見出し画像

ベートーヴェン「第5」冒頭の問題 「スモーク・オン・ザ・ウォーター」との関係、クラリネットが聞こえない、2つのフェルマータの違い



1 リッチー・ブラックモアが「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフはベートーヴェンの第5から来ていると言ってる問題


「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、まさにロックの象徴のような曲で、先日のイアン・ギランとリッチー・ブラックモアの33年ぶりの共演で演奏されたのも、この曲でした。

その「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の有名なリフは、ベートーヴェンの、これまた超有名でクラシックの象徴のような「第5」(かつては「運命」と呼ばれた)の冒頭から来ている、と作曲者のリッチー・ブラックモアは言っています。


この有名な発言は、2007年、CNNのアンカー、リチャード・クエストとのインタビューの中で登場しました。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの曲を聴いていて、「ボン・ボン・ボン・ボン、ボン・ボン・ボン・ボン(5番の冒頭)」というフレーズを耳にしたんです。そこで、これを逆再生して何かを付け加えてみたら、「ボン・ボン・ボン、バ・ボン(スモーク・オン・ザ・ウォーター)」という形になった。そうやってあのリフを思いついたんですよ。

(クエスト)ちょっと待ってください。つまり、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のあの有名なリフは、ベートーヴェンから来ているということですか?

あれは「反転 inversion」という手法の一つの解釈です。逆再生して、行ったり来たりさせてみると、実はベートーヴェンの交響曲第5番(運命)のメロディになっているんですよ。だから、彼には多額のギャラを払わなきゃいけませんね。

I listened to Ludwig van Beethoven, bom-bom-bom-bom, bom-bom-bom-bom. And I think, play that backwards, put something to it, and you’ve got bom-bom-bom, ba-bom. That’s how I came up with it.
(Quest) Hang on. Are you saying that the famous riff of smoke on the water is from the Beethoven?
It’s an interpretation of inversion. If You turn it back and play it, back and forth, it’s actually Beethoven’s fifth. So I owe him a lot of money.



この発言は、一般に、一種の冗談だととらえられていますが、インタビューのさいのブラックモアは、冗談を言っているようには見えません。


でも、第5のモチーフと、スモーク・オン・ザ・ウォーターのリフは、たとえ「反転」しても、似ていると思えない。

だから、冗談としか思えない。

表面的な音の運びに、似ている点がないではないが、「響き」が違う、つまり、全体的な雰囲気が決定的に違う、と多くの人が思うと思う。

私もそう思う。


なぜ「響き」が違う、と感じるのか。

それも、実は同じインタビューで、そのリフを弾きながら、ブラックモア自身が説明しています。


これは完全四度、それも厳格な完全4度を使った奏法です。中世の時代、ショーム(当時の木管楽器)のパートはまさにこのように、4度の平行進行で演奏されていました。つまり、そういうことなのです。

It's play with forths, rigid forths, which is going mediebal times, that's how they played a lot of shawm parts, that was parallel forths. So now you have it.


スモーク・オン・ザ・ウォーターのリフ


このリフを、ギターを覚えたロック少年がみんな弾くのは、弾きやすいからです。

ギターは、隣り合う弦が4度で調律されており、このリフは、隣リ合う弦の同じフレットを押し、その指を平行移動させるだけで弾ける。

その意味で、この「4度の響き」は、ギタリストなら日頃から親しんでいます。いかにもギターから生まれたリフなわけです。

この「4度の響き」は、どこか荘厳で、よく使われる表現で言えば「空虚」な感じがします。


ブラックモアが言うように、この「4度の響き」は中世の音楽に多用されました。

しかし、ベートーヴェンの時代では、「4度の平行進行」は、理論的に「禁止」されていました。

ベートーヴェンのような古典派の音楽は、3度と5度で構成されており、「第5」もまさにそうです。

われわれが第5の冒頭で聞くのは、執拗なほどの3度の響きですね。


だから、われわれは、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」と「第5」は、決定的に違うと感じる。

理屈以前に、「響き」の点で、違うと直感できます。


つまりブラックモアは、スモーク・オン・ザ・ウォーターのリフの説明において、一方で中世の「4度」で構成されていると言い、一方で(4度進行を排除した)ベートーヴェンの「第5」に負っていると言い、音楽的には矛盾したことを言っています。

もしブラックモアが真面目に言っているとすれば(私にはそう見えますが)、彼のような天才的な音楽家は、常人とは違う「耳」を持っていて、彼の中ではベートーヴェンと中世音楽が、矛盾なく同居しているのかもしれません。


たぶん、彼は、「構造的」には、バッハやベートーヴェンのようなガッチリした音楽が好きで、でも音の響きとしては、中世やルネサンスの音楽に惹かれるのでしょう。

スモーク・オン・ザ・ウォーターのリフが傑作なのは、矛盾した二つの音楽世界を、彼が「総合」できたからかもしれません。


ディープ・パープルは、オーケストラと共演するなど、もともとクラシック音楽に造詣があることで知られ(主にジョン・ロードとブラックモアの趣味だったと思いますが)、ブラックモアは、のちに中世音楽の世界に深く入り込むことになりました。

