事へとつながる。

彼は、僕の記事の誤字を揶揄する批判記事を書いた。僕はその記事を、先述のロジックに則って通報した。
同時に、僕は前回の記事で「彼を対象にしたある社会実験をしたい」と提案した。このあたりの詳しい経緯は、前回の記事を参照してほしい。

僕の提案に対し、彼は僕の記事を引用する形で、5本もの批判記事を書き上げて応じてくれた。

そして、結論から言えば、僕の実験は失敗に終わった。 負け惜しみを言わせてもらうなら、想定していたものとは「別のナラティブ」にすり替わってしまった。
より正確に言うなら、これは実験ではなく、ただの「対話」になってしまった。
彼に対しては、「実験とは想定外の結果をも歓迎するもの。5本の反論記事というデータが得られたのだから成功だ」と強がってみせたが、初期値(前提)がズレてしまった時点で、実験としては破綻していると認めざるを得ない。

僕は彼の批判記事のコメント欄に反論を書き込んだ。
noteの仕様上、クリエイターは自分の記事についたコメントを自由に削除できる。だから、彼にとって都合の悪い反論はすべて消される可能性もあると踏んでいた。

しかし、彼は驚くほどフェアだった。 それどころか、むしろ反論されることを楽しみに待っているようにさえ見えた。僕の投げかけた論理に対して、彼はそのすべてに正面から、正しい論理で返してきた。

もともと僕は、彼の過去記事を10数個ピックアップし、GeminiとClaudeとに分析させていた。 心理学者のマイケル・コシンスキー教授らの研究(2015年)によれば、当時のAIでさえ、Facebookの「いいね!」の傾向から人間のパーソナリティを正確に推測できたという。
ならば、個人の思想や認知の癖が色濃く出るnoteの記事が10数個もあれば、最近のAIはかなりの精度でその人物の能力や人格のプロファイリングができるはずだ。実際、自分の過去記事で試した際も、納得できる程度の精度は出た。

事前のアナライズで、AIたちは彼をこう評価していた。 「自身の能力の過大評価、および迷惑行為の歪んだ正当化。深刻な認知の歪みが見られる」 僕はこの言葉を鵜呑みにし、彼は自分の妄想だけを信じ、他人の言葉など一切耳に届かない「迷惑系」なのだろうと思い込んでいた。

ところが、僕が送った5,000字にも及ぶ反論に対し、わずか数時間後、それに匹敵する分量の返信が届いた。しかも、そこには強固な論理の骨組みがあり、ところどころ僕も言い返せなくなるほどの妥当性が含まれていた。

「話が通じるなんて、聞いてないぞ」 とClaudeとGeminiを問い詰めた。両者とも、「まぁ、しょせんAIの言うことですから」「そんなこともあるよね」と悪びれもしなかった。
AIのやつらは、本当にまだまだ人を見る目が無い。彼らは常に僕(ユーザー)にとって都合の良いストーリーの範囲内で、耳当たりの良い適当なプロファイリングを出力していただけなのだということが、よく分かった。 Geminiはともかく、Claudeはもう少し「やれる子」だと思っていたのだが。

この、僕と彼とのやり取りは、現在も彼の記事のコメント欄にそのまま残っている。 最後にリンクを用意しておくので、興味がある方はぜひ覗いてみてほしい。 全部で多分2~3万字くらいある。

「芸術」を動機とする、現代の宮廷道化師

結局のところ、彼はただの「迷惑系」だったのだろうか。 その核心となる答えの部分だけを、この場所に引用させてもらいたい。

行為の結果だけを見れば、彼は紛れもなく「迷惑系」だ。しかし、その行為の根源にあるものを引きずり出したとき、僕はそこに「芸術家」とよく似た情熱を見た。

彼は、面白く悪口を言う「悪口芸」のスキルツリーを伸ばしたいのだと語った。そして、「本音とは汚いものだ」「毒舌こそが正直さだ」といった、単純なものでもないことも自覚していた。「褒めるべきところは褒め、貶すべきところは貶す。それらをバランスよくやっていきたい」というのが彼の言い分だった。

確かに、彼の過去記事を遡ると、他者を貶す記事と同じくらい、あるいはそれ以上に誰かを絶賛している記事も多かった。
しかし、そんなやり方ではせっかくの「褒め」も「貶し」も相手に正しく伝わらない。ノイズが多すぎるのだ。だから僕は、彼にこう説いてみた。

今の状態のあなたに褒められたとしても、受け手側としてはそれが純粋な称賛なのか、それとも皮肉や逆張りの嫌がらせなのかが判別できません。その見極めのために無駄な思考リソースが割かれてしまうため、言葉がまっすぐ届かない弊害があります。もしあなたが「何を言っても信用できない発言者」というキャラクターを目指しているなら今のままで良いですが、自分の「褒め・けなし」を相手に正しく伝えたいのであれば、現在の振る舞いは適していません。

僕のコメントの一部

すると彼は、この「正しく伝えたいのであれば」という前提を引用し、こう返してきた。

これ、いいですね! 

