【物語】 貴婦人の予祝 《第3章》 貴婦人の大地 赤 Rouge
第3章 貴婦人の大地 赤 Rouge
《第1チャクラ》
色 赤
象徴 生命の根源
主題 生存・肉体的欲求
目標 グラウンディング
「出かけます」
マダムは歩き出した。朝食は機内で、と短く言い添えながら。
昨日と同じように、どこかの国のプリンセスのごとく、セシルに朝の身支度を整えてもらった後だった。
――機内って飛行機?
けれど、そういう小さな質問は無意味だということに、私は気づき始めていた。目的地への移動は、時には地下道を使ってリムジンで最速に――。それをスタンダードな生活水準にしている女性が、世の中には本当に存在するのだ。
裾が芸術的にカットされたAラインのシルクシフォンのワンピースも、マダム・ロゼが纏(まと)うと風のように自然だった。彼女が身に着けるものには、縫い目らしい縫い目が見当たらない。比類なき審美眼によって選ばれた極上の衣服が、彼女の美しさに日々新鮮なエスプリを添える。
今日、その役を担うカラーは、深紅。
――これがオートクチュール?
それは名立たる映画祭のレッドカーペットで、有名な女優たちが誇らしげに着る類いの服だと思っていた。でもオートクチュールを日常的に着こなす人だって、もしかしたらいるのかもしれない。
ううん、そうじゃない。私の目の前にいる女性のワードロープに、それ以外の服は存在しない――。ただそれだけのこと、なのかもしれない。
緩やかに止まったリムジンのドアの向こうは、既に飛行場だった。恭しくエスコートする男性たちに先導されて、マダムと私は小さな飛行機に乗り込んだ。自分がプライベートジェットに乗る日が来るなんて、夢にも思わなかった。でもマダムといると、そういう非日常の贅沢になぜか素直にはしゃげなかった。一体この先、どんなことが起こるのだろう? つい、そんな気持ちになってしまう。それに彼女は説明などしない。彼女の日常の一コマを、ただ黙って「見せる」だけだ。
小さな機内で私たちを待っていたのは、一人の日本人女性だった。
「ようこそ。お待ちしておりました」
日本のエアラインで見かけるキャビンアテンダントのように、上品で温かな笑顔を浮かべながら、彼女は深々と頭を下げた。その装いもまた、キャリアを積み上げてきた美しい客室乗務員そのものだった。幼い女の子たちの憧れを呼び起こしそうな、凛とした制服姿。上品にまとめられた黒髪。洗練されたメイク。首元で形よく結ばれた、光沢のあるグリーンのスカーフ。
「本日のフライトのサービスをさせて頂きます、三木と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
――フランス人のプライベートジェットに、日本人の乗務員?
三木と名乗ったその女性は、私のささやかな疑問を素早く察知したらしく、私たちを席に案内しながら丁寧な口調で言葉を添えた。
「マダムからのリクエストでございます。今日のお連れ様は日本から来た若い女性の方なので、それに適したサービスを、と承っております。ご要望があれば、何なりとお申しつけ下さい」
私が驚いてマダムを見ると、彼女はいつものさらりとした口調で答えた。「あなたは私の大切な客人です。短いフライトですが、心ゆくまで楽しみなさい」
これがマダムの生きる世界――。彼女にとっては些細なことですら、私には眩しすぎた。プライベートジェットの機内サービスを、気分に合わせてオーダーする人々。しかも、今日のサービスは「私」のために選ばれたのだという。どうしてマダムはそんなことまでしてくれるんだろう?
