米国の「毎週分配」ETFは本当に退職世代の味方なのか
甘い果実の裏にあるもの
新聞の金融面を眺めていて、ふと目が止まる記事があった。「毎週分配」を掲げる上場投資信託(ETF)が、米国の退職世代の間で人気を集めているという。日本国内ではかつて「毎月分配型投信」が社会問題化し、元本を取り崩して配当を装う手法に厳しいメスが入った経緯がある。その記憶が生々しい僕にとって、海の向こうで「毎月」どころか「毎週」お金を配る商品がもてはやされている光景は、どこか奇妙に映った。
現地の高齢者たちは、生活費や家賃の支払いに充てるため、こうした頻繁な分配を歓迎しているらしい。手元に現金が定期的に入ってくる安心感は理解できる。資産を取り崩して売却するのは心理的に抵抗があるが、分配金として振り込まれるなら気兼ねなく使える、という心理も頷ける。
しかし、投資の世界に都合の良すぎる話などあるはずがない。直感的に浮かんだのは、「これは形を変えた「たこ足配当」ではないのか」という疑念だった。かつて日本の投資家を惑わせた、あの不健全な仕組みが装いを変えて米国で再生産されているだけではないか。気になった僕は、その仕組みを掘り下げてみることにした。
デリバティブという名の防腐剤
調べてみると、米国の毎週分配型ETFは、日本の過去の毎月分配型とは法的な建て付けが異なっていた。かつて日本で問題視されたのは、運用益が出ていないにもかかわらず、投資信託の元本そのものを払い戻して「特別分配金」として配る手法だった。
一方、米国のこれら商品は、主に「カバードコール」と呼ばれるオプション取引を組み込んでいる。株式などの現物を保有しながら、あらかじめ決めた価格でその株を買う権利(コールオプション)を第三者に売却する。その権利を売った対価として手に入る「プレミアム収入」を原資にして、毎週のように分配金を出しているのだ。
つまり、預かった元本をそのまま物理的に削って渡しているわけではない。形式上はデリバティブ取引から生み出された正当な収益を分配していることになっている。
だが、金融取引において「オプションの売り」という言葉を聞いた瞬間、別の警戒心が首をもたげた。オプションの売り手は、わずかなプレミアムを得る代わりに、相場急変時に莫大な損失を被るのが基本だ。「利益は限定的、損失は無限大」という非対称なリスクを抱え込む取引ではないのか。退職世代の生活資金を預かる商品に、そんな危険な手法を使って平気なのだろうか。
片肺飛行のポートフォリオ
この疑問をさらに検証していくと、この商品が孕む巧妙な罠が見えてきた。
まず、現物株を持たずにコールオプションだけを売る「ネイキッド・ショート」であれば、株価急騰時に破滅的な借金を背負う。しかし、ETFが行っているカバードコールは保有株の範囲内でのみ権利を売るため、青天井の損失が出るわけではない。その意味では、破産するような設計にはなっていない。
問題はそこではなく、得られるリターンとリスクの構造的な歪さにあった。
1. 上昇局面での足枷
対象となる株式がどれほど急騰しても、権利行使価格を超える値上がり益はすべて放棄しなければならない。相場の上昇による恩恵は最初から天井が決まっている。
2. 下落局面での無防備さ
株価が急落したとき、受け取ったプレミアムはせいぜい数パーセントの下落を和らげるクッションにしかならない。市場が20%、30%と暴落すれば、ETFの元本もほぼ同じ深さまで引きずり込まれる。
この2つが合わさったとき、何が起きるか。相場が「急落した後に急反発する」局面を想像してみると分かりやすい。下落時には市場全体と一緒に深々と底まで沈む。ところが、市場が力強く反発しても、あらかじめ売ったコールのキャップに頭を押さえられ、ETFの価格はほとんど元の水準に戻らない。
下がる時は一人前に下がり、上がる時は天井にぶつかる。これを相場の波の中で何度も繰り返せば、インデックス全体が高値を更新していても、ETFの基準価額だけは階段を一段ずつ降りるようにすり減っていく。
形式としては元本の直接払い戻しではない。しかし、将来得られるはずの値上がり益を前借りして目先の現金に換え、下落の打撃をそのまま資産に固定化させている点において、実質的には元本をすり減らして分配しているのと何ら変わらない。結局のところ、これもまた洗練された「たこ足」だったのだ。
誰がリスクを負い、誰が富むのか
なぜ、このような投資家にとって不利な構造を持つ商品が、全米で次々と組成され、巨額の資金を集めているのだろうか。
答えは冷徹なまでに単純だ。胴元である金融機関にとって、これほど旨味のあるビジネスはないからである。
低コストなインデックスファンドの信託報酬は、年0.03%程度にまで下がっている。運用会社としては薄利多売の極致だ。ところが、カバードコールを組み込んだアクティブETFになると、経費率は年0.35%から1.0%近くまで跳ね上がる。金融機関からすれば、手数料率が10倍以上も跳ね上がるドル箱商品に化ける。
さらに、これらのファンドは取引所でオプションを直接売買するだけでなく、投資銀行が組成する「仕組債」をファンド内に組み入れて運用することも多い。その組成プロセスや日々のデリバティブの乗り換えの中で、目に見えないスプレッドやマージンが確実に中抜きされていく。ゴールドマン・サックスが、高分配ETFで急成長した新興運用会社を巨額の資金を投じて買収したという報道は、この市場がどれほど高収益であるかを雄弁に物語っている。
