「京北の盆踊りを語り合う」〜山国音頭
インタビュー実施日:不詳
会場:農家民宿ほろろん
参加者:常盤成紀、黒川修子、河原林成吏、高林泰子、横田良子、藤野治彦(順不同、敬称略)
―自己紹介
【常盤】 地域おこし協力隊の常磐と申します。本企画は、京北の各地区にある盆踊りについてよく知る皆さまに、各盆踊りの特徴や盆踊りが誕生した当時の様子、今どんな思いで踊られているのかなどをお伺いして記録していきます。早速ですが登壇者の自己紹介を行いたいと思います。まずは、この企画にずっと関わっていただいております黒川修子さん、他の座談会の感想とか今日楽しみにしてることとかあれば教えて下さい。
【黒川】 黒川修子です。実際に話を聞いてみると思ってたより、その土地、その土地の思いとか特徴とかがそれぞれ違って。本当にもうなんか京北広いなというのを実感するとともに、皆さんの熱い思いが伝わってきて毎回感動します。今日もどんな感動ができるのかなって楽しみにしております。
【常盤】 ありがとうございます。では順に自己紹介をお願いします。
【高林】 高林泰子と言います。
【横田】 下町の横田良子です。
【河原林】 大野の河原林成吏でございます。
【藤野】 辻町の藤野治彦です。よろしくお願いします。

―山国音頭の歴史
【常盤】 早速ですが、山国音頭はいつ頃から存在しているのでしょうか。
【河原林】 昭和7年に誕生してますね。もともと山国音頭はお座敷踊りとして始まったみたいで、夏祭りが近づくととか関係なく常に踊っていたみたいです。
【常盤】 お座敷踊りっていうのは、例えば宴会の席で。
【河原林】 そうそう、お座敷で。盆踊りじゃなくて、もう常に踊っていたと。
【高林】 私もお座敷踊りから始まったって聞いてます。芸者さんがね、歌ってはったりね。
【河原林】 山国音頭の踊りは上品なんです。
【黒川】 そうですね。
【常盤】 昭和7年頃から踊りはもうずっと今の形なんですか。
【河原林】 振りはそのままですが、それはもう低迷しとった時がありまして、その一時期だけ全く変わった踊りをしましたけど。
【高林】 伝統を続けていくために、やはり若い人向けにテンポのいい踊りを新しく付けてもらおうということで、踊りの先生にお世話になって。
【横田】 そうそう。詩吟をしておられるワトウタマミさんに公民館に来て教えてもらって。
【高林】 そしたら、すばらしい踊りを付けてくれはった。でも、川の流れを表してぐるっと回ったりする振り付けで、踊り手としてはちょっとしんどい。山国音頭の歌詞に合わせて、いい踊りを付けてくれはったんやけどね。新旧の両方を踊るっていうのは難しいんですわ。
【黒川】 その時は両方踊ってはったんですか。
【高林】 踊ってた。一時はな。
【河原林】 新踊りと旧踊りといってたけど。もう最近それはしていませんね。もうみんなやりたくないのか。
【高林】 やっぱし昔ながらの伝統のある踊りにしようって。ちょっとリズムがあって、新踊りもええ踊りやったけどね。
【藤野】 新踊りは横田さんが山国音頭保存会の会長の時にはじまったんでしたっけ?
