府中宿 ~ 丸子宿 ~ 岡部宿
今回は、
由比宿 ~ 興津宿|Knowledge & Experience
の二週間後の2026/4/12~13に実施したぶら歩きのレポートです。
行程的には、
2026/4/12
静岡駅(府中宿)→丸子宿→岡部宿→藤枝宿→嶋田宿
2026/4/13
嶋田宿→金谷宿~ 電車で移動~静岡駅(府中宿)→江尻宿→興津宿
という計画を立ててのトライです。なぜこんな風な計画を立てたか。
それは、丸子でお昼に名物のとろろを食べたかったから!
静岡駅から旧東海道 府中宿の史跡へ
静岡駅の北口から出て、新静岡駅に向かう。時間は午前9時半ぐらい。
駅前にある高島屋。開店前だが、凄い行列。何があった?

…などと思いながら進んで、ガイドブックとにらめっこしながら、緩やかにカーブする道が旧東海道だろうと中りをつける。

めっけた。静岡駅は、駿府城のすぐ近く。駿河の国の府の中で府中ですかね。
府中宿 ~ 丸子宿
府中宿から安倍川へ

結構、道は折れ曲がる。江川町の交差点を左折して、呉服町で右折。

呉服通りを西へ。七間町通りで左へ。

そして、3つ目の交差点を右へ。そして二つ目の交差点を左へ。


天明の大飢饉をきっかけにできた神社らしい。



安倍川の袂に安倍川餅の石部屋さん。

美味しゅうございました。創業文化元年ということは、徳川家斉の時代ですか。。。江戸時代の旅人も食べたんだろうね。。。
腹ごしらえが済んだので、安倍川を渡る。

丸子宿へ
安倍川を渡って、進んでいく。


千手(平家物語)、手越少将(曾我物語)ともに、平安末期から鎌倉時代初期の、この辺りの出身の白拍子らしい。白拍子=今でいえばナンチャラフォーティナントカ的なアイドル。
国道一号に合流後、


ここからちょっと旧東海道から外れてしまった。そのまま県道208号を進めばよかったんだけど、茶坊主ちゃんの看板付近の道が良くわからず。

しばらく行くと丸子川にぶち当たり、流石に旧東海道から脱線していることに気づく。景色が良いし方向も合っているので、丸子川沿いに上流のほうに歩いていき、適当なところで右に折れて、県道208号を目指す。

しばらく行くと、丸子宿の案内板が。

ここに至るまで、随分前から住所が丸子だったんだけどね。脇道にそれたせいで、東見附を通過することはできなかった。まっいっか(笑)。
ちなみに、丸子は、”まるこ”ではなく”まりこ”と読む。丸子だけでなく”鞠子”とも書く(もともとはこっちか?)らしい。そういえば中学の時、名字が”鞠子”さんという同級生がいたなぁ…なんてことも思い出したり。
このあたり、川筋に近いところに”水神社”という名前の神社がよくあるようだ。
丸子宿を進んでいく。

更に進む。。。

明治天皇が泊まった場所だけでなく、小休止した場所まで史跡表示されている。
美味しいとろろご飯
そして、丁子屋到着!

本当は開店時間の11時前につきたかったんだけど、脇道それたり安倍川餅食べたりしていたので、11時20分ぐらいの到着になってしまった。
基本私は飲食店で行列に並ぶのは嫌いなんだけど、丁子屋さんは、今回の計画の主要ポイントの一つなので外すわけにはゆかず、素直に客待ち登録。私の前には8組のお客さんエントリー。あ~あ。

まっている間、史跡の写真撮りまくり。
30分ほど待って、ようやく自分の番に。入ってみると、いやぁ丁子屋さんの奥行広いこと広いこと。このまま迷って出られなくなるかと思ったよ。客室も多数あって、にもかかわらずほぼ満席って、どんだけ来てんのよ!お客さん。
更にしばし待って、ようやくとろろご飯に到達!

