開業してから現在までの軌跡
初めまして!
会社員で事業主になったMです。
今から2年前の2023年3月に税務署へ行き開業届を提出し、事業主になりました。
事業主になったものの、本当は副業や兼業をやるとは考えてなかったのです。
では、当時を振り返りながら順番にお話ししていきますね。
開業届を出しに行く少し前の出来事です。
私の兄が仕事を辞め何もしない日々を送っているようでした。
それを見て(お互い住居は別ですが)、私のほうが彼の将来を不安になってしまったのです。
そこで
「こうしている時間がもったいないと思うから、自分たちで何かやる?」
と私から持ち掛けたのです。
兄は「うん」と小さく頷いてくれたので、思い立ったが吉日その翌週の休みに私は税務署へ赴いていました。
税務署に着くと開業届の原紙を受け取り、その場で記入し埋めました。
(開業届提出はネットで入力、印刷して郵便でも大丈夫だったようです)
こうして私たちの事業が始まりました。
事業主は私になりますが、私自身は会社員という保険があるので、ある程度の資金を投入する決意をしました。
また開業届は提出したものの、実際に何をやるかまでは決めていませんでした。
提出した開業届には「情報通信業」「インターネット事業」と記載をしていました。
ということでやることを決めるため、兄と話し合いを行うことになりました。
まず決まったのが、
私が経営に近い仕事の処理をメインに担当
兄が事業内容の業務をメインに担当
ということ。
兄が経営周りのことやお金にはほとんど興味がなかったのも理由で、売り上げはほぼ私の事業の事業所得になるので、お金の流れは私一人が把握することになりました。
現在、兄と私の年齢はお互い40代です。
少し昔の話をします。
今をさかのぼること30年くらい前、我々が中学生の時に「PC9821 CS2」というNECのパソコンに出会いました。
親が仕事で使うということで買ってきてくれたパソコンで(今では見なくなった3.5インチのフロッピーがありました)リビングに置いてありました。
当時、パソコンを持っている家庭はほとんどなく、持っているのはマニアか本当に仕事で必要な人くらいです。
通信環境ですが、直接1対1で行うパソコン通信という回線は存在しましたが、インターネットの技術はまだ世に出回っていませんでした。
つまり、当時のパソコンはソフトウェアを家電量販店などで買ってこないと、何も出来ないような箱でした。
当時のソフトウェアはゲームでも1本1万円、業務ソフトはピンキリではありますが3万円以上して、気軽に買えるものではなかったです。
(親はその業務ソフトをパソコンにインストールしていました)
私と兄が何か出来ないか探していた時に目をつけたのが、パソコン系の雑誌についてくるCD-ROMの付録です。
雑誌自体は数百円で買えるものなので、CD-ROMには大したソフトがついてくるわけではありません。
10分で終わるようなクリックして遊ぶゲーム(それこそマインスイーパーのようなもの)や謎のお絵描きソフト、zipの圧縮ソフト(ネットでダウンロード出来ないのでそれこそ市販や付録のCD-ROMからしか手に入らない)とかがあった記憶があります。
そして出会ったのが、「ベーシックマガジン」という雑誌です。
この雑誌はタイトル通り「BASIC」というプログラミングをメインで扱っていました。
サンプルのBASICのプログラミングコードが雑誌の中で紹介されており、(確かMS-DOSを立ち上げてそれを一生懸命打ち込んだ)そのコードを書き写して入力したのを覚えています。
パソコンの黒い画面の中に単色カラーでドットの物体を登場させ、それをキーボード操作で動かして遊んでいました。
その後は私も兄も情報系ではない大学を卒業し、そしてお互いITとは関係のない仕事に就職しました。
当時は氷河期だったのもあり、ブラックな環境に就職しては辞めたりをしていました。
ただ私のほうは30代で景気が上向いたアベノミクスが到来したタイミングでよい求人に運よく巡り合えました。
そしてその求人を出していた会社に転職出来て今に至ります。
兄の経歴はよくわかりませんが、漫画やデザインを描くのが好きだったのもあり、そういった仕事をしてきたはずです。
事業をやるなら兄は何かしらデザインやクリエイティブな仕事がしたいとのことだったので、
その路線で考え調べていった結果・・・
