2025年7〜9月を振り返る ・ 映画版
そんな訳で2025年の7〜9月に映画館で観た映画の感想。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
今までの他映画感想はこちら↓から。
『国宝』
……DX東寺……!?
いやあいい映画でした。細かい整合性的なことを言うなら、「これヘンだよね」てのはいくらでもあるけど(歌舞伎界には血筋じゃない名役者は普通に何人もいるじゃないとか、さすがに片足切ったらもう片方はダメにならないように当人も家族も医者も細心の注意を払うもんじゃないのかとか)、まあその辺りは別にいいや、という気持ちにさせられる。
これは自分にとって「いい映画」の特徴です。「感動は問題を押し流す」のです。
でもその感情は大きな危険性を孕んでいることも知っている。だからこの映画に、「本当の歌舞伎はこんなんじゃない、誤解してほしくない」という不満を持つ人の気持ちも判ります。でも、「映画」としてこの作品は本当に出来が良い。
勝手な推測ですが、不満を持つ方々の理由の多くは「ここがおかしい」的な誤り指摘なんだと思うのですが、他に「エモすぎる」てのもあるんじゃないかと思っていて。
映画、カメラワークと編集でいくらでもエモくできるし、長時間の舞台で「おいしいところ」だけを取り出せる。だからこの映画で「ほんとの歌舞伎舞台」を見に行く人、間違いなく増えるだろうけど、定着するかどうかは正直まだ判らないと思っています。映画『国宝』で得たエモさは、多分そこでは得られないと思うから。
まあでもそこをきちんと切り分けて見られるなら、『国宝』は本当に良い映画です。基本自分、「舞台もの」って好きなんですよ。芸を究める人の業とか、Show must go on的精神とか。
特に万菊さんは素晴らしかった。あの手!
ちょっと『ガラスの仮面』の月影先生の「あの手」を思い出しました(笑)。もしも現代で実写化されることがあったら、田中泯が女装して月影先生を演じるのが最適解じゃないかとすら思いました。
子供時代を演じた黒川想矢もずば抜けてましたね。あの女形! 自分が歌舞伎界の人間だったら、即スカウトに向かっていると思います。
子供時代といえば、「徳次、一体どうなってしまったんだ……まさかキクちゃんをかばって……!?」とたいそう悪い想像をしながら見ていたので、楽屋のれんやお花に「徳次」の名があるのを見てテンションだだ上がりしました。良かった、徳ちゃん……!
このさりげなさがまたたまらんですね。気づいた瞬間、じわっとくる。何の説明もなくても、二人の繋がりがずっと続いてたんだな、と判る。あの過去事情のすっぱ抜きがあった後なんか、周囲は「もらうな」とか言ってそうですが、キクちゃんガン無視だったんでしょうね。熱いわ。
……すっぱ抜きと言えば大変気になったのが、ラストでインタビュアーがキクちゃんに向かって「順風満帆、常にスポットライトを浴びてこられたかと思いますが」などと言っていたこと。
見た感じ、大変しっかりしたインタビューの場に見えたんですが、そういう場で人間国宝になろうという人にインタビューをするにあたり、ご当人の経歴も調べやしないんですかこのインタビューをセッティングした側は……?
一度スキャンダルすっぱ抜かれて過去の事情は明らかになってるんだし、「どういう経緯で今この栄誉を受けた人なのか」てことはちょっと調べりゃ判る話じゃないですか。若いインタビュアーなら「何も知らんのに何ひとつ調べんできたんかい」とも思うけど、それなりの年齢の人だったので、あんなでかいスキャンダルなら記憶にもあるだろうに。
それにしても、どちらも見た人は全員思っていると思いますが、『昭和元禄落語心中』を思い出しました。キクさんだし。放蕩タイプの方がキクさんの彼女と駆け落ちしちゃうし。最後に「血の繋がり」がクローズアップされてくるし。
夏に急にNHKで昔やった『昭和元禄落語心中』のドラマが再放送されてましたが、『国宝』見た人からリクエストが大挙したのかな??
『マーヴィーラン 伝説の勇者』(英題:Maaveeran)
何故よりにもよってソレで壊れた窓を覆うかな……!?
主役がなかなか覚醒しない珍しいタイプのインド映画。まあ覚醒が遅いのは別にいいんですけども、ちょっと見ていてフラストレーションがたまるヤラレ感。
「暴力を行使したくない」のはいいと思いますが、「長いものにまかれまくり」「母や妹の被害もスルー(一度は頑張るけどすぐにしっぽをまく)」といった微妙な態度が延々続くのでちょっと中だるみ感がありました。
その為、見てる自分側に「もういい加減に目覚めろや」的気持ちが生じるのですが、だからこそ同時に、「いや、でもホントはこういう状況をこれまでのインド映画的に『たったひとりのヒーローが全部背負い込んで解決する、周囲もそれに期待する』のっておかしいことだよな……?」と思えてくる。
そんな虫のいい話はホントはあかんよね。皆で立ち向かっていくのが本当だろう。
なので、船でのバトルは敵と戦う人間が主人公・サティヤしかいない為、たまったストレスがスッキリ解消されて気持ち良かったんですけども、ラストバトルではおんなじように向かってくる相手をバッタバッタやっつけてても、自分でも驚く程に同じような爽快感が湧いてきませんでした。
そこで放たれるあの言葉「泊まっていけよ!」
もうこの瞬間のスッキリ感と言ったらなかった。この作品で最高に胸がすっとした瞬間。
二番目にすっとしたのは、「コイツ殺れや」言われた住民が「イヤ真っ当なのはコイツの方だ、泊まっていけ」て言い返したところ。そうだそうだ!
