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「グリーンブック」を観たかめちゃん 〜遠い時代のアメリカに普遍的なコミュニケーションを学ぶ〜【感想】

どうも、かめちゃんと申します🐢

今日はノー残業デー。
家に帰るのが早くなるのは当然のことで、道中にスポンジを買うだけでは持て余すわけです。
そうなると必然的にスマホを見る時間が伸びそうなもんだったので、置き換えて映画を観てみることにしてみました。

今日は「グリーンブック」という映画です。
YouTubeでオススメを調べていた時に出てきたからですね。

寝る前のルーティンになってきてるので、今日も感想を書いてみます。よろしくどうぞ〜

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概要

1962年ニューヨークにて。
主人公であるトニーは、職場であったナイトクラブの一時閉業に伴い、その間の仕事を探していました。

彼はひょんなことから、著名なピアニストであるシャーリーの8週間に渡るコンサートツアーの運転手として働くことになります。
出発当日。車に荷物を積み込み、最後にトニーがシャーリーのレコードレーベル担当者から渡されたのは、本作タイトルである「グリーンブック」でした。


グリーンブックというのは、端的に言うと旅行ガイドブックでした。グリーンは創刊者の名前なのだそう。

もう少し踏み込みます。
このグリーンブックは、1936〜1966年に車で旅行するアフリカ系アメリカ人を対象としたものでした。
この時代のアメリカはジム・クロウ法という人種差別的内容を伴う法律下。公然の元で差別的な扱いが行われていた中で、アフリカ系アメリカ人であってもサービスを提供できるホテルや施設を示したものがこのグリーンブックだったようです。

イタリア系アメリカ人であるトニー。
アフリカ系アメリカ人であるシャーリー。
そう、本作で最も大きなテーマがこの"人種差別"でした。


雑で粗暴なところのあるトニーとは対照的に、上品で高貴な佇まいのシャーリー。
似ても似つかない2人の8週間のロードトリップを通して、彼らはぶつかりながらも互いに歩み寄っていくという姿が描かれます。

本作は実話を元に制作された映画であった、というのは観終わってから調べてわかったこと。
まぁ、実話というにはその遺族からの評判はいささか良くないということも分かりましたが、その点は今は少し置いておきます。

ともかく、本作はそうした伝記的側面を持つロードトリップヒューマン映画であったということが背景となっています。
そして、アカデミー賞において作品賞や助演男優賞、脚本賞を受賞した作品でもありました。


観てどうだったか

先述した評判に関連した部分を差し引き、まずは自分自身で考えたことをば。

やはり、本作で扱われている"人種差別"というテーマは感想を述べるに避けることはできません。

私は日本に住む純日本人です。私の住む日本においても部落差別のような問題は現代にも全く残っていないかというとあるのだとは思います。
ここで、「あるのだと思います」という言葉を使ったのは、やはりどこかこうした問題に対して、輪の外にいる非当事者性なのでしょう。
倫理的に道徳的に差別という行為を善とする価値観は持ち合わせていないけれど、机上で学んだ知識しかなく、それが現実的にどこでどの程度起こっている出来事なのかというイメージが出来ていないのが実際のところです。
これは恥ずべき私自身の不徳の致すところではある、と思う一方で、多くの日本人にとって共通するような立場なのではないか、とも思うわけです。

対して、本作で描かれた時代は、そうした"人種差別"というものへの目線が今とは全く違う価値観としてある時代のアメリカです。
僕自身、要素としてはあっても、ここまで人種差別を中心に据えた作品(しかも現代ではない)に触れることがほとんどなかったので、そうした意味でショッキングな側面があったことは間違いありません。

本作では、元々差別意識のあったトニー自身も同様にそうした場面に出会う中で、意識の変化があったことが描かれており
ある意味では僕の立場にも近しいところがあったのだろうと思いました。


個人的な感想として、僕は本作のトニーを観ていて、なんとなく両津勘吉みたいだなぁと感じました。さすがにこち亀ほどコミカルではないですが、両津的な粗雑さもあるけれど人情もあるというようなキャラクター性は、下町感を抱かせます。
そして彼の中にあった彼なりの正義感は、常に差別の中にあったシャーリーの人生において特異に映ったのだろうと推察します。


本作はそうした2人の友情の物語であり、
ラストシーンの胸が温かくなるような心地はロードトリップムービーならではの温度感であったように思います。


とはいえ、差別されている黒人と出会った白人主人公が、互いにわかりあい友情を育むという構図は、割と王道の展開であり
トニーがだいぶ良いやつ、みたいな感じで描かれているのはご都合的という見方がなされるのは納得がいく意見だと思います。

黒人と白人、雇用者と被雇用者、高貴さと粗雑さ、そういう対極的な構造が2人の関係値に配置されていました。
それらがキャラクターすぎるというか、少しステレオタイプなテンプレート感もあるように映ったんですよね。


結局、人種差別の影の大きさを知るには、まだまだ僕には学びが足りないなということに思い至ります。
ある程度、映画なのでエンタメもある中で、僕の人生と接合できる部分があるとしたら、それはもう少し普遍的な、自分にとって身近なフレームワークになるような気がしています。

それは、先日観た「コーダ あいのうた」とも共通すること。
"わかろうとする"姿勢です。

なんだそんなことか、と思われる方もいるかもしれません。あまりに世俗的で、普遍的な話すぎますものね。

それでも僕は、コーダも、本作も自分とは違う属性を持つ相手とのコミュニケーションが主題である、と考えることができる作品だなと感じました。
コーダでは聴覚障がい者、本作では人種差別当事者。どちらも、社会的弱者として描かれることが多く、僕たち自身もアンタッチャブルに思ってしまいがちな側面がないと言えば嘘になるかと思います。

じゃあそういう人たちに出会った時に、
"そういう"というのは別に先に挙げた特徴だけでなくて、自分と違う属性全てを指しますが、そうした時に「わからないから避ける」というのが正解なのか。

無理に飛び込むことが吉だとは思いません。
どんな相手でも、自分の学びのために存在するのではなく、その人として生きていくためにそこにいるので。
でも、もしそうした場面があるのであれば、ラベルからではなく、その人という個人から"わかりたい"と思える姿勢の僕でいたいということは思います。


新たな学び、というか再確認というか。
こうした自分の中で「こうありたい」という理想像は、日々の生活をしているとぼやけてしまうところは多々あるかなぁと思うので
改めて気づけるきっかけがあるのは良いことだなぁと思った週半ばでした。


さいごに

重いテーマがある作品ではあるのですが、
映画としてはキャラクター性がある登場人物のおかげで見やすく、触れやすい作品になっているように感じました。

2時間あるので、まとまった時間は必要ですがヘビーにとらえすぎずに触れてみても良いのではないかな?と思います!

明日明後日は残業しそうな予感がしている私。
口頭試問までに映画を見る余裕はありますかね??

とりあえず発表資料を読み返す時間も作ろうと思います。ぼちぼちね...

またお会いできます日を。
それでは。

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