結構な量だったがぺろりと平らげました。いやぁ美味しかったぁ…
外に出て、

おー!細川幽斉の碑(水害復旧の碑?)。いろんな人の名前が飛び出すなぁ…
そして、橋を渡って、宇津ノ谷峠を目指す。

ここまでの行程。
距離 8.9 ㎞
標高
最大 32m
最小 13m
累積標高
登り 61m
降り 51m
標高差はあまりないけど、結構凸凹してたのね。
丸子宿 ~ 岡部宿
橋を渡ってすぐに高札場跡。

忠孝奨励諸法度、毒薬にせ金等禁制、ちゃんと読んでみると結構面白い。

天気も良いし、良い景色

随分と太い材木が積まれていた。

静岡と言えば茶畑だね。

そのうち右に渡らないといけないので、地下道で渡れる場所があったので、行ってみた。

行ってみたら袋小路だったので、もう一度この地下道を通って左側に戻る。
…にしても、地下道の途中の”調査中”の張り紙…何を調査しているんだろう…

マンホールの柄は市町村によって違うので興味深い。

漸く右側に行くためのルートが見えてくる。

歩道橋を渡って、しばし道がどちらか迷う。

しばらく行くと、

マンホールだけでなく、消火栓も土地土地で違うので面白い。

いよいよ宇津ノ谷峠か。。。
宇津ノ谷峠越え
ん?この階段登るの?

いえいえ、そのまま進んで良いらしい。が、急な坂道ですなぁ。。。

いやぁ…良いねぇ…
それにしても、アルミサッシにもしないで未だに旧家な佇まいは素晴らしい…

左に行くと、明治時代にできたトンネル経由、右に行くと、旧来の蔦の細道へ。どちらに行くかしばらく沈思黙考。
このぶら歩きの趣旨からすれば、やっぱり蔦の細道でしょ!ってことで、右の道を登っていくことに。

在原業平もこの峠を越えたのか…

北条攻めの時、秀吉はこの峠を通ったんだね。

更に登っていく

ついに、蔦の細道の入り口に到達。

って、おい!舗装もされていない山道やんけ!
ガイドブックで、丸子宿から岡部宿の間に峠道があることは分かっていた。宇津ノ谷峠半端ないわぁ…
…と思いながら佇んでいると、海外からの旅行者が二人降りてきた。
「どう?大変?」って聞いたら、「5分ぐらい登って戻ってきたからわからない」という返事。…そうだよね…単なる観光なら峠制覇なんてしないよね…
観念して登りだす。

単なる山道やん…
そういや熊とか出ないだろうねぇ、ってことで、歌なぞ歌いながら登っていく。

明治末に水害で地形が変わって、それを経て、再整備されたとのこと。
江戸時代はもっと過酷だったのか?

こんな山奥にわざわざ石垣組んだ、地蔵堂があったとわ。

更に山道を登っていくと、ようやく下りに。

この下付近は、国道一号のトンネルもあって、それを管理するためにこの道は整備されたらしい。


立派な竹林を右手に見ながら降りていく。

漸く宇津ノ谷峠制覇!

峠を出てすぐに案内板と延命地蔵尊。

これによれば、頼朝の時代から明治までは、今は明治トンネルに変わった別の道が旧東海道だったらしい。そうだよね、こんな峠道、大群移動ってありえねぇ。しかし頼朝より前の時代は、今来た道の辺りが旧街道筋のはずだから、坂上田村麻呂、源義家親子、平家の討伐軍は、こんな道を超えて東に行ったはず。すげー。
岡部宿へ

国道一号に合流。

しばらく進んで、

歩道橋を渡って右側に移動。県道208号へ。






宿場の入り口によくある桝形跡。しかし今は道はまっすぐ。

西行法師の知合いの墓らしいんだけど、よく笠を見て、その笠の持ち主が判ったもんだ。


そして、ゴール。

ここ、中を覗くと、リアルな人形がいて、結構どっきりする。

ここまでの行程は以下の通り。
距離 8.9㎞
標高
最高 178m
最小 22m
累積標高
登り 195m
降り 200m
行程トレースを始めてから、一番の標高でした。
う~む。箱根越えはこの4倍か…
