「SEARCH / サーチ」を観たかめちゃん 〜情報の波の中でコミュニケーションの動機を問う〜【感想】
どうも、かめちゃんと申します🐢
いよいよ年度末という今日この頃ですが、疲れているので早々と帰宅するオタクことワイ。
明日はちょっと残業しないとしんどいかもしれないのですが、まぁ帰れる日には帰って映画でも見ておくのが吉だろう、と。
何を観ようかと思っていると、Amazonからのメールでおすすめ映画の見放題解禁のお知らせを見かけたので、Amazonが僕に薦める映画とやらを観てみよう、と試聴したのが「SEARCH / サーチ」でした。
Amazonは僕の好みのツボを刺激できるかな...
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それではお手柔らかに。
よろしくどうぞ🙇
概要
忽然と姿を消した16歳の女子高生マーゴット。行方不明事件として捜査が始まる。家出なのか、誘拐なのかわからないまま37時間が経過。娘の無事を信じる父デビッドは、彼女のPCにログインしSNSにアクセスを試みる。インスタグラム、フェイスブック、ツイッター…。そこに映し出されたのは、いつも明るく活発だったはずのマーゴットとはまるで別人の、自分の知らない娘の姿があった…。
本作は2018年公開のサスペンススリラー作品。
2時間弱の作品なので観やすい部類です。
引用したあらすじにあるように、本作はSNSがキーとして登場します。
...キーなんてもんじゃないです。そこが舞台なんですよね。
舞台、というのは本作の見せ方の部分もあります。つまり、本作で我々が観ることになるのは、終始PC画面なんですよ。
コミュニケーションはチャットやFaceTimeを活用したり、回想はビデオを見返したりしています。事件を俯瞰的に説明する際にはニュースを見る形が取られることで完結するんですよね。
こうした舞台設定の上で、事件が動いていく。
独創的な構造でありながら、非常に現代的な作品であると考えられます。
感想
ここでは大きく2つのことを扱います。
サスペンスとしてと、ヒューマンドラマとしてです。
サスペンス
まず、サスペンスとしてですが
本作で用いられているPC画面上で展開されていくという構造は視聴者にとって情報を制限する役割を担います。
こういう構造は、主人公デビッドと同様に視野が狭くなってしまうため、焦りが伝播してくるような感覚に陥り、スリラーとしての没入感を高める効果を生んでいるように思います。
「THE GUILTY」を思い出しますね。
こうした情報の制限はサスペンスとしてはアンフェアさに繋がるリスクもあります。
こんなもの知る由もなかったじゃないか!と。
ただし、本作においてはそうした批判は当たらないでしょう。限られた情報の中に自然な形で伏線は散りばめられています。
...というか、限られていると思っていても、PCの中に情報は無限のように広がっています。PC本体だけでなく、SNSなんか世界に繋がっているわけですからね。
だからこそ、本作ではその情報をつなげていくことが重要になるわけですが、そこがスムーズにいかないのが視野の狭さ(焦り)なんですよね。
総じて、本作のサスペンス要素についてはフェアな情報提供でありながら
スリラー的没入感を与えられる構造によってその情報を繋げ合わせる余裕を与えず、視聴者にカタルシスを与える素晴らしい演出をしているなと感じました。
ヒューマンドラマ
さて、もう一つのヒューマンドラマとしての要素。本作のテーマを紐解いていきましょう。
本作のテーマは「コミュニケーション」だと思います。親と子であり、子ども同士であり、あるいは社会との繋がりも包括してのものです。
その中でも最も色濃く描かれているのは親子のコミュニケーションでしょう。
デビッドとマーゴッドはやりとりこそしていますが、表面的で深いコミュニケーションができていません。
デビッドの妻パメラが亡くなった、という事実は家族の形をどうしても変えてしまう大きな出来事でした。
お互い元気に振る舞うけれど、パメラの存在はずっと胸にあります。でも、その寂しさをお互いに語り合うことはありません。
劇中、デビッドはマーゴットへのチャットの中で、パメラのことに触れるようなメッセージを書き出しますが、送らずに消してしまうという描写があります。この見せ方もまた上手いなと思うのですが、まさしく気持ちの揺れですよね。
マーゴットももまた、SNSに発信する形でその想いを吐き出してはいますが、それを父にぶつけることはなかったのです。
そもそも、本作の中でこの2人は向かい合って話していません。チャットや電話ばかりで、本質的に向き合えていないことがうかがえます。
それが事件を通してデビッドはマーゴットのSNSなどを通してその想いに少しずつ触れていきます。
事件がきっかけというのが何とも寂しくはあるのですが、そうでもないともしかしたらずっとこの親子は向き合えないままだったのかもしれません。
そして、この作品にはもう一つの親子の物語も見えてきます。
それ自体はネタバレになるので具体への言及は避けますが、どの親も子のことを愛しているのに、向き合えないということ一つで悲劇が起きてしまう。まぁ創作なので誇張はありますが、月並みな表現で言うところの向き合うことの尊さを伝えてくれる作品だなぁと、感じました。
SNSは悪か?