革張りのシートやソファーがゆったりと置かれた機内は、マダムに相応しく、しっかりと手間とお金をかけたことが分かる贅沢な空間だった。たった1時間程度のフライトだというのに、ところどころに花まで飾られている。月光色のガラス製の花瓶に、枝ものの植物や初夏の花を組み合わせたアレンジは、どこか日本の生け花にも似ていて、不思議な親密さを醸し出していた。涼やかに生けられたライラックや鈴蘭の香りに、自然と心が安らいでいく。マダムがいつになく目を細めた。
「あなたが生けてくれたの?」
「はい」
三木さんは控えめに微笑んだ。マダムは感じ入った様子で、その花々を見ていた。しばらくして振り返ったマダムの表情は、はっとするほどやわらかだった。
「素晴らしいわ。ありがとう」
温かな声だった。三木さんは驚いた様子でマダムを見た。声をかけられるとは思ってもいなかったのだろう。
「恐れ入ります」
囁くようにそう答えた彼女の瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。
私のためのリクエストとマダム自身の好みを、どう組み合わせればいいのか――。もしかしたら、彼女は何度も試行錯誤したのかもしれない。マダムと知り合ったばかりの私でさえ、それがどんなに難しいことなのか、容易に想像できた。思いがけないねぎらいに張りつめていた緊張が解け、不意に涙が出てきた三木さんの心の内が、私には痛いほどよく分かった。
飛行機は渡り鳥が風に乗るようなスムーズさで離陸し、程なくして、三木さんは私のために素晴らしいブランチを用意してくれた。メインは洋風の手まり寿司だった。生ハムやサーモン、クリムチーズ、錦糸卵、いくら、薄切りのラディッシュに胡瓜。そんな和洋の食材が、丸くにぎられた薄桃色の酢飯の上に、かわいらしく盛りつけられている。伊万里の器によそったコンソメープ。果物の盛り合わせと洋梨のジェラード。温かな緑茶。久しぶりに口にする和食は本当においしくて、彩りの美しさにも心が癒された。聞けば、地元のレストランのシェフとメニューや食材を検討し、彼女自身も実際に調理を手がけたのだという。
食事の折々に優しく声をかけてくれる三木さんとの会話で、無意識に強張っていた気持ちが和らいでいくようだった。気がつけば、私は出された食事を残さず食べていただけでなく、その心地よいサービスの中で、いつの間にかゆっくりと寛いでいた。無言のままのマダムといても、変に疲れを感じることもなかった。もしかしたらマダムは、緊張のあまり食事も進まずにいた私のことを気遣ってくれたのだろうか。狭い機内でなら、なおさらだろう、と。
真意の程は分からなかった。マダムは相変わらず紅茶だけを手に、物憂げな様子で何か別のことを考えているようだった。
瞬く間に時間が過ぎ、私たちを乗せたジェット機は、太陽の光が降りそそぐ美しい街に降り立った。着陸直前に、三木さんとパイロットが「Grasse」と話しているのが聞こえた。
「どうぞお気をつけて。楽しいご滞在になりますことを、心より願っております」
出迎えてくれた時と同じように温かくそう言い、三木さんは深々と礼をした。初めて会ったはずなのに、なぜかとても別れがたかった。急に不安がこみ上げてくる。束の間でも、ほっとすることのできた時間が既に懐かしかった。
でも、ずっとここに留まっているわけにもいかない。私は三木さんに別れを告げると、マダムの後について外へ出た。
飛行機を降りた先では、既に白いリムジンが待機していた。Door to door, ドアからドアへ。そしてどんなに短い時間でも、最高のサービスを欠かさない。それが「移動」におけるマダムのスタイルなのだ。
やがて車は一面に広がる花畑の前で停車した。どこまでも続く花々の遠く向こうに、なだらかな稜線を抱いたいくつもの小高い山が連なっている。最初はワイン農園だと思ったけれど、辺りを覆う白やベビーピンクの花と豊潤な香りで、花畑なのだと気づいた。
マダムは慈しむように、低い木々に咲くバラを眺めていた。
「五月はグラースが最も美しい季節なの」
ハイヒール姿のまま、彼女は優雅に畑に足を踏み入れた。桃色のバラに手を添え、顔を近づけている。私もマダムを真似て手近な花の香りを嗅いでみた。素晴らしく甘い香りだ。
「この一帯には、このローズ・ドゥメだけでなく、チュベローズ、オレンジフラワー、においすみれ、ラベンダーなどが、一年を通して丁寧に、計画的に栽培されているの。そしてジャスミン。グラースのジャスミンは、エジプト産でもインド産でも代用できない、繊細で類(たぐ)い稀(まれ)な香りを誇るのよ。この広大な土地に可憐に咲く花たちを、私は命がけで守っている。それがなぜだか、あなたには分かる?」
マダムは久々に私を正面から見据えた。ジェットの中で見た物憂げな様子とは打って変わって、その表情も声もいつになく真剣だった。見当外れな答えを出せば、そのまま無言で立ち去ってしまうかもしれない。そうかと言って、安易に分からないと返事をするのも憚(はばか)られた。彼女が「命がけで守っている」と言うからには、私もその答えを命がけで考えなければならないのだ。
私は目を閉じて、風に身を委ねるように心を落ち着かせた。知ったふりをしてはだめだ、と自分に言い聞かせる。素直な気持ちでゆっくりと呼吸を繰り返すうちに、大地に漂う豊かな香りと乾いた心地よい空気が全身を満たし始めた。めくるめく芳香に、肌という肌、細胞という細胞のすべてが浸されていくようだった。無数の花が生み出す、圧倒的な香り。香り……?
