岡部宿 ~ 藤枝宿 ~ 嶋田宿
この行程は、府中宿 ~ 岡部宿の、その後の道行きのお話。
岡部宿 ~ 藤枝宿
岡部川を右手に見ながら南西へ。

赤い橋?神社でもあるのか?とか、吊り橋渡りたい…とか思いながら進んでいく。

10世紀初頭の平安時代初期の建立という古い神社。八幡様では定番の応神天皇、神功皇后に加えて、仁徳天皇(大鷦鷯命)も祀られている。珍しい。
神ころばし神事というのも面白い。

この辺り、水害が多かったのね。。。
東海道、馬での往来が多かったから、馬頭観音が祀られている場所が多い。お地蔵様も多数祀られている。それだけ旅の途中で死んじゃう人が多かったからか?
国道一号を渡り、更に川沿いを進む。


横内新橋を渡って、県道381号へ。

やはり東海道は松並木だね。

案内に従って歩道橋を渡って旧東海道を進む。

この辺り、藩領が入り組んでいたらしい。

既に藤枝市。

風情のある道が続く


マムシいるんだ…
県道208号を外れて、葉梨川の土手を進む。

石でできた橋。

鳥居が見えたが、付近にそれらしい神社は見えず。

公園を突っ切って、更に進む。

この辺りのポストも昔ながら。

布袋様発見。この辺り七福神が各所に祀られているらしい。

私的には、藤枝と言えば、藤枝梅安の生まれ故郷なんだが、どうやらサッカーのまちらしい…そりゃそうだ(笑)
そして、藤枝宿に到着したらしい。県道32号線を更に進む。

藤枝宿 宿場町付近
さわやか通りを更に進む。

そろそろ長楽寺通か?

神社発見。

藤枝という地名の由来は、源義家の詠んだ和歌からだったのね。へー。
創建は奈良時代。ほかに有名人として菅原道真の名も。
そして、御祭神は、天穂日命と健御熊命。どちらの神様もあまり見かけないですね。
天穂日命…聞いたことあるなぁ…で、確認したら、天照大神と素戔嗚の誓約で生まれた八王子のお一人で、最初に出雲に派遣された神様だった。ちなみに、出雲大社の宮司家は、この神様の子孫で、戦前、宮司様は、天皇と並んで現人神だったんだそうだ。
そして健御熊命は、天穂日命の子供神で土師氏の祖。へー。菅原道真も土師氏の末裔だったなそういえば。
しかし、なんで、出雲に関わる神様がこちらでお祀りされているのか。不思議。旧東海道、そんなケースによく遭遇する。
この神社の後ろ側に蓮華寺池という結構大きな池があって公園があるらしい。

武蔵の国に伊勢神明社を勧請する時に設立された神社とのこと。

藤枝宿案内板に到達。一応ここでゴール。


ここまでの行程は以下の通り。
距離 7.9km
標高
最大 39m
最小 6m
累積標高
登り 103m
降り 84m
距離はさほどでもなく高低差もそれほどでもないけど、上り下りは結構やってた。
藤枝宿 ~ 島田宿
しばらく藤枝宿内を進む。

この辺り、江戸時代は田中藩と言ったらしい。

ここにも出雲大社があるんだねぇ。。。
大判焼きかぁ…食べたい。
あれ?この辺戦国時代は今川氏の治めてたところだよね。今川焼じゃないんだ。
ちなみに私の故郷山形市では大判焼きと言っていた。大人になって他の地方で、「今川焼?何それ」という時期もあった。確か、西日本の方に行くと、今川焼系とは全く別物の大判焼きもあったような記憶がある。それはそれとして、今川焼、大判焼きという名称の分布図があれば観たいものだ。

瀬戸川を勝草橋で渡り、

ほぅ、一里塚を作り出したのは織田信長かぁ。。。
そして、東海道を整備したのは家康っさんに頼まれた秀忠さんなのね。
そして、ここは、日本橋から200㎞、五十里目。

この道、この間の東京オリンピックで聖火リレーは知った道なのね。最近オリンピックに全然興味が沸かないので、知らんかったよ。

脇道から戻って、

この松、支えられているのかと思いきや、支えられてなーい!
凄!

ごめん、千代田百貨店、知らん。


未だ、田中藩領だった…

段々日が傾いてきた。

古東海道ってのがあったのか…



どこが東海道か見失う事多々なので、道に表示してくれているのはとてもありがたい。

バス停をふと見ると、え?予約が必要なの?
そろそろ疲れてきたので、乗れたら乗ろうかと思ったけど、ダメだね(苦笑)。

東海道筋は、こういう、両脇まっすぐ平面の家が多い。

東光寺谷川を渡る。

あれ?旧東海道外れてる?ということで、県道222号へ。

おー、嶋田宿まであと4㎞ぐらい。


どんどん日が暮れてくる。。。

たまに見かける、国土地理院の水準点。あまり大事にされているようには見えない。

秘密基地1号はいずこに?

昭和天皇の史跡はあまり見かけない。

ついに、日が暮れた。
嶋田宿
そしてついに、嶋田宿の東木戸跡に到着。

だんだん夜の帳が下りてくる。。。

なんだろうこの陽気な昔のおじさん。。。後ほど詳細は判明するが。

どうやら到着したらしい。ガイドブックは嶋田宿となっていたが、本来は島田宿なのか?どちらかよくわからない。
島田宿の一里塚は、松ではなく榎が植えられていたらしい。へー。

江戸時代初期は、幕府の直轄地(天領)は60人ほどの代官が治めていたとのこと。それぞれ5万~10万石くらいの行政を司っていた。それって、小規模な大名並みだね。

こんな芭蕉ゆかりの歌碑もあった。
ということで、今夜は島田宿で一泊。
いまさらだけど、文金高島田、島田髷の島田はここ発祥だったのね。。。
ここまでの行程。
距離 9.5㎞
標高
最大 65m
最小 19m
累積標高
登り 132m
降り 106m
府中宿~丸子宿~岡部宿と合わせて約35㎞ を歩いたことになる。
宇津ノ谷峠なんていう、結構な峠道もあったことを考えると、一日の歩行距離としては、江戸時代の旅人と比べても、なかなか良いレベルではないだろうか。こんな感じなら、箱根越えも一泊二日の行程ならいけそうだ。
この日はとても天気が良くて、はんぱなく日焼けしてしまった。
それも西に向かって歩いていたから左腕が特に酷い状態。
これからは日焼け対策も考えないといけない。
いやぁ歩き旅は色々大変だっせ。
