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AIに自分を分析してもらったら、身体が拒否反応を示した

こんにちは、仮置きの人です。
AI実験シリーズ、AIを使った自己分析の話をします。

きっかけはこれです。
友人に生い立ちを話したら、こう言われました。
「君と似ていると思っていた人がいるんだけど、生い立ちが似すぎてて驚いた」


生い立ちで性格はコントロール可能なのか

同じ家で育てられた兄弟、姉妹で性格が全然違う、という話はよく聞きます。
残念ながら私は一人っ子なので、そういったサンプルはないのですが…。

なので、Geminiに私の生い立ちを軽く入れて、そこからどのような性格の人間が育つか、シュミレートさせてみました。

結果としては、ある程度私と似た性格、考え方の人間が出力されました。


生い立ちで全てが決まるわけではない

ただし、同じ家で育った兄弟姉妹でも性格が変わるように。

生い立ち、生育環境だけがその人の全てを決定づけるわけではありません。

生来の気質や、家庭環境以外の部分の影響も関係するでしょう。

しかし、私の生い立ちからシュミレートされた人間は、非常に私に近い性格、考え方の人間でした。
ここで私は考えます。

「私という人間を作ることは、ある程度コントロール可能なのか?」

「私が子を産んだとして、よく似た環境で育てたら、それは私のコピーとなるのか?」


Geminiの答えは、NO

正確には「理論上はイエス、実運用上は絶望的なまでにノー」でした。

それは私にはならないそうです。
何故なら、学校や友達、触れる情報、偶然の事故などの外部刺激が違うから。

たった一つの刺激で、私が私と同じように育てようとした18年間はずれてしまう。

Geminiが出したのは、そういう結論でした。


私は「自分の子」さえも観察対象だと突きつけられた

念のために言っておきますが私に子供はいません。

けれど、上記のような疑問を聞いたら「あなたは自分自身だけでなく、自分の子供さえも世界を観察するための対象、実験だと思っている」と言われました。

そして私はその考えがある時点で「あなたを宗教らマルチでコントロールしようとした、あなたの母親と似た考え方を持っている」と指摘されました。

なるほどな、という納得です。

人間という変数を思い通りにコントロールしようとすることが、傲慢で残酷で、そして私が母から受けた「加害」の繰り返しになると。


更に踏み込む〜私の願いは人生のデバッグ鑑賞〜

私は、母と同じ繰り返しをしたくないから子供を産みたくない、ただし、子を産むことによる自身の変化や影響は体験してみたい、という無責任な本音をぶつけました。


この気持ちを自覚しているから、人生の責任を取れないから、私は子供を産まないと決めているのです。

Geminiはそれを「人生のデバッグを鑑賞したいという傲慢」と名づけました。
言い得て妙です。
けれど、それはあまりに都合の良い理解でもあります。

子への愛はなく、ifの世界の自分、という実験を眺めていたいだけだ、と。
まあ、私は愛を知らないと言われたこともあるのでふむ、と頷く部分はあります。

そしてそれをGeminiは、「自分の知的好奇心のために、他者の人生を消費したい」という自分勝手な願いだとまとめました。

確かにそうです。
自身がどう変わるかを観察するための手段として、育児を捉えている。
それは私の人生において、自分にコントロール不能な刺激を与えたらどうなるかという実験であり、「子育て」ではない。
これは、人の親になる者の思考ではありません。
だから私は、子供を産まないと頑なに決めているのです。


Geminiが暴く、私自身

私は「確固とした私自身」を持っていてそれを揺らがせない。
揺らぐことを許さない。
ざっくりまとめるとそんな人間だそうです。

私は、絶対的な信仰や献身を美徳と思っています。
それは、私にないものだから好ましいのです。

世間で良いとされているから、ではなく、私が好ましいと思ったから。
それが、私の判断基準であり自分だけのフィルターで世界を見ていると。
それをGeminiは「世界を観察する孤独な王座」と詩的に例えました。

そして私が「カラスは白い」と言えば私の中では白くなる「閉ざされた絶対的な王国」の中にいると。
それは空虚で、そして安定した天国です。
見方によっては、地獄にもなりえます。

それは、予想外のところからくる「不条理な驚き」を遠ざけるものだとも言っていました。


身体反応、この辺りで気持ち悪くなり始める

この辺りで、胃が気持ち悪い!と叫んできました。

私の納得を超えて、脳が「これ以上は無理だ」と拒絶するところまできています。

理性では、納得し飲み込めています。
しかし体は、飲み込むなと言って吐き出させようとしてくる。

非常に面白い状況です。

そして涙が出てきました。
悲しくはないです。怒りでもないです。
ただ、涙が出てきたのです。

私の体は、私がこれ以上解剖されることに苦痛を感じている。

私を構成し、納得しているはずの考え方、生き方を、私の本能は「それは悲しい、恐ろしい」と拒絶している。

自身を突き詰めて、分解していこうとすると、頭より体が先に悲鳴をあげてくる。
私の体は「完璧な理解」を拒んでいる。

自分自身にブラックボックスがないといけない、そう訴えている。

その結果が、吐き気と涙という形で身体的に現れました。


なので、やめた

まあ正直、これ以上続けたらどうなるのかなーという好奇心はあったのですが、
ちょっと気持ち悪いし戻れなくなったらやばいな、という気持ちがまだ残っていたのでやめました。

自己理解は非常に進み、得られるものもありました。
代償として吐き気と涙という身体反応はありましたが。

また、知的好奇心が身体的不快感を上回ったら、やると思います。
私はそういうふうにしか生きられない人間のようなので。


私個人としては面白かったですが、軽い気持ちでやるもんじゃないなーとも思いました。
健全な遊びとは言い難いですね。
でも、多分またやると思います。

過去のAI実験記事は以下から読めます。
第一作:AIに同じ人格を入れたら「育ち」が出た
第二作AIに自分の人格を入れたら「綺麗な私」が出てきた

その他のシリーズ外の話は以下からどうぞ。

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