私は目を開けた。
「香水の原料となる花たち」
私はマダムをまっすぐに見て、そう答えた。マダムは目を少し細めると、幾分満足そうに頷いた。
よかった。
素直にそう思った。肩の力が抜けていく。合格、のようだった。
バラ畑を一望できる小さなシャトーのバルコニーで、私たちは向かいあって白ワインを飲んだ。それは私が生まれて初めて口にしたシャブリだった。よく冷えていてさらりと喉を潤すだけでなく、喉元を通り過ぎた後でも、贅沢な余韻がいつまでも続いている。その美味しさに私は純粋に感動していた。
初夏の南フランス。上質の白ワイン。辺り一帯を満たす花の香り。やわらかな午後の陽の光。風情に満ちた古いシャトー。マダムはほんの数歩で、パリの邸宅から、写真集の一ページのようなこの美しい世界に「移動」してきた。その事実もまた、私には眩しかった。
「このシャトーは、母が晩年を過ごした場所なの。目が見えなくなってからは、ずっと」
天候の話でもするようなさりげなさで、マダムは語り始めた。でも、何かが始まる予感があった。私は居住まいを正した。美味しすぎるワインを、決して飲みすぎないように。
「母の祖先は、このグラースでなめし皮製品の店を営んでいた。ある時、この皮特有の匂いを嫌う女性たちのために、一族の一人が香りをつけたレザーの手袋を売ることを思いついたの。それが大流行したことで、母の祖先は大きな富を得た。それは同時に、グラースが香水の街として生まれ変わった瞬間でもあった。父はユダヤ系の裕福な商家の出身で、彼の一族はヨーロッパの各地で成功を収めていたわ。父は香水の事業で財を築いたのだけれど、その縁でグラース出身の母と出会い、二人は恋に落ちたの。当時は第二次大戦の真っ最中で、ナチスの台頭に不安を感じた二人は、グラースに身を寄せることにした。でもその矢先、あっという間にパリが陥落してしまった。そして不運にも、密告によって父がユダヤ人であることが軍に伝わり、父は連行されてしまった」
その短い時間で、彼女はあっという間に私の意識を五十年以上も前のフランスへと連れ去った。マダムの口から語られる家族の痛ましい歴史は、完全に魅力的な物語へと変容していた。時折シャブリを口にしながら、マダムは淡々と話し続けた。
「父はその時、ある香水の原案を作ったばかりだった。連行される直前、父はその調香方法を母に託した。そして一刻も早くグラースに戻り、絶対に自分を探さないようにと母に言い聞かせた。母のお腹には既に新しい命が宿っていて、彼はその子を無事に誕生させることが何よりも大切だと考えていた。『僕の生死は神に委ねられている。君の元に戻れるよう最後まであきらめないが、それが叶わなかったとしても悲嘆にくれなくていい。君は今、素晴らしい命と、世界で最も優美な香りを手にしたのだから』と。そしてそれが二人の最後の夜になった。連行された父は拷問を受けた後にドイツに送還され、ホロコーストの犠牲となった。凄惨な拷問の理由は、消えた香水の原案の在り処を吐かせるためだった。第一次大戦の直後から、大手のメゾンが香水で莫大な利益を上げ始めたことに、彼らも注目していたの」
そこまで話すと、マダムしばらく口を噤んだ。私はバルコニーの外に広がる美しい花畑に目をやった。すべてを手にしているように見えたマダムの出生が、そんな話で始まるとは思ってもいなかった。しかし、マダムの表情はどこまでも穏やかだった。
マダムの母親はグラースで密やかに娘のロゼを出産した。その小さな命もまた、ユダヤの血を引いている。誰にも知られてはならない出産だった。セシルの祖母がそのすべてを助けた。彼女もまた、ユダヤの家系に所縁のある1人だったのだ。
ロゼが1歳の誕生日を迎えた日、パリが解放された。マダムの母親は単身でパリに戻り、あらゆる手段を使って恋人の行方を捜した。しかし彼がドイツの収容所で命を落としたことを確認できたのは、その半年後だった。解放直後の熱気の中で、パリの人々はナチスに通じていた男性や、ドイツ兵を客にしていた娼婦たちを引きずり出し、残酷な私刑にさらし始めていた。その光景はマダムの母親に激しい恐怖を植えつけた。彼女には、目の前でリンチに合っている人々と自分の恋人が、重なって見えたのだ。
