「スキ」が少なくても続ける理由を自分で整理してみた
私は化学物質過敏症の悪化により9年前から就労できていない。
そんな私が2026年8月20日にnoteを始めてから、10日間で16本の記事を書いた。
※私がnote記事を書いてみようと思ったキッカケは、↓
はじめてのnote | 63歳、化学物質過敏症。そして、noteを始めてみようと思った日。|人生まだ実験中
最初の頃は、やはり『誰か読んでくれたかな?』と気になり【ダッシュボード】でアクセス状況を確認する事が多かった。すると意外にもビューが増えていた。
だが実は、その殆どが自分で記事を開いて編集したものや、ただ読者の画面に表示されたものがカウントされているだけで、実際には読まれていないケースが多々あることを後から知った。
だから、初めて「〇〇さんがスキしました」や、初めて「〇〇さんがフォローしました」という通知を目にした時『おぉ・・・』という感動があった。
ただ、10日間が過ぎても数は少ない。
(ビュー:478 コメント:0 スキ:13)
『まぁ、そりゃそうだよな』と思いつつも、私と同じ頃にnoteデビューした方の情報を覗いてみたら、自分の少なさに改めて気づかされ、正直ずーん…と、へこんで行きそうになった。
そこで、自分の記事に対する他者からの反応は一旦脇において考えてみた。
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まず、私の生活は、note記事を書き始める前と後では変化が起きていた。
朝起きてトイレに入る。ふと、頭の中に色々な事が思い浮かぶ。「あぁ、この事も記事にしたいな」と思う。忘れないようにメモをとる。
実は勤務中も、企画やプログラミングで行き詰まった時、トイレに入ると突然解決策が浮かんでいた。
最近では、その対象がnote記事になっていて『まるで会社員時代のあの頃のようだな』と、どこか懐かしい気持ちと一種の心地良さを感じている。(1)
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因みに、私の観察対象となるものは、家庭菜園、昆虫、微生物、パソコン等。
一見するとバラバラなのだが、その観察の中からの疑問、気付き、過去の経験などが自然と結びついていく。そして記事を書き始めると時間を忘れて没頭し、自分なりの結論へと繋がっていく。その過程が楽しい。(2)
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また、私の記事は自分の頭の中の整理に近い。
『なぜ私はそう思ったのか』
『なぜそれが気になったのか』
『なぜ今さらこんなことを考えているのか』
それらを考えながら記事にしていく。
そしてnote記事を読みやすく編集しようと何度も読み直していくうち、自分が書いているのは、家庭菜園や昆虫の話ではなく、それらを通して見えてきたことを綴るエッセイなのだと気付いた。エッセイは「読者に向けて書く」と同時に、「自分自身を理解するために書く」作業でもあるからだ。
因みに、心理学では自分の経験や考えを言語化し整理することには、自分自身を客観視しやすくする側面があるとされている。
私の記事を作る過程が認知行動療法そのもの、という訳ではないが、出来事や考えを整理するという点では共通する部分もあるらしい。つまり、記事を書くことは、自分自身を客観的に見つめ直す機会になる。(3)
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さらに、私は63歳で一人暮らしだ。認知症の症状が現れ始めても不思議ではない年齢に突入した。しかも冒頭で述べた通り、化学物質過敏症で外出さえ大きな負担となる。そのため現在の行動範囲は、自宅と歯科、そして畑くらいしかない。
今のこの状況で、もし記事を書かなければ、頭の中で考えたことはそのまま消えていくか、あるいは整理されないまま蓄積されるだけかもしれない。
一方で記事を書くためには、過去を思い出し、現在を観察し、それらを言葉に置き換える必要がある。
記事を書いていれば認知症を予防できるという意味ではないものの、認知症研究では、読書や学習、執筆などの知的活動が認知機能の維持と関連する可能性が指摘されている。
少なくとも、記事を完成させるまでの行為は、何もしないで時間を過ごすよりは頭を使っていると言えそうだ。(4)
――
また、私にとってnoteは単なる頭の中の整理というだけではない。
記事を書き続ける事で、自分自身がどんな人間なのかも見えてくる。どんなことに興味を持つのか、何に引っかかり、何を面白いと思うのかも記録として残る。
そうして積み重なった記事は、結果として私がどんな人間だったのかを表す記録になる。(5)
――
私の記事には読者もスキも少ない。今後は増えていくだろう、などという楽観的な考えを持てる根拠は何もない。
ただ、こうやって改めて整理していくと今の段階で5つのメリットが分かった。もしかしたら、別のメリットだってあるかも知れない。
そうだ、少なくとも今の私にとっては、続ける理由としてそれだけあれば十分だ。
へこむ必要はない。(よし、今夜はもう寝よう!)
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