皆大好きヨーギ・バーブが今回もいい味を出していた。いかにもきちんとした書類が実は『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』の歌詞だった、というのに笑った。わたしDDLJ本当に好きだから、ほぼ全曲の冒頭のところソラで歌えるんですよ。なので瞬殺で判りました。本当につくづく、この作品が長く長くインドで愛されてるなあ、というのが嬉しい。
Tシャツが『ガリーボーイ』だったというのはパンフで知りました。これも好きな映画。
しかしタミル語圏の人達はヒンドゥー語圏にいろんな思いがあるのだろうなぁ。日本でもひと昔ふた昔前は特に、「都会人の田舎から出てきた人に対する差別」があったと思いますが、どこの国にも似たものはあるのね。
『砂時計サナトリウム』(原題:Sanatorium Under the Sign of the Hourglass)
ドクターが釜爺だ……!
見る前には思いもしませんでしたが、ホラー感が凄かった。話が、と言うより撮り方かな。なんだかやたらめったら怖い。ひしひしと怖い。
まず冒頭のやたらに聞き取りにくいがさがさした音質のインタビューボイスからして既に怖い。最近流行りのモキュメンタリー形式ホラーっぽさがある。
「今日は私 明日はお前」とか怖すぎません!? 「ひいっ」と声が出かかりましたよ。
冒頭で語られる「空を見上げる女性」。おそらくその視線の主の眼球が大写しになって(これがかなりのコワさ)、見ている風景にぐんぐん寄っていく。屋根の上でヘンテコな商品ばっかりのオークションを開催するオークショニア。その「眼球が見る風景」の中にいつしかカメラは潜り込み、主体が空を見る女性から彼に移行する。
オークショニアの元に届いた商品『死した網膜の霊廟の模写』、死んだ人間の網膜を保存し、そこに光を当てることでその網膜の持ち主が人生の最後に見た七つの光景をレンズごしに見られる装置。運良く上手い具合に光が差し込み(なんか年に一日、網膜の持ち主の誕生日・11月の19日? だっけ、そんなことを言ってたのに。ちょっと謎)、オークショニアと彼の小間使いの女性はかわるがわるにレンズを覗く。そこに映し出される光景にまたカメラが潜り込み、おそらくは網膜の持ち主である「ヨゼフ」の物語へと移行する。
見る→見られる→見られた者が更に見る→網膜の主が更に見る、視線の連鎖。
走る列車を遠くからとらえた絵が最初の方と最後の方に2回出てくるんですが、それが本当に美しくてぐっときました。雲が綺麗でね。やたらに横に長い感じのする鉄塔がまた綺麗で。まさに「夢にしか出てこられない」美しさでした。
ブルーノ・シュルツ、全くの未読だったので『シュルツ全小説』を図書館で借りて読み、途中で返却しました。何故かと言うと、「これは買う」と決めたから。
『砂時計サナトリウム』を最初に読んで、末尾の解説を読んで、それから頭から読み始めたんですが、本当に良かった。風景描写がたまらなく好きです。
『砂時計サナトリウム』、小説は「ヨゼフ」の話のみなんですが、大変意外だったのがあのワールドでやたらめったらケーキがカラフルで美味しそうだったこと(笑)。映画ではほぼスイーツ描写はないし、もしもあったとしてもきっと全然美味しくなさそうで色合いも茶色や黒っぽくなりそうなのに。
ごくわずかだけど、本に記載されていたご本人作の絵も良かった。画集ないのかな? 欲しいな。
『私たちが光と想うすべて』(英題:All We Imagine as Light)
ねこちゃん……お腹の中の子供は一体どうなるの……!??
物語の中で発生した「問題」を完全解決せずにふわっとうっすらと先を覗かせるような感じで終わるパターン、映画でもドラマでも漫画でも小説でも大好物だったりするんですが、これはさすがにネコちゃんの行く末も含め「イヤ、もう少し……」という気持ちになりました。全体的には、大変好きな映画ではあるんですけれども。
いや、逆かな。最初からすごく良いな良いなと思って見ていたので、終盤の展開に「えっ待ってそこで終わらないで」という気持ちになってしまったのかも。
ラストシーンそのものはホントにすごく好きなんですよ。特にあの、「好きなだけいていいよ」とイケメンセリフを発し、ひとりノリノリで踊ってるバイトくんらしき男の子が大変に好き(笑)。
あのノーテンキダンスを背後に、波の音と星の光る夜空と地上のキラキラ電飾とその下に集う三人の女、最高のカットじゃないですか?
多分、自分にはちょっと、あの「夫との幻想会話」がひっかかってしまったのかなと。
まずあんまりにもシームレスに移行したので、現実なのか妄想なのかが最初全く判らなくて。「え? え、なになに!??」と思ってる内に終わってしまって、次のシーンに行った瞬間に「ああ、幻想か」と理解した次第。
でも、あの幻想シークエンスで語られてることって結構重要なポイントだと思うんですよ。だとしたらこんな、余計な混乱を招くような入れ方じゃない方が良かったんじゃないかと。せっかく映像でもセリフでも大事なことが語られているのに、「???」となってそっちに意識が集中しきれない内にすべてが終わってしまうのはどうなのか。
ムンバイの話のところで写真でプラバの夫の顔を出しておいて(部屋に飾らなくてもアヌがねだって結婚写真を見せる、とかでいいと思う)、幻想開始からその顔に変わってる、などの演出を入れてくれたら良かったんじゃないでしょうか。そしたら即「幻想だな」て観客が気づけます。
で、プラバが「本当は夫にこう言ってほしいと望んでいたこと」「こんな風に夫に触れられたいと思っていたこと」が判って、けれど幻想ではあれ、それを聞き肌で感じたことで「いや違う、今の自分の『真の望み』はこれじゃないんだ」とプラバが悟る、というのがリアルタイムで伝わるのになあ。
会話の内容からして、ラトナギリでの出来事は「引越し日&次の日」、つまり一昼夜とちょっと、くらいの筈なのに、明るくなったり暗くなったりを数えてると二日三日経ってるように見える。これもちょっと不可解でひっかかってしまって、没入を阻害されてしまいました。
まあとは言え、全体的には本当に好きな映画です。
画面の大半が夜で、そして雨。昼間のシーンでも屋内にいてそんなに明るくはなくて閉塞感がある(でもパンフによるとムンバイって夏の雨季でも35度は超えないのだとか。なんだ、すごしやすいではないか……(笑))。
それがラトナギリに移動を始めてからはぱあっと明るくなる。この開放感はすごかった。
都会には都会の、田舎には田舎の良さ悪さがあると思うんですが、それが両方、ちゃんと出ていたのが良かった。こういうのって割とどっちかが上でどっちかが下、な表現になりがちなので。
音楽も良かったですね。特に、最初の方のアヌの描写の時に何回か出てきた、蓮の葉の上を転がる水滴のようなピアノの音が好きです。
……だがしかし見ている途中でふっと我に返ってしまったのですが、プラバ父、こんなんと結婚させる意味あったか……?