【横田】 そうだったかな、たぶんそうやな。
【常盤】 それは平成に入る前ですか。平成に入ってからですか。
【横田】 平成になってから。私が会長だったのは平成19、20、21、22としてんねん。2期したんや。
【河原林】 そもそも、山国音頭の保存会を作ろうとなったのは平成になってから。私は平成1、2、3年に公民館の館長をしました。その時に山国音頭の保存会を作らなあかんなということで、結局平成3年から保存会が始まりました。山国音頭の発足は昭和7年やけども。
【常盤】 保存会を作らなあかんなってなった当時の様子はどうだったのでしょうか。やっぱり何かしら危機感っていうかがあったんですか。
【河原林】 はい。私が京北を離れて市街地へ行ってしばらく経った後に帰ってきて、山国の夏祭りに参加したときに、「なんとなく昔の雰囲気がない」と寂れた感覚を持ったので。
【常盤】 なるほど、そういう背景があったんですね。話を戻しますが、昭和7年の山国音頭ができた当初は、伴奏とかはなかったんですか。
【高林】 なかった。座敷やもんね。
【常盤】 伴奏なしで歌ってたんですか。
【河原林】 古い古いテープを見ると、やっぱり三味線、チャンチャカチャンチャカってやってはるよね。カラオケという形じゃなくて、そこで三味線弾いといてくれてはった。その時は太鼓も何もないですわ。
【常盤】 歌詞は同じですか。
【河原林】 同じです。
【高林】 踊りはお座敷からやけど、歌詞は誰が作らはったんかな。近藤さんだっけ。その人はいつ作らはったんだろうね。分からんな。
【藤野】 歌詞では、山国の名所名所を1月これ、2月これ、3、4…と12ヶ月それぞれの月のええとこをずっと。
【横田】 12番まである。それに山国の上から下までのことが歌詞に含まれているの。
【常盤】 そのような歌詞が昭和7年の時には12番までできて、皆さんが歌われてるっていうのはすごいなと。
【河原林】 歌詞の中には、今はもう見れない筏の描写もあってね。
【黒川】 筏の話といえば、筏師さんからもっと話を聞いといたら良かったなとよく思ってね。筏って京北の重要ポイントじゃないですか。
【河原林】 ああ、そうや。それはもうずっとずっと昔の時代を作った人やから。
【藤野】 三条まで持っていっとったんやでな。
【常盤】 実際に今でも、朱雀三条の辺りって材木屋さんが多いんですよね。

―山国音頭保存会発足当初の様子
【常盤】 話を戻しますが、河原林さんが京北に帰って来て保存会を立ち上げるまでの間には、みなさんが歌ったり踊ったりしなかった時期があったんですか。
【河原林】 私が京北に戻ってきた当時は、鳴りものが何にもなかった。ただ、「おいな~、歌い~」と歌い手さんが1人やってただけですわ。それで、盛り上がりが欠けとったということは確かですね。
【常盤】 山国の夏祭りでも歌い、踊られ続けてはいたものの、もっと盛り上げないといかんなっていう感じだったんですね。
【河原林】 そうそうそう。
【高林】 山国音頭保存会ができてからの話やね。みんなで継承していこうっていうので、そっから練習会を始めたな。
【常盤】 今は結構、山国音頭の歌を「あなたも歌ってみてごらん」みたいな感じで、どんどん歌ってってもらっているんですか。
【河原林】 そうです。次の歌い手をもう一応決めてます。トウジカナコさん、丹波音頭もやってますけど、山国音頭も歌ってもらうつもりです。
【高林】 歌も引き継がなあかんし、踊りも引き継がなあかんし。
【常盤】 練習会は、保存会ができた後に夏祭り前に3回、4回やろうという感じになったんですか。
【河原林】 そうですね。保存会ができるまでは練習会など何もしてません。誰かがやらはるやろうというぐらいな。周山にしたって、そうじゃないんですか。弓削音頭でもねえ。
【黒川】 うんうん、そうですね。でも、周山は音頭取りさんがいはらへんしね。今はもうテープしかないから。それがすごい寂しいですね。
【河原林】 そうか。ほんなら、誰が歌うって決まってもいやへんし、テープで流すだけか。