失意のうちにグラースに戻ったマダムの母親は、娘のロゼを育てること、そして恋人から託された調香の原案を基に、幻の香水を作り出すことに没頭した。同時に自分の私財と恋人の残した財産を使って、パリのいくつかのクチュールメゾンの親会社の株式を購入し続けた。マダムの母親が作り出した香水は、戦後の高揚も相まって、パリやヨーロッパの富裕層の女性たちをいたく魅了した。その評判は各国の王族にまで及んでいった。彼女は希少価値の高いその香水の成分を、一握りの大富豪や王族の女性たちの個性に応じて微妙に変え、唯一無二の香りとして販売した。女たちは自分のためだけに生み出された香りと、高価で美しいオーダーメイドのボトルの虜になった。
マダムの母親は更に、香水の原料となる花農園の開拓と拡大にも大々的に投資した。そして自ら調香師を育て、パリの有名メゾンに紹介した。香水がもたらす莫大な富に心酔していたメゾンのオーナーは、マダムの育てたパフューマ―をこぞって優遇した。戦後、低迷していたオートクチュールを抱えるメゾンでは、経営を立て直す起爆剤を必要としていた。香水はその答えの一つになった。彼らのメゾンでは次々にヒット作が生まれ、プレタポルテ(高級既製服)の需要とともに、世界中のありとあらゆる女性が、有名ブランドのパルファムやコロンに夢中になった。その頃には、主要なメゾンを有する企業のトップレベルの株主になっていたマダムの母親は、計り知れない富を手にすることになった。
すべては、香りの街グラースで育まれた遺伝子と、恋人から伝授されたユダヤの叡智を巧みに使いこなした、彼女の聡明さの賜物だった。
「母は生涯を通じて穏やかな女性だった。花の盛りの春から夏にかけて、私たちはそのほとんどをこのシャトーで過ごしてきた。母はまだ幼かった私に様々な花の香りを嗅がせながら、その特徴を分かりやすく教えてくれた。時にはクイズのように遊び心も加えて。収穫の時期には夜明け前から二人で籠を持って、農家の人々と一緒に来る日も来る日も花を摘み取ったものだわ。そして工房で、その花たちが究極の香りや製油に変わる過程に立ち合った。一キログラムのバラの香料に三十万の花、一キログラムのジャスミンの香料に、約七百キログラムのグラースジャスミン。女性を至福にしてくれる究極の雫は、すべてこの美しい大地と人々の献身なくしては生まれない。母はその真実を、体験を通して私に刻み込んでくれたの。
母は父の遺言を守り、悲嘆にくれることは一度もなかった。ただ与えられたものを最大限に拡大し、どこまでも高めることにのみ情熱をかけた。そのようにして、母は自身の王国と娘を育て上げたの」
マダムはグラスを置き、立ち上がった。
「今日は、この土地一帯を見ている農家の主の誕生日なのよ。一緒にお祝いに行きましょう」
マダムは私を連れてシャトーを出た。バラの香りに満ちた農園を歩いていくと、やがて開けた丘に出た。どこか温もりを感じさせる石積みの建物が、その主と家族の住まいだという。小道沿いに形よく積まれた煉瓦造りの花壇には、ピンクや白のバラや薄紫のラベンダーが咲いていた。庭には可愛らしいガーデンチェアとテーブルが並び、賑やかな声が響いていた。真っ白なクロスがかかったテーブルには、既にいくつもの料理とワイングラスが用意されている。花瓶には庭から摘んだばかりの花が生けられ、屋外の食卓らしいのびやかさに包まれていた。
席について談笑していた男女がマダムを見るなり嬉しそうに立ち上がり、両手を大きく広げた。主人を迎えるというより、娘の帰省を喜ぶ親のようだ。温かな抱擁と挨拶のビズを受け取ったマダムは、寛いだ様子で恰幅のよい初老の男性のそばに腰を下ろすと、私にも椅子を勧めた。すぐに建物から何人もの人が出てきて、皆、気ままに席に着き始めた。年若い夫婦は、生まれて間もない赤ちゃんを連れていた。孫夫婦なのかもしれない。四世代にわたる家族は皆、私の頬にも気がねなく口をつけ、挨拶してくれた。うちとけた笑顔を浮かべながらグラスを手にしているマダムの姿に、私は内心驚いていた。
――この人は、こんなに無防備な表情を浮かべることもあるんだ……。
