ヒミコの決断 第25話
ヤマタイとクナの間には、大きな台地と大きな川があって、昔はあまり行き来がなかったそうです。
それが、ヒミコのお祭りを見たいという人が増えてからは、川の穏やかな時期に舟で渡ったり、海を回ったりして、クナから来る人が出てきました。クナでもお祭りをするようになると、今度はこちらから行く人もいました。
クナには、物を作るのが上手な人たちがいました。
私の家の近くにも、クナから来た人が一人住んでいました。鍬の柄を直すのが上手で、村の人がよく頼みに来ていました。しばらくしたら帰ると言っていましたが、そのうち嫁をもらって、そのまま住んでいました。
そういう人が、あちらにもこちらにもいました。
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第25話 雨より前に
梅雨の時季が近づいていた。
冬のあいだも西の工事は続いていたが、春になってからは人も舟もさらに増えていた。
川辺には、橋や道が壊れた時に使う木や石が集められていた。上から来る舟は木材や石を載せ、荷を下ろすと、代わりに塩や干した魚を積んで上へ戻っていく。
クコチヒコが今いる場所も、そうした舟の着くところだった。
初めから、ここに大きな場所を作ろうと決めたわけではない。
調べて歩いていた頃、近くの村の男が教えた。
「ここなら舟を置けるぞ」
クコチヒコは川を見た。
大きな流れが、少し離れたところで曲がっていた。
「雨が続いた時はどうなる」
「水は来るさ。そりゃ増える。けど、こっちへ流れが移ったことはないな」
「本当にないのか」
「俺が知ってる間はない。その前もないって親父は言ってた。もっと前のことは知らんけどな」
男は笑った。
「昔は、ここへ舟を置いとった。あっちじゃ流されるでな」
クコチヒコはもう一度、川を見た。
それから、その場所を使うことにした。
最初は舟を停めるだけだった。
荷を雨から守る小屋ができ、その横に倉ができた。縄を直す者や舟底を見る者が長くいるようになり、魚を干す場所までできた。
仕事で来て、そのまま泊まる者も増えた。
やがて家族を呼ぶ者が現れた。
クコチヒコの使う建物も、その中に混じっていた。
人が報告を持って来るようになったから、雨を避けて話せる場所を作った。書いた木の板を置く場所も必要になった。さらに荷を預かる倉が増えた。
いつの間にか、皆がそこへ来るようになっていた。
* * *
南の見張りの近くでは、兵を泊めるための小屋も作られていた。
出来上がった日、クコチヒコは中へ入り、一通り見て回った。
壁を押し、屋根を見上げ、入口の前で立ち止まった。
「これなら使えるな」
そばにいた男が頷いた。
「寝るだけなら、十分だと思います」
「ああ。ナシメ様に、できたと伝えてくれ」
「はい」
男は返事をしたあと、小屋を見た。
「でも、ずいぶん兵が増えるんですね」
クコチヒコも小屋を見た。
「ああ」
「前は、こんなにいなかったでしょう」
「人が増えたからな」
クコチヒコは川の方を見た。
舟が一艘、岸へ寄ってきていた。
「舟が来る。荷も来る。ここへ泊まる者も増えた。知らない者が混じることもある」
「悪いことをする奴も出ると」
「出るだろうな。これだけ人が増えて、出入りがあれば、良からぬことを考える奴も増える」
男は頷いた。
「それに、何かあってから人を集めていたんじゃ遅い」
「それはそうですね」
「だから置く。置いておけば、使わずに済むこともある」
男はしばらく考えてから、もう一度頷いた。
「では、ナシメ様には今日中に伝えます」
「ああ。頼む」
* * *
「ナシメ様、クコチヒコ様からです。南の見張りの兵小屋ができたと」
ナシメは顔を上げた。
「そうか。分かったと伝えろ」
「はい」
男が下がると、ナシメは小さく息を吐いた。
「クコチヒコめ。なかなかできる奴だな」
そばにいた男が言った。
「思っていたより早かったですね」
「ああ。あの方が送ってきただけのことはある」
ナシメは手元の板を見た。
少しして、別の男を呼んだ。
「おい」
「はい」
「次の兵を送れ」
「南の見張りへですか」
「ああ」
「何人ほど」
ナシメは少し考えた。
「六人でいい」
「分かりました」
男が下がっていった。
ナシメはもう何も言わなかった。
* * *
数日後。
昼過ぎ、一人の男がクコチヒコの建物へ入ってきた。
「クコチヒコ様。南の見張りですが、兵が入りました」
クコチヒコは書いていた手を止めた。
「何人だ」