【黒川】 はい。テープです。
【河原林】 ということは、弓削かてそうや。
【高林】 弓削もそうや。テープ。
【常盤】 こないだ弓削の音頭の皆さんにお話聞いてたんですけど、やっぱり山国みたいな生演奏は良いなという話になりました。CDもいいんですけれど、やっぱり音頭取りも地域ぐるみで関わって残していくっていうことがすごく大事なんじゃないかって、多分思っておられる。よその地域の方も。
【高林】 音頭取りもだけど、踊り手も重要ですよね。山国音頭は優雅やけど、若い人のなかに優雅だから踊り続けたいっていう人が出てくれたらええけど、なかなかね。若い人はああいうゆったりした踊りはあんまりね、好まれへん。
【黒川】 でも、踊ったら楽しいんですけどね。
【常盤】 ところで、河原林さんが山国音頭の保存会を立ち上げた平成3年頃、地域の活動で一番中心になって動いている世代っていうのは何歳ぐらいの人たちだったんですか。
【河原林】 当時私は49歳で公民館長だったんだけど、公民館長であることについて「なんでそんな若いもんが早うすんねん」って言われた記憶がある。 その時の公民館活動は夏まつり、体育大会、ソフトボール大会、駅伝、敬老会、などしていました。ちなみに、これらの活動は今は自治会に全てをやっていただいています。
【黒川】 今思うたら若いですね。今はもっと年配の人がしてはりますやん。
【高林】 そうや。今はもう70近い人。60代。
【横田】 そもそも今は公民館長っていうものがない。
【藤野】 ないな。いまは自治会だけやな。
【河原林】 当時は地区体育大会から夏祭りから、もう全て公民館がしてましたもん。当時の自治会って何してはったんやったか。自治会の山の管理とかその程度で。
【常盤】 当時は公民館がすごく大事な役割を果たしていたんですね。

―山国音頭をめぐる現在の状況
【常盤】 やっぱりどの地区の人たちも、どうやって次世代の担い手を見つけていこうかなっていうことに苦労されています。この企画自体も、お話しいただいたことをインターネットで見れるようにするのは、僕たちも思いもよらなかった人が興味を持ってくれることを期待して行っています。このような山国音頭の担い手についてなにかお考えはありますか。
【河原林】 山国音頭は山国で生まれた地の人よりも新住民というのかな、移住してきてくれた人の方が関心を持ってくれてはる。新住民の人のほうが積極的に関わってくれているみたい。
【黒川】 そうですか!周山音頭に関してもみんなに呼びかけて「一緒に踊ろうよ」って言っても、やっぱり新しく移ってきてくれはった方が気張ってね、楽しんで参加してくれはって。ほんで、よう見たら、ここで生まれ育ってはった人はいてはらへんわ。私も嫁の立場やし、言うたら外から来たでしょう? でも、ほんまに京北、周山で生まれ育ってはった人はたくさんいらっしゃるんですけどね、盆踊りには来はられへん。
【河原林】 その人たちがほんまは頑張らなあかんのやけど。
【黒川】 うん。京北で生まれ育った人たちが「いい音頭なんや」いうて言うて積極的に活動してくれはったら心強いんやけど。
【常盤】 僕はずっと生まれ育ちが大阪の堺なんです。でも、地元の祭りには小さい頃、全然関わらなかったんですね。なんで、盆踊りっていうもの自体が京北に来てから初めてだったんですね。みんなで踊るとかすごく新鮮で。しかも、そこに参加したら誰かとしゃべれるし、僕は新しく移ってきた人間なので、そこでまた繋がりができてとか、教えてもらったりするとかっていうことがすごく楽しくて。これは多分移ってきた人の感覚なのかもしれないですけれども。でも、僕はすごく新しいなと思いました。
【河原林】 そういう文化を習いたいという気持ちになってもらえるわけか。
【常盤】 はい。
【藤野】 今役員しとってもうて名簿の中で、新住民っちゅうのか、さっき言わはった。生え抜きの人とどれぐらいの比率になる? 新住民の方が多いぐらいやろう?