雑 然とした雰囲気のまま、いつの間にか食事が始まった。タコのサラダ、ラタトゥイユ、シチューの包み焼きパイ、丸々とした子牛のロースト。みんな次々に大皿を回しあっていく。会話はすべてフランス語で何を言っているのかさっぱり分からなかったが、不思議と緊張はしなかった。最初は無言でも居心地よく感じてもらえるよう、笑顔や頷き方に注意を払っていたが、すぐにそんな気負いはいらないことに気づいた。南仏の気さくなフランス人一家は、祖父母や孫といった立場に関係なく、誰もが好き勝手に思ったことを話していた。笑うタイミングも真面目な表情を浮かべる場面も、みんなばらばら。でも、統一性を欠いたその食卓は、なぜか終始ゆったりとした調和に満ちていて、異邦人(よそもの)の私にも心地のよい空間だった。
喋ってもいいし、喋らなくてもいい。自分さえ気持ちよく座っていれば、皆、適当に私を放っておいてくれる。温かな陽ざし。頬にふれる爽やかな風。美しい花々。その開放的な感覚は、日本では味わったことのない空気感だった。
気がつくと私はマダムに拾われて以来初めて、何も考えずに頭を空っぽにできる優しい時間を過ごしていた。
のどかなパーティーがいつの間にか終わり(おじいさんがケーキの蝋燭を吹き消した時だけが、唯一会話がかみ合った瞬間だった)、賑やかな一家に別れを告げ、私たちは来た道を引き返した。マダムは時折立ち止まってはバラに手を触れたり、その香りを吸い込んだりしていた。
「母は私が18の時に亡くなった。最後の数年は病のために視力を失ってしまったの。医者は精神的なことも深く関係しているだろうと言った。起きている間は穏やかだったけれど、夜中に悲鳴を上げて飛び起きることが増え、晩年はそれが顕著だった。実際には見ていないはずの父の拷問のシーンが、よく夢に出てくるのだと言っていたわ。冷や汗でじっとりとした母を抱きしめながら、私は幾度となく思った。父を拷問した男たちを探し出し、同じような、いや、それ以上の苦痛を味わわせて殺してやりたい。父を密告した人間をあぶり出して、その何もかもを根こそぎ奪い取ってやりたいと。私は歴史上で行われた拷問に関する本を読み漁り、綿密で具体的な計画まで立てた。私たちの財力を持ってすれば、それは決して不可能なことではなかった」
静かに語るマダムの横顔を見ているうちに、背筋がすっと冷たくなった。跪いたピエールを見下ろした時の、マダムのうっすらとした微笑みが脳裏をよぎった。
「そんな思いに駆られた時、私はよくこの花畑の真ん中に立ち、何時間でも過ごしていた。バラやジャスミンの香りに全身を浸し、裸足になっていつまでも土の上に立ち続けた。私は父や母に苦しみを与えた人間に、それ以上の慟哭を与える力がある。それを成し遂げる情熱も、大義名分も。そして私が見事に復讐を果たした数年、あるいは数十年後には、彼らの子孫がこの美しい王国を踏み荒らしにやってくるのよ。私だけでなく、母の生み出した香水のために生涯を捧げている人々を殺すために。彼らは父と母の香りの園を破壊し、すべてを取り上げ、そしてここに生きる人々を狂ったように痛めつけ、殺すの。私が行うはずの復讐は、きっとここで繰り返される。母が情熱を持って創り上げた、この地上の天国で。そして多くの血が流される」
言葉とは裏腹に、その表情は静けさに満ちていた。夕日が彼女の肢体を優しく包み込んでいた。
「母はよく言っていた。『ロゼ、私が何よりも憎むのは貧しさ。私には貧困が許せない。人ではなく貧困そのものが。目先のいくらかのお金のためにあの人を売った人の貧しさ。敵国の男たちに身を売るしかなかった女性たちの貧しさ。潤う娼婦たちを妬んだ人々の貧しさ。その嫉妬が、かつての娼婦たちをパリの広場に引きずり出し、肉体どころか魂までも辱めた。世界で最も華やかで美しいはずの、あの街で。彼らや彼女たちに十分なお金や財があれば、たとえ戦時下でも、同胞を売ったり敵に体を任せたりする以外の道があったはずなのに。
ロゼ。豊かでいなさい。身に纏(まと)うもの、口にするもの、聴く音、目にするもの、そして自分を取り巻く香り。身を置く場所。あなたが呼吸するすべての瞬間を、常に最高の贅沢の中で生きなさい。決して豊かさから自分を切り離してはだめ。身も心も至福の中に浸すの。そして与えられた恵みに感謝をして、存分に受け取り続けなさい。永遠に』と。私は生まれ落ちた時から今、この瞬間に至るまで、母の言葉通りに生きてきた。彼女の尊い教えを体現することに、私が生きる意味がある」
