バンドと楽器への執着半世紀 3.キーボード編
当たり前のことですがバンド活動を続けるにはメンバーが必要です。学生バンドでは就職で、社会人バンドでは仕事でメンバーが離れ長続きしませんでした。レコードやCDを聞きながらベースギターを一人で弾くのはなにか寂しくなり、シンセサイザーやキーボードに転向し多重録音で作曲・編曲を始めもうじき半世紀になります。
ベースからキーボードへの転向
大学3年生からスタートし2年半でキーボード演奏技術を習得しました。小学生時代に鍵盤をかじっていたので抵抗はありませんでした。下宿先がお寺(浄土宗)で現在のような娯楽もなく、同世代の学生が集まっていたこともあり酒を酌み交わし宴会ばかりしていました。かぐや姫や吉田拓郎の曲をみんなでフォークギターに合わせて歌っていました。(戦後の歌声喫茶より少し新しい?)フォークギターだけでは寂しいのでB2はベースギターやキーボードを演奏していました。そういうのを見込まれて住職の奥さんに御詠歌の伴奏(境内のオルガン伴奏)を頼まれたり、家庭教師先でアニメソングをピアノで弾いたり、バンド活動よりも身近な音楽活動を楽しんでいました。
当時電子工学の世界ではトランジスタからオペアンプへの移行期で音楽用シンセサイザーの製作記事が科学雑誌で紹介されていました。もともと電子回路工作が好きだったこともあり、目新しい音楽用シンセサイザーに興味を持ちました。冨田勲先生のレコード「月の光~ドビュッシーによるメルヘンの世界」を聴いて、オーケストラレコードとは異なる桁外れのダイナミックレンジと洗練された精細さ(大所帯オーケストラのもわっとだらだらした弦楽器の音でなく、立ち上がりや歯切れのよい合成三角波の音)があることに感動しました。しかもドビュッシーのシンセサイザーアレンジで… どうしたらこんな音が出せるのだろうか、最初は製作記事をもとにVCO,VCA,ADSR,LFO,VCF,CV-GENなど自作で組み立てました。その次は秋月電子のキットでモノフォニックシンセサイザーを作ってみました。さらにシャープのマイコンMZ?のバスから配線を引き出してDA変換して自動演奏ソフトとハードを試行錯誤して作りました。今でいうところのアナログシーケンサーです。自作シーケンサーの製作日数は2か月かかりました。30分は正常動作しましたが、電源の立上げ順番ミスでお釈迦になりました。このできごとからICを直接PC板にはんだ付けせずICソケットを介して実装することを教訓として学びました。
自作シンセサイザーの次に、YAMAHAのストリングスキーボード(音色が気に入っていました)を狙っていたのですが、楽器屋の勧めでRolandのオルガンストリングスを購入しました。EGでタッチが調整できること,ディレイビブラートがかかること,ステレオコーラス(位相を揺らして合成?)がかかることが気に入りました。またホイールではないのですがボリュームの調整が滑らかなことでメロディーがきちんと弾けることが多重録音には適していました。
スタジオで多重録音するにはシンセサイザーが大きくても問題ないのですが、バンド活動で持ち運べるコンパクトなシンセサイザーが欲しくてKORGのモノフォニックシンセサイザーを手に入れました。
また、作曲・編曲がいつでもどこでもできるように、スコアにすぐに書き込めるようにYAMAHAの小型キーボードも手に入れました。これらは結構重宝しました。

