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池鯉鮒宿 ~ 鳴海宿 ~ 熱田神宮宿

この記事は、
藤川宿 ~ 岡崎宿 ~ 池鯉鮒宿|Knowledge & Experience
に続けて行ったぶらチャリレポートです。
最後まで西風・向かい風に泣かされましたー


鳴海宿へ

逢妻橋を渡って進む。

逢妻橋
逢妻橋のタイル

国道一号に合流し名古屋方面へ。

逢妻町交差点

しばらく国道一号を進み、一里山町新屋敷交差点を過ぎたあたりで、右に入る。

旧東海道、右へ

しばらく進んでまた国道一号へ。

国道一号へ

しばらく国道一号を進む。

国道一号沿い

この辺りはずーっと微妙に登り道。追い風がつらい。

新境橋で境川を渡って国道一号から左にそれ、伊勢湾岸自動車道の下を潜る

国道一号を左に折れて伊勢湾岸自動車道を潜る

陸橋を潜ったらすぐに右に曲がって国道一号に戻る。
境川を渡ると、豊明市に入ったらしい。マンホールが変わる。

とよあけし

武将が戦場を駆け巡る感じ。

県道57号手前を左へ

県道57号の陸橋の手前で左に折れる。

阿野一里塚

右手に阿野一里塚を見ながら直進。

左手に前後駅

前後…何の前後何だろう?確か、秋田には前九年の役を由来とする前九年駅ってのがあるけど。

上は進行方向 下は右手方向が登りになっている
おー!公会堂!

ここらはけやき通り。しばらく進んで国道一号に合流。

国道一号に合流

桶狭間合戦場跡

国道一号をしばらく進むと、桶狭間合戦跡の案内板が!

桶狭間古戦場北交差点

こりゃぁよりゃにゃあのー。ということで、左折し、坂を登る。あ、登るんだ…

史跡桶狭間合戦所

桶狭間というから、谷底な感じのところで休んでいた今川義元が襲われたんだと思っていたんだけど、ちょっと小高い丘のところで休憩していたということか。そうだよね…上から攻撃する方が有利なわけで、わざわざ不利な場所で本陣休憩なんか、しないよね…と妙に納得。

しばし、散策。

史跡

今川義元と一緒に討たれた武将の碑も点々と。

討たれた武将達関連

桶狭間合戦は、直前に雨が降って視界ゼロ状態になっていたと。その間に織田信長勢が近づいたと。雨が降った後に霧なんか出ていたとしたら、霧の中から突然敵の軍勢が沸いて出てくるような状況になると。これ、驚愕を通り越して、超絶恐怖だろうね。。。

一通り見渡して道を挟んだ反対側を見ると、

徳本行者の名号

江戸時代の高僧が死者を弔った跡だとか。

ちなみに、今川義元を討ち取ったのは、毛利子平太だっけなぁ…と思って調べたら、

  • 服部小平太が最初に斬りかかって

  • 毛利新介が首塚を挙げる

という二段構えだった。…混じってる…

そもそも何故?そんな桶狭間とかいう僻地を通過したのか、とも勝手に思っていた。当時の今川義元的には、織田勢なんぞはちょいと息を吹きかければ吹っ飛ぶぐらいの弱小勢力だったわけだから、最低限の警戒しかせずに進軍していたはず。しかし考えてみれば、桶狭間自体、坂上田村麻呂の旧律令制の時代からの東海道の街道筋だったわけで、そこをすーっと進軍してくるのはむしろ当たり前なんだね。
実際にその土地に足を運ぶと、色々なことが納得体感できるものだ。

鳴海宿へ

だいぶ日も傾いてきたので、国道一号に戻って鳴海宿へ向かう。

大将ヶ根交差点

大将ヶ根交差点で右に折れる。県道222号を進む。

県道222号を進む

おー、レトロな歯科医院!

趣のある古民家

と思わせておいて、歯科医さんは手前の建物だったw。

古民家はこの左隣

有松駅付近で、急に古民家が立ち並ぶ趣深い旧東海道ならではの街道筋が出現。

旧東海道筋 古民家群
古民家群が続く。。。

なんだこの街並み。すげーじゃないか。最初は、この辺、名字が有松さんばっかりなの?と思ったのは秘密。

有松の街道筋
旧東海道案内 ~ こういうの助かるんだよね…
まだまだ続く

あめんぼのマンホール!…って超かわいいんだけど…

変わったマンホールだね

右は、名古屋城か?

天満社も有松社も詣でたいんだけど…

そうこうしているうちに、名古屋第二環状自動車道の陸橋に到達。有松一里塚跡が袂に。
名鉄名古屋本線の踏切を渡り、

名鉄名古屋本線の踏切
常夜灯
金剛寺

中島橋を渡り、クランクっぽいところへ。

そろそろ鳴海宿か?