ふと、マダムが靴を脱いだ。素足で地面に降り立ったマダムは、背筋を伸ばして両腕を広げた。彼女は誰にともなく優雅に礼をすると、ゆっくりと踊り始めた。しなやかな動きに合わせて、彼女を包み込む深紅のシルクシフォンが風に揺れた。まるで、彼女自身が美しい一輪のバラのようだった。今は亡き父と母から贈られた地上の楽園で、マダムはいつまでも踊り続けていた。
~第1チャクラ・ルートチャクラ~
・チャクラ名……ルートチャクラ(ベースチャクラ、根チャクラ、尾骨チャクラ)
・サンスクリット語……ムーラダーラ(根、支えるもの)
・色……赤
・関連する体の部位……骨・骨格・結腸・直腸・足・肛門等。(血液、免疫システム)
第1チャクラは、あなたが生きるための全ての「基盤」です。生殖器と肛門の間、会陰部にあり、副腎や骨、骨格に影響します。尾骨から足を伝って下へエネルギーを流し、あなたと大地を結びつけ、現実の世界でしっかりした基盤を作る役割を果たしてくれます。チャクラの中では一番濃密なエネルギー場で、あなたの心身にダイレクトな影響を与えます。
あなたが生存するための基本的な欲求である食事や睡眠。それをどのように取るかなど、日常生活に対する意識がこのチャクラに大きな影響を与えます。また住まいや職場などの居場所、家族や近しい人との関係、経済的な状況も、あなたの第1チャクラの開閉に大きく影響します。そうした現実的なことが安定していると、人生は素晴らしく、自分の必要なものは全て手に入るという感覚を持つことができるからです。
あなたの第1チャクラが閉じている、あるいは滞っている場合、便秘や下痢、痔などの排泄系に関するトラブルや、慢性の腰痛、坐骨神経痛などの股関節周りのトラブルに見舞われることがあります。
排泄は「不要なものの手放し」と密接に関係があります。つまり、健康、家族、環境、お金などの問題がある時、その不安がチャクラに不調をもたらし、不要なものを手放す力が弱まるとも言えます。不必要なものやエネルギーを手放さないでいると、いつも何となく重たい気分で塞ぎがちになり、悪い縁を断ち切れなかったり、お金の流れをせき止めている障壁が厚くなったりしてしまいます。
では、仮に整っていない場合、あるいは閉じている場合は、どうすればいいのでしょう?
あなたの第1チャクラを整える上で大切なことは、「グラウンディング」(大地と繋がること)です。
「地に足をつける」という表現もあるように、実生活に健全に根を下ろすことは、幸せを体感する上でとても大切です。ですから、人生の流れを変えたい場合には、私たちが生きる大地、地球と繋がる行為を意識的に行ってみましょう。
例えば、植物を育てる、質の良い食事や良質の水を摂る、散歩や運動などで体を動かす、太陽の光を浴びる、などです。海や川などで時間を過ごすのも効果的です。また、深呼吸をしながらアロマの香りで心身を癒す、塩風呂に入ることも良いアイディアです。肉体としての自分をしっかりといたわり、大地との繋がりを体感することが、このチャクラを整える上でとても大切です。
私は30代の後半、夫婦間や職場での人間関係、お金の面で大きな問題を抱え、私生活全般がぐちゃぐちゃになってしまいました。フランスでの七日間はもはや遠い夢。目の前に繰り広げられる現実に感情を振り回され、自ら作り出した心の泥沼に、どっぷりとつかってしまっていた時期です。
その袋小路の中でもう一度人生をやり直すことができたのは、マダム・ロゼの存在があったからです。私とマダムは一年に一度の割合で、手紙のやりとりをしていました。私が自分のどん底の状態を正直に書いた時、マダムは手紙ではなく一枚の絵葉書を送ってくれました。バラの花畑が広がる美しいグラース。「何もかも忘れて、まずはあなた自身をいたわりなさい。大いに自然に頼り、五感のすべてを癒し、潤すのです」という言葉とともに。
そう。私は、いつの間にか自分の価値を忘れ、自分の心身をないがしろにしていました。あの贅沢な七日間で、その大切さを学んだはずだったのに。もう一度やり直したい。それが再生の始まりでした。
