長生見度記①~江戸の未来図を描くマンガ絵本
「長生見度記」とは、長生きして見たいなあというタイトルだが、これは「未来記」という本のタイトルをもじっている。身分社会の中で生きる人々が、未来のこととは言いながら、実は現実世界をちゃかして皮肉って笑いとする内容となっている。これが江戸の黄表紙の醍醐味だろう。
黄表紙「長生見度記」は、朋誠堂喜三二作、恋川春町画で、天明三年1783年に蔦屋重三郎から刊行された。
三巻三冊の現代語訳(解説つきの、かなりの意訳)を三回に分けて紹介する。
上巻
序
友人恋川春町が作った未来予測の「楠無益委記」を読みつつ、とろとろとまどろんだ夢の中で、天皇の三万三千三百三十三代の時代にあたって、みごとに治まる世の中を見れば、「無益委記」の内容に少しも違うことなしの未来。そこで、あの本に書き漏れたことを拾い上げて、また一冊とし、なんとか長生きしてその事実を本当に見たいと思うので、とりあえず「長生見度記」と題して記す。
喜三二書く
春町の「無益委記」はこちら、
一

江戸時代は旧暦(太陰暦)で、三十日周期の月の動きで暦をつくっていた。それでは季節とのズレが出てくるので、閏月というものをつくり、一年十三か月の年もあった。それで正月が二度ある年もあったのだが、なんと未来では正月が三度ある年もあるそうな。
娘は、
「正月だから、あたいのべべを五つ縫ってつくってくだされ」
と困らせれば、息子は、
「母さん、長いお話をしておくれ」
と、せがむ。
そのうえ隣の子までやって来て、
「おばさん、若菜摘みに連れて行っておくれ」
と、前に約束していたことを催促されてしまう。
当時は、摘み草に行くことは、ピクニックに行くような楽しみだった。
娘「だって、正月が三つある年に作ってくれるって約束だもの」
母「ああ、頭がかっかするようだ。ええい、正月が五つあるときまで待っていな」
二

世の中では「忠臣蔵」が大評判だが、武士道では、主君の死後三年は喪があけないので、その間に仇を討つことが教えだった。仇を討った者は仏教でいう定業、そうでなく死んだ者は非業の死といえるが、「忠臣蔵」の与一兵衛は非業の死をとげ、勘平は討ち入り前に切腹をしているので、定業というのも嘘に決まっているが、未来では、三年以内なら定業ならぬ上戸といい、酒飲みのことに使い、三年以内に願いがかなわぬ者は酒の飲めぬ下戸というようになったのもおかしな話だ。
彼岸の春分の日には必ず天気が悪くなり、特に彼岸の中日は大いに荒れる。そうすると米が不作となり、米相場が狂う。
主人「明日が中日なので、なんとか無理をしてでも米を買わなくてはなるまい」
巡礼「南無阿弥陀仏、雨やめたい仏、南無雨たいくつ」
巡礼「この降りではいかんとも、彼岸ともいたしかたがございません」
手代「どうも彼岸のせいで悪い天気でございます」
三

未来では女性の地位が向上し、女の奉公人の給料は、男よりも高くなる。
女主人「着物も縫えるなら五両三分でどうじゃ。今までいたところには、子どももおったか」
奉公人「若旦那様とお嬢様がござりました」
折助「おらは年二三両の給金だから、五六両ももらえれば、とっくに折助なんぞやめているのに。女中衆はうらやましい」
四

今でもペットを飼う人は多いが、未来ではもっとペットが飼われるようになる。小鳥も飼われている。
今でもあるホトトギスの品評会は未来でも盛んだ。
中央の男「昔は時鳥というものは山にばかりいたようで、昔の歌にはとかく山時鳥と詠んでござる。山に住んでいれば食い物にも困るだろうに」
盃を持つ男「そう飲みすぎてばかりでは反吐が出てホトトギスならぬヘドトギスさ」
坊主の男「ホトトギスを入れるカゴがなかなかおもしろいものばかりだ」
隣の男「テッペンカケタカ、カゴもなかなか天辺極上もの」
五

江戸時代の相撲は、十日間の興行が多かったが、野外でするため雨天中止があった。未来では、雨で中止にならぬように芝居小屋をたて、三十日間の興行となる。
男「相撲は梅雨の季節の定番さ」
男「江戸時代には釈迦ヶ嶽雲右衛門は二メートル以上の大男だったそうだが、今度の(未来の)地蔵ヶ嶽は小さな男だが、なかなか転ばぬ男だ」
釈迦ヶ嶽は実在の相撲取りだが、釈迦に対して地蔵の名の相撲取りがあらわれると予想する。
あれやこれやと未来の予想をしながら次回へつづく、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」(1775年)の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作、山東京伝の「江戸生艶気樺焼」(1785年)の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
本作品は、カタログ的に出来事をならべているが、多くの黄表紙は、はちゃめちゃなストーリー展開のあと、落語のオチのようにして終わる。それらも読んでほしい。
こちらでは黄表紙の翻訳を時系列で紹介している、
