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第6回「“ただの日常”が、僕の支えになっている」〜精神疾患と無職の生活、それでも回る毎日のこと〜

最近、自分の生活にこれといった変化はありません。
起きる時間も、食べるものも、歩く道も、あまり変わらない。
それでも——、僕はこの「変わらなさ」に助けられています。


■ 朝の光と、体の声を聴く時間

毎朝5時に起きて、6時から散歩に出かけます。
空の色、風の温度、体の重さ——何も特別なことはしていないけれど、
それが少しずつ「今日の自分」を教えてくれる。

汗のかき方、足の軽さ、呼吸の深さ。
それらは体調だけでなく、心の調子を映す「指標」でもあります。

不安の波や思考の渦に飲まれやすい僕にとって、
体を動かしながら感覚を開く時間は、心のコンパスを整えてくれるものになりました。


■ 「食べること」が生活をつなぐ

食事は、単なる栄養補給を超えた「生活との接点」です。
朝食にトマトジュースを飲む。昼にごはんを炊く。夜はタンパク質を意識して摂る。

そうした一つひとつが、自分が「今日も生きている」実感につながります。
体が求めるものを、過不足なく与えるという行為は、自分への信頼の土台にもなります。


■ 湯船とストレッチと、記録の習慣

最近は気温が暑いのでシャワーが中心ですが、少しでも時間があれば湯船に浸かるようにしています。体の輪郭がふわっと溶けて、心が静まってくる。
それはまるで、自分という存在を“なだめる”ような感覚です。

そして、1日を5点満点で自己評価する習慣。
今日は3点。あれができなかった、でも散歩はできた。
その程度でいい。評価というよりは、確認です。
「今日の僕は、ちゃんとここにいたよ」と、明日に向けて伝えるための記録です。


■ 何もしなかった日にも意味がある

無職で、誰とも会わず、予定のない日。
「何もしていない自分」に、昔の僕なら罪悪感を抱いていたと思います。

でも今は、そういう日にも“居場所”があるような気がしています。
洋服を整理する、窓を拭く、洗濯物をたたむ。
それだけでも十分な営みなのだと、自分に言ってあげられるようになりました。


■ 生きていくということ、整えていくということ

世の中の「変化こそ価値」「挑戦しなきゃ成長できない」
——そんな声から少し距離をとってみると、
変わらない日常のなかにも、確かな支えがあることに気づきます。

読書して、歩いて、ごはんを食べて、お風呂に入る。
それだけで自分を保てるということに、少しだけ誇らしさすら覚える。


毎日を丁寧に過ごすことは、
「今のままでも、生きていていい」と、そっと肯定してくれる行為なのかもしれません。


無職でも、精神疾患があっても、日常を大切にすることで、自分を取り戻せる。

そんなふうに思えるようになるまでには、少し時間がかかりました。
でも今は、この“ただの日常”が、僕の支えになっています。


もし同じような思いを抱えている方がいれば、
ぜひスキやフォローをお願いします。
それが、僕にとっての静かな励みになります。

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