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Katsurao AIR アーティストインタビュー vol.10 内田聖良さん(前編)

アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。2025年6~7月の2か月間、3名のアーティストが葛尾村で暮らし、それぞれの視点から制作に取り組んでいます。7月24日(木)から27日(日)の4日間は、葛尾村内にて、制作過程を公開するオープンスタジオ形式での活動報告会を実施いたします。

本稿では、滞在アーティスト 内田聖良(うちだ・せいら)さんのインタビューをお届けします。(聞き手:Katsurao Collective 阪本健吾)

UCHIDA Seira
内田 聖良

武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)修了。
自身をポスト・インターネット時代のサーキット・ベンダー(Bender)とも称し、現代社会の回路とも言えるAmazonやYouTubeなどのサービスも活動の場として取り込みながら、言葉や物・データの流通網に介入する。近年は民話や信仰のリサーチをもとに、それらが持つケアの機能や規範の生成への関与について着目した制作を行う。
主な作品に、使用感のある古書を一点物として価値づけ再流通させる『余白書店』、VRや3Dスキャンを用いて捨てられない物を供養し、新しい物語への「転生」を促す『バーチャル供養講』など。

撮影:小山田邦哉 写真提供:青森公立大学国際芸術センター青森

——北海道札幌市在住の内田さんですが、生まれ育ちは関東地方と伺いました。どんな子どもだったのでしょうか。

幼稚園の頃から絵を描くのが好きで、将来の夢の絵を描くみたいな時間で、まわりのみんなは「お花屋さんになりたい」とか「パン屋さん」という絵を描いていたなかで、私は「絵描きになりたい」という絵を描いていました。

幼稚園が自由な雰囲気だったのに対して、小中学校の規律的な感じには馴染めず、嫌だなと思っていました。登校前におなかが痛くなったりして……。

それから、お絵描き教室やクラシックバレエ、スイミング、ピアノなど、習い事をたくさんさせてもらっていました。放課後は、友達と遊ぶというよりは習い事の時間でしたね。

——その後、美大に進学されますが、どのように進路選択をしていったのでしょうか。

当時の私は、自分は絵がうまいと勘違いしていたんです(笑)

そう思って美大受験の予備校に行ったところ、好きに描いていてよかったお絵描き教室とは違って、デッサンの基礎を叩き込まれることになりました。デッサンの技術とは、簡単に言うと、三次元を二次元に写す技術です。あたりまえなのですが、そういった方法論に基づいて描いたことがなかったので、全然描けなくて。毎日怒られていました。

予備校の先生が怖かったことが、早く進学したいというモチベーションになっていました。描いていると、長い棒を持っている先生の足音が近づいてくるんですよ。早くここから抜け出したい!という一心でした(笑)

——怖い……。抜け出せてよかったです(涙)晴れてご進学されるわけですが、学部時代の専攻は油絵だったんですよね。現在の内田さんの活動とは違うようですが、どんな変遷があったのでしょうか。

油絵自体は好きだったのですが、画材も高いし、油が揮発するので肌も荒れるし、音楽のライブなどと違って、油絵の作品を展示するようなギャラリーには、高校の友達は絶対に来ないだろうし……と、少しモヤモヤするようになりました。一方で、海外の美術館や芸術祭に行けば、ボールペンで描いているような作品もあったりして。学部3年生ぐらいのときでしょうか、アトリエにこもって油絵を描き続けることに疑問を感じるようになったんです。

そこで、様々な作品を見たり、自分の好きな作品を振り返ったりして、私が感じるアートの良さは、「こうしなきゃ」ということを「これでもあり」に変えてくれるところだと思ったんです。であれば、油絵であることはそんなに重要じゃないなと考えるようになりました。

むしろ、美術と関係ない人にも身近なメディアのほうが自分のやりたいことにあっているのではないかと感じ、油絵ではなく百均で買ったようなものを使うようにしてみたり、当時少しずつ出てきていたウェブサイトを使った作品や、プロジェクションマッピングのような、光を使って何かを描くことなどに関心を持ったりするようになりました。

卒業後は、アーティストではない立場からアートに関わってみたいという思いから、アートスペースやアートプロジェクトのスタッフとして働くようになりました。そのなかのひとつに「横浜国際映像祭2009-CREAM」というイベントがあり、ここで大学院への進学のきっかけになる大きな経験をしたんです。

——映像祭のスタッフとしてのご経験が、大学院への進学につながるのですか。詳しく聞きたいです。

スタッフの立場であっても企画を立てていいという、少し変わった映像祭でした。

当然「映像」がテーマなのですが、どうしても映像で発信するとなると、当時はUstream(ユーストリーム)を使って、ライブ配信をしようということになりがちなんですね。今でいうところの YouTube Live や、Instagram のライブ配信機能にあたるものです。

当時の私は、真に映像をつくることとは、そういった既存のシステムを使うことではなく、映像信号そのものを自分でつくることではないかと思ったんです。そこで、テレビが放映中止しているときに表示される七色のカラーバーの信号を、インターネット上の情報を参考にしながら、自分で回路をつくってモニターに送るということを試みました。電子工作の知識はまったくなかったので、秋葉原にある玄人しか行かないようなお店で部品を集めようとして、店員さんに「自分で探してください」って軽くあしらわれたりして……(笑)

現代人はパソコンなどの電子機器に依存して生きているのに、そのテクノロジーの内部のことは一部のスペシャリストしか知らない。そういう構造に、このとき身をもって気づくことになりました。なんとなく「光で絵を描く」みたいなぼんやりとしたことだけではなくて、自分なりの問題意識がはっきりしてきたんです。それを深めたいという思いで、IAMAS*に進学しました。

*IAMAS:情報科学芸術大学院大学。岐阜県にある、メディア表現の研究に特化した教育機関

——確かに、自分のパソコンやスマホがどうやって動いているのかって、全然わかっていないかも……。興味深いお話です。中編では、内田さんの略歴を拝見していて気になった「サーキット・ベンダー」という概念についてお伺いできればと思います。

アーティストインレジデンスプログラム「Katsurao AIR」

本インタビューの完全版を、各種リスニングサービス および note音声投稿にて配信中です。


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