プラバの正確な年齢は判らないけど、プラバ役のカニ・クルスティは1985年生まれなので、映画撮影時は36〜7歳だったと思うんですよ。ならプラバもそのくらいだろうと仮定して、会話の節々からおそらく結婚して2年くらいは経ってるような感じ。てことは、34、5くらいでの結婚。
これ父親としては、「いき遅れてる娘をさっさと結婚させて孫を産ませたい」て狙いだったと思うんですが、結婚して即海外行っちゃったら孫どころじゃなくないですか……? しかもあの感じだと、彼女にも彼女の実家にも仕送りひとつしてなさげじゃ……?
金も入れない、音沙汰もゼロ、遠距離で勿論子供なんてできる筈ない、そうこうしてる内にもうアラフォーで初産としてはかなり厳しい年齢、なんて状況じゃ、プラバ父としては結婚させた意味ゼロ、いやマイナスじゃないですか? もっと早く見切りつけて離婚させて他の男性と再婚させてたら、もしかしたら「孫」て望みはかなってたかもしれないですよお父さん(まあそもそも論で言えば貴様が娘の結婚勝手に決めるな、て話なんですが(笑))。
ほんと、「この旦那何の為にドイツ行ってんだ……?」と不思議で仕方がなかった。だって、ルームメイトはいるにしても、プラバひとりで生活成り立ってんだもん。だったら旦那とふたりで共稼ぎすればムンバイ暮らしできそうじゃないですか? まあ手に職があるプラバと同じくらい稼げるかどうかは判らないですが。
なのでマノージ先生、イヤもうこの人すんごいアリじゃない……と思いました(笑)。まあプラバが気に入らなきゃ何の意味も無いですけども。でも医者(つまりプラバの仕事のことも良く判ってる)でお菓子つくれて詩もたしなんじゃう、てもうインドは勿論、日本でもものすごく得難い男性じゃないですか?
しかもこの詩が本当に良いんですよ。じいんとくる。映画中に「ああ、でもさすがに全部は記憶できない」と落胆してたらパンフに載っていたのですごく嬉しかった。本当に良い詩です。こんなの贈られたら自分ならそれだけでぐっときちゃうな。
まあ確かにちょっとデリカシーと言うか気遣いがない、職場の人間を含む周囲の目がある中であんな風にひきとめてたら既婚者の彼女の立場がない、というのを配慮できないのはどうかと思います。でも欠点ゼロの人間なんていないし、プラバにだって短所もある。この程度は話し合いや歩み寄りでどうにかなるし、マノージ先生はそれを持ちかけたら真摯に聞いてくれる人のように見えました。そもそもプラバに思いを寄せる、て時点で見込み(笑)がある。
アヌがちょっとはすっぱに先生に話しかけてた時に不機嫌になってたの、あれちょっとは嫉妬、つまりはプラバにも多少なりとも気持ちがあるんじゃないかと思いたいんですが、どうかな……。
それにしても大体において、「私は気にしないけど、他の人が……」で始まる「忠告」ってろくなもんじゃないよね(笑)。間違いようもなくアンタ本人だよ、気になってるのは。
パルヴァティが喋りながらつくっていた赤いお水が大変に気になりました。なんか草っぽいようなものを入れていたよね? サフランとかハイビスカスとかローズヒップとかかな?? 特に味つけ的なもの、砂糖とかハチミツとかを入れてるようには見えなかったんだけど、甘くない飲み物かな??? 何となくただの嗜好品じゃなく健康に良さそう飲料に思える。正体が知りたい……。
『我ら 〜愛の継承』(英題:Manam)
ガリーシュさんかわいそう……(涙)。
タイトルとこの上のチラシ写真だけ見て、チラシ裏のあらすじすら読まずに行きましたので、当初は「祖父・父・息子の三代にわたる大河家族劇」だと思ってました。ある意味では当たっている(笑)。
こんな有様なので、ラストのアキールさんには「?????」と脳内がハテナ一色になりました。帰って調べて、むちゃウケした。それであのスローモーション登場なのか。ここ、インドでは指笛&大喝采シーンなんだろうな。
そんな認識で見てたので、生まれ変わりをくっつける展開にびっくりしました。まさかの力技継承。
正直、それはちょっといくら何でもビットゥやりすぎじゃない、と思いました(笑)。何ひとつ悪くないガリーシュさん平手打ちしたり現世パパを恋人と別れさせたり。
しかも、そら過去世がラブラブの幸せカップルだったら「この二人はパパとママの生まれ変わりだからくっついて昔のように幸福になるべき!」て発想になったとしても致し方ないと思うけど、この夫婦過去世では大喧嘩の毎日で、その不仲さが死の原因にすらなってるレベルだというのに。