商業的でエゴの強いロックに疲れて、「中世やルネサンスの音楽がいいわー」となった、と彼自身が説明していますね。


彼が最初に中世音楽に惹かれたのは1974年ごろ、16世紀の音楽家ティールマン・スザート(Tielman Susato)に興味を持ったからだと言っています。

Ritchie Blackmore - On Medieval Music (Shadow Of The Moon VHS, 1999)


それは、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を発表した直後、つまりディープ・パープルが絶頂をきわめたのとほぼ同時でした。

その後ずっと彼は、プライベートで中世やルネサンスの音楽を演奏していたらしい。

リッチー・ブラックモアは、1997年にキャンディス・ナイト(ボーカル・現在の妻)とブラックモアズ・ナイトを結成。 イギリス中世の音楽を現代風にアレンジした音楽を演奏しています。


Blackmore’s Night – Renaissance Faire (Remastered Video from “Under A Violet Moon” Tour 2000)



古典派やロマン派の時代には避けられた4度ですが、20世紀に入ると、4度の和音はドビュッシーなどに多用され、ジブリの音楽を担当した久石譲もよく使うことで知られます。

少し古風で、異世界的な響きがするからでしょう。

その意味でも、スモーク・オン・ザ・ウォーターの響きのカッコよさは、今でも通用します。


なお、ブラックモアは、「ハイウェイ・スター」ソロでのアルペジオを「モーツアルトっぽい」とも言っています。


中間の部分はアルペジオのようでした。モーツァルトの曲みたいに。当時、私はモーツァルトに感銘を受けていて、彼をよく知っていました。ただ、私が知っていた頃の彼は決して体調が良くなく、生命力に溢れているようには見えませんでした。実際、彼はもう亡くなっていたのだと思います。でも、それを本人に言うと機嫌を損ねてしまうので、誰も言えませんでした。

The middle part was like arpeggios. It's like a Mozart piece. I was impressed by Mozart in these days. I knew him quite well. He was't at all well, when I knew him. He did't looks like he was full of life. In fact, I think he was dead. But nobady could tell him that cuz he got upset.


まるでモーツアルトを知人のように真顔で語っているのは、やはり冗談なのか、あるいは狂っているのか・・この人はよくわからん。


2 どうせ聞こえないクラリネットパートを、ベートーヴェンはなぜ書いたのか


これは、数日前、米国のクラシック評論家、デヴィッド・ハーウィッツが取り上げていました。

デイブに聞く:ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭でクラリネットの音が聞こえるのは、なぜ良くないことなのでしょうか? Ask Dave: Why is it a bad thing to hear the clarinets at the start of Beethoven's Fifth?(David Hurwitz 2026/8/20)


ベートーヴェンは、第5の冒頭で、弦楽とともに、クラリネットにも演奏させています。


でも、クラリネットの音は、フォルテシモの弦楽の音に掻き消されて、ほとんど聞こえません。

聞こえなくてもいい、むしろ聞こえたら、その演奏はおかしい、というのが、このYouTube番組でデイブが言っていることでした。


第5の冒頭で、クラリネットが吹いていることを知らない人が、ほとんどではないでしょうか。

恥ずかしながら、私もそうでした。


改めてYouTubeで第5の演奏動画をいろいろ見てみると、冒頭でクラリネットが吹いているところを映しているのは、ほとんどないですね。

指揮者と、その脇の弦楽奏者しか映さない。

もちろん、クラリネットの音は聞こえない。


クラリネット奏者は、どんな気持ちでここ、吹いてるんでしょうか。

なぜ、ベートーヴェンは、ほとんど意味がないように思えるクラリネットのパートを書いたのでしょうか。


デイブの答えは、こうです。


「なぜベートーヴェンは、クラリネットのパートを組み込んだのか?」という疑問が湧くかもしれません。

それは実に鋭い質問です。

作曲家は、個々の楽器の音がはっきりと聞き取れるわけではないとしても、あえてその楽器のパートを書くことがよくあります。

それらの楽器は、単に音の混然一体となった響きに寄与しているに過ぎないのです。交響楽団のコンサートに足を運べば――どんなオーケストラであれ、どんな作曲家の作品であれ――「トゥッティ(tutti)」を目にすることでしょう。これは「全員で」という意味で、オーケストラ全体が一斉に演奏する場面を指します。

そこでは多種多様な楽器が演奏されていますが、それらを個別に聞き分けることはできません。耳に届くのは、それらが生み出す全体としての響きなのです。

これは様々な楽器が混ざり合った響きであり、個々の楽器が具体的にどう構成されているかを聞き分けるのは困難です。

「金管楽器や木管楽器の音が聞こえるな」とは言えるかもしれませんが、一般的にこの時代のオーケストラで耳にするのは、他の楽器に支えられた大量の弦楽器の響きです。それらが一体となって、素晴らしい響きを生み出します。

