「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観たかめちゃん〜尊厳、再考〜【感想】
どうも、かめちゃんと申します🐢
最近は思い出したようにアイマスとかの関連投稿が増えた僕です。
イベント近辺はありがちね。
まぁそれが僕の元々だから良いのですが、2026年の僕は映画を色々見たいな!ということで17つ目の投稿です。
▼過去の感想noteはこちら▼
今回観たのは「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」という映画です。
Amazonプライムの見放題期限が残りわずかということで駆け込み視聴ですね。吹き替えはなかったので字幕での視聴でした。
感想を雑多に書いていきますのでよろしくお願いします🙇
あ、感想にあたってはどうしてもネタバレが入ります⚠️ので、未視聴でネタバレを回避したい方は当該項目を飛ばすか、
ご視聴の後にご覧ください🙏
概要
2019年公開の映画作品。
フランス・ベルギーのいわゆるスリラー映画というジャンルです。ミステリー要素も色濃いような作品であると感じますね。
ベストセラーのミステリー作品「デダリュス」の完結編の翻訳のために、世界各国から集まった9人の翻訳家たち。
流出を恐れる出版社の社長 エリックは、翻訳家たちを同意のもとではありながら、フランスの洋館に閉じ込め、隔離作業を強います。
エリックは彼らに、外出やインターネットなどの通信を一切廃したクローズドサークルのような環境下において20ページずつの翻訳作業を課します。

ある種、非人道的な環境ではあるものの、事前の同意や、それに基づく金銭の授受、そして洋館の中では不自由なく生活できる設備が揃っているということで9人はストレスも感じながら作業を進めていくのでした。
そんな折、エリックに衝撃の報せが届きます。
それは、原稿の最初の10ページが流出するとともに、500万ユーロの支払いを求める"脅迫"でした。
支払いに応じなければ、残るページが公開されていくーー
エリックは9人の中に犯人がいるとして、作業を中断させるとともに、彼らに極度のプレッシャーを与えていきます。
プレッシャーの中でヒステリーや混乱を極める翻訳家たち。彼ら自身の中にも疑心暗鬼が起こり始めます。
果たして犯人は誰なのか。
その目的は本当に金銭なのか。
本作の結末には驚かされる部分が多分にありました。
次節では人物名には言及しないように配慮しつつ、ネタバレを含んだ展開に触れますので各自自衛ください...!!
⚠️ネタバレ⚠️

さて、本作の黒幕は1人ではありませんでした。
首謀者は原作者自身。
文学を愛する仲間たちと共に、元凶エリックに対する復讐を果たすというものでした。
原作者の姿は翻訳家たちも知らないというところもありながら、各々が守りたいもののために協力していたのでした。
本作の第一部は刑務所にて、エリックがその首謀者と面会しているシーンが差し込まれるのですが、首謀者の顔はこちらには見えません。
第二部でその真相が明らかになっていく中で首謀者が明らかになっても、どうやって事件を起こしたのか、なぜそんなことをしたのかの全容は明らかになっておらず、最後の最後まで謎を抱えたまま、結末を追うことになるわけです。