それなのにひっつけたいのは、ひとえに「喧嘩しない両親とその間の幸福な息子」という自らの過去の願いをかなえたいから。さすがにその年でそれはいくら何でも自己中すぎやしないかなビットゥ……。
だがしかしビットゥ両親の転生でもビットゥ自身でも、現世でまず相手(過去世の子供)の特別性に気づくのはママの方なんだな、というのに微苦笑。過去世が思い出せなくても、「何だか判らないけどこの相手が大好き(でも恋愛ではない)、大事にしなきゃ」て思える。インドの母性信仰だねえ。
ちなみに過去世ではちょっとママの方が微妙でした。自分が男でも、この人と波風ひとつ無い結婚生活を送っていけるか自信がない。いくら好きでも、毎日職場に電話かけてこられるのはさすがにムリ……。
まあとは言え、過去世パパ確かに言葉も行動も足りなかった。いくら内心で好きと思っていようが、相手にひとかけらも伝わってないなら無意味なのよ。
そういう意味で、ビットゥの過去世が「気持ちを言葉にも行為にも現せる人」なのはすごく良い演出だと思いました。そういうビットゥだからこその大団円なんだろうと。
でもって現世ではパパが微妙。イヤもうこれは微妙どころの騒ぎではない(笑)。どうなのこのヒト。
ぶっちゃけて言うと、人間としては現世パパ、顔以外は何の魅力もない。ないだけならいいけど(いいのか)、大学はさぼる、仕事中の女性に必要ないもの頼んでまでしてお尻を眺める、アポ無しで人の会社に押しかける、人の好意につけ込んで莫大な金をむしり取る、超高級車のプレゼントをあっさり受け取る(これは現世ママもだけど、現世ママは少なくともはっきりとした「愛情」をビットゥに与えてる)、飲酒してバイク運転する、それで捕まったのに権力に頼って難を逃れる、飲めない人に酒を強要する、もうありとあらゆる方向にダメ。
そもそもビットゥに会っても一切何にも思い出さずに利用しまくりな訳だし。現世ママの過去写真と顔目撃ではすぐピンときてるのに。これあんまりじゃない?
自分がビットゥだったら、どう考えても「過去世ではパパでも、現世のママにこいつはもったいないから会わせんとこう」と思うレベルです。自分に娘がいて、これと結婚する、て言ったら大反対するわ。
なのでこいつを推しまくるビットゥが正直しんどい。
特に、感度の悪い計器が振り切れるレベルの飲酒運転というガチの悪事をやっているのに、「過去世がパパである」というその一点で釈放を命じさせるのが本当にキツい。自分この、インド映画に結構よくある「主人公の身内は悪事やっても見逃される」パターンが本当に苦手です。
特に今回は「前世に交通事故で死んでる」ので、これに真剣に向かい合わないビットゥ、ほんとにどうなのかと思った。だってもしそれで現世パパが死んだらもう悔やむに悔やみきれなくない?
いくら過去世でパパだからといって、何でもかんでも甘々に許すのは正直イヤだな。ここはビシっと、「あなた自身と、あなたの周囲の人の安全の為に」と禁酒させてほしかった。
ビットゥ自身の過去世はなかなか良かったけれども、相手の女性は過去世も現世もちょっと微妙でした。キミはまず人に感謝や謝罪をすることを覚えようね!>過去世&現世のビットゥ彼女
それにしても、過去世でも現世でも、両親が事故にあう前にビットゥに訪れる「悪い予感」シーンがガチホラーのレベルで怖くて凄かった。この監督さんにインドホラーを撮ってほしい……!
ビットゥと現世ママがホームシアターで『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』を見てたのが嬉しかった。まさか大画面であのシーンを再び見られるとは。本当に愛されてるなDDLJ……!
しかしガリーシュさんは本当に有能だった……ビットゥ、まずビンタを真剣に謝れ。そして現世パパ達にくれてやった金額以上のボーナスを払ってやれ。
あの仕打ちに、怒ったり訴えたりしないだけでもすごいのに、女子大リニューアルの素晴らしさに加え、あんな豪勢な誕生日パーティを前日に頼まれて開催させちゃう手腕たるや。ビットゥ、今後は大事にしろよ。
『音楽サロン』(英題:Jalsaghar)
発電機、なんぼなんでもうるさすぎやしませんか……!
初サタジット・レイ。
特集上映なので複数作品公開されたんですが、時間や体力や懐の都合で「1本に絞ろう」と思いこちらを選択。何故これを選んだかというと、演奏やダンスシーンが多く、しかも素晴らしい、というのを聞いたからです。
その通りでした。特に最後の音楽会での舞踏は凄かった。演じてたローシャン・クマリ、古典舞踊のダンサーさんなんですね。ダンスも上手いし、目力もすごい。
それにしても旦那様、いくら何でも器が小さ過ぎますよ……!