特に、全員が大きな音で演奏している時や、際立ったソロがない(つまり、作曲家が意図したソロを聴き取れるよう、他の楽器が控えめに演奏している状況ではない)場面では、その響きは圧倒的です。この箇所にはソロはありません。

ベートーヴェンがなぜ他の楽器を使わず、クラリネットだけを使うことにしたのかについては、多くの人が考察してきましたが、決定的な答えは出ていません。単にそうした、というだけのことです。しかし、そうしたからといって、彼がそれらの楽器を特に際立たせようとしていたわけではありません。


おそらくベートーヴェンは、最初に聴衆にガツンと一発くらわしてやろうとは思ったでしょうが、のちの盛り上げを考えて、「全力」にはしたくなかった。

曲全体のダイナミクスをいろいろ計算して、冒頭では弦楽にクラリネットをくわえたくらいがちょうどいい、と思ったのでしょう。知らんけど。


ここで重要なのは、作曲家は、渾然一体とブレンドされた音を意図している、ということですね。

個々の楽器の音が聞き取れるのがいい演奏とか、いい録音とか言われる時があるけど、それは作曲家が必ずしも意図したことではない。


だから、第5の冒頭で、クラリネットの音が聞こえる演奏や録音があるとしたら、それは、作曲家の意図からすれば、間違っている、ということです。

もし「すべての楽器の音」が聞こえるように演奏するとすれば、最弱音の楽器にダイナミクスを合わせざるを得ず、全体として迫力のない音量になります。マッシブな音の塊が作れない。


こういうことを教えるのは、音楽教育上も重要だと思うんですよ。

私も、中学生のときブラスバンドをやっていて、自分のパート(クラリネット)が目立たないのが、不満でした。

トランペットやトロンボーンが出てくると、音量で負けてしまいます。


指揮者(音楽の先生)は、もっとクラリネット(つまり俺)を目立たせるべきだと、私は内心、腹を立てていましたが(それでブラバンをやめましたが)、

「渾然一体とした音色が作るのがバンドの目的」

ということを、先生は私に説いておくべきでした。


3 最初のフェルマータと2番目のフェルマータの違いをどう考えるか


指揮者によって演奏の差がどれほどあるか、というのを、いちばん如実に示すのが、ベートーヴェンの第5冒頭ですね。

とくに、最初の5小節の中に、2回「フェルマータ」が出てくる。その解釈が問題です。



フェルマータは、「好きなだけ伸ばしていい」ということだけど。

でも、最初のフェルマータは、2分音符の上についているけど、2番目のフェルマータは、2分音符2つ分をスラーでつなげていて、その上についている。

なぜベートーヴェンはそのように書いたのか? という問題ですね。


常識的には、これは、2番目のフェルマータは、最初のフェルマータより伸ばせ、という意味だととらえられています。

でも、2番目は、1番目より、どの程度「長く」伸ばすべきか。


これには、ご承知のとおり、ベートーヴェンの問題があるメトロノーム指示の解釈がからみます。

ベートーヴェンはこの楽章で、2分音符=108という、爆速のテンポを指示しています。

もし、楽譜の意味が、第2のフェルマータは最初のより「2分音符分、長く伸ばせ」という意味だったとしても、このテンポ指定では、わずか0.5秒くらいの差です。

この0.5秒の差を出そうとしている演奏は、けっこう多いですね。


実際には、1番目と2番目、ほとんど差をつけない演奏もあります(たとえばカラヤン)。

それでも、べつに間違いとは言えない。2番目を1番目より何倍伸ばせ、と明確に指示しているわけではないので。

楽譜は音の長さを示しているというより、単にここで「間を開けろ」と指示しているにすぎない、という解釈もあります。


まあ、この問題は、ずっと議論されてきたし、YouTube上にも、この問題をあつかった動画がありました。

詳しくは、この動画を自動翻訳とかで観てもらうのがいいと思います。


Comparing 5 conductors VERY different openings of Beethoven 5th Symphony (& why they chose that)(How I Met The Opera 2021/09/18)


上記動画によれば、カラヤンは、最初のフェルマータ1.7秒、2回目1.97秒で、ほとんど差がない。


対照的に、アバドは、最初が1.34秒、2回目が2.15秒で、0.5秒以上違う。


また、以下の動画では、42人の指揮者が、この部分をどう解釈したか、その違いを聴くことができます。

最近は、ベートーヴェンのメトロノーム指示に近づけ、テンポを早くし、フェルマータもあまり伸ばさないのが主流ですが、バレンボイムみたいに、ことさら伸ばす巨匠風の演奏もあります。



私自身も、それなりにたくさん聴いてきたつもりですが、いちばん納得できたのは、小澤征爾の「解決」でした。



小澤の解釈が、私にはいちばん自然で、しっくりきます。

でも、それは必ずしも、小澤の演奏がいちばん感動できるということではありません。

まあ、今日言いたいのは、それくらいかな。


<参考>


いいなと思ったら応援しよう!