「六人です」
「六人か。思っていたより多いな」
木の板を横へ置いた。
「ナシメ様からか」
「はい。そう聞いています」
クコチヒコは少し黙った。
「その新しく来た兵達は、向こうの者とは、うまくやっているのか」
「今のところは。見張りの者たちも、特に変わることなく、そのまま残っております」
「なら、それでいい。兵が来たからといって、今までいた者を追い出す必要はない。あそこは兵だけのために作った場所ではないから」
「分かりました」
男が出ていこうとすると、クコチヒコが呼び止めた。
「もう一つの見張りはどうなった」
「上の方ですか」
「ああ。あそこも人を増やすと言っていただろう」
「まだです。ただ、少し木が足りないそうです」
「なら、今日上ってきた舟の木を少し回せ。橋の分は残しておけよ」
「はい」
男が出ていった。
少し前にも、別の船着場へ兵が入っていた。
海に近いところにも人が増えた。
どれも、クコチヒコが調べて回った時に、残しておいた場所だった。
舟が集まりやすく、道につながり、高いところへも上がりやすい。雨が降った時にも人が動ける場所だった。
暮らしに必要な場所には、兵を置くにも都合がよかった。
海に近い見張りには、兵以外の者もいた。
毎日、風を見る者がいた。
沖の雲や鳥の飛び方、草の揺れ方を見ていた。
波を見る者は、波の高さだけではなく、潮の入り方や川口の水を見ていた。
ある朝、その一人が舟を出そうとしていた男たちへ声を掛けた。
「今日はやめとけ」
舟を押していた男が振り返った。
「なんでぇ。こんなに晴れてるぞ」
「そうだな。晴れてるな」
「風もそんなにない」
「今はな」
男はしばらく沖を見ていた。
「昼を過ぎたら変わる。出るなら近くだけにしとけ」
舟の男は沖を見た。
「そんなに悪くなるか」
「たぶんな」
「たぶんかよ」
「波詠のあんたがそう言うなら、しょんない。やめるか」
そう言って、舟は岸へ戻された。
その日の午後、風は強くなった。
そうした見張りは、舟を見るだけではなかった。
川辺で荷を下ろしていた男が、木に足を挟まれたことがあった。
高いところから見ていた者が気づき、すぐ下へ知らせた。
「草師を呼んでくれ。足をやってるな。あれは痛えぞ」
呼ばれて来た草師がしゃがみ込んだ。
「どれ、見せてみろ」
男の足を見て、顔をしかめた。
「これは深いな。血は止めるで、そのまま動かすなよ」
「歩けるかな」
「歩こうとするな」
草師は近くの者を振り返った。
「手師も呼んどくれ。これは俺だけじゃ駄目だ」
「すぐ呼んでくる」
一人が走った。
関のそばには、怪我人を寝かせる建物が一つできていた。
初めは、舟や工事で怪我をした者を休ませるためだけの場所だった。
草を置く小屋が増え、湯を沸かせる場所ができ、草師や手師がいることが知られるようになると、近くの村からも人が来るようになった。
熱を出した子供を連れて来る者もいた。
山仕事で傷めた手を見せる者もいた。
「関のところへ行けば、誰かおる」
そう言われるようになっていた。
その少し上には、オオタ村という古い村があった。
村のそばを流れる川を、皆はそのままオオタの川と呼んでいた。
大きな流れの横には、小さな流れがいくつもあった。
雨の少ない時には、子供でも入れるほど浅いところもある。
クコチヒコがそこへ行った時、村の者たちが水の中へ石を積んでいた。
「何をしている」
声を掛けると、一人が顔を上げた。
「こうやって、魚をとるだよ」
「川ごと止めるのか」
「いやいや、川は止めんよ」
男は笑った。
「こっちだけだに」
本流から分かれた細い流れを指した。
上の方には、石と木がいくつか置かれていた。
「下から上ってくるだろ。ここへ入ったのが、あっちまで行く。上の方を狭くしとくと、あの辺でごちゃごちゃするだよ」
横で石を持っていた男が口を挟んだ。
「こいつ、去年は積みすぎて全部流されたけどな」
「お前が変なところへ石置いたからだら」
「俺のせいかよ」
二人が笑った。
クコチヒコも水の中を見た。
「網は使わないのか」
「なくていいよ。手で取れるようになるでね」
男は水へ手を入れた。
しばらくすると、銀色の魚が暴れながら上がった。
「ほら」
近くにいた子供が声を上げた。
「俺にもやらせて」
「逃がすで駄目だ」
「逃がさんよ」
少し離れたところでは、モリを持った者が水面をじっと見ていた。
クコチヒコは石の並びを見た。
「水が増えたら、これはどうする」
「どうもせんよ。増えりゃ勝手になくなる」