Wordpressを使ってホームページやブログを作成し情報発信によって広告料を得るという事業を始めることになりました。
今から2年前で、広告収益として最も重要なSEOはすでにレッドオーシャンになっていました。
このレッドオーシャンで収益を伸ばすことは難しいのは明白でしたが、
ノートパソコン1台で初期投資金額も低く、我々のやりたいこととスキルを踏まえると競争相手が多くても始めの一歩にはちょうどいい
と感じたのです。
この最初の方向性が決まってからは、小さなレンタルオフィスを借りて時間があるときに二人でそこで作業をしたり、ノートパソコンを持ち出して外でやったりしていました。
ところがこの事業を1年くらいやってSEOで成果が見え始めたころに状況が変化していることに気づきました。
すでにSEOはレッドオーシャンどころか生成AI検索の登場で、下り坂局面に入っていたのです。
ネットで調べていくと「SEO対策をどれだけやっても収益が下がり続けていってる」という話を目にしました。
明らかに生成AI検索でSEOの市場が縮小していたので、これに気づいてからすぐに事業の方向転換の話を兄としました。
(この経験はホームページ制作ノウハウやネットのセキュリティ知識が身についたので、実は無駄ではなかったです。)
次の事業の案の話合いになったときに、昔BASIC=プログラミングをやっていたよな、という記憶がお互い蘇ってきました。
今更プログラミングを学びなおして二人だけで何か出来るのか?
と話していくうちに
「やるならアプリだろう」
と流れで決まってしまいました。
しかしアプリこそ
大勢の人があらゆるアイディアが出し尽くしているだろうし、
クラウドサービスを使ったアプリがメインになっていってるし、
生成AIが業務系や便利系のアプリのシェアを奪ってきている世の中の流れだし、
大手でないのに、新しいアプリを個人でやるのは時期が遅いとは思いました。
ただアプリに勝機を見出したわけでないのです。
アプリという製品をいったん世に出せば
「自分たちの作品」
という存在を示せるのです
そして売上関係なく、少しでも世の中に認知されれば、次のステップへの足掛かりにもなると思ったからです。
アプリ開発をするのであれば、今までのようにノートパソコン1台と机だけというわけには行きません。
電源ワット数で高い処理性能があるCPUと熱処理できるパソコンじゃないと厳しいなとわかり、
デスクトップパソコンを購入しそれを使えるスペースがある広さの事務所を探しました。
SEOでの収益を諦めたあとの、2024年4月から事務所探しを始めて、6月に今の後楽園の事務所に出会いました。
内見を済ませ、7月に契約をし、8月頭に入居がトントン拍子で決まりました。
実は今のこの後楽園の事務所、建物そのものが2028年に取り壊されることが2024年に決まっていたのです。
一時的にテナントの移転が相次いだため、複数の空きがこの時に生まれていました。
管理会社やオーナーも早くテナントを埋めたいから、駅前という立地の割には費用は好条件で契約できて運がよかったです。
2028年には強制退去になりますが、事業を長期的にやれるかわからなかったので、時限リミットがあるほうが私たちにはちょうど良かったのです。

思い返せば去年の今頃は何社も不動産屋に連絡をし、いくつも内見をしているときでした。
本当に不動産は探すタイミングがすべての巡りあわせですよね。
2024年8月入居後は、什器やパソコンを兄と私で一生懸命搬入し、配置をしていきました。
事業にとりかかり約30年ぶりのプログラミングにチャレンジ。
二人ともほぼ忘れかけていましたが、生成AIを駆使して何とかコードを作れています。
生成AIに関してはもちろん我々だけでなく、多くの人が作品を生み出しています。
生成AIはITの新たな革命を起こしていますが、ChatGPTだけでも登録者が24億人と言われています。
つまり世界の3.5人に1人が利用しているので、生成AIは当たり前にみんな使っているツールなわけですよね。
生成AIそのものは仕事の能率を高めてくれていますが、使える生成AIモデルは一緒な=条件はみんな横並びなわけです。
結局はその先の勝者はアイディアと熱意が決め手になりそうだな、と思いました。
以上が開業してから現在までの流れになります。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
そして今後ともよろしくお願いいたします!