本当に本人が言う通り「血が違う」と心底思っているのなら、あんなに張り合う必要ないですよね。堂々としなさっていればよろしい。
でもそれができないということは、当の本人もぐらついているのよね。自信が無いから、相手がやってることに更に上乗せ上乗せして、「ホラ見ろよ俺の方が豪華さも文化的度合も格が違うレベルで上だろう」て見せつけ、客の反応を見て満足感を得る。そうでないと自分自身を納得させられないのでしょうね。
それなのにその「張り合い」が相手にはほぼ認識されてないのがまた。「偉そうな地主だな」とか「オレちょっと見下されてんな」くらいは感じてるでしょうが。
ガングリさん、息子の入門式も発電機導入も、別に見せつけようとか嫌がらせとかでやってる訳では全然ないし。ごく普通に金持ちとしての暮らしをしてるだけ。ご当人まさか、「自分に対する対抗心で妻の宝石や残り少ない全財産を入門式や音楽会にぶっ込んだ」なんて夢にも思ってないでしょうな。おまけにこの人の造形がいかにも「成金」っぽいのが良い。
最終的には旦那様、対抗心で妻子までも失うのだから始末におえない。それにしても容赦なく追い込むな、サタジット・レイ監督。
まあ「インドの代々の大地主なんてそんなもの」かもしれませんが、働かないしなラエ(笑)。
ちょっとは『山猫』のサリーナ公爵を見習え、と思いました。変わらずに偉そうにしてたいなら変わらなくちゃいけないのよ、その「偉そうさ」をキープする為に。
きっと最後にはもう給料も出てなかったろうに、仕え続けるオノントさんと執事さんが健気でした。これきっと、先代の頃から仕えてて、ラエ旦那の小さい頃から見守ってて、もう見捨てられなかったのだろうなぁ……旦那様も跡継ぎ息子も死んで、この後ラエ家はどうなるのか。哀しいわ。
撮影ですごいなと思ったのは、鏡に映る人々の姿。
これ、気をつけないと撮影スタッフが映り込んじゃうでしょうから大変だったろうな。
効果的な演出だなと思うと同時に、「こんなでかい鏡を持ってるんだぞ」てのもこの時代のインドの大金持ちステータスなんだろうなあ、と思いました。
『マルティネス』(原題:Martinez)
マルティネス、キミあの騒音半年我慢してたのか……!
予告とかチラシとか見てると、「孤独に生きてきたマルティネスが『死者』を恋人とすることで変わった」という点を全面に押し出して紹介してるんですが、見ていて「いや、これむしろパブロじゃない?」と思いました。
パブロさんすんごくないですか? ものすごい陽の者。なんというタフネス。あのくじけなさ、前向きさは特筆に値します。
マルティネスが人事にウソ言って結果追い出すハメになったのは良くない行為だったけれども、なんかこの人なら「今が幸せ、だからOK!」て言ってくれそうです。
この人がいなかったら、もしもアマリアの遺品を回収していたとしても、あのラストまでは行きつかなかったと思うんですよ。職場ではそのまま変わらず、自宅ではアマリアとの「同棲」暮らしで満足して、決してあんな風に「外」に向かって開かれていったりはしなかったと思う。
こういう、ごく狭い、その人の周囲だけにすぎないけれど、それでも確実に周りに明るい影響を及ぼす光みたいな人ってきっとどこかに実在するよね。できるなら世界中にたくさんいてほしい。そうしたら本当に、じわじわと少しずつ、端っこの方から世界が変わっていくのじゃないかな。
そして勿論アマリアの「存在」も良かった。
人が実際に同棲したり結婚したり、そこまでいかなくても恋人同士として頻繁に互いの家にいきかうような仲になると、自分の暮らしの中に相手の「生活」が入り込んでくるんですよね。洋服、食器、歯ブラシ、シャンプー、音楽、テレビ番組、ちょっとした装飾品。
自分の生活空間に異物を内包させる、自分の暮らしと相手の暮らしとを、互いにせめぎあいつつバランスを取りつつ両立させていく過程。でもマルティネスには「異物混入」はあっても「自分ではない異なる人間とのすり合わせ」は無い。いわば「いいとこどり」です。
けれどもその疑似体験で自らの中に「他人を容れる」ことを覚えた彼は、同時にパブロ達とのかかわりを経験することで更に変わっていく。自分と脳内アマリアだけの閉じた状態で充足しているだけではいられなくなっていくんですよね。
そのひとつが「アマリアの不倫相手を殴りに行く」ではないかと。イヤもうあれこそ100%犯罪だし、そもそもあのヒトが本当にその当人なのかも判らないですけども。マルティネス、せめて名前呼んで確認してから殴れ ←いやダメです
あれは「ジェラシー」と言うより、仲間とか親友のような、特別な相手を傷つけた奴への腹立ちのように見えました。同時に、それまで勝手に脳内に築きあげた「恋人」は実はそうではない、自分の全く知らない「彼女」が存在し生活していたという現実をはっきり突きつけられた、そういう感じ。
多分、「死者の持ち物をあさる」て点でこの映画がダメな人も結構いると思うんですが、わたしはそこは大丈夫でした。まあそもそもフィクションだし、乱歩とか読んでたらもっとすごいヒトたくさんいるし(笑)。
殺し屋映画やヤクザ映画見てスカっとしたり、二次創作で原作ではくっつかなかったキャラを幸福エンドにしたりするのと同じで、「現実ではこうはいかない、それは判ってる、でもフィクション内では楽しんだっていいよね!」て分別はアリだと思いますしね。てか、現実ではダメなことを全部フィクション内でもダメにしたらもうフィクション要らなくないですか?
ここ近年よく見かける、ドラマや映画でクスリや暴力や殺人やるようなとんでもなくワルな人が、追われててものすごく焦ってる時でも車に乗るときちんとシートベルト締めてるの、「イヤ道交法的には正しいけど『キャラ』として正しくないよな……」と思ったりもします(笑)。
そういやパブロさん、「会えない時間が愛を迷いに変える」て言われてましたが、日本では「会えない時間が愛育てる」んですよ(笑)。
そして仕事を辞めた後のマルティネス(演:フランシスコ・レジェス)の色気がただならないことになっていて度肝を抜かれました。オールバックより前髪おろしてる方が全然いいな。洋服や化粧品のモデルとして十二分にやっていけそうだと思いました。好みすぎる。
エンドクレジットに「アニメーション」担当で「Koosuke Amezcua Furuya」て人がいて大変気になりました。日系の方かな?