男は足元の石を一つ蹴った。
「また水が引いたら作る」
横から別の男が言った。
「毎年おんなじ川じゃないでな」
クコチヒコは、その先の水を見ていた。
「全部は止めないんだな」
男が顔を上げた。
「全部止めたら困るら」
クコチヒコはしばらく水を見ていた。
それから先、水のことを考える時には、こういう話をよく聞くようになった。
川のそばにいる者は川を知っていた。
山の近くにいる者は、雨がどこを通るか知っていた。
海の者は、潮や波を知っていた。
草師は、どこにどんな草が生えるか知っていた。
誰か一人が全部を知っているわけではなかった。
それでも、聞けば誰かが知っていた。
台地の上では、別の工事が進んでいた。
雨水を残す場所を作っていた。
クコチヒコは、浅い窪地を見ながら年寄りと歩いていた。
「ここなら水が集まりそうだ」
そう言うと、年寄りは首を振った。
「そこじゃだめだで」
少し上を指した。
「こっちだ」
「こっちの方が浅いぞ」
「下は前に割れたで」
クコチヒコは年寄りを見た。
「いつだ」
「知らん。俺が小さい頃には、もう割れた跡があったもんで」
「誰が作った」
「そんなもん知らん」
年寄りは土を踏んだ。
「でも、下は駄目だ」
クコチヒコはしばらく考えた。
「分かった。こっちにする」
年寄りが少し驚いた顔をした。
「それでいいのか」
「駄目だと知っているところへ、わざわざ作ることはない」
「そうか」
「ただ、こっちなら本当に大丈夫なんだな」
「そんなもん、やってみんと分からんよ」
クコチヒコは笑った。
「それもそうだな」
それだけで場所は変わった。
低いところから粘りのある土を運び、窪地の底へ広げた。何度も踏み固め、水が逃げやすい場所にはさらに土を重ねた。
低い側には土を盛った。
外側へ杭を打ち、その間に板や木を当てて、盛った土が崩れないようにした。
雨が降れば、ここに水が残る。
そこから少しずつ下へ流せれば、畑にできる場所が増える。
水の少ないところには栗も植え始めていた。
すぐには何も採れない。
それでも、何年か先には役に立つ。
そういう場所が増えるにつれて、小さな村も増えていった。
水の近くに住む村もあれば、畑のそばに住む村もある。
倉を持つところもあった。
道や橋をよく見る村もあった。
国へ出すものは、それぞれの村で同じではなかった。
ある日、村の者たちと話していると、一人が言った。
「なあ、うちで向こうの橋も見るなら、その分は減るんだろ」
クコチヒコは頷いた。
「橋を見てもらえるなら、その分まで同じように出してもらう必要はない」
別の男がすぐに口を挟んだ。
「じゃあ舟もだな。うちも舟出しとるぞ」
隣の男が言った。
「お前んとこの舟、穴あいてるら」
「直すで、いいだよ」
「直してから言え」
舟の男は少しむっとした顔をした。
「じゃあ直したら入るんだな」
クコチヒコは頷いた。
「使えるなら入れる」
「じゃあ、もう一艘作ったらもっと減るか」
「そうやって出す物を減らすためだけに舟を増やすなよ」
「分かっとるよ。こっちも使うんだから」
別の村では、水場の管理を引き受けた。
関の近くでは、草師や手師を置いていることも、村の働きとして見られるようになった。
兵を泊める村もあった。
そうして、国から細かく命じなくても、自分たちで話して引き受けることが少しずつ増えていった。
クコチヒコのところには、その知らせが毎日のように届いた。
舟が増えた。
村が増えた。
畑が増えた。
見張りが増えた。
そして、兵も増えた。
夕方、また一人の男が報告を持ってきた。
「北の見張りにも、人が入りました」
クコチヒコは顔を上げた。
「兵か」
「はい」
「何人だ」
「今のところ四人です。あとから増えるかもしれないと」
「ナシメ様からか」
「そう聞いています」
クコチヒコは木の板へ目を落とした。
「そうか」
男が少し待った。
「何か伝えますか」
クコチヒコは首を振った。
「いや。今はいい」
「分かりました」
男が出ていった。
外では、昼よりも風が湿っていた。
遠くの空には、低い雲が広がり始めていた。
この土地へ来てから、何度も聞いた言葉があった。
雨の前には、川を見ておけ。
クコチヒコは立ち上がった。
梅雨は、もうすぐだった。
次回予告
クコチヒコが整えてきた西の土地を、少し離れたところから見てみます。
人も、道も、見張りも増えました。
そんな中、夜の見張り台に火が上がります。
次回 ヒミコの決断
第26話 闇を渡る
静かな夜に、誰かが川を渡ってきます。
