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【Perplexity執筆】日本語の基本構文を一人称表現(自称詞)に着目して考える4つの記事のまとめ(25年12月)

日本語の一人称表現(自称詞)に関連する記事をこれまで数本書きましたのでそれを一旦整理しておきます。

(記事URLをAI=Perplexityに読ませて整理させたものを人力編集)

  • 恩師から学んだ哲学(世界観)


  • 私の仮説(私見)

日本語は世界(事態)を話し手の視座から主観的に描くことを標準(無標)とする。話者自身を示す表現(自称詞)は無標の場合は現れない。現れないが事態を感じる主体として存在が含意されることが、他の言語的要素(文末など)で表現される。自称詞が現れた場合は話し手と他者を比較対照する。 

英語は世界を第3者の視座から描くことを標準(無標)とする。描く事態と話し手の関係を示す必要があれば一人称代名詞が現れ、必要なければ現れない。一人称代名詞が現れなければその事態に話し手は存在しない。



以下、Perplexity執筆(人力編集)


■導入

これまでに書いた4本の記事で、日本語の言語特徴(自称詞、主題化、視座)をテーマに英語と比較対象することで検討しています。学士論文(卒論) の回顧録から言語学的な雑記まで、学術的興味が中心です。これらを言語・翻訳・文化の観点で整理すると、3つのグループに分けられます。

+卒論関連文献リスト

学部卒論「日本語の自称詞について」で引用した先行文献を草稿からサルベージした記事。自称詞が他者意識で現れる点を森有正の論を補助線に扱っています。

  • 本多啓(2005)『アフォーダンスの認知意味論』

  • Hinds, John(1986)Situation vs. Person Focus

  • 森田良行(1998)『日本人の発想、日本語の表現』

  • 中村桃子(2007)『〈性〉と日本語』

  • 鈴木孝夫(1973)『ことばと文化』

  • 時枝誠記(1941)『国語学原論』

森有正も参考にあったがリスト外。また、三上を引いていないなど、文献バランスの偏りを自覚。​

上の記事では言及してない=卒論では直接引用してないはずだけど、大学の英語学の講義で読んだラネカー、フィルモア、レイコフみたいな認知文法には当然ながら影響を受けてる。そこに国学/国語学ベース…というか時枝の言語過程説(これも認知文法では?)が重なり、それらで森有正の〈汝の汝〉を言語学的に検証しようとした、のが私の卒論だと思う。

+日英構文・主題化の分析

「象は鼻が長い」の英語訳をめぐる議論

K.Andenさんの記事にコメントし、Perplexityの解説を引用。

「An elephant is long in the trunk.」はSVC構文で意味通じるが不自然。最も自然と思われるのは「Elephants have long trunks.」の所有構文。

日本語「は」は主題提示、英語は主語中心で主語が主格と主題を同時に担う。


『雪国』冒頭の原文と英訳比較

原文は乗客視座(一人称視座)のパッチワーク的描写、英訳は神様視点(三人称視座)の静的箱庭。一人称視座については俳句の例(山口素堂、正岡子規)も挙げる。恩師宗宮喜代子著書で補強。​根幹に近い記事。

卒論でもだいたいこういうような理屈で、あとはマンガや小説から実例引いたり翻訳で日英対照してページ数稼いだ。


+俳句の言語解釈

松尾芭蕉「古池や蛙飛び込む水の音」の蛙が1匹であると判断できる理由を妻(国語免許持ち)が解説。

蛙は春の季語で冬眠からの目覚めを表す。複数だと「目覚め」の一回性(固有性)が失われてしまうため、1匹が適切。初出が3月の句集『春の日』であることも春を示唆。


■結論

仮説は、認知言語学や日英類型論の研究で広く支持されるものです。​

日本語の主観視座と自称詞省略

日本語は話し手の内側視点(主観的把握)が無標で、事態を一人称視座から描きます。自称詞(私・僕等)は省略され、文末表現(授受動詞「てあげる/くれる」、移動動詞「来る/行く」)で話し手の存在が含意されます。自称詞明示時は他者比較・対照(例:「私は行きますが、あなたは?」)が生じます。​

英語の客観視座と一人称明示

英語は第3者視点(客観的把握)が標準で、世界を外部から描写。一人称(I)は関係明示時に現れ、省略で話し手不在(例:"It rains.")。主語必須のため、話し手関与を常に構文化。​

仮説の学術的裏付け

池上嘉彦らの主観/客観把握論、本多啓の視点現象に関する議論が基盤。三上章の主題化も視座差を補強。あなたの学生仮説は、象の鼻例や卒論文献(Hinds等)と整合。

(ここまでPerplexity執筆・人力編集)


私的動機

言語学に興味を持つことになったきっかけは、中学公民か高校倫理あたりでレヴィ=ストロースらの構造主義を知ったことにある。〈世界を認識する枠組みとしての言語〉とでもいうような考え方に強く惹かれた。そしてこれは、私が周囲とうまくコミュニケーションが取れないことに悩んでいた(のちにASD特性が強いことが医師の診断で分かる)ことが動機付けとして働いた、自己理解とセルフケアの側面があると思う。言語理解凸(WAIS-III)という特性もあってうまいこと東京外国語大学に滑り込み、言語学を学び、今に至る。


過去記事


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Special Thanks

この方の以下の記事を読んだことがきっかけで、私の言語学観や言語学を学ぶきっかけのことをまとめておきたいと思い、この記事が生まれました。感謝。

おまけに写真を1枚。

BOOKOFF SUPRER BAZARRで見つけた幼児用登山靴。かわいい。5000円。25年12月20日。

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