それにしても謎すぎて仕方がないのですが、マルティネス達は毎日一体何の仕事をしているのか(笑)。
あんなたるんだワークで暮らしていけるだけの給料がもらえるなんて何という良い会社か。羨ましすぎる。西部にも支店があるくらいだし人事もしっかりしてる雰囲気だから、それなりの規模の会社なんだろうと思われるんですが。
『パルテノペ ナポリの宝石』(原題:Parthenope)
ナポリってそんなあかんトコなん……?(笑)
冒頭、海を渡る船に積まれた巨大な馬車。もうここで一瞬でこころを掴まれる。
豪奢な屋敷の広い部屋に置かれた馬車型のベッド、少年と父と身重の母、わずかな会話でさっと三人と老人との関係性が伝わる。眠る身重の母に、ゼピュロスのように頬をふくらませ唇をとがらせ、さわやかな風を送る少年。
海の中で母は子を産む。「女の子だ!」「名前は?」老人が片手を広げ、海と、その向こうに広がる街並みを指し示す。「パルテノペ!」青い空にさしこまれるタイトルクレジット。
完璧です。青い空も海の波も、すべてがこの物語の為に存在している。震えました。
この後も素晴らしい。名前を叫んだ次の瞬間、海の泡から生まれたヴィーナスのように姿を現す若い女性。見ているこちらに何の説明もなくとも、「彼女がパルテノペだ」と即伝わる。
海辺でサンドリーノと語らった後、立ち去る彼がオレンジの敷物をふわりと広げる、この動きが本当に計算され尽くされていて、布に演技指導したのかと疑うレベル。どうやったらこんなにすべてをパーフェクトにコントロールできるの?
主演のセレステ・ダッラ・ポルタがもうえも言われぬ美しさ。ぴっかぴかに輝いている。周囲数センチくらい、空気のいろが違って見える。美しさ、聡明さ、危なっかしさ、思慮深さ、大胆さ、本心を隠す臆病さ、いくつもの層がひだのように複雑に畳み込まれて内在している。
兄と彼女とサンドリーニ、三人が連れ立って踊るシーンの美しさと痛ましさよ。古今東西、青春を謳歌する男二人と女一人の組み合わせはどうしたってどこかが欠けて永遠に戻らないのね。ぎりぎりのバランスは一瞬で崩れさる。兄の、何度も繰り返される、真にいとおしく大事だと思う人達に頬をふくらませて風を送る姿がやさしくも健気で切ない。
そんな中、彼女の人生を真に決定づけていった二人の男性はどちらも中年で、知性のシンボルであるところが興味深い。人間として惹かれ合いながら、決して恋愛や性愛に至らないところも良い。ゲイリー・オールドマン、『ベニスに死す』みを感じた。マロッタ教授の「秘密」には意表をつかれました。
若き日の喪失、様々な冒険を経ても手の中には何も残らず、結局彼女が定めた自分の道が「学問」であったのも成程なあ、という感じ。
人生の中で何を得たいか、それは本当に人それぞれだと思うけれども、彼女は最初の「家族」を失った後は、決して新しく自らのそれをつくりだそうとはしなかった。サンドリーニとの別れ際の会話が切なすぎる。若く美しく輝いていた、その時にしか成立しない「恋」だった。
基本リアリズムで進んできながら、急に出現した教授の子供の異様な姿を見て、ふっと『哀れなるものたち』(感想はこちら)へのアンサーなのかな、などという気もしました。あんなにも異様にガツガツと世界を学んでいったベラが、結局自らを生み出した場所に帰ってカゴの中の鳥に落ち着いてしまったのに、同じように体を張って様々な冒険をしたパルテノペは、学びを翼としてきちんと飛んだ。
(ちなみに息子の病気、こちら↓のサイトによると、原作では「水頭症」としか書かれていないとのことです)
やがて年を経て、退官の後に彼女はナポリへと戻ります。このラストシーンが圧巻で胸が詰まりました。
夜の街角でただひとり、遠くから音が聞こえてきて立ち止まる。闇の中から道の角を大きなパレード用の車が曲がってきて、明るい光と華やかな音楽と陽気な人々を乗せて現れ、彼女を明るく照らし出す。笑顔で見守る中、車はゆっくりと通り過ぎ、夜に吸い込まれて姿を消し、彼女はひとり残される。
川上弘美の『センセイの鞄』で一番好きなシーンが遊園地のパレードシーンなんですが、それを思い出しました。闇の奥から光が現れ、一瞬のきらめきをひとに与える。けれどそれはやがて去り、ひとはまた闇に取り残される。それはまさに「人生」に等しい。
その眩しさをたったひとりで見送って、それでも本当に満足そうに微笑むパルテノペに胸がきゅうっとなりました。素晴らしかったね、貴女の人生は。
きっと神様は、海のことも気にかけてくれているよね?
しかし事程左様に、イタリア人にとって「ナポリ」はスペシャルな土地なのだなあ。だがグレタさん、なんぼなんでもナポリ人もナポリの土地もボロカスに言いすぎでは(笑)。想像するに、真の「ナポリ人」は「うん、まあ概ね合ってる。だから何?」て歯牙にもかけなさそうですが。
フローラ・マルヴァ、召使の人の「ベルリンの医者に顔をズタズタにされたからいつもヴェールをかぶってる」てセリフにジェフリー・フォードの『白い果実』三部作を思い出してぞうっとしました。でもうすぼんやりと湯気の向こうに浮かぶお顔、それ程には見えなかった。ブラフかしら?
パルテノペの初登場シーンに「イヤいくらイタリアでもこんな18歳はおらんやろ」思ったらやはり違いました。1997年生まれだそうなので、撮影当時は26歳くらいかな?