さて、恒例の自分語りタイムです。
ここではSNSについて言及します。
SNSの使用って、なんか悪みたいな描かれ方をすることが多いですよね。
昨年は流行語大賞ノミネートに「オールドメディア」がありましたが、これと対になるのがSNSを始めとした媒体であり、"弊害"と言って害の部分に注目した報道もいささか目立ったように思います。
まぁ、先の現象は政治的な側面が色濃いので本作のそれとはまた違いますが...
他方でやはりSNS依存のような言及も多く、そうなると実際的なコミュニケーションが置き換わっている側面もあるのだろうなと思います。
それって、本作における親子の関係にも近いような気もする。要するに対面でのコミュニケーションが希薄で、SNSにそのコミュニケーションを流している状態。
今の子は「スマホばっかり見て!」と言われるのでしょう。
昔に比べると手元でさまざまな情報に繋がれるし、コミニュケーションが取れてしまうから依存してしまうのも無理ありません。僕だってそう。
でも、マーゴットはSNSがあるからこそ感情を吐き出せていたとも言えます。父と話せないからこそそこで吐き出して、楽になれていたのです。SNSがなかったら吐き出せてないだけで終わっていたかもしれません。
事件がなかったら父は娘の気持ちに気づくことなく進んでしまっていただけかもしれません。
結局、SNSが悪なのではなくて、コミュニケーションへの動機づけなのではないかなと。
それは親にしても子にしてもそう。
相手をわかろうとする姿勢や、伝えようとする姿勢が大事なのだろうなと思いました。
とはいえコミュニケーションは難しい
と、ここまではかなり綺麗事です。
えぇわかってますとも。
実際、自分が親と向き合えているかと言うとまるでダメで。
特に父親。もう感情なんてしっかり言った記憶がない。お互いに避けて避けてで思春期を超えて10年以上経ってしまいました。
今更何を話せばいいのかもわからず、年始に帰省しても雑談や近況報告すら全くしません。すべて母経由です。
なぜ話せないかを考えた時、やっぱり親だからというのがあるなぁと思いました。
いい歳して子ども視点で考えるのもあれなんですが、思春期の自分に立ち返ると
「理解してほしいけれど、ぶつけて否定されるのが怖い」だったのかなぁと。
今になるとそんなことで、と思うところもあるのですが、
やはりそんな達観していたわけでもないガキンチョの僕は、血の繋がりのある数少ない存在だからこそ否定されることの怖さがあったのだろうなと思います。
今の僕は大人になりましたが、自分の子どもが生まれたとして果たしてそういう子どもの気持ちに向き合えるでしょうか。
そもそも、自分自身の気持ちに向き合うこと自体が難しい。結局それがしんどくて諦めてしまいそうだなとも思うわけです。
結局、コミュニケーションって相手のこともそうですが、自分自身と向き合うことも相応に大事なのだろうなと感じたのがこの映画の学びであったように思います。
幸い。
僕はこうやって映画を"鏡"として、noteに外在化させることで省察の作業を行っている節があります。
この省察を父ではなくとも、誰かとのコミュニケーションに繋げられたら良いなぁと感じる水曜日なのでした。
さいごに
毎回、感想の締めがどうやっていいかわからなくなるのやめたい。笑
いろいろ書きましたが、Amazonのオススメ、やりましたねぇ...
こうやって育てていくことで、僕はAmazonプライムだけで満喫できてしまうのでは?とも思いますが、いずれNetflixに移住する予定なので、それまでに満喫しようかなと思います!
明日は見れないとして、次は週末かな!
面白い映画があれば教えてくださると嬉しいです!それでは!