まず、深呼吸をすることから始めました。気がつけば、いつでも深い呼吸をする。体に良い「氣」を送る(贈る)のです。これならいつでもできるし、お金もかかりません。でも、深く良質な呼吸で得る効果は絶大です。呼吸に集中すると、あまり余計なことを考えられなくなります。更に、空気の綺麗な場所で意識して深呼吸をすると、本当に体中が良い「氣」で満たされていくのが分かります。
また、自分のために花や草木など、生きた植物を飾るようにしました。飼っていた猫や犬を抱きしめました。もちろん幼い娘たちも。ローズオイルの小さなボトルを買って自分をマッサージし、できるだけ感謝して食事をとるようにしました。海塩を入れたお風呂に入り、水もたくさん飲んで。第1チャクラを象徴する「赤」を意識し、トマトや濃いピンクグレープフルーツなど、赤に近い野菜や果物を意識的に食べて、大地からの恵みを味わうようにしてみました。
お金への不安も他人への怒りも無理に抑えるのではなく、出てくる時には感じきり、感じつくす。でもその後には、自分の体と心を癒すことに意識を集中させました。何もしなければ考えてしまう。だから、実際的に自分の体に働きかけるのです。時には、コメディ映画や小さい頃に好きだったアニメなどを見て、笑ったり泣いたりもしました。
五感を使った「意識のクレンジング」です。集中すればするだけ、「欠乏感」や「恐怖」、「無価値観」や「他人への怒り」といった、重い意識へのクレンジング(洗い落とす)効果が高まります。
~お金について~
お金の件では本当に恐い思いをしました。ですからこの後の文章を、今、お金に関して悩みがある方に向けて書いてみたいと思います。心当たりのある方は、よければ参考にしてみて下さい。
仮にあなたがお金のことで思い悩んでいるとしたら、たとえ何があったにせよ、自分を責めないで下さい。お金の悩みは、恥ずかしいことではありません。ただ、誰かを責める気持ちがあれば、それも出来る限り手放すことを意図して下さい。その上で今の現実を、「今はお金や豊かさについてのレッスンを受けている」とだけ、認識するのです。本当に、それ以上でもそれ以下でもないのだから。他人を羨む気持ちも痛いほどわかります。本当に苦しい時は、私もそうでした。でも、それは状況を悪化させます。経験的にこれは真実です。ただ羨み嫉妬するだけでは、よい流れを作り出せないのです。
短期的な改善策は、良い条件の仕事を探すために動いたり、副業を始めたりと、直接的に行動に出ることかもしれません。多くの女性起業家の方々が、著書やブログ、SNSなどで素晴らしい自己開示を行い、まったくのゼロから億万長者にまでなることが出来た道のりなどを伝えています。ビジネスや個人での起業に関心があれば、そういった方々の経験にふれ、「自分にもできる」とあなたの意識を変えていくことは、とても有効です。いろんな成功事例があるので、自分の心に一番響いた本を深く読み込んでみるのもいいかもしれません。年齢や状況に関係なく、いつでもやり直せます。本当です。だから、まずは安心してください。
私はここで、あなたが厳しい過去に後戻りをしないために、長期的に人生をよいスパイラルへと導く意識の変え方を紹介したいと思います。
お金について厳しい状況を改善するコツは、お金以外で自分が手にしているものに目を向けてみることです。できれば実際に毎日書き出してみることをお勧めします。例えば……。健康な身体、毎日電気が使えること、食べ物があること、話せる友人や家族がいること、太陽が毎日昇ること、空気がそこにあること。
払うべきお金が払えない中で、「空気なんて。それどころじゃないのに」と思ってしまう気持ちも、本当によく分かります。支払いを考えて眠れないこともあるでしょう。よく分かります。
でも、本当に真剣に豊かさを望むなら、あなたの潜在意識に「自分は豊かである。豊かさを受け取る価値がある」と刻むことが何よりも大切です。考えるだけではうまく体感できないので、せひ、五感を使った心や体の浄化を試してみて下さい。
入浴剤がなくても、塩(安いものでかまいません)が手元にあれば、あなたは「天然のバスソルト」につかることができます。毎日バスタブにお湯を溜めることが難しい人はお湯を沸かして塩を入れ、そこにタオルを入れて絞り、時間をかけて自分の体を丁寧に拭いてあげて下さい。それからシャワーを浴びる。あなたにはそれができる健康な腕も、気持ちよさを感じる感覚もあるのだと意識してみる。塩を使うことは、負のオーラを放っている人や物、場所から無意識に受けてしまったストレスの浄化にも繋がります。