初登場を16歳くらいにして、もうひとり十代の女優はさんでも良かったのでは、と思いましたが、それだとその後の馬車ベッドのシーンがやり辛くなっちゃうか。
『銃弾と正義』(英題:Vettaiyan)
マダム・アディヤン、強ぇえ……!!!
「夫の言うことを聞く妻がいるか!」至言だ(笑)。
しかしラジニとバッチャンが同じ空間にいるのを大スクリーンで眺められる日が来ようとは……至福……!
しかもハグですよ、ハグ。鑑賞特典にチラシ表絵のハガキがついてましたが、このハグシーンのハガキが欲しい。切実に欲しい。
更にはラーナー・ダッグバーティまで。なんという眼福……。
インド映画、基本主人公、ヒーロー側が敵とぶち当たる時にはバイオレンスの限りを尽くしますので、ふと冷静になると「イヤこれ法律上アウトにもアウトだね……?」と思うんですが、まあそこはそれ、だってインド映画だし! で乗り切ってきたのですが、さすがに21世紀ともなるとそうはいかない。
『マスター 先生が来る!』の感想でも書きましたが(記事はこちら)、敵を暴力で倒した後に主役がちゃんと刑に服してるのに驚きました。イヤだから冷静になって考えてみたらそれが正しいのですが、何せインド映画だし(笑)。
まあこの作品でも、結局ラスボス以外はどんどこ殺っちゃってるので、「一発の銃弾の正義」を突き詰めたものとは言えないんですが、それでもこういうテーマで作品をつくられるというのが新しい。日本タイトル、すごく良いですね。
それにしても、バッテリーが好きすぎたので、まさかあんなことになるとは……(涙)。もうショックでショックで。
こんな便利屋さんを切っちゃうということは、シリーズ化するつもりは全然ないのかな。まあインド映画の続きもの、「えっ、そのヒト退場させちゃうの!?」てのが結構あるので油断はできませんが。
ルーバさんのハスキーボイスがむちゃくちゃ好み。基本いっつも不審げな目力強めの瞳もたまりません。ぜひこの先ヴィクラムチームに所属してほしいです(『ヴィクラム』の感想はこちら)。
可能な限りあらすじすら見ないようにして行ったので、「一体いつになったらラーナーさんは出てくるんだ……?」と大変いぶかしく思いながら見ていました(笑)。あんなにも引っ張ってからの登場とは。
ラジニが二度目にバッチャン家に行った時に、バッチャンジーがでかい薄茶のチェックの布で全身をすっぽり包んでたのが大変にシャレオツでした。ステキ……!
そしてマダム・アディヤンがカッコ良すぎた。「夫の言うことを聞く妻がいるか?」本当にイイセリフだ(笑)。彼女にもぜひヴィクラムチームに入ってもらって、ティナ様の後釜にすわってほしい。
音楽は皆大好きアニルド・ラヴィチャンダル。本当に良いな。
ダンスは残念ながら1曲だけなんですが、ダンスの歌よりもこっちの「Vettaiyan」の方がアニルド節が効いてて好き。これダンス付けてほしかったなぁ……!
なお、こちらイメージビデオ的映像なので、映画内のシーンは少しだけ。でも「SUPER STAR」のロゴが出てくるのが気がきいています。コーラスに合いの手っぽいハネが入るところが自分最高に好きなアニルド節。
ちなみにダンス曲はこちら「Manasilaayo」なんですが、冒頭で会場に入ってくるラジニを案内してるサングラスにヒゲに細身の男性がアニルドご本人。ダンスに混ざるの好きだよねこの人(笑)。
更にちなみに、この人ラジニの義理の甥っ子だそうで、それを踏まえて見るとラジニが向ける笑顔とか無造作に頭くしゃくしゃっとするところなんかがたまらなく微笑ましい。アニルド、ラジニが40歳の時に生まれてるので、もうガチ第二の子供だよね。かわいがってんだろうなあ。
パンフレットが、ネタバレ相関図といい、ラジニ年表といい、情報満載の素晴らしい代物でした。これは買いです。
『トレンケ・ラウケン Part1&Part2』(原題:Trenque Lauquen)
「猿の話よ」
「猿?」
「湖から何かの遺体が発見されたの。ワニみたいな」
……猿は? 猿の話ドコいった!?
頼むから突っ込んでくれ、と全力で思いました。Part2にて、どうも「猿っぽくもある」という情報が出てきたんですが、ここでは一切それが出てこないので本当に椅子から乗り出しかけそうになりました。猿の話ドコ!?って。
エンドクレジットにて、タイトルや最後のロゴがすーっと消えていく、と見せかけて音楽に合わせて何度も復活するのがえも言われぬ程可笑しかった。声を出さずに笑ってしまいました。なんだこれ。好き。勿論DL買いしました。もう曲を聴くだけで含み笑いをしてしまう。
何だろうこの不可思議な面白さ。ここだけでなく、全体的に何とも言えない可笑しみが漂っています。あの「僕が嫌なのは恩知らずであること」ソング、最初こそしんみり聴いていたけど、その内どんどんどんどん可笑しくなってきて、最後には腹筋引き攣れそうになりました。またコレが何とも言えずイイ曲なんですよ。「Los Caminos」。
全体的に、BGMや効果音の音圧がやたら強いのも奇妙に可笑しい。本当に味がある作品だわ。
しかし日本の多くの方々は、この謎生物周辺の描写を見ていて「ん?」と思ったんじゃあないでしょうか。わたしは思いました。「それ……カッパじゃ……?」
特に足跡。アレすんごくカッパっぽい。しかも足跡がアレで見た目は猿、つまりヒトっぽくもある、ってもうこれは確実にカッパでは。水が無いと生きていけないみたいだし。エリサ達、キュウリあげれば良かったんじゃないかな?
