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読んでると、無償になにか書きたくなる。そんな力のある文章。

とある本を読んだ。そしたら、自分も、なにか書きたくなった。

最近は毎朝5時に起きるようにしている。そこから軽くストレッチをして、30分くらい散歩して、体を動かしながら眼を覚まし、何かしらの書く仕事を始める。

そんなルーティンが必要な年齢になってきたからこそ、朝の時間は貴重だ。

とはいいつつ、今日は起きるのが6時になった(あれ)。1時間も予定が狂ってしまったのに、全て無視して朝からとある本を読んでいた。

そして、誰にも求められていない、時間がない中でわざわざ書くほどでもない文章が書きたくなったのだ。

そういう衝動にかられるのは、たいていエッセイを読んでいる時。本音と温度感とリズムによって書かれている文章だ。

そして書きたくなるのが、noteだ(エッセイ)。そう、文章で「自己表現」がしたいのだ。おそらく。


私が普段書いているのは、医療や介護の知識に基づくものが多い。そこに、たまにコラム的に自分の経験を書いたりもする。

本が売れるのはうれしいし、商業出版で書かせてもらえる機会がある以上、ちゃんと売れる本(社会に貢献できる本)を書き続けたいと思っている。

でも、それはそうと。

密かに読者の方からもらって嬉しいのは、箸休め的にいれたコラムへの感想なのだ。

「自分もがんばろうと思えました」
「自分だけじゃないと思えたら、気持ちが救われました」

泣ける。

ドキドキしながら書いたエッセイが、会ったこともない誰かの支えになったという事実が、なんだか嬉しい。

うれしいという言葉だと、なんとも幼稚な感じがするのだけど。でも、やっぱり素直にうれしいな、と思う。

医療や介護の現場に立っていると、本当に苦しい渦中にいる人を救えるのは、正しい知識でも正論でもないことを痛感する。

たしかにその前段階にいる時は、正しい知識や情報の有無が、その先の判断を良い方向に向かわせる、大きな力になる。これは間違いない。

だから、そのために本を書いている。のであるが。

もうそこの段階を通り越して、どうにもならない状況の時。そんな時に救いになるのが「自分だけじゃないんだ」という心の拠り所だったりする。

たかだか40分のリハビリで、体が大きく変わらなくとも「長島さんがきてくれたから、今日も生きててよかったと思えたよ」と言われたりするのも、きっとそういうことだ。

だから、コラムとしては、そこの機能を果たせればな、と思って書いている。

結局何が言いたいのかわからなくなってしまったが。こうやって誰かの行動を引き出せる文章ってすごいと思ったのだ。

だれかの「書きたい」を触発できる文章。だれかの行動を引き出せる文章。

誰かの行動につながったということは、その時点で書き手の思いがしっかり届いた、ということなのかもな、とも。

よく思われたいとか、そういうのじゃなくて。その人の本音で書かれた文章。そこに人の書く文章の力が宿っているのだと思う。

その力を受けて、もれなく今日も、だれからも求められていないnoteを書いているのが、私だ。

私も、私が書いている限りは、そんな誰かの背中を押せるような文章が書きたいなと思う。

さて、そろそろ、なんの本を読んでいたのかを明かしておこう。

ほんとうのことを書く練習」土門蘭さん

自分の文体とか、リズムとか。そういうのはまだわからないけれど。わからない内は、とにかく書き続けようと思う。

こういう本を書ける人は、やっぱりすごいなと思うと同時に。死ぬほど書いているだろうな、とも思う。がんばろ。

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長島佳歩|理学療法士 最後まで読んでくださりありがとうございます^^! チップはいりませんので、良いと思った記事は、ぜひシェアしていただけると大変喜びます笑 理学療法士として、体のこと、心のこと、高齢者介護のこと、はたまた趣味の海外のくらしのことなど、体験からの学びをシェアしていきますね^^