【河原林】 ほとんどが新住民。
【藤野】 なあ。そうなるね。

―子供達への継承
【高林】 子どもたちがな、踊ってくれたら親も踊るかわらかんのやけど、学校は忙しいからね。この頃は地元の文化を学習することに時間を割いている学校はなかなかあらへんからな。
【黒川】 せっかく2020年4月で小学校が統廃合されて、小学校が一つになったんやしね、京北の子どもたちがそれぞれの地区の踊りを全部踊れてもいいのかなとか思うんです。やっぱり今の小中学生の親は踊れないんですよ。もう既にね。ほんまやったら親から子どもに伝えるべきものなんやけど、親が知らんから。今50代ぐらいの人たちも「知らん」「踊れへん」って言うんです。周山で生まれ育った人ですよ。いつも夏祭りの周山の踊りのときは70代、80代ぐらいの方が踊っている。
【常盤】 そもそも小学校で盆踊りを教えることになった経緯ってどのようなものですか。
【河原林】 もともとは旧京北第二小学校へいきなり私が飛び込んで、そこの校長に「第二小学校の子どもたちに丹波音頭で劇作ってくれへんか」って頼んだんや。私が脚本を書き演出もして学習発表会は喜んで頂きました。校長先生はとても協力的で、まず音頭を習ってもらおうかって話になった。それがきっかけで第一、第三小学校にと丹波音頭を教える事になって小中学校でも三年生に現在でも授業で6月〜7月を教えに行っています。
【黒川】 そこから始まったんですか。小学校3年次に盆踊りを習うっていうのは。
【河原林】 そうや。次第に、他の小学校も「ほな、うちも、うちも」ってなって、ほんで旧京北第一小学校にも私が教えに行っとったんや。それがまた旧京北第三小学校に聞こえて「うちも丹波音頭、教えたって」って。
【常盤】 なるほど。でも山国地域にある旧京北第二小学校では山国音頭を教えようとはならなかったんですね。
【横田】 丹波音頭やな、教えに行ったんは。
【河原林】そうや。丹波音頭。丹波音頭。
【藤野】 これ、2024年から第一から第三までの小学校と中学校が統合されて一貫校になるけど、丹波音頭とか山国、弓削、周山のような踊りを学校で学ぶことはできないの? 今のところ丹波音頭だけやね?
【黒川】 丹波音頭だけです。今は3年生に教えるって決まってる。だから、3年生から上になったらなんとなくもう踊れるようになってくるでしょう? みんなが。自然に。その仕組み、ほんとにいいと思いますわ。
【河原林】 いいね。忘れとってもまた思い出しながら。「3年の時にやったね」と。

―おわりに
【常盤】 ありがとうございました。最後に今日話をしてみて改めて思ったこととか、ちょっとずつお話をいただいて終わりにしようと思ってます。
【河原林】 まずは盆踊りを楽しんでやることがもう最高に長続きする秘訣やなと私は思いますので。今やっとる我々が楽しんでたら、「あ、山国音頭って結構楽しいんやな」というふうに思うてもらえるので、まず楽しまなあかんなということを。そして、長続きするようにみんなで持っていかなあかんなというふうに思います。
【黒川】 もうほんとに貴重なお話を頂ける機会というのもそうそうないんで、あっという間に時間が過ぎました。やっぱりみなさん馬力があるなと思いました。私も見習って次の時代に伝えていけるように頑張ろうと思いました。
【藤野】 僕は踊りがほんとに大好きです。僕は8人兄弟の上から4番目なんですが、8人の中で僕だけが踊りが好きでね。兄弟間で母親の取り合いみたいなことであっても、盆踊りのときは僕だけが母親の後ろついて行った。盆踊りの時は必ず母親を独り占めできるので、僕にとっては一番うれしくて楽しい時なんですわ。この時ばかりは僕だけがもう母を独り占めできる。もうそれが僕の最高の子どもの頃の幸せやったんです。というような思いです。それで、この踊りがほんとに好きになっていったという。はい。そんなことでした。
【高林】 私は踊りも歌も大好きで、太鼓が3つ鳴ったら行きたいという感じなんです。でも自分が1人頑張っててもどうしようもない。これをどういうふうに引き継いでいったらいいか。それをやっぱし、山国音頭の保存会だけでなくて、こういう話し合いを自治会とかそういう団体の皆さんの中で、いろんなそれを座談会みたいなのを持ったらどうかなとか思っています。1人でも2人でも若い人、これから引き継いでもらう人に何かできたらなという思いです。
【横田】 今年コロナで踊る機会がなかったのが本当に寂しかったです。来年はできたらいいなとか思っております。今日はこんな機会を設けていただいて、こんなざっくばらんな座談会ができて良かったと思います。ありがとうございました。
(了)
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