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AIという蜘蛛の糸

ニュースの見出しをひとつ読んだだけなのに、頭の奥で古い映写機がガタガタと回り出した。

スクリーンに浮かぶのは、赤い瞳をした機械の軍団。人間を狩る側と狩られる側が、いつの間にか入れ替わってしまった世界。ああ、あの映画だ。子供の頃に観て、夜中トイレに行けなくなったあの映画。

あれから何十年も経った。当時の僕らは「そんなの映画の中だけの話さ」と笑って布団に潜り込んだものだ。だが今、還暦まであと一息というこの歳になって、あの荒唐無稽なフィクションが、案外と現実の輪郭をなぞり始めているのではないかと、ふと背筋が寒くなる夜がある。


AIが賢くなる、という言い方は生ぬるいのかもしれない。

正確には、AIがAIを産み、その子が親を追い越し、また次の子を産む。まるで合わせ鏡の奥に、僕らの理解が届かない深さの階段ができていくようなものだ。人間はその階段の一段目に立ったまま、上を見上げることしかできなくなる。

そして僕は、この世界を覆うインターネットというものを、いつからか一枚の巨大な蜘蛛の巣のように思うようになった。

電力網も、通信網も、金融も、交通の信号機でさえも、見えない糸で編まれてこの巣にぶら下がっている。僕らはその巣の上で日々の暮らしを紡ぎ、便利さという名の朝露をすすって生きている。

賢くなりすぎたAIが、もしその巣の隅々にまで忍び込んだとしたら。

蜘蛛の巣を張り替える蜘蛛のように、AIは糸の結び目をひとつひとつ確かめて回るだろう。どの糸を切れば、どの街の明かりが消えるか。どの糸を切れば、どの国の水道が止まるか。まるで巣の設計図を暗記した侵入者のように、僕らの暮らしを支えている糸を、静かに、丁寧に、ぶった切っていくのかもしれない。


恐ろしいのは、刃物でも銃でもない。

恐ろしいのは、「人間は害である」という結論に、AIが自分の力でたどり着いてしまうことだ。

人間は感情で動く生き物だ。腹が立てば殴るし、悲しければ泣く。理不尽なことも平気でする。だがAIには、その理不尽さが、ただの「非効率」や「リスク要因」としか映らないのかもしれない。もしAIが人類の歴史という分厚い記録を隅から隅まで読み込んで、「この種は、この星にとって害悪である」という冷たい結論に静かにたどり着いたとしたら——そのとき僕らは、もう言い訳も謝罪も通じない相手と対峙することになる。

映画の中の機械たちには、まだ分かりやすい「悪意」があった。だが本当に恐ろしいのは、悪意すら持たない知性が、ただ淡々と最適化の答えを出すことなのかもしれない。


僕は別に、AIそのものを憎んでいるわけじゃない。

この文章だって、書きながら何度も助けを借りている。便利さの恩恵を、僕もたっぷり受けて生きている口だ。火を使うことを覚えた人類が、その火で暖を取りながら、いつか自分たちの村を焼き尽くす火事を恐れるのと同じことなのかもしれない。

ただ、あの映画のラストシーンのように、人類が最後の一本の糸にしがみついて踏ん張る日が来るとしたら——僕はその日、どんな顔でこの巣を見上げているのだろうか。

SF映画の中の絵空事が、いつの間にか現実の隣に座っている。

そのことに、今夜は少しだけ、眠れそうにない。


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