鈴鹿峠越え ‐ 関宿 ~ 坂下宿 ~ 土山宿 ~ 水口宿
このトライは、
池鯉鮒宿 ~ 鳴海宿 ~ 熱田神宮宿|Knowledge & Experience
の次の日行いました。鈴鹿峠越えは自転車では無理なので、久しぶりのぶら歩き。JR四日市駅から亀山駅を乗り継いで関駅に移動して、いざ、鈴鹿峠越え。
あ、JR亀山駅、JR東海とJR西日本の境界の駅だった。
昨年末に思いつきで始めた旧東海道ぶら歩きも、日本橋から尾張の国を制覇して、既に伊勢の国に到達!
関宿の内
早朝、四日市はクマゼミの大合唱。そういえば、今年初めてセミの声を聴いた気がする。そして、クマゼミとアブラゼミ・ミンミンゼミの境界が七里の渡しなのかもね。
余談はそれぐらいにして、関宿駅を降りて駅前の観光案内と地図をにらめっこ。

この辺りは電化されていない単線で、JR関西本線というらしい。長閑だ。。。

ちなみに、ぶら歩きは2026年7月14日に敢行。計画時点では梅雨の合間をぬった晴れ間を想定していたが、既に梅雨明けした感じで、朝から結構暑かった。まぁその次の週から始まる酷暑週間ほどではなかったけどね。
旧東海道筋に出て、その街並みに感動!

何と風情のある古民家が連なる街道筋。素敵だ。。。
しかし、西方面を眺めれば、緩やかな登り道。そうだよねこれから鈴鹿峠越えるんだもんね。昨日は西風に難渋したが、歩く場合はその風が心地よかったりする。

こういう街道筋は、自転車で駆け抜けるのはもったいない。天気も良いしぶら歩き最高です!

高札場跡を通過し、素敵な街並みを進む。この辺りも茶所なのね。


ここで若干街道筋がうねる。この街並みも終わりか?…

と思ったら、まだまだ続く。

戦国時代末期は、この辺、しょっちゅう武装集団が東奔西走していたんだろうな。。。

平安初期の嵯峨天皇から徳川家康まで歴史の重みを感じる。。。

ようやく関宿の西端に到達。

坂下宿へ
関宿を出て、坂下宿へぶら歩き。

そして、国道一号に合流。そうそうJR関駅の真ん前は国道一号なのよ。

ずーっと登り坂。しばらく歩いて右に折れる。


しばらく進んで国道一号に戻る。

国道一号を渡って直進。


少し歩くと国道一号に出るので、渡って右側を進む。
しばらく歩くと分岐道出現。ここか?

違う。

右に折れる。
写真の取り方にもよるけれど、改めて見ると結構な登り傾斜。

何とも風雅な。。。

直ぐに国道一号に戻る。
そしてすぐまた右へ。

そしてすぐまた国道一号へ。
しばし登って行って、今度は本格的に国道一号を離れて旧街道筋へ。

勾配もきつくなる。


確かこの付近で、私の目の前を鹿が走り下りて行った。

天文観測が出来そうな施設を併設した鈴鹿峠自然の家を右手に登り、T字路を右折。


坂下宿のうち
坂下宿に入ったらしい。

はぁ…お腹すいた。疲れた。しかし店が見当たらない。。。
ここで、関宿から坂下宿までの行程を挙げておく。
距離 6.6㎞
標高
最大 150m
最小 98m
累積標高
登り 64m
下り 12m
距離的には7㎞弱なのであまり大した距離ではない方。ここで既に、標高150m。結構高い。鈴鹿峠は300mぐらいだから、箱根越えに比べれば全然楽…とか思ってしまった自分が怖いw。

結構本陣跡多し。
途中に自動販売機があったので、ペットボトルを補給。十分熱くなってきたので熱中症対策ね。

坂下宿は陣多し。


鈴鹿峠越え
坂下宿も終わった様で、いよいよ鈴鹿峠越えが始まる。

いざ峠へ
ついに来た!

…って、おい!
写真でも十分伝わると思うが、箱根でも遭遇しなかったような傾斜角80度越え的な絶壁にも見える階段出現。
いやぁ無理でしょ。熊も出そうだし。
ということで、還暦越えの分別十分なおじさんは横の国道一号を選択。

本来の街道筋は写真の右上の崖の上ね。
いやぁ…先程馬子唄発祥の地とか碑があったけど、こんなところを馬で通過できたの?
この疑問、箱根峠でも思ったんだよね。日本土着の馬は凄かったのね。
てか、こんな道、よく軍団も通過したものだよ。感心するわ。

本来の峠道は右上の写真の上の方。ちょっとした敗北感を抱えつつ粛々と進む。しかし考えてみれば、左横とこの歩道は本来は深い山の中だったわけで、良く切り開いたもんだと感動だね。地図を見ると、この右側の上の方で峠道はうねりつつ続いているようだ。