最後のラウラの電話での会話、「失敗した」というのは「逃げられた」のか「死んでしまった」のか、それとも自分達がカッパになろうとして「失敗した」のか。あの花を食べたラウラが奇妙な反応を示しているのとラストの消失を見るに、やはりあの花にはヒトをカッパ化させる何かがあるのでは。エリサ達が失敗したと言うのなら、他にも何か発動条件があるのかもしれないけど。
前半で語られた手紙の話がすごく魅力的で、ラウラと二人の男の話がそっちのけになるくらい良かったので、後半でばっさりぶった切られてて呆気にとられました(笑)。あの手紙の隠し方と見つけ方が何ともドラマチックで良いじゃあないですか。
けれども後半でも「妊娠した女」や「荒れ野をさまよう女」などの映し絵がところどころに見られて「そうか」と思う。男達の視点から見た前半の捜索や想像はことごとく的外れなんだけど、やっぱりどこかで繋がっているのね。
結婚の為に家を建て替える男や、優れた才能があっても契約期間が終わればその瞬間に切り離す組織から離れて、ラウラは新しく見出した共同体であるエリサ達と共に暮らす。けれどそこからも有事が発生すると電話一本で突き放されて、ひとり草原をさまよい歩く。だがその姿は、決して不幸そうにも精神をおかしくしてしまったようにも見えない。やがて彼女は「ひとそのもの」からも離れて小川の中へ姿を消す。
見ていて確かに彼女は様々な方向に対して「恩知らず」ではあるなと思いました。特にチーチョにはかなり「やらずぶったくり」であります(笑)。家の建て替えまでしてた彼氏もまあまあ気の毒。
でも仕方がないのよ、そういう星まわりになってしまう人っているのよね。男女や年齢問わず。
Part1が128分、Part2が132分の計260分という長丁場な為、「体がキツかったらPart2は後日にまわそう」と日和った気持ちでPart1のチケットのみ購入して見に行ったんですが、見終わってスクリーンを出て即Part2を買ってしまいました。自分以外にもそういう人がいた。もう2時間いけるなと思える面白さなんだよね。
……が、自分から見える範囲に座ってたお兄さん、どうも大変あわなかったらしくて前半で既にかなりダレていたご様子だったのに、おそらく通しで買っちゃってたみたいでPart2も同じ席、そして更に更にダレておいでだった(笑)。Part1も2もエンドクレジットが始まった瞬間に出ていかれてました。まあうるさくはなかったので別にいいんですが。
超長編モノ通しで買うの、こういうことがあるから冒険だよね……。
『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』(原題:The Phoenician Scheme)
この目力娘ちゃん、ケイト・ウィンスレットの娘だったのか……!
特に言うことはないと言うか、うん、ウェス・アンダーソンだね!(笑)
箱庭感が更に更にアップしている感じ。ここはヒトによって合う合わないが分かれそうです。屋外である筈のシーンでも全然屋外感がない。
バスルームの長回し、良いですね。この床の模様がたまらんなあ。
金持ちはたくさん美術品を持っている設定ね、と思ったら「全部ホンモノ」とのことでたまげました。よく貸してくれたな。太っ腹。
それにしてもあんなに悪辣に新聞に書かれまくるような所業を続け、実際にすごい財産を築いているにしては交渉がド下手くそじゃないですかザザさん(笑)。全然調達できてないじゃないですか。
しかもこの一件がポシャっただけで破産、て。まあご本人が幸せそうだし、当人もリーズルさんもどんな状況でもへっちゃらそうなタフさがあるんで、終わり良ければすべて良し、ですが。
しかし、いくら敵をつぶす為とはいえ、リベットなんて基本的な物をあんなトンデモ価格にしたら、自分達の首も絞めちゃうハメになるんじゃ……?>敵さん
マルセイユ・ボブ(マチュー・アマリック大好き!)をかばって撃たれるシーン、てっきりテログループ襲撃から全部仕込みだと思ってたので本当だったのにもびっくりしました。
これは何でしょうね、やはり生まれて初めて娘ちゃんとすごす日々の中で人情が生じてきたということなのか、それとも「コイツが死んだら資金調達どころではない」て理由か。しかしこんなに体を張っても希望の満額はもらえないのね(笑)。
エンドクレジット、横移動だとものすごく読みやすいということに気づいて感動しました。そりゃそうだよね、横文字だもん。横に流れる方がラクに読めるに決まってるわ。これから先のすべての横文字使用のエンドクレジットに真似してほしいと思いました。
ベネディクト・カンバーバッチがむちゃむちゃ楽しそうでした(笑)。イキイキしていた。
しかしあの距離であんな強烈毒ガスが散布されたら、ザザさんも危ないんじゃ……?
『ロシュフォールの恋人たち』(原題:Les demoiselles de Rochefort)
大好き……!
この映画についてはこちらとこちらにも。
早く続きを書け>じぶん
まとめ
この何年か映画の感想をあげる際に写真を撮り続けてきて気づいたんですが、最近「小型の横長パンフレット」率が高まってきた気がするんですよ。
昔は「小型パンフレット」て大抵は「小さい縦長」だったものですが。
縦パンフだと、小型でもどん、と見応えのある写真を載せられるのですが、実のところ「写真ばっかりで読み応えが薄い」出来のものも多かったりします。が、横長パンフでその手のものにはほぼ出会ったことがない。写真より文章に気合いが入っている感じです。
収納的には難しいところがあるものの(笑)、この流れでつくってくれるなら横長パンフ大歓迎。
今回のステキパンフレットはこれ、『私たちが光と想うすべて』。
なんと封筒入りですよ。で、その封筒が激カワなんですよ。



勿論中身も充実してました。
日本のパンフレット文化は本当に素晴らしいな……!

