才能は幻想なのか ~ 「才能型」と「努力型」の評価の誤解 ~
こんばんは。深層の案内人 - Amelie - です。
本日は、「才能は幻想なのか ~ 「才能型」と「努力型」の評価の誤解 ~」について、お届けします。
「才能がある人はいいよね」
そんな言葉を、人生で一度は聞いたことがありませんか。
あるいは、自分自身が誰かに対して、
そう感じて、口にしてしまったことがある人も多いかもしれません。
でも、私は知っています。
周囲の人から、 " 才能 " と呼ばれているものは、
決して、特別な " 何か " があるわけではない、と。
むしろ、前提や原理、過程が理解できないからこそ、人は、それを「才能」という言葉に丸め込んでいるだけなのかもしれない。
「才能」という言葉は、とても便利です。
でも、便利な言葉ほど、時に思考停止を生みます。
世の中の構造は、「才能」だけで何とかなるようなものではありません。
今日は、ある種の才能神話が崩れるようなお話をします。
きっと、あなたも「才能」の正体と、現実を理解することになるでしょう。
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「才能型」と「努力型」は本当に別物なのか
人はあらゆるものをカテゴリやジャンルなど、分類しようとします。
そうすることで、自分とは異なるもの、理解できないものを自分から遠ざけて、安心感を得ようとしているのかもしれません。
人の能力についても同じです。
「才能型」と「努力型」という風に、よく分類されています。
■人の能力の分類イメージ
才能型:最初からできる人
努力型:地道に積み上げる人
あなたも、才能型の人は、「最初からできる人」「何でもそつなくこなす人」というようなイメージを持っていませんか。
でも、実際はどうでしょうか。
人の内面は、誰も見ることができません。
例えば、圧倒的な成果を出している人を見たとき、
大抵の人は、その裏側を知らないし、見てもいない。
どんな環境で育ち、
どんな感覚で世界を見て、
どれほど試行回数を重ね、
どんな失敗を経て、
どれほど長い時間、思考を巡らせてきたのか。
多くの人は、そこが見えていません。
だから、「才能」という言葉で、簡単に処理してしまうんです。
その方が楽だから。考えなくて済むから。
不都合な事実を見なくていいから。
「理解できない過程」の圧縮ラベルとして、
「才能」という言葉が使われている。
「才能」という言葉には、そういった側面が強いように思います。
人が「才能」と呼ぶものの正体は、
あらゆる可能性を模索しながら、
あらゆる視点と角度から物事を観察し、
幾度となく試行錯誤を繰り返し、
常に思考し続けることを諦めなかった人たちです。
日常生活の中で絶えず、思考している。
何となくで済ますことを許さず、高みを目指して努力する。
環境や状況も変化していく中で、優れた成果を出し続けることは難しい。
再現性がない優れた成果は、「才能」からもたらされたものではなく、「まぐれ」だと思われます。
資本主義の世界で評価を得るには、スポンサードを受けるには、再現性が重要な基準になっています。
果たして、「才能」だけで、優れた成果を維持できるでしょうか。答えは、否。
継続するためには、弛まぬ努力と経験が重要になってきます。
天才も一つずつ、一日ずつ、地道に積み重ねています。絶えず、思考を続けています。
一体、「努力型」と何が違うのでしょうか。
出力形式が違うだけで、評価される構造は同じ
出力形式が「才能型」であれ、「努力型」であれ、
評価される工程と対象は同じ。
このことに気づいている人は、どの位いらっしゃるのでしょうか。
才能と云われるものだとしても、ソレが周囲に理解できる形で、広く認知されないと、評価を得られません。
世の中は、才能だけで、
何とかなるような構造にはなっていません。
結局、触れやすい形で、流れに乗せる のは、
誰しもに、共通の通行ルール です。
私は人の能力を「才能型」と「努力型」に分類するとしたら、その違いは、出力形式の違いにあると考えています。
例えば、人が成果を出すまでの過程において、
下記のような、出力形式の違いがあります。
・直感的に出せる人
・構造化して積み上げる人
・感覚から入る人
・理論から入る人
でも、最終的に社会で評価される時に見られている工程や対象は、「才能型」と「努力型」で変わらないんです。
どれだけ、価値として共有可能か。
どれだけ、他者に届く形になっているか。
どれだけ、再現性や信頼感を持てるか。
「周囲が触れられる形になっているか」
ここが、非常に重要になります。
どれほど、感覚が鋭くても、
どれほど、思考が深くても、
共有されなければ、存在しないものと同じように扱われてしまいます。
あなたはこの冷酷で、現実的な一面を直視できますか?
「才能だけで何とかなる」は、かなり幻想に近い
世の中には、「良いものを作れば、必ず見つけてもらえる」という幻想を抱いている人もいることでしょう。
でも、現実はそんな単純にはいかない。
なぜなら、人間社会には、感情があるから。
欲もある。
嫉妬もある。
認知の偏りもある。
タイミングもある。
流れもある。
どれほど優れたものでも、「流通可能な形」になっていなければ、広がっていかないし、その価値は認知されない。
そして、それは 才能とは別の能力 です。
むしろ、インターネットが普及している現代では、「才能」そのものよりも、
・翻訳力
・編集力
・浸透設計
・余白の作り方
こちらの方が、重要になっているようにも感じます。
資本主義のルールに則り、仲間や味方を増やしていく。
そこでは、才能が基準にはなっていないんです。
深いものほど、そのままでは届かない
仮説検証遊びの一環として、Threads で投稿を続けながら、面白いことに気づきました。
深い思考ほど、そのまま置くと届かないんです。
だからと言って、薄めればいいわけでもない。
言葉を届けるために必要なことは、
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