相場が暴落し、投資家の元本がどれほど傷つこうとも、運用会社は残高に応じた手数料を着実に徴収し続ける。リスクを背負うのはすべて投資家であり、利益を確実に手にするのは金融機関側だ。過去に日本の金融機関が高齢者向けに毎月分配型投信や複雑な仕組み債を売りさばいた構図と、本質的に何も違わない。
米国における「適合性」の死角
ここで1つ、制度的な疑問が残った。日本には、顧客の知識や財産状況に合わない不相応な商品を売ってはならないという「適合性の原則」がある。過度に複雑でリスクの高い商品は、高齢者への販売が厳しく制限される流れにある。投資先進国である米国に、そうした保護規定はないのだろうか。
調べてみると、米国にも金融取引業規制機構(FINRA)の適合性ルールや、証券取引委員会(SEC)の「最善利益義務(Reg BI)」といった厳格な枠組みは存在していた。証券ブローカーが顧客の利益を無視して高手数料の商品を一方的に勧める行為は、明確に規制の対象になる。
では、なぜ野放しになっているのか。理由は「上場ETF」という形態そのものにあった。
対面の窓口で営業員が「これを買いませんか」と勧誘すれば、適合性のチェックが厳格に働く。だが、ETFは市場に上場された株式と同じだ。個人投資家がネット証券の画面を開き、自分自身の意思で注文ボタンを押す限り、法的には「勧誘(Recommendation)」が存在しない。つまり、適合性ルールの網の目を完全にすり抜けてしまうのだ。
さらに、米国の証券規制の根本には「情報開示主義」がある。目論見書に「上昇益は制限される」「元本下落のリスクがある」と正確に記載されてさえいれば、それを読んで自己責任で買う投資家の自由を、行政が止める筋合いはないという哲学だ。日本のように金融庁がパターナリスティックに行政指導で商品を締め出すようなアプローチは、米国市場では基本的に好まれない。
「手厚い開示」と「市場で自由に買える利便性」が、皮肉にも退職世代の防波堤を無力化させている。制度の形骸化とは、まさにこういう状態を指すのだろう。
手元に残る現金と、手数料という確実な負債
では、リタイア後に定期的な現金収入が欲しい投資家は、一体どうすればよいのか。
「定期的な配当が欲しいなら、複雑なデリバティブなど挟まず、優良な高配当株をいくつか自分で買ってポートフォリオを組めばいいのではないか」
僕自身、最初はそう考えた。伝統的な大企業を自ら選んで長期保有すれば、中抜きの信託報酬を払う必要もない。企業の純粋な利益成長と配当を直接享受できるはずだ。
しかし、これもまた別の現実を突きつけられる。個別株で自前のポートフォリオを組むと、どうしても高配当を出しやすい成熟産業や衰退産業に偏りがちになる。成長セクターを逃すリスクに加え、業績悪化による「減配」が起きた瞬間、インカムが減るだけでなく株価も暴落するという二重の打撃を被る。何より、複数企業の決算を追い、リバランスを続ける作業は、高齢期の手間として決して小さくない。
結局のところ、何を選んでも代償が伴う。そして、長期の資産形成において最も確実に投資家を苦しめるのは、「地味な手数料」の存在だ。
相場が良いときは、年利数パーセントの分配金に目を奪われ、0.8%の手数料など取るに足らないコストに見える。だが、手数料は利益が出たときだけ払う成功報酬ではない。相場が崩れ、資産が目減りしている最中も、残高から毎日確実に天引きされ続ける確定申告不要のマイナスリターンだ。
仮に1,000万円を年率5%で20年間運用したとする。年0.05%の低コスト投信であれば、20年後の資産は約2,626万円になり、支払う手数料は20万円程度で済む。一方で、年0.80%の高分配ETFを持ち続けた場合、資産は約2,277万円にとどまり、手数料の累計は340万円を超える。
実に350万円近い差が生まれる。この「地味な数字」の積み重ねが、複利の力によって後から重くのしかかってくる。
無料のランチを探す旅を終えて
投資の世界には「ノーフリーランチ(無料のランチなどない)」という言葉がある。
相場の上昇益をまるまる手に入れながら、暴落の恐怖から完全に逃れ、さらに毎週のように多額の小遣いを受け取れるような魔法の杖は、この世界のどこにも存在しない。得られるリターンとは、企業が社会に提供した付加価値の分け前か、自分が引き受けたリスクの対価でしかない。
カバードコールETFが配っているのは、金融工学が生み出した新しい富ではなく、将来の成長果実を先食いして切り刻んだ元本の一部に過ぎない。
超低コストなインデックスファンドを淡々と保有し、必要になった分だけ自らの手で定率・定額で解約していく。あるいは、信頼できる個別企業の株式をリスクを承知で自ら抱え続ける。結局のところ、そのどちらかの王道に留まる以外に、資産運用の近道はないように思える。
インデックスの自動取崩しは、数学的・合理的な観点から見れば最も効率的だ。だが、自分の資産残高が減っていく数字を直視することに耐えられない人間心理もよく分かる。だからこそ、人は形を変えた「毎週分配」という甘いキャンディーに吸い寄せられてしまうのだろう。
理屈で勝つことと、感情で納得すること。その二つの間にある溝の深さを、米国のブームを眺めながら静かに考えている。
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