介護を経験した方なら分かると思いますが、資産が一億円以上もある方でも、自分で起き上がることが叶わない人がたくさんいます。視点を変えてその人からあなたを見れば、あなたは本当に豊かで自由な存在なのです。
ですから、自分や他人を責めることをやめて、まずは自分を慈しむのです。お金のことでは多くの人が深刻な悩みを抱えています。それだけ、今の社会で生きるというのは大変なことです。特にこの二十年で経済の仕組みはがらりと変わりました。
でも、それと同時に「意識の現実化」も加速しています。思考ではなく、もっと深いところにある感情を伴った「意識」に働きかけるのです。まずは、大切なあなたの心を安心させ、あなたは豊かなのだと認識することから始めていきましょう。
お金の件で鬱々としていた私の状況が変わったのは、お金以外で自分が手にしているものを真剣に意識し始めた直後からです。少しのことにでも、「ありがたいな」と感謝をするようになってしばらくすると、本当にお金が入ってくるようになりました。私は復職ができない立場で、収入が変わることはなかったにも関わらず、家族や知人からの純粋な好意を頂いたり、税金の還付があったり、夫の収入が少し上がったりと、嬉しいことが続くようになりました。断捨離をしながら古本屋に本を持っていくと、びっくりするような額で買い取ってもらったこともありました。学生時代に買った本がたまたま初版本で、プレミア扱いになっていたのです。少しずつ状況が良い方向に向けて舵を切り出したことを体感しました。
始まりは本当に小さなことでした。でも、とてもとても嬉しかった。その「小さな変化」に敏感に気づき、最大限に喜びや感謝を感じる。そしてそこで終わらずに、「私は豊かさを受け取る価値がある」と意識に刻んでいく。つまり「有る」ものや「有る」ことに気づく感度を磨き続けたのです。
マダムの言葉を思い出しながら、私は「有る」を見つけ続けました。するとお金以外にも、何らかの形で受け取る豊かさが、次第に大きくなっていったのです。人との出会いに恵まれたり、必要だったものを買う前に譲り受ける、といった具合に。
ここまでの話があなたの心に響いたのだとしたら、まずは第1チャクラを意識して深呼吸をしながら、あなたが「今の生活で」手にしているものへの感謝を、心から感じるようにしてみましょう。
次に、あなたが好きな花を一つ選び、目を閉じて自分がその花の中に座っていることを想像します。大きな、大きな花。その花に抱かれるように、あなたが静かに座っています。そして、第1チャクラから地球の内部に向かってその花の茎が伸び、しっかりと地球のコアと結びついている様子をイメージします。あなたは、この「現実の地球」で豊かさを受け取るのですから、「地に足をつける」という感覚を大切にします。しっかりと、地球と結びつく。考えるのではなく、「感じる」ことが大切です。あなたは花に抱かれ、地球と結びついている。守られているのです。ここで、あなたが最初に感謝した、今の生活で手にしているものを思い浮かべます。感謝を感じる気持ちとともに、「私は、大きな存在に守られて、豊かさを受け取っている」とイメージしてみて下さい。最初は辛抱強さが必要かもしれません。ですが、あなたが自分のことを恵まれた存在だと「心から」思えるようになった時、何をしても、それまでよりも嬉しいことが増えていきます。そして、現実が動き出します。
もしもあなたの手元に、今、必要な現金や貯金がなかったとしたら……。身内の誰にも頼ることができなかったとしたら……。頼れるのは、なおさらあなたの「意識」だけです。あなたの自分に対する意識の変化のみが、あなたを救ってくれます。そしてあなたを最高の未来(=現実)へと連れていってくれる。
大丈夫。あなたは無限の豊かさを受け取るに値します。あなた自身が心からそれを感じることができれば、現実の流れが変わります。そして遠くない未来、現実のこの世界で、あなたはきっとその豊かさを受け取るのです。
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