鳴海宿の内

さらに進む。

県道242号を渡る

本陣跡など一切見つけられていないが、どうやらこの辺りが鳴海宿らしい。
まぁ、あまりに有松の街並みが素敵だったので良しとしよう。

ここまでの行程は以下の通り。

  • 距離 11.7㎞

  • 標高

    • 最大 31m

    • 最小 3m

  • 累積標高

    • 登り 50m

    • 下り 57m

結構アップダウンがあったという事ですかね。

熱田神宮へ

ここでしばし熟考。日も暮れてきたし、鳴海駅はすぐだから、ここで本日のぶらチャリ終了でも良き哉って感じ。
この日の日の入りは19時2分ごろ。そして、後7kmぐらいで行ける。
ちなみに、先程の写真の交差点の右手は結構な登り坂。

登り坂だったら屋だなぁ…と思ったが、じゃぁ行くか、で、出発。県道222号を進む。それほどの登り坂ではなかった。助かるー

県道222号がグーっと右に曲がる

常夜灯を右手に、更に道なりに進んでいく。

常夜灯

あ、貝塚!

鉾ノ木貝塚
県道59号を渡って更に進む
天目橋を渡る
笠寺一里塚
笠覆寺

何重の塔かはわからぬが、なんかある。
(もう疲れてるw)

どうやら、旧東海道をちゃんと進んでいるらしい…
また、名鉄名古屋本線の踏切

踏切渡ってすぐ右へ。

よびつきって何?

踏切が空いている時間はとても短く、大渋滞。

呼続小学校交差点を渡る

呼続ける?あ、”呼続”=”よびつき”ね。地名は奥深い。

二股に分かれる道は直進
熊野神社を越えて…

山崎橋を渡ったら左折。あれ?なんで写真撮ってないんだろう?

名古屋高速3号大高線を潜って国道一号に合流

あー日が暮れるー。

東海道本線にぶつかり辺りで左に折れる。

左へ
この川も溢れそう…

熱田橋(多分)を渡り、

宮地区の歴史案内を横目に

熱田神宮のうち

どうやら神宮宿に入ったらしい。

裁断橋跡
姥堂

奈良の大仏様のお相手の姥様だと?!
さらに進んで、県道225号にぶち当たる。そのままでは渡れないので、右の方に行って交差点の信号を渡る。

交差点を渡って

渡ったら左へ。

右へ

直ぐの案内を見つつ、旧東海道筋に戻る。
そして、T字路で左に折れて、国道247号にぶち当たる。

国道247号を渡る…

あー、疲れた体であの歩道橋を渡るのねぇ…

あともう少し…

しょうがないので歩道橋を渡り、旧東海道筋を逝く。。。

宮の渡跡

宮の渡跡、到着!
今は川を挟んで陸地が続くが、江戸時代は桑名まで巨大な河川を渡ったらしい。

七里の渡跡

あー日が沈んでいく…一応日暮れまでにはチャレンジ終了。

沈む夕日

桑名は夕日の向こうか…

七里の渡しの道を挟んだ反対側は、

伊勢久

昔の旅籠跡でした。

ここまでの行程は以下の通り。

  • 距離 7.8㎞

  • 標高

    • 最大 15m

    • 最小 1m

  • 累積標高

    • 登り 15m

    • 下り 21m

ほぼ平坦な道のりってことだね。
それにしても名古屋方面、仕事で何度も来たけれど、熱田神宮も行ったことあるけど、今回通った道筋は、全くの初めて。名古屋って広いね。。。

思い出した。熱田神宮は二回行ったんだけど、どうやって行ったかは忘れた(w)。一回目は夕方に到着。境内を歩いていた宮司さんに「まだ本殿空いてますか?」と聴いたら、「もうしまってます」とのお答え。「閉まるのって何時ですか?」と聴いたら、「日暮れです」とのお答え。あれ?まだ日は暮れてないんだけどなぁ…と思った次第。二回目は午後の早い時間に詣でることができて無事参拝したとさ。
知立神社も、熱田神社もせっかく近くを通ったのに、今回はどちらも行けなかったのがとても残念。
まぁ、今回は神様が来なくても大丈夫だよ、と言ってくださっていたと思うことにする。

そういえば、いつの間にか三河の国から尾張の国に入っていたと。池鯉鮒から鳴海の間だね。そういえば、鳴海城って、若き家康が、桶狭間合戦の時に、鳴海城と連携していた大高城に兵糧運び込んだあたりか。。。

おまけ

本来の計画は、この後電車で桑名に移動して、桑名~四日市をぶらチャリする予定だったんですよ。しかし、この後すぐに日が暮れてもう無理。
一応JR八田駅を目指したんだけど、6㎞ぐらいあるのね。その途中で iPhone の充電が無くなって、更には暗くなってしまったので、途中でタクシー拾って八田駅に無事到着。こういう時は折り畳み自転車は便利だね。

しかし、JR四日市駅に着いたのがもう夜九時過ぎ。はぁあ、って感じでこの日のトライは終了でした。

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