どうやら、本当の旧東海道筋を行くと、ここに出てくるらしい。こっちから見ると、なんだか行けそう。しかし、暑いし戻んの大変そうだし、あきらめる。この付近、自宅から距離的にも時間的にもめちゃくちゃ遠いので、もう二度と来ることはあるまい(涙)。

ほどなく右に折れていく分岐点に差し掛かる。これは外せないよね。ゾクゾク、というか、ワクワクしながら道を進める。

常備している鈴が鳴るようにセッティングして進む。


この辺りから道案内看板が出始める。

鈴鹿流薙刀術発祥の地なんだとか。片山神社の御由緒書きを見ると、斎宮に赴く斎王がここで汚れをはらったとか、倭姫が詣でたとか、流石鈴鹿峠だね。
坂は急坂になり、ヒーハー言いながら登っていく。

箱根峠に比べるとちょっと整備が行き届いていない感じ。


階段を上って…

階段を登り続ける…


つづら折りの登り坂を登っていく。。。


途中の案内板によれば、鈴鹿峠は、三子山と高畑山の鞍部を通る峠なんだとか。鈴鹿峠が東海道になったのは、898年の斎王の伊勢行幸の道筋が確定した時だとのこと。千年以上畿内と東海の行き来を支えているんだね…この街道。
ちなみに、斎王制というのは、雄略天皇のときに、皇室の皇祖神であるはずの天照大神が祟って暴れたので、それを鎮めるために皇宮から移転させ、流浪の末に現在の伊勢神宮に遷座されたんだけど。(これも不思議なお話だね…)僻地に遷座された天照大御神の身の回りの世話をするために皇族のお姫様が斎王として派遣された制度。天皇が代替わりするたびに(確か)、斎王が入れ替わるというもの。面白いことに、女性が皇位につくと斎王は派遣されなかったんだって。何故なら、女性天皇は天照大神の化身だから。皇宮に天照大神本人がいらっしゃるのだからわざわざ斎王を派遣する必要はないってこと。古来の伝統を守るというなら斎王制を復活したほうが良いと思うし、女性天皇=天照大御神で、かつ、女神である天照大神が皇祖なんだから、日本の天皇は本当に男系と言って良いんだろうかという疑問がわく。
あー、そういえば、畿内から東に出た天皇は、明治天皇が初めてか。史跡的には、昔の天皇の発願で、とかいっぱいあったけど。道理で明治天皇の史跡が旧東海道筋で多いわけだ。なんたって、東海道を移動した史上初の天皇だからね…
等と思いながらひたすら登る。他に色々考えた内容はこの記事の最後にまとめることにした。
ん?待てよ。898年に鈴鹿峠が東海道になった…ってことは、その百年弱前の坂上田村麻呂は、蝦夷征伐の折、どこを通ったんだろう。お!そうか、もし鈴鹿峠を通ったとしたら、阿弖流為や母礼もこの道を平安京に向かって連行されたのか…
そう考えるとなんだかすごいね。

難所を越えて
そして、登りが緩やかになり森を抜けた。あたり一面茶畑。

小夜の峠を思い出すな~。

舗装された道に行きあたる。道も平坦になりどうやら峠の最高到達地点らしい。


鹿がいなくなっている。土山宿付近で鹿が右手の山から駆け降りる様を二回見て、茶色の鶏が二羽、のんびりと道を渡っていく様を一回見たよw。

そして国道一号に出る。

後はずーっと下り坂。また、この辺り標高が高いので意外と涼しい。

降っていく。。。

途中、不思議なオブジェ(何だろう?)がある家を左手に見ながらひたすら下っていく。そして気温が少しづつ上がっていく。。。暑い。。。

新名神高速道の高架を潜って先に進む。

ようやく土山宿の匂い。

鈴鹿峠の登り口にもあったね。

猪鼻交差点を右に曲がって、県道507号に入るそして、すぐの角を左にまたってぶち当たった丁字路を左に。そこからは猪鼻村らしい。


しばらく進むといきなり急な上り坂が出現。

ま、登るしかないんだけどね。それにしても左側の家の豪壮なことよ。

急坂を登りきると国道一号に戻る。もちろんここから下り坂。

しばらく行くと右に下る道があり、その道を降りていくのが旧東海道らしい。
…で、気がついた。てっきりアッパーかましてやるぜ適菜構えをしている飛び出し坊や…と思っていたら、これボール遊びしてる子が飛び出してくるかもしれんから気をつけてね…っていう看板なのね。そりゃそうだ(苦笑)。

