新しい自己紹介、代わりに添える文
人間って、なにがどう変わって、なにが変わらないんでしょうね。
私って全然変わらないなぁと思い、毎日を過ごしていたけれど、過去の日記、手帳、noteを振り返ると、今なら絶対書かないなということもたくさんあった。
一方で、学生時代から全く変わらないな……と思うことも。
noteを始めて、1年と1ヶ月と少し。
noteの記事を振り返りながら、改めて自己紹介みたいなものを書いてみます。
さて、私の生活の中心にあるのは推し活。仕事より推し活。日常生活より推し活。
推し活という言葉が生まれるずっと前からファン活動をしている。
2次元にも3次元にも推しはいるのだけど、私の最も愛する人は主に劇場にいる。
舞台俳優なのです。
2.5次元俳優と言われることもあるけれど、目立つ仕事が2.5次元舞台というカテゴライズをされるだけで、様々な作品に出演している。
なので、私も自ずから様々な作品を観ることに。
感想記事を書いたものはマガジンにまとめています。
2.5次元からストレートまで様々。推しが出演していても、いなくても、好きな作品がたくさんある。
予算に限りがあるので気になるもの全てとはいかないけれど、できるだけいろんな作品を見たい。
でも、好きな作品は〝現代〟ではない設定が多い。
そう、もとより歴史が好き。
特に愛しているのがふたつの世界大戦の前後の時代と新選組。
ミュージカル『薄桜鬼』は新選組のお話。乙女ゲームが原作。
『TARKIE』は太平洋戦争前後の日本の女優のお話。
『受取人不明』はナチスドイツ台頭期の話。
『ジョーカーゲーム』は戦間期の日本のスパイのお話。
『The Knives of the Round』は、円卓の騎士とナチスドイツの合わせ技という変わり種。
この時代が好きなのは、激動の時代に〝自らの信念を貫いた〟人の生き様が描かれているからだろう、と自己分析している。
そのように生きたい、でもなかなかできない。
自分にないものに憧れる、そんな衝動があるからな気がしてならない。
単純にカッコいいのもあるけれど。
これらの感想記事を書き続けることで、私のnoteのスタイルが成り立った。
欲張りなので、観たときの感動を全て、全てとはいかないまでも可能な限り残しておきたいと思ってレポートを書いている。
その感動を分かち合える人と出逢いたいと思ってnoteに公開した。
そんな私の記憶の断片がたくさんの方に読んでもらえる―その楽しさを痛感している。
こうしてほぼ毎日更新できるほどたくさんの記事を書けるのは、私の基盤に〝書くことが好き〟という根幹があるから。
小学生の頃タイピングゲームにハマっていたお陰で、パソコンのタイピングも得意。
おかげで、キーボードで打ち込めば、脳からあふれる文章の素を、忘れないうちに記録できる。
あとから文章を追加で挿入したり修正できるのもいい。
今は手元にスマホがあり、いつでも思いついたことをメモできる。
でも、紙に書くことでしか得られない幸福がある。
昔から文房具を集めるのが好きだった。色とりどりのボールペン、可愛い付箋やメモ帳、そしてノート。
手帳もずっと糸綴じのものを愛用していて、スケジュールのほか、短い日記を書くことを習慣にしていた。
それを趣味とは思っていなかったけれど、なんとなくブームになっているのを知って、なんとなく乗った。乗ることにためらいはなかった。むしろ私はずっと文房具を使うことを当たり前にしていたのだから。
それに気づいたのは最近のこと。
ちなみに書いていたのは主に趣味の記録。そう、今流行りの推し活ノートを20年前からやっている!
インスタに載せるようなキラキラしたものではないけれど、小さな字で好きな人の活動の感想を書き込んでいた。
今は、hibinoという1日2ページの日記帳を母艦に、いろんなノートや手帳の使い方を模索している。
システム手帳を持て余しているのが目下の悩み……
そうしてたくさん書けるのは、本が好きだからなんだろう。
昔から読書家というには及ばないけれど、本が好きだった。
小説家になるのが夢だったくらい、小説が好き。
でも、新書やハードカバーでいろんなジャンルの知識を入れることも好きだった。
そうやっていろんな人の文章を味わってきて、今の私の文章が出来上がっている。
これからもいろんな本を読んでいきたいから、その度に私の文章の味付けは少しずつ変わるのかもしれない。
日々、自分が狂うほど考えごとをしている。
感情、思考、理屈。
自分の中の普遍なものを一生、探し続ける記録の全部がノートであり、一部がnote。この場所です。
読んでくれるひとのおかげで、私〝かるめら〟は在ります。