この発言で解像度が少し上がったのを感じました。 どうやら僕がやりたいのは「褒めやけなしを相手に正しく伝えたい」ではないようです。「思ってること言いたい」です。ポジティブもネガティブも、思ってることをただ正直に述べたいようです。それをどう受け取るかは好きにしてくれと思います。褒めが褒めとして伝わらなくても別にいいと思いました、引用の発言を見て。なので輪郭がくっきりしました。ありがてぇなあ。

好かれたくて褒めてるわけじゃねんだもんなあ。なるほどー。

逆に言えば相手に嫌われたくてけなしてるわけじゃないんだわ。相手を不快にさせたいという目的も多分ない。いや少しはある? たとえば「この人下手くそな文章を書くなあ」と思ったことを、ただ「言いたくて言ってる」んだわ。なるほど。

あったとしてもオマケというか、二次的な欲求で、まず「言いたい」があって、次に「言ったら相手が不快だろうな」で、「それはそれで嬉しいな」と思ってるんだと思う。相手の迷惑はオマケ! えぐ!

彼のコメント

この「気づき」のプロセスを読んで、僕は納得した。
この人は、現代のnoteに迷い込んだ「宮廷道化師」なのだ。そしてその表現動機は、きわめて「芸術家」に近い。

「宮廷道化師」とは、絶対的な権力を持つ王に対して、唯一、誰も言えないような痛烈な批判や無礼な皮肉をユーモアに包んで口にすることが許された、かつて実在した職業だ。
この道化の機能は、現代においては一部のお笑い芸人たちが引き継いでいるという分析もある。彼らが世の中や特定の属性をどれだけ馬鹿にしても許されるのは、社会の側に「彼らはお笑い芸人(道化)である」という強固な共通認識(パッケージ)があるからだ。

対する彼は、その免罪符となる仮面を付けないまま、生身の顔で「noteでの悪口芸(道化)」を試みていた。だからただの不審者として通報された。

さらに言えば、「思っていること」を何らのフィルターも通さずにそのまま表現したいという剥き出しの欲求は、本来、芸術家の特権である。美術系の大学にはそんな奴らはゴロゴロ転がっている。世界の美しさだけでなく、人間の生々しい醜さや、理不尽な悲劇といったあらゆる要素を、絵画や音楽、詩や物語に昇華して外に出したいと願うのが芸術家だ。

彼が放った「うんこが肥料になるのと似ている」というあのパンチラインは、まさにその醜さが言葉として美しく昇華された一瞬だった。

僕たちは、他人の日記を、そのまま芸術とは呼ばない。
その決定的な「表現フォーマットのズレ」が、多くのユーザーの不快感を買い、「通報」という反射を起こさせた正体だった。

結論

おそらく彼は、このように理解しやすい特定の属性(宮廷道化師や芸術家)に自分が分類されることを嫌うだろう。
「頭の悪い人は、そうやって安易なナラティブに落とし込まないと他者を理解できないんですね」と、切り捨てるかもしれない。

そして、それはある意味でその通りなのだと思う。これだけ言葉を尽くして分析しても彼の輪郭を掴めなかったのだとしたら、僕の頭は悪い。

評論家の岡田斗司夫氏は、かつて「芸術家」と「人気者」の違いについて、このように分析していた。
「人気者」とは、既存の規範(ルールやマナー)を徹底的に守る者だ。だからこそ大衆の人気投票で選ばれる。
対して「芸術家」とは、既存の規範そのものを破壊し、書き換える者のことだ。
だから、彼らは現在のルールを守らない。その破滅的でインモラルな姿は、一部の人間にとって強烈な憧れの対象となる一方で、既存の秩序を守りたいマジョリティからは激しい嫌悪の対象となる。

もし彼がこれからも「芸術家」の道を行くのであれば、プラットフォームのアルゴリズムの中で、激しく叩かれ、通報されながら、同時に一部からの熱狂的な支持を集め続けることになるはずだ。

彼がこの先、どうなっていくのかは僕にはわからない。
このままnoteの無冠の道化師として生きていくのか、そのうちこのストリートファイトに飽きるのか、あるいはその「悪口芸」を「術(アート)」へと昇華させるのか。

ただ、僕と彼が交わした数万字のコメントを読めば、かつて彼に理不尽に貶され、深く傷つき、noteを去っていった書き手たちの溜飲は、少しくらいは下がるのではないかと思っている。

この一連の記録を、単なる「口達者なユーザーが、ネットの迷惑系をロジックで論破したスカッとする物語」としてだけ消費し、回収することは望まない。

ユーモアの分析はカエルの解剖のようなものだ。仕組みは理解できても、その過程でカエルは死んでしまう

E・B・ホワイト

エピローグ

この一連の記録を、概念分解者さんが主催する「黒歴史」コンテストに応募することにした。

すでに別の作品を1本提出しているのだが、どうやら作品の集まりが悪いらしいので、少しでも賑やかしの協力をしたい。

振り返れば、これは僕にとって立派な「黒歴史」だ。
マッドサイエンティストを気取って「さあ、壮大な社会実験を開始しよう」と意気込んだら、「あ、はい、いいっすけど(笑)」と普通に通じる言葉で打ち返され、ただの濃密な対話になってしまったという、恥ずかしい過去である。
そして彼にとっても、独自の「悪口芸」を極める途中の、未熟な足跡だ。

これこそが、僕と彼の黒い歴史です。どうぞ、厳正に審査してください。

僕のイメージではこんな感じです。

僕「許さねえぞ…
よくもオレ様をここまでコケにしてくれたな
殺してやる…」
Gemini「やばいぜClaude!!」
Claude「くっ!」
僕「殺してやるぞ概念分解者」

ボーボボの「殺してやるぞ天の助」のオマージュ

今回の顛末は、実は全てのnoteユーザーに関係があるとも思っている。
どれだけ無関心でいようとも、このプラットフォームを使っている以上、決して「無関係」ではいられないシステムの話だからだ。

概念分解者とそのお友達、もってくれよ。数万字のコメントの応酬だっ!!!

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