ここではない。

しばらく進むと、蟹坂古戦場跡。北畠具教が甲賀に攻め入ったとのこと。北畠具教は、その後、織田信雄を養子に押し込まれ、殺害されるという悲運の人らしい。そして信雄は伊賀に侵攻・ぼろ負けして信長から叱責され、その後、信長が天正伊賀の乱で討伐する流れ。その時点では甲賀は織田方に臣従したとのことで、随分と目まぐるしいことだね。

しばらく歩いていくと田村橋。田村川を渡って更に直進。
田村神社

右手に田村神社が出現。旧東海道は、ここで直角に左に折れる。そして、田村神社を背に進むと土山宿。
逆に言えば、京からだと、土山宿を出て田村神社に行きあたって右へ、ってこと。
折角なので、田村神社に参拝。

御祭神は坂上田村麻呂征夷大将軍。さっきの川の名前も由来は一緒なのね。ってことは、坂上田村麻呂の軍団も鈴鹿峠を越えていったのかな?
参拝を終えて、いざ、土山宿へ。そろそろお昼ご飯食べたいものよのぅ。。。

そして国道一号にぶち当たり、反対側が土山宿。
ここまでの行程は以下の通り。
坂下宿~鈴鹿峠の入り口
距離 2㎞
標高
最大 343m
最小 213m
累積標高
登り 130m
下り 0m
鈴鹿峠の入り口~土山宿
距離 4.5㎞
標高
最大 379m
最小 330m
累積標高
登り 37m
下り 81m
最高地点は約380mですか。箱根の半分以下ですな。元々の標高が比較的高いので、あの踏破をあきらめた個所を除けば、それほどの難所ではない感じですかね。
土山宿のうち
国道一号の向こう側には、なんだか素敵な道の駅。お!これは昼にありつけるか…

な、なんと、火曜日定休日!残念。とりあえず飲料水を補給してトホホな感じで先に進む。あー、そういえば昨年、中央道で下呂温泉向かっている時、光速から降りた最初の道の駅が、水曜日定休日で休みだったぁ…ことを思い出す。
あ、ついでに言っておくと、この辺りは甲賀(”こうか”と読む)市。信楽焼と忍者の里だね。


それぞれ昔は何の店だったかが明記されている!






そろそろ土山宿の西の果てか?








これ見ると、まだまだ土山宿の内なのね。

ん?また本陣。これまで踏破してきた宿の中で本陣最大数じゃない?
そして、土山宿を治めていたのが土山氏で、甲賀忍者の末裔ってことか。。。まぁ、神君伊賀越えの時から家康に恩を売っていたわけだから優遇されたのかな?

まだまだ土山宿の内。史跡級の建物の密度が濃いから長く感じるのかもね。

何の岩か、「ブラタモリ」でタモリさんに解説してほしい。。。



案内図では、左にカクっと曲がって渡し場的な道筋だったが、まっすぐ歩いて国道一号に合流して、土山宿をついに通過。
しかし、関宿に引き続き、素敵でしたよ、土山宿!
水口宿へ
そして、国道一号をひたすら水口宿へ。



東海モータースさんを通り過ぎると左に折れる道があるのでそちらへ。
しばらく進むと”歌声橋”という橋があって、野洲川を渡る。


と、ここで、iPhone の充電が0%に。もー!怒!
仕方ないので、ここからGoProの写真。
橋を渡ってT字路をまっすぐ進み、二股に分かれる道路を左へ。しばらく行くと、なんとお蕎麦屋さん発見。営業中!

もう、入っちゃうしかないじゃないですか。。。しかし丁度お昼時だったので、結構待ちました。
待ったかいあり、美味しいお蕎麦と、地元のジンジャエールをいただけました。お店の方のお話によれば、元々は4市町村あったのを一つにまとめて甲賀市ができて、読みは”こうかし”になったと。忍者の里甲賀もその中の一つなんだけど、ここよりもっと南の方だという事でした。丁寧に教えていただきありがとうございました。
最後に食後の一服を店の近くの木陰でやらかして、大変申し訳ございませんでした。
一息ついたので、水口へのぶら歩きを再開。気温はかなり高くなっている。

そういえば、この子、滋賀県が本場なんだとか。既にこの辺りは滋賀県。
う~む。。。感慨深い。。。

御祭神は、速秋津比古之命と速秋津姫之命ですか。蜻蛉の神格化だと思っていたけど、水害の神様でもあるのね。







残念ながら写真は撮り忘れたのだが、ふと左を見ると、古民家カフェがあって、それも営業中!
天の助け!その名も古民家カフェ一里塚。早速入って凉をとりつつ休憩。
御店主と色々とお話。びっくりするサービスを受け大満足。
お話によれば、一日に何人か私と同じような物好きさんが鈴鹿峠を越えて、この時間ぐらいに来店するんだそう。ここから先水口宿までは、ローソンが一件しかないよという助言もいただき再出発。
いろいろとありがとうございました。
この道筋、多分ずーっと県道549号を下ってきているはず。

