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【泥啜りの光編⑦】 血の匂いとクリエイティブ | 僕が、世界の終わりを、洗い流す

「泥啜りの光編」へようこそ。

「泥啜(どろすす)りの光編(ひかりあみ)」と読みます。

二種の動作を造語として繋ぎました。

泥を啜る絶望を支点として差し変え、光を機(はた)にかけるムーヴメントへ凝縮します。

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第七回:僕が、世界の終わりを、洗い流す


PICNIC (ピクニック)

『PiCNiC』(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON


なんて素敵な言葉なんだろう。意味性や目的性は皆無だけれど、心躍る響きがあるとは思う。

PiCNiC」(ピクニック):
1996年に劇場公開された岩井俊二監督による中編映画です。精神病院の塀の上だけを歩いて「世界の終わり」を見に行こうとする3人の若者の道中を描いた、ダークで幻想的なロードムービーとして知られています。

  • キャスト: Chara(ココ役)、浅野忠信(ツムジ役)、橋爪浩一(サトル役)が主演を務めました。この共演がきっかけでCharaと浅野忠信が結婚したことでも有名。

  • 音楽: 岩井作品で馴染み深いREMEDIOSが担当。

  • 公開の背景: 本作は1994年に製作されましたが、お蔵入りの危機を経て、大ヒット作『Love Letter』の翌年である1996年に公開されました。

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「お蔵入り寸前だった」という逸話にも納得せざるを得ない。

ようやくスクリーンで拝むことができたが(リバイバル公開🎵)、期待を裏切らない、その衝撃に圧倒され続けた。

この時代に観てもなお、これほど切なくて、これほど扱いに困る「問題作」は他にないだろう。

なぜ本作が封印されかけたのか、その理由を肌で感じた気がする。

人類にとってこの映画は、危険すぎるためからか、危うすぎるからか…。

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作品内容

精神病院に収容された少女ココ(Chara)は、そこでツムジ(浅野忠信)とサトル(橋爪浩一)という二人の青年と出会います。ある日、彼らは「病院の敷地外へ出てはいけない」という規則を逆手に取り、「塀の上なら外ではない」という独自のルールを思いつきます。

3人は塀の上だけを歩き、どこまでも続く壁を伝って外界へと「ピクニック」に出かけます。彼らの目的は、自分たちが信じる「世界の終わり」を見届けることでした。残されたココとツムジは、夕暮れ時に海辺の防波堤(塀の終着点)にたどり着きます。

彼らはそこで「世界の終わり」を待ちますが、太陽が沈んでも世界は滅びません。絶望したツムジを救うため、ココは自らの頭を拳銃で撃ち抜き、命を絶ちます。

「やっぱり、あんたの罪はあたしが洗い流さなくちゃ、世界は終わらないのね。」

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リアリティ


『PiCNiC』(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON


運命とは皮肉なもの。小学六年生の僕が観たあの映画の世界に、三十年後の自分が当事者として身を置くことになるとは。

かつてはどこか遠くの物語、あるいは幻想的な物語として眺めていたが、今や僕にとっては、強烈に痛いほどのリアリティをもって迫ってくる。

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看護婦による強引な更衣、不服従への罰としての独房送り、そして機械的に繰り返される投薬。
※あえて看護婦という言葉を引用します。これは作品を尊重しています。

『PiCNiC』(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON


信用に値せぬ医者が呟く「お帰りなさい」という言葉の猥雑さ。

あの場所(精神病棟)をココやツムジたちと同じように、リアルとして知ってしまった今の僕にとって、もはやこの映画をフィクションとして眺めることはできない。

僕にとっては、この映画だけがリアル。

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岸辺露伴


露伴先生は徹底的にリアリティを求める。

そのために彼は蜘蛛を食べてしまうことも厭わない。

「味も見ておこう」

そう、なんでも、とにかく、味をしっておかないと、それは、すべて、嘘だ。味も見ておこう。

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道中、彼らは教会の牧師から聖書を譲り受け、世界の終末が今日であることを確信する。

『PiCNiC』(C)1996, 2012 FUJI TELEVISION/PONY CANYON

「じゃあ、僕がそちらにいくってのはどうだい」

そう提案した牧師は、塀の上に佇むココたちへと一歩を踏み出し、その距離を縮めてくれる。

「人を信用することが僕の仕事さ」この科白に、僕は、唐突に、馬鹿みたいに、ひたすら、泣いてしまう。

背後に流れる少女たちの歌う賛美歌が、今も耳にこびりついて離れない。

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僕は今年に入って、多くの牧師たちに出会うことができた。

「じゃあ、僕がそちらにいくってのはどうだい」
「人を信用することが僕の仕事さ」

僕にとっては、こんなにも優しい言葉を受け取る準備は、ままならないかもしれない。

でも、とっくに、受信する準備だけはできている。

深くその場に留まって、彼らに会えるまでは、留まり続けている。

海月みたいに。

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物語の終盤に、沈みゆく太陽に向かってはなたれた、ココのピストルの音が、なんだか切なく感じた。

「やっぱり、あんたの罪はあたしが洗い流さなくちゃ、世界は終わらないのね。」

そう、僕も、誰かの、罪を、洗い流している。

世界が、終わるのかも、しれないのに。

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——その傷口を流れる泥水を啜りながらも、私たちはそこにある一筋の反射光を見つ。











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——その傷口を流れる泥水を啜りながらも、私たちはそこにある一筋の反射光を見つ。




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