キーボードマガジン
バンド活動やDTM活動で本格的にキーボードを始めたのは大学3年(高校時代の学生バンドが就職で解散)になってからです。当時キーボードマガジンという月刊音楽雑誌があり独学で2年間みっちり勉強しました。
キーボードマガジンの講師は、柳ジョージとレイニーウッドのキーボード「上綱克彦先生」と山下達郎バンドのキーボード「難波弘之先生」でした。毎月交互に理論やテクニックを手ほどきしていただきました。中でも毎月の課題曲というのがあって、イーグルスの「デスペラード」やさだまさしの「道化師のソネット」など記憶しています。お陰様で随分上達したと思っています。
柳ジョージとレイニーウッドは81年(B2が大学院生の時)に解散し上綱克彦先生を生で見ることは叶いませんでした。今では知る人も少ないと思いますが、レイニーウッドは非常に完成度の高い演奏ができるロックバンドでした。クリームの流れをくむ和製ロックブルースバンドで最初の出会いはラジオで聞いた「青い瞳のステラ、1962年 夏…」でした。
難波弘之先生は山下達郎バンドのピアノ/キーボードです。山下達郎さんのコンサートにはM5と何度も行きましたが、たまたま地方公演開演前に自販機の前でお見かけしました。山下達郎バンドのベース伊藤広規先生のお二人を同時に近くで見ることができました。嬉しかったです。
またキーボードマガジンの通信欄で知り合った人からYAMAHAのエレピを譲ってもらったり、ジェネシスのコピースコアを音大生から購入しました。当たり前のことですがエレピはタッチがあるため、今までのオルガン系キーボードとは違いました。
ロックキーボードの練習
キーボードを始めた当初はキーボードマガジンの課題曲以外に、ピアノの教本,クラッシックやポピュラーのヒット曲集,クィーンや柳ジョージとレイニーウッドやユーミンのキーボードスコアを手当たり次第に練習しました。
後ほど「5.DTM編」で記事にしますが、バンド解散後に多重録音でオリジナル曲20曲を作曲・編曲・演奏するようになり、キーボードはとても頼りになる楽器でした。
半世紀にわたり、多くの国内外のキーボードを試してきたB2の感想をまとめます。
YAMAHAのキーボードのタッチが(B2には)一番よかったように感じました。海外製はメリハリがきついものが多かったようにも感じました。文化の違いもあると思いますが、一番繊細なのはフランス人で米英アングロサクソン系はメリハリ(2値的)が強く、日本人はその中間と言われています。フランス料理や日本料理があるのに対してアメリカ料理やイギリス料理がない?ことや「いいね」でものごとを判断する違いだと勝手に思っています。KORGのキーボードはソフトウェアインターフェイスに重点を置いているためDTM用には役立っていると思っています。海外メーカーのキーボードは長続きせずほとんど処分しました。
鍵盤数について、生ピアノ88鍵は人間の可聴範囲をカバーしていると思いますが上1オクターブと下半オクターブはあまり使うことがないように思いました。キーボード60鍵あれば大体の演奏や伴奏は対応できると考えています。しかしカジュアルな音楽活動で持ち運ぶには60鍵は長すぎるように思います。B2にとってはキーボード49鍵が持ち運びの上限と感じています。49鍵では伴奏に工夫が必要になり、特にイントロ演奏などに支障を来すこともあります。ミニキーボード(通常のピッチ22mmでなく19mm程度)も数多く試しましたが、メロディ演奏用に特化したほうが良いように思いました。
ミニキーボード37鍵で伴奏するには、伴奏にもコード転回を常に意識しイントロ演奏は至難の業(即興アレンジ)となります。最近、鍵盤数の多い中国製折畳みミニキーボードを購入したのですがタッチが合わず即処分しました。ポチるのではなく楽器屋さんで弾いてみてから購入することをお勧めします。

カジュアルなキーボード音楽活動
夫婦(M5とB2)でカジュアルな(いつでもどこでもできる)音楽活動を始めて35年経ちました。M5がピアノ,B2がキーボードなどでポップス,クラッシク,ジャズ,ボサノバ,演歌,昭和歌謡,世界民謡・童謡など手当たり次第に演奏していました。M5が5年前から緑内障を患い両目手術などで楽譜が読めなくなり(見えなくなり)、ピアノが弾けなくなりました。
しかし、長年積み上げてきた音楽のメロディが頭の中に構築されていて、メロディを楽譜なしで(転調も自在で)笛やハーモニカで演奏することができたのでした。これが夫婦の音楽活動にとっては救いとなりました。B2がピアノ伴奏+前奏/間奏を担当し、メロディをM5がキーボードで演奏するようになりました。眼は見えなくても「前奏4章節で#2個でラからね。」みたいな合図で演奏できるようになりました。5年になりますが、現在楽譜を保有しているレパートリーは460曲です。
いろいろ試しましたが、最終的にはM5が愛用している楽器はCASIOの60鍵キーボードとYAMAHAの37鍵ミニキーボード(ウクレレバンド活動用)とハーモニカとリコーダーになりました。CASIOトーンは音色が多くアルトサックスの音色が演歌のメロディ演奏にドハマりと思いました。

長い人生に、いつも音楽があって楽器を演奏することができたことは幸せでした。最終的にはやはりキーボードが一番身近な楽器だったことに改めて気づきました。

次回は「4.ドラムとギター編」を予定しています。
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