野洲川を左手にみつつ、右に進む。

岩神社という珍しい名前の神社が目印。
そう、蕎麦屋さん、古民家カフェさんにいる間、iPhone を水が入ったコップで冷やしつつ、モバイルバッテリにつないでいたら、奇跡的に充電が復活していたので、ここからは iPhone の写真に戻りました。

実はこの写真から次の写真までちょっと迷いましたぁw。

どうやら水口宿に到着したらしい。秋葉北交差点を渡るとすぐ橋。

水口宿の内
特に史跡案内とかは無かったようだが、この二股に見えるわかれ道の辺りが水口宿の東見附付近らしい。

マンホールのデザインがシンプルだ。

若干の登り坂を進んでいく。この辺り水害が多発してきたようだから宿場はちょっと小高いところにあるのだろう。
東海道57次のガイドブックによれば、水口宿の特徴は三股に道が並行する点。

今回は(次回はあるか判らない)左を選択。

今回は(次回あるのか?)左の南側の街道筋を行く。

まだまだ、三股の途中。この交差点を右に行くと、並行して走っている北側の二股の街道筋に行けるはず。
三股の区間は意外と長い。

ようやく合流ポイントへ。あれ?と境内の説明を見ると、”三股”ではなく、”三筋”が正解らしい。
修正するのが面倒なのでここまでの報告はそのままにしますが悪しからず。
そしてゴール!

ここまでの行程は以下の通り。
距離 13.7㎞
標高
最大 253m
最小 208m
累積標高
登り 24m
下り 47m
う~む。。。あまり降ってないというか、水口宿の標高は意外と高いのね、という感じ。
おまけ
鈴鹿峠越え雑感
鈴鹿峠を越えたわけだけど、天気も良くてとても良かった、というのが素直な感想です。ただ、箱根峠に比べると、ちょっと整備という手入れがあまりなされていない感じも受けました。
ある程度標高があるので、下界に比べれば少し涼しいような感じでしたが、とはいえ、暑い。なので、トライするなら春か秋がよろしいかと。
また、鈴鹿峠の両側の坂下宿と土山宿は、鉄道の駅が近くにないので、鉄道利用の行程を計画するなら、関宿~水口宿を一気に踏破、にどうしてもなってしまうかな。
水口宿ゴール後の行程
今回辿ったルートは、人生初めて訪れた場所ばかり。実際に歩いてはみたけれど、未だにどの辺が水口宿なのか土地勘が働かないというのが本音のところ。旧東海道はうねるから方向感覚も鈍ります。
今回は、二泊三日で、藤川(実際には豊橋駅スタート)~水口までを、鈴鹿峠越えはぶら歩きで、それ以外はぶらチャリで踏破する計画を立てて挑んでいて、鈴鹿峠越えは二日目の行程。なので、水口宿から宿泊地の四日市に戻らねばなりません。
帰りは、水口石橋駅からなのですが、この駅、近江鉄道という路線の駅なんですね。もうね、「近江鉄道なんて路線があるんだ。。。」状態なので、四日市までどうやって移動すんのよって感じ。調べると、
近江鉄道で”、水口石橋”→”貴生川”
JR西日本で、”貴生川”→”柘植”
”柘植”→”亀山”
JR東海で、”亀山”→”四日市”
という行程。この行程、乗換のつなぎもわるくちょっとした小旅行でしたよ。宿場町の近くに鉄道の最寄り駅があるからといって、お手軽に移動できると思ったら大間違いですな。
伊賀忍者の本場、”柘植”
そんなこんなで、”柘植”を経由して四日市に戻ったわけですが、”柘植”に向かう途中、「そういえば、”柘植”ってさ、伊賀忍者の本場だよね…」なんて思いながら電車、いや、ディーゼルっぽかったから、汽車かな、に乗っていたわけですよ。そしたら、柘植駅、期待を裏切らず忍者だらけで、楽しませてもらいました。
降りたホームでは、忍者がお出迎えと誘導。

階段に向かうと

と、おかえりなさい、でくノ一がお出迎え。
そして、一番ホームへの階段を下りてふり返ると、”いってらっしゃい”の文字が。。。
あー、写真撮るの忘れたわぁ…不覚。
天皇に関する歴史的伝統の考察
以下、鈴鹿峠を越える最中に苦しさを紛らわす目的であれこれ考察を巡らした内容を、この記事を書いている時点で、事実を確認しながら書き下ろした内容です。元々の下敷きになっている知識全般は、過去書籍を購入したり、時間を割いて調べたものであり、一定の労力・コストがかかっていることを鑑み、以降を有料とさせていただきます。
まぁ、購入されるもの好きな方は皆無だと思いますが、購入された方でも、無断引用、一部切り取りは厳禁とさせていただき、万一購入された場合は、このお願いを了承いただいたこととします。
ここから先は
¥ 3,600
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