感想
さて、本作を見終えての感想をば。
本作において、明確な主人公は描写されていません。本作中には探偵役がおらず、視聴者に謎を提示しながらそれによって混乱する人たちを通してスリルを感じられるからこそのスリラー映画というジャンル分けなのかな?と思います。
そして、その謎についてですが
僕は過去に情報の提示がアンフェアであることを批判したことがありました。
本作はミステリーでいうところの
"Who done it?"(誰が事件を起こしたのか)に見せかけた、"Why done it?"(なぜ事件を起こしたのか?)に分類されると思います。
事件の全容が分かった時、登場人物たちの挙動の意味が繋がる感覚は確かにあり、
そうなった時に"Who done it?"的にも納得感があったのだと思います。
その上で、本作の真髄が"Why done it?"であることがわかると、本作のテーマが何だったのか(少なくても僕の中で)ということがハッキリして、考えることは深まった気がしますね。
さて、僕がこの作品に見出したテーマは
「プライド」。
プライド〘 名詞 〙 ( [英語] pride ) 自分の才能や個性、また、業績などに自信を持ち、他の人によって、自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持。また、そのために品位ある態度をくずすまいとすること。誇り。自尊心。自負心。矜持(きょうじ)。
本作に登場する人たちが守りたかったのはこのプライドなのだろうなと。
これは側から見て健全な場合にも、そして不健全な場合にも使われるところかなと。
別の作品ですが『鋼の錬金術師』におけるプライドは傲慢さを体現した存在でした。
本作においてはまさにエリックがそうなんですよね。
資産や地位を築き上げてきた自負がある。その意味で、それを守ろうとすることってなんら不思議じゃなくて、ただそれが不健全な形で体現してしまったのが本作の世界線なのだろうなと思います。
そして犯人側からすると、
原作を純に文学としてではなく、単に金稼ぎの商品として使われることが許せないという矜持。
作品に携わる中で、自身の貢献が正当に評価されていないように感じる自尊心を守るために。
そしてこれはエリックや首謀者だけではなく、登場人物たち全員に見られたテーマだったように思います。
勇気は出ないけれど諦められない者、それを歪めてでも生活を取る者など。
これ、人間にとってすごく大事なことだと思うんですよ。
「プライドが高い」って高飛車で嫌味な人を表現するような言葉として使われますけれども、自尊心なんですよ。尊厳なんですよ。
だから、それを踏み躙られることって簡単にあっていいことではないのだと思います。
その意味で、エリックは自分のプライドを守るために、他者のプライドを軽々しく扱う存在でした。だからこそ本作において彼を擁護する存在は登場しないし、視聴者もそうなんじゃないかな?と思いますね。
さて、これを私自身に置き換えてみましょう。
(お察しの通り自分語りパートです)
私にとってのプライドは何だろうか。
これを言語化するのはめっっっちゃ難しい😓
恥ずかしいというよりも、特定の単語でまとめられるようなものなのかがわからないんですよね。
僕は「プライドが高い」人間だと思います。
怒りのエネルギーを抱えやすい。
どういう時に怒りを覚えるかと言うと"軽んじられた時"だなと感じるんです。自分という存在を矮小に扱われた時に怒りを感じるのです。
これってきっと正当に評価されていないと感じているということで、先の辞書的にもプライドが傷つけられているという行為にあたりますよね。
自分が軽んじられている、というと大層なことに感じますが、日常でも大小様々なことがあると思います。
時間を守ってもらえなかった時。
話を聞いてもらえなかった時。
説明されていないことを求められた時。
etc.
自分が悪いと思っていることに対してであれば悔しくも受け入れざるを得ないのですが、
正当性のない理不尽で非合理なことに対しては、自分の存在を矮小化されているように感じるのですよね。
ちょっと話は変わるのですが、
僕の修士時代の友人にユーモアの研究をしている人間がいました。
彼曰く、人が"笑う"のは何かしらが矮小化された時、みたいなことを聞いた気がします。
弄って笑う時は弄られる対象を矮小化するし、自虐する時は自分を矮小化して見せるという感じ。
まぁ、僕の手元にエビデンスはないので話の是非は置いておいて。
この話を思い出したのは、弄りのようなコミュニケーションの中でも対象を矮小化させる行為が起こっているわけで、それは相手を軽んじている行為とも言える可能性があるなと思ったんですね。
本作のような壮大なものでなくても、
プライドは誰の中にもある普遍的なものなわけですから、せめてそういうプライド(尊厳)を軽んじるのではなくリスペクトを持って接するコミュニケーションをしっかり身に付けたいな!とも感じました。
総じて、本作は"Who done it?"的構造を持つことで、解明された時のカタルシスが「パズルが解けた快感」ではなく「人間の業に触れた納得感」になったように思います。
その"業"こそプライドに触れる行為であり、スケールの大小はともかく、人間普遍のテーマを扱った傑作だったなと感じられる作品だったと感じました。
さいごに
ここまで書いてみて、文字量の大半が自分語りだったことに恐怖を覚えている僕です。
とはいえ、今年の僕は作品を"鏡"として自分を見つめる機会を持つために映画を見ている側面があるので、こういう感想を気軽にアウトプットできるのは勉強になりますね。
ただ!
一応言っておくと、僕は映画を見ている最中は普通におもろいなぁとかみたいな単純な感想で見ているところが多いのも事実。
こうやってアウトプットする行為を通して、再構成して自分の中に統合しているので
常にそんなにアンテナを張って生きているわけではないということも申し添えておきます💦
長くなったのでこの辺にしておきますか!
せっかくの三連休なので、また明日も何か見れたらなと思います!
それでは!

